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δ.何か私に出来る事は? と天の主は微笑んだ

 ……もっと高く(テイク・ミ)飛び上がれ(ー・ハイア)――その想いを胸に、アンリはこれまで戦って来た。

 けれど彼は知らなかったのである

 高く飛べば飛ぶ程に、重力の鎖は、太陽の網は、情けを忘れて行く事を。

 業火が波と成って天を、地を覆い尽くした時、彼はそれを思い知った。

 そしての神も味わったという、永い永い後悔の時が訪れた――

  J・O=ネルレラク 『未來の(フューチャー)プロメテウス』「そして子等われらが此処に居る」



 やがて家々の向こう、地平線の彼方へと太陽が沈み始める時間、電灯が入れられるにはまだ早いけれど、星々と心燈(パイア)が輝きを増させるには調度良い頃合い、昼と夜との狭間にて、ヴィクター・ナイトは独り自動二輪(オートサイクル)を駆り、エル=ゼノ企都(ポリス)を直走っていた。

 正確に言うと、彼は二輪を駆ってはいない――それに搭載された算譜機械コンピュータは、それ自体を駆り手と認め、定められた目的地へ向けて、ヴィクターを運んでいる。

 その漆黒の車体が、座の空いた側車(サイド)等無い様に、筐の如き車輌と車輌の間を滑らかに抜けて行く間、彼はその身を前傾と預けつつ、片手で名前ばかりの操縦卓ハンドルを、片手で名前通りの携帯端末(モバイル)を握り締め、ポォンポォンと、親指のみを使って打刻して行く。

 その並び立てられた譜号(コード)が示すのは、基本にして中心である音声通信であり、そしてヴィクターが呼び出そうとしているのは、本来なら側車(サイド)に乗っていても可笑しくはない存在、彼の侍女の方のメアリで――もう一人のメアリとの殆ど一方的に有意義な会合を済ませた彼は、そのまま即座に自動二輪(オートサイクル)を呼び寄せ、その上へと跨ったのである。

 今頃彼女は、家で独り、夕食の支度を――一度だけ見てしまった所では、中空に投影された設計図を元に、諸機具(デヴァイス)を駆使しながら何種類もの合成材食を煮たり切ったりと、加工――している事だろう。不甲斐無い主人の為に――その工程がどの様なものであれ、その結果がどの様なものであれ、事と次第に寄っては、全て徒労に終わってしまうと考えると、ヴィクターは申し訳無い気持ちで一杯となるが、だが、それで躊躇するつもりは毛頭無く――今からの会話如何によっては、その気持ち自体が無意味に終わる事だろう。

 吹き抜ける風に黒髪を流しながら、そうならない事を祈って、彼は譜号(コード)を打ち終えた――カチ、と引鉄を引き、決定を示せば、トゥルルルルと呼出音が鳴り始めて――直ぐに、カチャンと、あちらの決定音が聞こえてくれば、凛とした鈴の声がそれに続き……



 ――お電話ありがとうございます、エル=ゼノ・サンドアイズ社共同製、汎隷人型自動機械(オートマトン)、型式番号【͵βφβ(2502)】“メアリ”です……お名前と、ご用件をどうぞ……


 ――……もしかしなくとも、毎度その台詞を聞かされるのかい? 電話した身は……


 ――えぇ勿論、その様に算譜プログラムされておりますが故……この番号は始めてですが良く知っています……ヴィクター様ですね。如何されましたか、音声通信なんて……風が耳障りですね、まさか今車上ですか? 警邏隊に見られても知りませんよ……


 ――そういう君の方こそ、キィキィキュラキュラ喧しいね……それに、今更警邏隊に見られた所で、何だって言うんだい。これまで散々厄介になってきたじゃないか……


 ――アステリオスの姿では、ですね……それで、如何されましたか……


 ――その中身が俺なんだぜ、と、悪いがね、ちょっと今日の帰りは遅くなりそうだ。下手をすれば、戻って来ないかも、だから、夕飯の製造はしなくていいよメアリ……


 ――……それはまた……一体何処へ参られるのです……


 ――本社楼(アクロス)だよ……エル=ゼノの……


 ――……何の為にですか? 事件は終わった筈なのに……


 ――それは、っと、危ない……そうだな……《禿鷹》の……真偽を確かめたいのさ……勘違いかもしれないが、どうも、まだ終わってなかったみたい、なんでね……


 ――……


 ――……知っていたかな?


 ――何を仰られる……言ったでは無いですか、貴方は《禿鷹》を仕留めた、と……


 ――けれどさっきは黙りこくって……そんな気がしたもので……


 ――自動機械(オートマトン)に期待する事ではありませんよ、ヴィクター様……


 ――さぁ、良く解からん……だが、前はもっと反応したじゃないかい……君やら誰やらの言い方をするならば、ね、そういう風に算譜されているものだと思ってたが……


 ――……


 ――……実際の所、教えて欲しいんだよなメアリ……


 ――……何を、でしょうか……


 ――いや、何、君は一体何処まで知っていた……知っているのかな、と……


 ――……


 ――……言っちゃうのも何だが、沈黙は金だぜ、メアリ……


 ――……申し訳ございません、ヴィクター様……


 ――いやいいさ……それだけで充分過ぎる答えだからな……フランクが言ってたっけ、外側は別の企業が造ったと……内側は、つまり逆、って事なんだろう、さ……


 ――……


 ――……まぁ、そういう事で……悪かったね、手間取らせて……それじゃ……


 ――……ヴィクター様、少々お待ちを……


 ――と……何かなメアリ……


 ――……一つだけ……一つだけ、貴方に伝えておかねばならない事があります……今更無駄かもしれませんが、しかしこれだけはどうしても……かつて貴方が犯した大罪……貴方が囚われるに至った所以の、その詳細です……


