神秘体験 晒し
弟は、土砂降りの雨に打たれながら、スコップで穴を掘っていた。
「姉さん、手伝ってよ」
弟は疲れたのか、私に助けを求めた。
私は弟を無視して、林道を見つめた。
林道の先には果てのない闇が広がっていた。
もうすぐこの果てなき闇の向こうから、父が車に乗ってやってくる。
〝こなければいいのに〟
私は心の中で強く願ったが、神には祈らなかった。
私は神が大嫌いだった。
神など、人の作り出した妄執にすぎない。
祈りを捧げても、供物を捧げても、教義に従って生きたとしても、
自己満足が得られるだけだ。
奇跡など起こらない。信者の自己満足で完結しているのなら、私もこれほどまでに
神を嫌うことはなかったろう。
しかし宗教というのは、信者を求めるものなのだ。
宗教というシステムは教祖と神だけではなりたたない。信者がいなければ、それは個人的な妄想で
終わってしまう。民俗宗教とて、その民族が滅んでしまえば、民族神も歴史のなかに埋もれてしまう。
だから宗教は、己の神を生かし続けるため信者を求め続ける。
〝しかしそんなものまやかしだ〟
超常者であるはずの神が、人がいないと存在できないなど、そんなひ弱な存在神であろうはずがない。
私にとって神とは、もっと絶対的なものである。
たとえば山。私にとって、山は神という存在に近い。
山は、人が滅ぼうが、泣き喚こうが、幸福だろうが、どうでもいい。
人間に対して無関心である。
極端な話、人間の手によって山が荒らされても山は構わないのである。
荒れた山を見て悲しむのは人間であって、山ではないからだ。
自然を擬人化して、自然保護を呼びかけるなど私から見れば笑止な話である。
山を手入れするのも人間の都合、山を破壊するのも人間の都合。
どちらもエゴであり、同じ穴の狢なのだ。
自然は、人間を好いても嫌ってもいない。
自然は人間のことなどどうでもいいのである。
そのことを人間はもっと真摯に受け止めるべきなんだろう。
自然の持つ残酷さを受け入れたとき、はじめて人間は自然に対して敬虔な気持ちを抱けるように
なるのだ。
これが私の持論である。
こんなことを考えたのは、父に対する反発からなのだろう。
父は、人の作り出した妄想に、文字通りすべてを捧げている。
私はそんなものに一欠片の真実も、神聖さもないと否定したい。
だから私は自然を尊ぶのかもしれない。
私がそんな事を考えていると、闇の向こうから光が射した。
「父さんだ!」
弟は嬉しそうな声を出した。
あれだけ父に折檻され、疎まれてるというのに、弟は父を盲愛していた。
弟は、父に愛されていないという事実を受け入れることが出来ないだろう。
だから必死になって、父の言うことを盲従し、父に媚びを売るのだ。
そう思うと、私のなかで疎ましいだけの存在であるはずの弟が、急に哀れに思えた。
しかしそれは弟の撒いた種なのだ。
弟は、幼い頃から女装するのが好きで、父に隠れて私の服を着て悦に入ってた。
私はそんな弟を見て軽蔑したが、好きにやらせておいた。
不愉快だからといって父や母に弟の所業を言いつけたら、大騒ぎになり面倒な事になるからだ。
しかしある日、弟は女装してるところを父に見つかってしまった。
父は激怒した。
父の所属する光の戦士教団では、同性愛と性的な倒錯行為は固く禁じられてる。
信仰に命を捧げている父は、弟の所業を許すことは出来なかった。
父は毎日のように弟を叩き、怒鳴った。
弟は泣き喚き、狭い家のなかを騒音で満ちた。
おかげで、私は読書に集中することはできなかった。
この信仰という狂気に満ちた家で、現実逃避する唯一の手段なのに。
父が車を止め、こちらにむかって歩いてくる。父は穴の前で足を止めると、
「数馬、まだ穴が掘れていないのか」
父に叱咤されると、数馬は首をすくめ「――父さん、ごめんなさい」とあやまった。
私は弟が謝るのを見て、不快な気持ちになった。
〝私に似た顔で、父に頭をさげるな〟
私と弟は双子ではないが、顔も体も非常によく似ていた。
だから、弟が不快な行動するたびに、自分がしているように見えて気分が悪くなる。
「仕方がない。父さんも手伝ってやる」
父は車のトランクにしまってあるスコップを取り出すと、弟と一緒に穴を掘り始めた。
「聖! もし何かあったらお父さんに教えてくれ」
私は父の声を無視した。
父の手伝いなど、したくない。
「聖、返事は!」父は怒鳴り声をあげた。
これ以上父の言葉を無視すれば、殴られる。
私は仕方なく、ハイと答えた。
雨音と、土を掘る音を聞きながら、ぼんやりと車を見つめていると、ドンドンと強く叩く音と
ともに車の後ろのドアが激しく揺れだした。
激しく降る雨のせいで、まだ父は気付いてなかった。
私は一瞬、父に告げずに黙っていようかと思った。
父にバレれば――。
と思った時、父は物音に気付いて穴から這い出てきた。
父は怒り狂った顔で私に近づいてくると、
「聖、何故すぐにお父さんに知らせないんだ! 悪魔がもし逃げ出したらどうする?
