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02

主寝室の空気は、霊的放電によるオゾンの臭いで立ち込めていた。少年は脈動する小さな円環を見下ろし、その傍らには彼のジーン(魔神)――半透明で揺らめく番人が、静かな守護者のように寄り添っていた。彼は手慣れた手つきで、サイドテーブルから「ローカス・トラーゲン」をひったくった。


「これは、僕がもらうよ」


中身の空っぽな家に、彼の呟きが虚しく響く。

彼はポケットから洗練されたソルトアイロン製暗号化スマホを取り出し、連絡先リストから『KM』というイニシャルを見つけ、発信ボタンを押した。回線は「煌めくシャマリング・メトロポリス」の干渉によるノイズでパチパチと音を立て、やがて応答があった。


「よお」少年が言った。「呪物を見つけたぞ」


受話器の向こうから、低く旋律的な含み笑いが響いた。『上出来だ。その小道具がどれほど危険か、君には想像もつかないだろう。特に10個の指輪が全て揃えばな。共鳴だけで境界ヴェイルに穴を開けかねん。……いいか、絶対に誰にも嵌めさせるなよ』


「ああ、分かってる」少年は紅い宝石を見つめた。「普通の人間がこれを嵌めれば、ティア4のエネルギーが流れ込み、内臓が液状化する. 悲鳴を上げる暇もなく死ぬだろうな」


KMは再び笑った。そこには真の慈しみなど微塵もなかった。『イエイ! 君が勤勉だと、僕の仕事も捗るよ!』


少年の表情が苦々しく歪む。「……分かった、あんた、だんだんウザくなってきた。切るぞ」

鋭いクリック音と共に通話を切る。「チッ」


彼は家を出たが、広島の冷たい夜気も、首筋に走る不気味な感覚を鎮めることはできなかった。暗い歩道を歩いていると、見覚えのある高校のブレザーを着た生徒とすれ違う。体育館にいた男――タケルだ。


二人が交差した瞬間、霊圧が激しくスパイクした。少年は足を止める。ジーンか? いや……もっと深い何かだ。彼は首を回し、目を細めた。「おい、ガキ」


タケルは足を止め、じろじろと相手を眺めると、即座に不快そうに眉を寄せた。「同い年のくせに、誰が『ガキ』だコラ!」

バスケの勝利の余韻が残っているのか、威勢よく怒鳴り散らす。彼はフンと鼻を鳴らし、腕を組んだ。「ま、いい。何の用だ?」


少年はため息をつき、背を向けた。「……いや、何でもない」


だが、一歩踏み出す前に、大気が凝固した。少年のジーンが突如として完全顕現し、命令を待たずして防御の構えをとる。


ドォォォォォン!


アスファルトが割れ、路地裏の影から「ティア2の悪霊」が這い出した。肥大化した多節の芋虫のような姿、そしてガラスのように鋭い無数の牙。


「ティア2だと!? クソッ!」少年が毒づく。ジーンが化け物の巨大な頭部を顔面数センチのところで受け止めた。衝撃波が空気を震わせる。「指輪に引き寄せられて、霊どもが集まり始めてるのか……。あのクソジジイ、回収すれば問題ないって言ってたのに!」