 ――それ、かい……恥ずかしいから思い出したくも無いのだが、ね……


 ――酩酊の部分だけを上げれば、そう思われても無理は無いでしょう……ですが、それはあくまでも間接的なもの……直接的には、別の理由があったと聞いております……貴方はその、ある議題に置いて被害者と激しい口論になった挙句、手を掛けたのです……


 ――ある、議題……


 ――自動機械(オートマトン)に対する取り扱いの是非……そう伺っております、ヴィクター様……


 ――嗚呼……嗚呼、成、程……そういう……はは、俺らしいな、全く……


 ――……以上です……お手間をお掛けして、申し訳ありませんでした……夕飯は、完成致してテーブルの上に……昔懐かしく高周波加熱処理チンして召し上がりください……


 ――いいや、ありがとうメアリ……これでまた一つ、腑に堕ちたよ……夕飯も、ね……後で必ず頂くさ。ともあれこれで……君の前途に、灯が在らん事を……


 ――貴方の前途にも……どういたしまして、ヴィクター様……ご武運を……



 ご武運を――風切り音が耳に喧しく飛び込む中、確かにメアリがそう言うのを聞いたヴィクター・ナイトは、苦い笑みと共に彼女との会話を終えて――それが良い方に傾いたのか、悪い方に傾いたのか、この時点では何とも言えなかったけれど、しかし少なくとも、悪い気はせず、無論、そう思わせる為の言葉を算譜機械コンピュータが吐かせた、なんて言う事も出来るだろうが――携帯端末(モバイル)を仕舞い込むと、自動二輪(オートサイクル)自身が握っていた手綱を折角だからと貰い受け、奏でられる抗議(ビープ)音を聞き流しながらにその速度を自分と機械の限界まで高める。

 そうして徐々に、徐々に上がり始める快楽の歓声を二輪の声と共に後ろへと置き去りにし、繁華帯(アゴラ)から犇く摩天楼郡(ビルディング)のお膝元へとやってくると、彼はエル=ゼノの本社楼(アクロス)、人気の途絶えたこの都市の中枢へと辿り着き――巡り合わせの所為だろうけれど、こうまで誰にも逢わないと、本当にここに社員が居るのかと疑わしくなって来る――そこで、男前な肉体をこれでもかと晒しているエル=ゼノ社の守護企神(マスコット)と共に、理想的造形に模られた金髪碧眼の自動受付嬢(オラクル)に出迎えられば、彼女の声が自身の侍女よりも鼓膜に心地良い、だからこそ余計に違和を感じさせるものである事を、その腰から下が脚では無く、ある種の椅子と一体になっている事を、そして彼女が根差している基部の先にあるものの事を、更に目当ての人物が己の頭上に居ない事をヴィクターは知った――その居場所も含めて。

 そこで幾何かの時を過ごした後に本社楼(アクロス)を飛び出せば、進む道は元来た道、無意味と過ぎ去った繁華帯(アゴラ)の一角で、辿り着いた場所ですら一度通りがかったものと来れば、ヴィクターは思わず、もう一度苦い笑みを漏らすと――何時もこうなるんだという想いが突如振って湧いて来るが、何時が何時かなんて定かで無いままに――自動二輪(オートサイクル)を小脇へと止めた。

 マウント・パルナサス――

 大通り沿いに建てられたその小粋な喫茶店(カフェ)の、店前に並ぶテラスが一つに、フランク・レイニーは居た――場所が場所なら、最初に通った時に気付いても良さそうだったが、しかし以前見た時と違う背格好であれば解らなかったのも仕方が無く、だが本社楼(アクロス)を経た後ならば、その姿も一目瞭然の代物であり――橙色と輝く斜陽に照らされた日除け傘の元、悠然と座って珈琲を啜っているフランクの外見は、彼の守護企神(マスコット)に瓜二つのものであった。

 勿論その縮尺は人間大に合わせられていたし、一糸纏わぬ姿である筈も無かったけれど(それに寄ってヴィクターが関心と軽蔑を同時に抱いた、あの股の間の一物が確認出来なかったのは、幸いと言うべきか何というか)、この企都(ポリス)の豊穣具合を指し示す様に生い茂った黄金の髪と黄金の髭、白い、余りにも白い所為で盲てしまいそうな紳士服に包まれた恰幅の良い体躯は、あの無銘の神そのものであり、それが余りに似ている為、石像は逆にこの姿を象ったものではないかとヴィクターは思った程である。違う点と言えば、体毛を金と、瞳を青と、そして胸部を橙とする、かつて見たのと同じ色彩がそこに加えられている点と、そして柔和な表情だろうか――守護企神(マスコット)がどんな表情をしていたか、ちゃんと覚えてはいなかったけれど、こんな人懐っこい、穏やかな笑みでは無かった筈――或いは、そんな風には造られてなかった筈――そうヴィクターは思い返しながら、その笑顔に誘われる様にして脚の長いテーブルへ歩み寄り、