善き人達みんなが迷惑するんだぞ!」
「――狂人」
私がぼそりと真実を口にすると、父に殴られた。
父は土砂降りの雨に打たれながら、泣いていた。
「聖、何故信仰に目覚めない。お前の胸の中には信仰の光が輝いてるというのに、何故お前は光を直視しないだ!」
私は何も答えられなかった。
そんなもの無いと言えば、父に殴られるからだ。
「――悪魔を退治するのが恐いのか? たしかに悪魔を退治するのは恐い。お父さんがはじめて悪魔を退治したときも、恐怖のあまり失禁した。悪魔達はあまりにも巧みに人間に化けるし、その性は残虐だ。しかし信仰の光と、信仰の剣さえあれば、悪魔など恐れることはないんだ」
父は血走った目で、私を見つめながら諭した。
下手なことを言えば、殴られるのは目に見えている。
私は黙って頷くことにした。
父の目から涙が溢れたかと思うと、私を強く抱きしめた。
「――わかってくれたか、娘よ。それでこそお前はお父さんの子だ」
私は何も言わず、ただ父に抱かれていた。
いつのまにか穴から出てきた弟は、父に抱きしめられてる私を恨めしげに見つめていた。
私は弟から顔をそむけた。
〝お前はこんな男に愛されたいのか?〟
父は、正真正銘の狂人なんだぞ。
「――父さん、悪魔がドアを叩いてるよ、早く退治しないと車壊れちゃうよ」
父は弟の言葉を聞くと、私を解放し車に向かって歩き出した。
父は車の後ろのドアをあけ、縄で縛られた男を引きずり出した。
男は暴れ、助けを呼ぼうと叫ぼうとしたが、口はガムテープで塞がれていた。
父は男を雨で濡れた地面に無理矢理座らされると、ガムテープを取った。
「金なら全部あげますから、 助けて、助けてください!」
「汚れた金なぞ、いらん。それよりお前は恋人はいるか?」
「――恋人?」
男は、父の質問の意味がわからなかった。
それは当然だろう。娘の私でさえ、父を理解するのは難しいのだから。
男は呆然として、父の質問の真意を考えようとするが、答えを見つける前に父に殴られた。
男は折れた歯を吐き出し、口から血を垂れ流した。
「――まさかあんたはおれの恋人まで殺す気か?」
男は、父の真意を理解した。
「それがどうした悪魔めっ! 貴様等悪魔は、人間の女を誘惑し、その忌まわしき子種を子宮に
ばらまいているのだろう!」
「――狂ってる、あんた狂ってるよ!」
男が叫んだ途端、父は狂ったように男を殴りつけた。
父の狂態を目にして、私と弟は背を向けた。
幼い頃から、父の蛮行に付き合ってきた私達姉妹は、この後の展開は読めていた。
父は、犠牲者を拷問し恋人の名前を吐かせる。
私は、男に恋人がいないことを願ったが、それは空しき行為であった。
男は結局のところ、恋人の名前、住所を喋ったからだ。
「よし、悪魔を殺すぞ」
父は、拷問によって傷つきぐったりしてる男にむかって死の宣告した。
男は最後の抵抗とばかりに、泣きながら首を振った。
父は、男の嘆願を無視して懐からナイフを取りだした。
教団の司祭から授かった、神の剣とやらだ。
この後、父は祈りの言葉を唱えながら男を刺し殺し、そして死体を土に埋めて終わりだ。
〝もういいから、早く終わって欲しい〟
父も弟も、この哀れな男にも、そしてこの雨にも、私はうんざりしている。
泣こうが叫ぼうが、どうせ結末が変わらないのだ。それならさっさと終わらせて欲しい。
「聖、こっちにこい」
父は予想外な言葉を発した。私は父の言葉の意味がわからず、ただ父の顔を見つめていた。
「お前も、もう一四歳だ。少し早いがそろそろ神の戦士に目覚めてもいいころだ」
私は父の言葉を聞いて、ようやく父の真意を理解でき、そして慄然となった。
