04
タケルが目を覚ましたのは、心電図の規則的な電子音や病院特有の無機質な消毒液の臭いの中ではなかった。代わりに彼が目を開けた先にあったのは、重苦しいほどの完全な静寂だった。彼は横たわってはいなかった。何もない虚無の空間に、直立不動で立っていたのだ。床も天井も、そして地平線すら存在しない。そこにあるのは、チャコール色の霧が渦巻き、理が崩壊した無限の広がりだけだった。
目の前には、幾何学の法則を無視した玉座に座る人影があった。その座席は黒曜石と凍りついた稲妻の破片を繋ぎ合わせたような禍々しい造りで——まさに**「虚無の王座」**と呼ぶにふさわしい。
そこに鎮座していたのは、タケルがかつて己の心の鏡の中で垣間見た男だった。深紅の瞳が暗がりの向こうで燃え上がり、その唇には純粋な悪意に満ちた笑みが浮かんでいる。
「ようやく目覚めたようだな」その男の声は、まるで地殻変動のように低く響いた。「貴様が俺を無理やり叩き起こしたようにな」
タケルは目を細めた。彼の持つ『適応の神』としての本能が、ここが肉体的な強さが何の意味も持たない領域であると警鐘を鳴らしている。「……あんた、誰だ?」
男の笑みが消え、代わりに恐ろしく冷徹な威厳が漂った。「このクソガキが。俺は『増幅の王』。あるいは『悪の王』と呼ぶ者もいる。名はアクマニだ。奴隷らしく言葉を選べ。貴様の体は、俺が使わせてもらうぞ!」
タケルの目が見開かれた。だがそれは恐怖からではない。その顔は露骨な嫌悪感に歪んだ。「うわ、きもっ! 俺はまだ16歳だし、これは俺の体だ! どこの馬の骨ともしれない古臭い幽霊なんかに渡すわけないだろ!」
「……ならば、力ずくで分からせてやろう!」アクマニが咆哮した。
彼が立ち上がると同時に、背後の玉座が影となって溶け落ちた。一跳びで虚無を駆け抜け、その左拳に凝縮された深紅の光を宿す。それはまるで崩壊する恒星の熱量そのもののようだった。その拳がタケルの顔面に叩き込まれようとした、その瞬間——
タケルの目がカッと見開かれた。
「はっ……!」
彼は荒い息を吐きながら飛び起きた。虚無の空間は消え去り、代わりに視界に入ってきたのは蛍光灯の柔らかな光と、ハイテク機器が発する微かな駆動音だった。
「う……。ここは、どこだ?」頭を抱えながら、タケルは呻いた。
「ここはDAA校の保健室だよ!」
陽気な声が響き、続いて軽い笑い声が聞こえた。タケルが顔を向けると、そこには昨夜の黒いヘンリーネックを着た男がいた。彼は医療用モニターの並ぶ壁に寄りかかり、ついさっき十代の少年をクレーターに叩き込むほどのマッハキックを繰り出した人物とは思えないほど、リラックスした様子で立っていた。
「待てよ……あんたは?」タケルは首の後ろをさすりながら尋ねた。
「ああ、俺の名前はケンタ・マゲツ! ま、KMって呼んでくれていいよ」男はニカッと笑った。
タケルは瞬きをし、昨夜の戦いの記憶をゆっくりと手繰り寄せた。「そうだ……あのもう一人のガキは? あのワームと戦ってたやつ」
「シンジのことかい?」
「シンジ……」タケルはその名前を反芻した。「あいつ、シンジって言うのか」
「そう! 君がここに来るための退屈な書類手続きを全部やってくれたのは彼さ」ケンタは壁から背を離してベッドの方へ歩み寄ると、笑いながら手でハートマークを作ってみせた。「というわけで、君の同意はナシだけど、正式にDAA校に編入が決まったから! 君は『ジン(魔神)』の適格者なんだよ、知っての通りね!」
タケルは男を凝視し、それから自分の指に同化したままの指輪に目を落とした。深紅の宝石は今は静かに眠っているようだが、その重みは、皮膚の下に潜む「王」の存在を常に思い出させた。「『DAA校』ってのは、一体何なんだ?」
ケンタのテンションがさらに跳ね上がった。彼はまるで壮大な舞台を披露するかのように両腕を広げた。
「DAAアカデミー! 選ばれし才能が精神エネルギーを制御し、己の『ジン』を具現化させるための超一流教育機関さ。くしゃみをした拍子にコンビニを爆破しちゃわないように教えてくれる場所は、世界でここだけだよ!」
タケルの瞳に、本物の好奇心の火が灯った。昨夜目にしたあの速度、あの『最速の悪魔』の力、そして幽霊のように動くケンタの身のこなし。常に最強の相手に適応することで生きてきた彼にとって、これこそが究極の挑戦だった。
「……面白いじゃん」タケルの顔に、ようやく不敵な笑みが戻った。「いいぜ、乗ってやるよ!」
ケンタはいたずらっぽく目を輝かせて笑った。「いいね! そう言ってくれるのを待ってたよ。正直、断られたとしても強制連行するつもりだったからね!」
彼はタケルの肩をポンと叩いた。
「さあ着替えな、器君。最初の授業は一時間後だ。いいかい、『適応の神』さん。ここのカリキュラムは、バスケほど甘くないから覚悟しなよ!」