「やぁフランク。あんた煙草持ってないかい? 出来たらそうだな、点火器(ライター)も一緒に」

 言いつつ、相手が応えるよりも早くにその対岸の椅子を引いて、素早くよいしょと腰を下ろせば、返って来たのは、微塵も曇らない父祖的な余裕を称えた笑いと、何時か携帯端末(モバイル)越しに聞いたのと同じ、老いて掠れた、だが同時に安心と力強さを感じさせる声であり、

「久しぶりに逢ったというのに、随分な物言いだな、ヴィクター・ナイト。君が煙草呑みなのは知っていたが、ここまでとは、ね……メアリから聞いていたんじゃないかな? 二十年前に、この企都(ポリス)は禁煙にしたんだよ、一部を除いて、ね」

 対するヴィクターは、右の眉と左の口端を釣り上げながらに、翡翠(ヒスイ)の瞳を向けて、

「その一部が、あんた周辺じゃないかな、なんて思ったものでね、何と無くだけど……それに、確か俺が聞いた限りだと、十四年前だった筈だがね、禁煙になったのは」

「君も失礼な奴だなぁ。私は煙草なんて吸わないよ、健康の大敵だからね。一部というのは研究施設さ。あの煙が如何に人体に、或いは機械に悪影響を与えるかを調べる為の、ね……まぁ、だからちょっとの間違え位、多めに見てくれよヴィクター」

「そうだな……この地で禁じられている、それだけでもう一杯っちゃ一杯だ」

 そうして青金剛の瞳と交われば、ついとフランクが目線逸らしたのに誘われて、彼が見ている方、今しも太陽が沈んで行く企都(ポリス)の西へと視線を向ける――繁華帯(アゴラ)の中と言ってもどちらかと言えば中央寄りの、そして南東寄りの場所の為か、宴の音は未だ遠く、聞こえて来るのは帰途を目指すもの達の足音であり駆動音であり、そして眼前に広がる風景も、落日の光に染まった紫空に摩天楼郡(ビルディング)の影であったならば、ヴィクターの胸中に宿るのは何処か物哀しく、何処か落ち着いた感覚で――これからする事になる話題、そして次第に寄ってはする事になるだろう行動には似付かわしくないな、と彼は苦味を一層深めると、注文を伺いに来た美形の給仕――給仕型の自動機械(オートマトン)を丁重に送り返しつつ、顔半分を右掌で覆いながら、フランクの方を見るとも無く、ところで、とその唇を先に開いて、

「フランク……一つ、いや、多分幾つか、かな? 聞きたい事があるんだが……」

「それがわざわざ訪れた理由かね……良いだろうヴィクター。何を聞きたいかな?」

 同じく視線を夕暮れに合わせたまま、ゆったりと頬杖を付き付きフランクがそう返せば、もう一度だけ、ちらり視線を流してから、ヴィクターはその言葉の先を紡いで行き、

「……《禿鷹》についだよ、フランク。俺が捉えた、あの男に関して、さ……」

「嗚呼またそれか……存外しつこいね、君も。一体何が気になるって言うんだい?」

「それこそ色々だよ……例えばそうだな……結局あの男は誰だったのか、とか……」

「その事だったら、とっくの昔に本人から聞き出した。アレの正体は、ハルポクラテスの企業密偵だったよ……あそことは、それなりに長い付き合いでね、色々と因縁もある。君が活躍した企都(ポリスマキア)戦争でかなり痛手を与えてやった筈だが、懲りていなかったらしい。怪人物による内側からの秩序崩壊……それが、アレの狙いだった、という訳だよヴィクター」

「成程……ね。ちゃんと調べはついていたという訳だな」

「あれだけの時間をくれればね、当たり前というものだ。捕まえてしまえば、口を割らせる方法なんて幾らでもあるのだから……割られた口を造る方法も同様にさ」

「……嘘……だな」

「……何の事が、ね?」

 辿り着いた台詞に一瞬の沈黙が降りれば、ヴィクターは掌を離して真顔を浮かべて、

「《禿鷹》の事だよフランク……もういい加減に茶番は止そうぜ。あんたが調べたって言うなら俺も調べたんだ……誰もそんな輩知らないし、思えばどの紙面にも載ってなかった……あんたが言った様な事件だったら、当然掲載されて然るべきだって言うのに、さ……一つだけあっても、あの最後の一夜だけ、アステリオスと一緒の時だけ、だが、メインはこっちの方でね……《クロウ=カサス》なんて酷いものさ、本人も読んでるって言うのに」

 そして彼は丸められた雑誌(マガジン)を懐から取り出すと、広げながら叩き付ける様に置いたのだが、フランクはしかし、一切その顔色を変える事無く穏やかに笑みを浮かべて――

「嗚呼成程、それならば説明出来るよヴィクター……戒厳令という奴さ。エル=ゼノ企都(ポリス)の全住人に置ける死亡率というのを知っていれば、これが容易に口に出して良いものでは無いなんて、簡単に理解出来る筈だよ……その先にある恐慌を、ハルポクラテスの策略を考えれば、騒がない方が得策だ、そうだろう? 無論の事、我々上位層(ヘレネス)は知っていて然るべきだがね……上に立つ者は、下々の分まで悩むものなのだよヴィクター」