〝父は私に、この哀れな男を殺せと言ってるのだ〟
「どうした恐いのか? 大丈夫、お父さんが手伝ってあげるから」
「人殺しなんか絶対いや!」
私は絶叫して逃げだそうとするが、父の手が動くほうが早かった。
父は私を強引に抱きしめると、無理矢理ナイフを握らせた。
父の太い腕によって、私の細い手はがっちりと握りしめられているので、
ナイフを手放すのは不可能であった。
私は足をバタつかせ激しく抵抗するが、大柄な父はビクっともしなかった。
「お父さん、お姉ちゃん嫌がってるよ。僕がお姉ちゃんのかわりに悪魔をやっつけるよ」
弟は、私そっくりな顔でとんでもない事を言いだした。
〝私の顔で妄言を吐くな!〟
「死ね、この狂人共めっ!」
私は弟の顔に唾をかけたが、降りしきる雨がすぐに汚れを落としてしまった。
「ダメだ、お前には信仰の光はない」
父は弟の願いをあっさりと拒絶すると、落ち込んでる弟を無視して、
「聖、祈りの言葉を唱えよ。天の神はお前の祈りに耳を傾け、悪魔を殺す勇気をくれるはずだ」
「誰が祈るか! 離せ、離せ!」
〝やだ、人殺しだけは絶対したくない〟
猛烈に抵抗する私を見て、父は娘に祈りの言葉を唱えさせることを断念した。
父は娘の手を強く握りしめた。
〝父は殺る気だ〟
私は腕に力を込めて、父に抗おうとしたが無駄だった。
「天の父よ、照覧あれ。貴方の僕が、悪魔を滅するこの時を」
父が祈りの言葉を唱えたとき、哀れな男の胸にナイフが突き刺さっていた。
車は、真夜中の住宅街を静かに走っていた。
私は、車を運転する父の後頭部を、ぼんやりと見つめていた。
〝あのナイフで父の頭を突き刺してやりたい〟
父さえ殺せば、私は解放されるのにそれが出来なかった。
〝何をためらう事がある?〟
人ならもう殺してるのだから。一人も二人もかわらない。
それなのに父を殺すことは出来そうになかった。
私は父の後ろ姿から目をそらすと、車窓に目を転じた。
コンビニ袋をぶら下げた妊婦が、人気のない夜道を歩いていた。
私はその女を見た瞬間、心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
今までに感じたことのない不思議な感覚――。
私はそっと胸に手を当てた瞬間、妊婦の体がはね飛ばされた。
父が、ハンドルを強引に切って、車で妊婦を轢いたからだ。
父は車を止めると、「数馬、手伝え!」と弟に素早く指示をした。
父と弟は手慣れた手つきで、血だらけの女を車に放り込むと、
女の恋人が眠る森にむかって車を走らせた。
普段なら、父の蛮行を見ると顔をそむけるたり、犠牲者を哀れんだりするのだが、
私はなんとも思わなかった。
ただ、胸の鼓動の高まりだけを感じていた。
恋人が埋められてる森につくと、父は女を車の外に引きずり出した。
父は気絶している女の頬を軽く叩いた。
女は呻き声と共に瞼を開いた。
「女よ、お前は悪魔の誘惑にまけて、その身に悪魔の子を宿したが、お前が人であることには変わりはない。最後の慈悲として、神に祈る時間だけは与えてやろう」
父の声は慈父のように優しげだった。
「――殺さないでください。私のお腹には赤ちゃんがいるんです! 警察には絶対言わないですから、命だけは助けてください」
女は泣きながら命乞いをした。
「女よ、慈悲を乞うのは私ではなく、天の神に対してだ。私も一緒に祈るから、お前も神に許しを請うがいい」
父の優しげな顔と声に勘違いしたのか、女は父の真似をし、祈りの言葉を口にした。
父の言うこと聞けば助かると思ったのだ、この哀れな女は。
「お前達もボケッとしてないで、この娘のために一緒に祈るのだ」
