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03

ひび割れたアスファルトと霧散する霊的なすすの中に、少年は立っていた。その視線は、宙に浮くタケルの姿――あるいは、その内に宿った「何か」に釘付けになっている。「器」の周囲の気圧はあまりに濃密で、まるで深海の底に立っているかのようだった。


「クソッ……なんでそれを使っちゃったんだよ!」


少年は毒突いた。彼自身の『ジン(魔人)』は、アクマニの膨大なエネルギーを処理しきれず、不安定に揺らめいている。

だが、作戦を練る暇もなく、街灯の影から新たな気配が忍び寄った。それは悪霊の重苦しい威圧感でも、覚醒したタケルの混沌とした共鳴でもない。滑らかで、制御され、そして危ういほどに静かな――異質な何かだ。


一人の男が光の中に足を踏み入れた。ミニマリズムを体現したような、殺気すら漂うエレガンス。引き締まった肢体にフィットする黒のヘンリーネックに、テーパードの効いた黒のスラックス、そして磨き上げられた革靴。髪は後ろで綺麗にポニーテールにまとめられ、その表情には微かな愉悦が浮かんでいる。


「遅かったかな?」


男は艶のあるバリトンボイスで問いかけた。彼は顔の前で手をひらひらと揺らし、儀式的な印を組む。この地域の『スモッグ(瘴気)』を安定させるための仕草だ。彼は宙に浮くタケルを見上げ、低く笑った。


「いや、珍しく時間通りだよ、KM」


少年は答えたが、その構えに油断はない。「でも、問題が起きた。あいつ、指輪をはめやがった」


KMの眉が跳ね上がった。手の動きを止め、首をかしげる。「死ななかったのか? 興味深いね」

彼の顔に、獲物を狙うような肉食獣の笑みが広がった。「どうやら、本当に『増幅の王』の器に相応しいらしい。そうだろう?」


「生きてはいるけど、あの中にいるのはもうタケルじゃない」少年が警告する。


「はいはい、分かってるって」

KMは肩を回して筋肉をほぐすと、軽快に言い放った。「――で、彼を入学させるかい?」


一撃で街を破壊した惨状を見やり、少年はため息をついた。「させなきゃ、日の出までに広島が消滅する。……ああ、いいよ。やろう」


「正解だ」

KMは両腕を頭上に伸ばし、関節を鳴らした。そして、飢えた獣のように街の灯りを見下ろす『王』を仰ぎ見る。「そこで見てな」


次の瞬間、物理法則がねじ曲がった。

予備動作も、移動の残像すらもない。KMは地上から消え、次の刹那にはタケルの傍ら、空中に現れていた。それは単なる速度を超越した、高位のジン操作による「純粋な転移」だった。


「やっほー!」

バルコニーにでも立っているかのように、KMは空中で気だるげに身を乗り出した。手で「OK」のサインを作ってみせる。「ちょっとボコボコにするけど、気にしないでね!」


タケルの中の存在が嘲笑った。その紅い瞳には古の悪意が宿っている。

「貴様……ただの人間が余に勝てると思うてか? 我はアクマニ、――の主なり!」


言葉が終わるより早く、KMの脚が動いた。

重力による歪みを完全にバイパスし、臨床的なまでの正確さで繰り出された蹴り。その衝撃音は、ソニックブームとなって響き渡った。


タケルはただ吹き飛んだのではない。マッハ2の速度で地面へと叩きつけられたのだ。隕石が落ちたような衝撃が走り、周囲2ブロックの窓ガラスはすべて粉砕。深さ3メートルのクレーターが穿たれた。


KMは煙の上がる穴の縁に、音もなく着地した。

「ふぅ!」

彼は屈託のない、輝くような笑顔を見せる。


クレーターの中心で、紅い光が消えていく。タケルの腕に浮かんでいたトライバル模様は引いていったが、指輪だけは頑固に指に癒着したままだ。強烈な物理的ダメージによって王の意識は休眠状態へと追いやられ、タケルの瞳は元の色を取り戻して白目を剥いた。


少年がクレーターの縁まで駆け寄り、ボロボロになったタケルの姿を見下ろして叫んだ。

「殺す気かよ!」


KMは不思議そうに瞬きをし、真剣に考え込んだ。「……僕の力の1パーセントじゃ、過剰オーバーキルだったかな?」


「当たり前だろ!」


KMは豪快に笑った。その明るい声はこの惨状にはあまりに不釣り合いだった。彼はひらりと穴に飛び込むと、ぐったりしたタケルを軽々と肩に担ぎ上げた。「リラックスしなよ。器っていうくらいなら、見かけより頑丈なはずさ。じゃ、DAAで合流しよう」


「……分かったよ」

少年に返せるのは、その言葉だけだった。


瞬きする間に、KMが立っていた空間が波打つ。一陣の風だけを残して、男と「器」は姿を消した。


一人残された少年は、手元のデバイスを取り出した。連絡先から『KM』の名をスルーし、さらに上位のディレクトリを開く。事務手続きを終わらせる時間だ。


彼は『ジン管理局(DAA)』教育部門への暗号通信を開始した。

『適応の神』と呼ばれた少年は、もはやただの高校バスケ界のスターではない。今夜この瞬間、彼は「ティア4アセット」として登録された。

そこは、霊的エネルギーでカリキュラムが組まれ、期末試験が生死を分かつ特殊アカデミー。


「幸運を祈るよ、タケル」

少年は暗闇に向かって呟いた。「これから、死ぬほど必要になるだろうからな」

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