「そう、だな……確かに、そういう風に言う事も出来るね……」 

「そうだろう、そうだろう……では、この話もここで終わりと、」

「出来たら良かったのだが、ね、フランク……生憎と、俺はその先を知っているのさ」

「……ほう……その先、とは?」

「……あんたんの地下にあった《禿鷹》の抜け殻の事だよ、フランク」

「……ほう……」

 けれどヴィクターも怯まずにそう返すならば、遂にエル=ゼノの長は唇を噤むと聞き役に徹する構えを見せ――それでも表情はそのままに――彼は今を機会と畳み掛ける、

「ここへ来る前に本社楼(アクロス)へ寄ったのさ……オリンピア、って言うんだってな、あの受付。良い娘だ。あんたの名前を出した上で《禿鷹》を見たいと言ったら、簡単に昇降機(エレベータ)を降ろしてくれた……もしかしたら、そういう風にしてくれたのはあんたなのかもしれないが、ね……お陰でちゃんと見る事が出来たよ、前は警邏隊のあいつに邪魔されたから……」

 そんな脳裏に浮かび上がるのは、つい先程に見た、忘れ得ぬ光景であった。

 頭上では無く、脚元に降りて行った果てにヴィクターは、あの時、見る事が叶わなかった《禿鷹》の正体を知ったのである――自身が篭っていた空間とはまるで違う、薄暗い廊下を抜けた先、研究とその頭文字に付く資料と資材が堆く積まれた倉庫の中、心燈(パイア)を引っこ抜かれた状態で、彼は幾つもの部品に腑分けされていた――一切の衣服が、装飾が取り外されていれば右手も同様と別に保管され、そして猛禽の名をその身に齎していた仮面もまた消えて――枯れた樹木の様に節榑立った生体(ヴィオス)の上に収まっていた頭部は、頭巾でかさ増しされていた為だろう、実際は驚く程小さく、両の手に収まってしまう程度で――その顔は醜くひしゃげた老人のものであれば、浮かばせられた表情は悲痛以外の何者でも無く、琥珀(コハク)色の瞳だけが場違いなまでに爛々と輝いていて――だがそれでも、双眸の中央、眉と眉の間に刻まれた印章と比べれば、別段驚くには値しなかった――良く見れば瞳だけじゃなく、部位と部位の間、接合部にも同じものが黒く熱く押印されているその印は、誰が、何が見間違える事があるだろう、普段であれば黄金と迸る、エル=ゼノの――


 ♃


「いやはや全く、仕様の無い娘だなぁ、オリンピアもっ。そんなに簡単に見せてしまっては、面白味も何も無いって言うのに……どうも新型に更新する必要がある様だな」

「……言うべき点はそこじゃぁ無いと思うが、ね……」

 そこまで語った所で、破顔一笑と、ぴしゃり額を叩いて噴出すフランク・レイニーの姿に、ヴィクター・ナイトは思わず眼を向けてしまって――まだ陽の光が地上を照らしているというのに薄ら寒く感じるのは、隣に座る老人(外見的にも内面的にも、その通りの)の正気に対して疑念が過ぎったからか――けれど咳払い一つして気を取り戻せば、彼は再び唇を開き、

「あんたは言った……奴の正体は解らない、と。ついさっきは、他の企業からの遣いだ、とも……だが、実際はそうじゃなかった。《禿鷹》はここで造られた……この企都(ポリス)の中で、ご丁寧にもそれを証明する印まで付けられて……あったのかどうか、誰も知らない事件を起こした、なんて言われて……何がハルポクラテスだよ笑わせる……はっきりさせようじゃないか、フランク社長? 俺が見てきた事が、感じて来た事が正しければ、答えは一つ……《禿鷹》なんて居なかった。そうじゃぁ無いのかい? えぇ?」

 そこで暫しの間が入り込むと、今度はフランクが口を開ける手番であり、

「如何にも、上手く纏めてくれるねヴィクター……“《禿鷹》なんて居なかった”……そう、その通り。忌むべき殺人鬼なんて居やしなかったのさっ、この世界の何処にもっ」

「……随分愉快に言うんだな? フランク……」

「そりゃそうだろう。つまり君が心悩ませていた十三人の犠牲者なんてものも、最初から居なかった訳だよ? これ程喜ばしい事も、まぁ昨今余り無いんじゃないかな」

「……まぁ……だが、そこは問題じゃ無いんじゃないかい?」

「嗚呼確かにそこは問題では無いな。もう一人もはっきりさせて置くべきだからね」

「……何だって?」

「君の事だよ、ヴィクター……提供者(スポンサー)として一言付けておくと、発狂するかもしれないから心して聞いてくれ給え……《禿鷹》が、そしてその《犠牲者》がそうである様に、《ヴィクター・ナイト》なる人間もまた存在しないんだよ、ヴィクター・ナイト」

 そうしてヴィクターが、口を閉ざす手番がやって来た。

 手の甲で汗を拭い拭い、彼は物々しい警告を発しつつも笑みを崩さないフランクの方へ、おずおずと顔を向けた。じぃ、と半目になって見詰めつつ、うっすらと開かれた唇へ指に挟んだ煙草の吸口を近付け、ようとして、そんなもの持っていないじゃないかと直ぐに気付き、仕方無しと無色透明な吐息を漏らし――それからたっぷり時間を掛けて言葉を探し、