弟はいつも通り、父の言葉に従った。
私も何故か、祈りの言葉を口にした。
今まで一度たりとも、祈りなど唱えたことないのに。
祈りなど憎悪していたのに。
それなのに、私の唇から祈りの言葉が漏れた。
「女よ、神の愛は無限だ。悪魔を宿したお前すら、神は許してくれるだろう」
父は優しく語りかけると、懐からナイフを取りだし、膨らんでいる女の腹に刃を突き刺した。
女は呆然とした顔で、自分の腹に突き刺さったナイフを見つめていた。
父は容赦なく、女の腹を引き裂いていく。
女は悲鳴を上げる力もないようで、ただ口をパクパク開いてもがくだけだった。
私は哀れな女の姿を見て、何故か蛙を思い出した。
水辺から遠く離れ、灼熱の太陽に焼かれた蛙も、きっとこの女のような顔をするだろう。
女の腹から、大量の血と腸が溢れ出た。
殺人を見慣れてる弟ですらも、この光景には耐えられないようで泣きながら何事かを叫んでいた。
私は何も感じなかった。
私は目の前で繰り広げられてる残虐な光景よりも、胸の中に生じた不思議な感覚に心を奪われていた。
これはなに?
暖かくて、とても力強い。
心地のよいもの。
殺人現場で感じるには、あまりにも相応しくない感覚。
「娘よ、それは信仰の光だ」
父は、慈父の顔で言った。
そうだ、これは光だ。
私は胸のなかに光を宿しているのだ。
「――動いてる!、動いてるよ!」
弟の声が、神聖な気分に浸ってる私を現実に呼び戻した。
私は弟の指を指してる先を見ると、臓物の山があった。
弟の言うとおり、臓物は何かを孕んでるかのように、震えている。
〝悪魔はまだ生きている〟
父は黙って、私にナイフを手渡した。
私はナイフを手に取ると、胸中の光は私を励ますかのように強く輝きだした。
私の瞳から、大粒の涙が零れた。
感動という、生ぬるい言葉ではない。
どんな言葉とて、この感情を表現する言葉はないだろう。
〝この光のためなら、私はどんなことも出来る〟
臓物の山から、小さな手が這い出た。
その小さな手には、鱗がびっしりと生えていた。
臓物の山から這い出た頭は、蛙そのものだった。
私はその醜い姿を目にしたとき、昔読んだ優生学の本を思い出した。
その本は科学を根拠として、人種の優位性、知的障害者に対する断種を説く、
とんでもない本であった。私は読んでて胸くそ悪くなったが、その本のなかのある一節が
強く印象に残った。
人間は、母親の腹の中で、人になっていく。
細胞から魚類へ、両生類から、爬虫類へ、鳥類から、哺乳類へ、と進化し人間となる。
知的、あるいは身体的障がい者は母の母胎で進化をし損なったものである。
つまり彼らは人間のできそこないなのだ。
人間という種を守るためには、人間という種をもう一つ上の存在に進化させるためには、
それら人間のできそこないを徹底して間引く必要がある。
あの時は作者を狂人だと思った。
しかし今の私は彼の気持ちが理解できるような気がする。
私は人類を守るために、この悪魔の出来損ないをこの手で間引かなければいけない。
悪魔の出来損ないは、愚かにも私にむかって鱗だらけの手を伸ばした。
「赤ちゃんだ。赤ちゃんが手を伸ばして助けを求めているよ・・・・・・」
信仰を宿していない弟には、この小さな悪魔が赤ん坊に見えるようだ。
愚かだと思ったが、私も数時間前まで弟同様おろかだったのだから、弟を笑えまい。
私は弟の声を無視して、小さな悪魔を捕まえた。
泣き叫ぶ小さな悪魔を地面に押さえつける。
大きくナイフを振りかぶる。
「天の父よ、照覧あれ。貴方の僕が、悪魔を滅するこの時を」
私は祈りを唱えると、小さな悪魔にむかってナイフを振り下ろした。