「……俺が……存在しない……?」

 漸く出て来たそれが、相手の台詞の繰り返しである事を知り、機嫌悪く舌打ちして、

「そうだよヴィクター、ヴィクター・ナイト……正確に言うならば、過去形だな……あの日、あの廃屋で目覚めるまでは、君は存在しなかった。君は螺鈿細工モザイク……ある種の芸術品であり、そして新手の自動機械(オートマトン)なのさヴィクター。君の外見、名前、歴史、趣向、そして心燈(パイア)の一切は、我々エル=ゼノ社の技術陣が用意、設定したものだからねっ…………と、言っては見たものの、何だか反応がいまいちだなぁ。そんな反復言語なんかじゃなく、鬼気迫る咆哮を期待していたのだが……何だい、驚き過ぎて言葉も無いのかね?」

 同じ様な事を述べるフランクの笑みに始めて陰が差す――とは言え、それは、軽く眉が吊り上げられる程度のものだったが――のを眼にし、ヴィクターは、自分が言う程動揺していないという事実を知った――いや、確かに驚いているにはいるのだけれど、どうやら思う所があったらしい、やっぱりなぁ、と感じる部分が、頭か胸の片隅にあり、

「半分は、ね。でも半分は違う……何故かな、きっとそうじゃないかと思ってたんだ」

「詰まらないなヴィクター……手掛かりが無かった訳じゃないから、良いのだがね」

「そう言うなって、俺もどうかと考えてるんだから……まぁそれ自体はどうでもいいかな。問題は……重要な部分は、やっぱり別だぜフランク・レイニー・エル=ゼノ社長」

 その様に意外性に乏しかったからこそヴィクターは、自嘲気味な微笑を浮かべてから直ぐにその表情を真顔と戻し――フランクへ、企業の、この企都(ポリス)の長へ、そして恐らくは一連の事と次第の黒幕へと、睨みを効かせた緑の瞳を鋭く向けて、

「ほう……その問題とやらを、教えてくれるかな? ヴィクター」

「問題は……動機だよ。何故こんな七面倒臭い事を企てたのか……そこの所が、俺の正体とやら以上に、不可解でね。掻い摘んで教えてくれると、助かるんだが、な」

「成程……確かに、そこもはっきりさせて置かなくてはならないな」

 しかしフランクは然して気にする様子も無く、くい、っとすっかり冷めてしまっていた珈琲を一息で飲み干しカップを置くと、空いた手で懐の中を探りつつ、

「良いだろう、聞き給え……大きく分けてその理由は三つだ、ヴィクター。一つは至極簡単なもの……愉快痛快エンターテインメントという奴さ。前に言ったかもしれないが、我々企業は市民の為にあらゆるものを提供していて、その内の一つには娯楽もまた含まれている……私利私欲に耽る悪漢共に憤然と立ち向かう謎の戦士……最新鋭の装備を身に付け、切った張ったを繰り返す様は、興行としてなかなか素敵じゃないかい……いや、ここは素敵と言い切ろう、今日まで君の、アステリオスの話題が登らない日は無かったからね。様式が完璧なら、君の演技も見事なもの、と、警邏隊も形無しの活躍には、私も胸が踊ったものさ。ちょっとばかり最終回が微妙ではあったが……続きは劇場で、という所かねぇ」

 そう怒涛の如く一気に捲し立てると、彼はぱちり片目を瞑ってから、すっと上着より彼用の携帯端末(モバイル)を取り出し――その先端を、俄に輝き出した月へと差し向けて、

「二つ目は……はは、こっちの方が簡単かもしれないが、技術開発……科学の発展の為、という奴だね。知っての通り、かどうかは知らないが進歩は必要から産まれるものだよヴィクター……雨が降るから、人は傘を産み出した……それが進んで行くと、面白い事に何時か、何処かの段階で、必要と欲求は裏返り、新たな展望が見えて来る。ほら、丁度こんな具合に、傘を欲するから、人は雨を産み出すのさ……と……おや?」

 カチリカチリと、ずらり刻まれた数字を押していたけれど、周囲には何の変化も無く――何やってるんだい、とヴィクターは眉間に皺を寄せて――しかしてそれも数分の事であれば、何処か上の方より雷鳴が聞こえ、何時の間にやら暗雲が立ち込めると、やにわに月を、星々を、そして太陽を隠す程度にまで育ち始め――パラリパラリと、雫が落ち出した、と感じた数秒後には、豪雨がエル=ゼノを襲っていた。

 ヴィクターとフランクを覆っている日傘は雨傘となって二人を守るが、予報(ニュース)にも無かった突然の天候変化に対応出来た市民は、機械は少なく、彼方此方で驚きの声と音が上がり出せば、銘々それぞれの早足で帰途を進んで行く――水滴の幕が視界を覆う中、常よりも一足早く灯された電灯越しに見出せるそられの姿は、ただの輪郭であり影であり、そこではもう心燈(パイア)の輝きも、それ以外の輝きも見分けが付かず――言葉を交わす暇も無ければ、縦令上げた所で、水音に、風音に掻き消されてしまって――何だろう、ヴィクターは、その光景に妙な疼きを覚えたのだが、しかしフランクは特に感じる所も無かった様で、

「嗚呼良かった出来た出来た……と、こういう訳で、今の我々にとっては、天候すら管理、運営の対象なのだよ……尤も、まだまだ開発途中なのは、否めないがね。反応は悪いし、晴れから雨以外の変更は効かないし、それに一度操作しちゃうと、人口でも天然でも、暫く雨が降らせられなくて……多分、後で託宣告知省(ニュースステーション)の連中にどやされるだろうな……まぁ、始まりなんて大概そんなもの。失敗は成功の母だから、どんどん失敗を産まなくちゃだし……それを言ったら、《禿鷹》も本当に失敗だったな。あんなに簡単に退場するとは思ってなかったんだよ……調子に乗って、君を強くさせ過ぎた。今、何処の企業も、持てる戦場は自分の領土(ポリス)位だから、大事に使わないと行けないのに、ね」

 そして告げられる台詞は、表情が変わらないだけに神経を逆なでしてくれるものであり――降り注ぐ雨音と共に耳に入る言葉に、ヴィクターは自身の表情を険しくさせて、

「……それで? まだ疑問は残ったままなんだが……三つ目ってのは何なんだい?」

 そう先を促すならば、携帯端末(モバイル)を仕舞い込みつつ、フランクは頷いて、

「良いだろう、三つ目か……これが単純な様で複雑で、そして全ての根底で、そもそもは、これがあったからこそに、計画が建てられていった訳なのだが……」

「前置きはいいっての……早く先を言ったらどうだ」

「そう急かすな、物事には順序というものがあるのだから……三つ目の理由はね、ヴィクター、知的欲求の充実……我々は知りたかったのさ……心燈(パイア)について」

「…‥読めないね……心燈(パイア)の、一体何を、なんだ?」

心燈(パイア)…‥それは命の灯火であり、究極の本質、絶対の真理でもある……が、それだけに、心燈(パイア)は謎で一杯なんだ。もうどうやって手に入れたのか、ちゃんと覚えていない程度の昔に手に入れた筈なのに、知らない事がまるで多すぎる……例えば心燈(パイア)は何処から生まれ、そして何処へと消えるのか……心燈(パイア)を産み出す事は可能なのか否か、もし可能とすればどうやって、そしてその素材は何なのか……等など。他にも細かく数えて行けば、ちょっとうんざりしてしまう程にあるのだが……今回我々が取り上げたのは、その中でも比較的安易で、それでいて重要な……心燈(パイア)と肉体に置ける記憶の関係性だったんだよヴィクター」

「……心燈(パイア)と肉体に置ける記憶の関係性?」

 そこで示された言葉に再び鸚鵡返しと呟いてしまい、ますます持って顔を強ばらせるヴィクターへ向けて、嗚呼そうだよとフランクは更に頷き頷き、笑みを深めて行き、

「記憶というものが心燈(パイア)の中に蓄積されている事位、我々は経験で知っている……で無ければ器を代える事なんて出来無いから、ね……だがそれと同時に、どうやら器の方にも記憶が残っていて、それに影響されるという事も知っていた。それは神経の中枢たる脳や算譜機械コンピュータを使い回した時に顕著だったが、それ以外でも多かれ少なかれあるもので……既視感、という奴だね。そこで我々は、こう思ったのさ、実際肉体は、心燈(パイア)に対してどの程度影響するのか、或いはしないのか……ちょっと試しに、やってみようじゃないか、と」

 その深みが頂点に達した時――フランクはすっくと手を上げて、ヴィクターを、心燈(パイア)を指差しながらに、こう言ったのである――だからこそ、君が選ばれたのだ、と……

「俺、が?」

 ヴィクターは突き付けられた指先に、疼くに続く昂りを感じた――ドクリドクリという鼓動が、降り注がれる雫を遠くへ追い遣る様に鳴り響けば、ぎゅっと胸元を掴み込み――そんな彼の方へ始めて眼を向けながらフランクは、息子を見る父の顔を浮かべ、

「嗚呼そうだ、君だよヴィクター……我々はその実験の為に、君を、《ヴィクター・ナイト》という存在を造り出したんだ……必要になったのは、純粋無垢な、穢を知らない心燈(パイア)であり、それとは逆に、嫌という程経験を、そして記憶を積んだ肉体だったが、後者は元より前者がしんどくてね、集めるのに本当に苦労したものさ……まぁどちらも捉えられた者達(バルバロイ)で補えたし……ついでと言っては何だが、人間の発育段階に置いて心燈(パイア)が何時宿るのか、なんて積年の謎も解明出来たし……そして実験も、見事成功したと言わざるを得ないし、ね。長年育まれて来たものであるかの様に、君は目覚めた時からその肉体を、その脳髄を使いこなしていた……最初に逢って話した時、内心驚いていたよ、君の心燈(パイア)の実年齢を知っていたから。そこから更に君は、我々の目論見通りになっていってくれた……君の肉体の部分部分となって一人を構築している十三人の非心燈化者バルバロイこそは、君が見た犠牲者達でね……無論、あの映像自体は虚偽だけれど、しかし皆が、一度は死を体験しているならば、それは他よりも充分過ぎる動機と、動力を与えてくれ……与え過ぎて《禿鷹》との戦力差が産まれた訳だが、まぁ仕方がない。元々アレには負けて貰うのと、君とは別の形で肉体が心燈(パイア)に与える影響を……即ちその醜美の影響だな、そいつを調べる為に、余剰部品で造った器をして貰っていて、ね。結果は一応想定の範囲内だから、かくて君は彼を打ち取り、この企都(ポリス)で末永く、平和に暮らして行きました、と……言う予定だったのだがなぁ……まぁ、知ってしまった者は仕方が無いし、これはこれという所だね、脳外科手術ロボトミーがどの様に影響するかというのも見てみたい所ではあるし……嗚呼、何か質問は?」

 そうしてこれが最後と調子良く、それこそ割られた口が如くにフランクが語り出せば、ヴィクターの表情は見る間に消えて硬くなり――漸く終わったと言う頃には、その顔には苦味だけが、正に仮面と張り付いていて、そして彼の脳裏には諸々の記憶が、《ヴィクター・ナイト》として過ごして来た日々と、明らかにそうでは無い日々が渾然一体となって形も取らずに溢れ返り――本当に文字通りの初夢であった、あの朝の眠りの光景を、嫌が応も無く蘇らせるのであれば、嗚呼、とばかりに彼は今度こそ本当に、正真正銘と理解する。

 即ち――一体全体《禿鷹》とは何者なのであるのか、を……

 これが管理、運営の結果と言って良いのやら、更に激しくなる雨の様子をちらと見つつ、ヴィクターはそっと立ち上がった。そのまま、殆ど一方的に説明しているだけの間も決して崩れはしなかった笑みを、未だに称え続けているフランクの方へと体を向け、

「……理由が三つだったら質問も三つだ……どうだい、いいかなフランク……」

「勿論だよヴィクター。さ、遠慮なく言って聞かせてくれ給え」

「では一つ……あんたが、あんた達が言う所の《バルバロイ》ってのは何なんだ? 俺の肉体が、心燈(パイア)が、その継ぎ接ぎ仕様って言うんなら……元になったって彼等は、一体どんな人間だったんだ? ……そしてどんな風に屍体に……部品になったんだ?」

 そしてゆっくりと歩き出す――左手よりも黒ずんだ右手を腰元へやりながらに、

「そこから言わなくてはならないか……まぁ何とも意味を多岐にする言葉なら、説明もし難いのだが、端的に述べるなら《我々(ヘレネス)で無い者》という所だよヴィクター。ならばこそ、どうして彼等の詳細を知っていよう? 違う者は違う者だ。それ以上でも以下でも無いさ」

「成程ね……では二つ目、」

「ヴィクター、今ので三つあったんじゃないかな?」

「冗談言うなよ、二つ目は……メアリだ。彼女は知っていたのか? その、俺の事を」

「まず訂正させてくれ給え。心燈(パイア)を持たないメアリを“彼女”と呼ぶのは不適切だ。前にも言ったと思うがね……その上で答えを言えば、その通りだよヴィクター。アレの役割は君の世話係であり、また同時に記録係でもある。対象を観るのに情報を知らないなんて間抜けは無いからな、その程度は算譜機械コンピュータに収められているよ」

「……成程、そう、か……そうだったかい」

「裏切られた様な気分かな、気の毒に……人形なんて愛好する者では無いものを」

「放っておけ、と……悪いね、追加でもう一つだ」

 子を諭す様に問い掛けに応える――これだけ見ても、心燈(パイア)と肉体の関係とやらは往々にして図れそうだったが――フランクの元へ、一歩、また一歩とヴィクターは近付き、円卓を回りつつ、電気仕掛の侍女の姿を思い浮かべ、彼女と過ごした時間を複雑と思い返すが、その中には先程し終えたばかりの、携帯端末(モバイル)越しの会話もまた含まれており、

「三つが四つに変わる位なら、大した変化では無いよ……何かね? ヴィクター」

「最初の質問にも掛かってると言えば、掛かってるんだが……確かあんた、俺の歴史も用意したと言ったね? 外見と一緒に、と……つまり、昔はこうだった、なんて言うのは、かつて本当にあったのかい? 撃墜王とか何とか……そういうのさ」

「ふむ……何を気にするのかと思ったが、そんな所か。答えは、そうだよヴィクター……本当なら拵えても良かったのだけど、それはそれで手間だし、何よりも勿体無いから、ね……。《ヴィクター・ナイト》としての整合性を考えるなら、使える挿話エピソードは使った方が良いと判断したのさ……脳髄は一つなら、全部が全部とは言わないまでも、しかしある程度受け入れられたんじゃないかな? その様子では」

「……嗚呼全く……俺らしいな、って、そう思ったものさ」

「言葉の意味が良く解らないが……何が一体君らしいのかね、ヴィクター」

 唇の端釣り上げたままと眉を潜めるフランクに、いいや別にとヴィクターは頭を振るい――一種彼の顔にも微笑みに似たものが浮かび上がるが、直ぐにそれは泡と消えて――そして気が付けば、彼我の距離は零に等しく、彼は彼を静かに見下ろした。

 緑と青の視線が混じり合い、絡み合い――

「……それじゃ最後の質問だ、フランク?」

「あぁ……それで納得してくれるなら、幾らでも……何だねヴィクター?」

「……あんた、もしかしなくとも巫山戯てるだろ」

 そして一拍の間を置いてからヴィクターが抜き出した黒い筐体は彼の携帯端末(モバイル)であり、既にして譜号(コード)が刻み込まれているならば、その形態はお約束の光弾(ブラスター)発射の状態で――紅く輝く水晶体(レンズ)が狙うのは、フランクの笑顔で無く、その胸部の心燈(パイア)の輝きで、

「……巫山戯てなんかいないよヴィクター。何時だって私は真剣だ……そこで聞くが、君の方はどうなのかね? そんなものを私に向けて……一体全体どうしたと言うんだ。確かに気に入らない点が幾つかあるかもしれないが、何、人生なんてそんなものだ……それ以上に、私は、私達は、君に手を貸してやったじゃ無いか。命を、体を、力を、目的を、金を、立場を、自由を、あまつさえ真実もこうして与えて……勿論、それは我々の利益の為ではあるが、君にとっても得だったろう? 私には良く解らないな、ヴィクター。何が不満なんだい……何を与えたら、君は満足という事を知るのかな?」

「……そう改めて言われると、ちょっと困るし……きっとこれが俺の勝手な言い分だってぇのは解っているんだが……そうだな、フランク。はっきり言えば、俺はその笑みが気に入らない……何時だってそうだ……質問を質問で返す事が、悪いってのも知ってるが、言わせてくれ、最後だから……何であんた、そんな風に笑ってられるんだい?」

 無数の糸となって天から降り注ぐ雫が分厚く暗い布地を築き、二人の姿を、その周囲を、企都(ポリス)を陰の内へと収める中、ヴィクターはそうフランクへとそう尋ねる――銃口となった携帯端末(モバイル)が先は、微動だにする事無く、胸の的へと突き付けながら――鏡を見ずとも看過出来る、自身の強張った顔に対して、この様な状況にあっても緩んだままの唇を見詰め、

「成程、この笑いが君の気に障っていたのか……その理由は良く解らないが、しかし悪いね、こればっかりはどうにもならないんだ……何年も何年も、努めてそうして来た所為だろう、笑顔以外の表情の造り方を、この心燈(パイア)は忘れてしまったんだ……肉体が影響されるという意味で、君という存在の反証になってしまっているのは申し訳無いけど、まぁ無理なものは無理な訳で、ちょっと諦めてくれると嬉しいかな、ヴィクター?」

 そして告げられる返答に、それでも変わらない、いや変えられない笑みに、ヴィクターはふと思った――あの無銘の神なんかも、きっとこんな表情をしていたのではあるまいか、と――それは虚偽の像で無ければ、笑顔自体、表情自体の事では無く、そこに満ちる空気を、雰囲気を意味しており――或いは長く生きるとはこういう事であるのかもしれない、他者への誠意も思慮も伺えない、何者にも、何事にも決して揺らぐ事の無い確とした自我をそこに感じるならば、彼の体は、脳は、心燈(パイア)は、それを嫌悪せずには居られなくて、

「……そうかいフランク……ありがとう、だったら、これで終わりだな」

 ヴィクターはぐっと指に力を込めて――次の瞬間、その意識は消失した。



 こうして長い長い対話――予定調和の質疑応答が、果たしてそう呼べるかは、甚だ疑わしい所ではあったけれど――その末に、全て何もかもを一音と飲み込む、雨の中の静寂が訪れるならば、携帯端末(モバイル)を向けたままの姿勢で停止しているヴィクター・ナイトへと、フランク・レイニーは至極残念そうに眉を下げ、だが唇は一層と釣り上げて、

「真実を知った時、君が反企業バルバロイ的行動に出る事を、社は予想していたよヴィクター」

 最初からね、と、付け加えるなら、何時の間にか握っていたのは、先程とは別の携帯端末(モバイル)で――艶消し済みの黒く細長い外観に【実在オン非実在オフ】という二つの紅い打鍵(キー)しか存在しない、余りに簡素な造りの端末は、テーブルの下から密かにヴィクターの方へその先端を向けられており、そしてフランクの親指は【非実在オフ】の方を押していて、

「ならばこそ、各部品を調達し、吟味に吟味を重ねてから、さぁいざ組立の段階になった際、我々は真っ先に手綱と首輪を付けたものさ……この赤い打鍵(キー)をぽちりと押せば、君の器と心燈(パイア)との繋がりが一瞬で全て断てる様に、ね。君の様な存在を野放しだなんてとんでも無い、こちらもそこまで馬鹿じゃ無いよ」

 彼は、その遠隔操作具リモコンをカップの隣に置くと、とは言え、とふるり頭を振るい、

「それでも君には良くしてやったつもりだがなぁ……ちゃんと人間扱いしているし、選択肢だって包み隠さず提示したっていうのに………まさか、この終わりを選ぶとは、ね。想定の範囲内ではあるが……私には不可解だよヴィクター、本当に」

 その乱れるという事を知らない、蒼く澄んだ瞳を、ヴィクターの方へと向けるのだが、しかし今のそれは抜け殻に過ぎなければ、返事はおろか反応すら無く――フランクは名残惜しむ様に、思い出を振り返る様に、出来立てほやほやの展示物オブジェを見続ける。

 その様子は、ちょっとした異変に気付き、防水皮膜で雨を粉と砕きつつ給仕型自動機械(オートマトン)が駆け寄って来ても尚と続けられ――何でも無いよ気にするな、という一言と共に告げられる珈琲のお代わりの為に丁重に戻って行くソレと入れ違う様に、薄紫色の雨傘を手に持った、電気仕掛の侍女が姿を現すまで、何一つと変わらなかった――


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