彼はリダイヤルした。「助けに来い! ティア2が出た!」


ふと顔を上げると、街灯の影にさらなる形が形成され始めていた。10、20……。「いや、30体だ!」


KMののんびりとした声がスピーカーから漏れる。『はいはい、今行くよ。でも5分くらい待っててくれるかな?』


「……分かった。それくらいなら、保たせてやるよ!」


恐怖と混乱の入り混じった表情でそれを見ていたタケルが、ようやく口を開いた。「……おい、何なんだその変なポーズは? 誰と喋ってる? お前、ヤバい奴なのか?」

タケルは鼻で笑ったが、その声は不安で微かに震えていた。


「いいか」少年は、ジーンが芋虫を煉瓦の壁に叩きつける様を見ながら言った。「僕には霊力とジーンがある。それがあるから、こういう『悪霊』が見えるし、戦えるんだ」


タケルは鼻を鳴らし、危険を顧みず歩み寄る。「変な奴。ジーンだの悪霊だの、そんなのあるわけねーだろ、バカ。お前、ただのシャドーボクシングじゃねーか」


「……いいだろう」少年は歯を食いしばった。「証拠が欲しいなら、目を閉じろ。集中して、呼吸するんだ」

彼は「スモッグ」と脈動を同期するための独特なリズムの呼吸法を実演した。


タケルはそれを見た。「適応の神」としての本能が呼び覚まされる。ただ見るのではない。彼は少年の呼吸リズムを完璧に模倣した。数秒後、タケルの目がカッと開く。

世界が一変していた。虹色の霞はもはや背景ではなく、蠢く怪物たちの生態系となっていた。


「あー……。お前の言ってた悪霊って、あの事か?」

タケルは何でもないことのように言った。


少年は驚愕のあまりガードを解きかけた。「なっ……!? ……いや、いい。お前、適合者の素質があるみたいだな」


タケルは、再び襲い掛かってくる芋虫の霊を見て、大振りのパンチを放った。しかし、彼の拳は霧を打つかのように、怪物の煙のような表皮を虚しく通り抜けた。「あぁ?」


「生身の筋肉じゃ霊には触れない」少年が説明し、ジーンが化け物を打撃して黒い体液を撒き散らさせた。「エネルギーを使って実体化させる必要があるんだ。見てろ」

彼は再び手本を見せた。手が淡い青色の光を放ち、小型の霊を打ち抜く。


タケルは必死にその輝きを真似ようとしたが、何も起きない。「何で俺にはエネルギーが出せねーんだ?」


「人口の10%しかその才能はないんだよ! でも……待て。ジーンを顕現させずに、そのポテンシャルの1%を使っているのか? お前、一体何者だ?」


「適応だよ」タケルの声が一段低くなる。「スポーツでも喧嘩でも何でもだ。見れば、そのものになれる」


少年の目が驚愕に見開かれた。「適応型のジーン……? そんなの、DAA(除霊師協会)の記録にも……一度も存在しない。歴史上、お前だけかもしれないぞ」


「俺だけ? だから俺、こんなに足が速いのか?」


「ああ」少年が答える。「それで……適応する時、身体的な現象は起きるか?」


「ああ」タケルは頷いた。彼の瞳が、捕食者のような淡い銀色の光を放ち始める。「極限の集中状態になる。相手の筋肉の繊維も、殺気も、全部透けて見える。あらゆるものの『流れ』が見えるんだ」


突如、地面が唸りを上げた。ティア3の霊――「高速の悪魔スピーディ・デーモン」と呼ばれる、多肢を持つ尖った人型の怪物が壁を蹴り、弾丸のような速さで突っ込んできた。


「うおっ!」タケルが身を屈める。悪霊が通り過ぎた風圧で髪が乱れた。


「ティア3だと!?」少年の声に初めて焦りが混じる。「クソッ、よりによって今か!」


彼は悪魔を阻止しようとしたが、敵は運動エネルギーの塊だった。横腹に強烈な一撃を食らい、アスファルトの上を転がる。その衝撃で、ポケットから紅い指輪が滑り落ち、路上を転がっていった。


「ああっ、しまっ……!」少年が叫ぶ。


タケルは考えるより先に動いた。「高速の悪魔」の軌道を模倣し、完璧な低姿勢のダッシュで指輪へと突っ込む。悪魔が飛びかかる寸前、彼は指輪をひったくった。


「何でこんなに速ぇんだよ!」タケルは転がって回避した。「つーか、何でこの指輪がそんなに大事なんだ!」


「個人情報だ!」少年はよろめきながら立ち上がる。「だがそいつが『高速の悪魔』と呼ばれるのには理由がある! そいつはその指輪を狙ってるんだ!」


「何でだよ!」


「霊がそれを喰らえば、莫大なエネルギーを得る! ティア1が瞬時にティア3へ跳ね上がるんだ。そしてあいつは……ティア4になろうとしている!」


「ティア4になるとどうなる?」


「霊の限界はティア3だ! ティア4になれば、そいつらは意志を持ち、言葉を喋り、都市を滅ぼす! 絶対に指輪を渡すな!」


タケルは手のひらの指輪を見た。紅い宝石は、今の彼にしか聞こえない周波数で悲鳴を上げていた。

「……じゃあ、最後に一つ聞かせろ! 俺がこいつらに触れないなら……この力を、ちょっと借りるぜ?」


少年の顔から血の気が引いた。「やめろ! 嵌めるな!」


少年の脳裏で、恐ろしい計算が走る。

『嵌めれば死ぬ。だが、別の道が……何兆分の一の確率で、死なずに……あいつの器になる可能性が――』


タケルは指輪を指に滑り込ませた。


「……増幅の王、アクマニ」少年が恐怖に打ち震えながら囁いた。


指輪が光ったのではない。噴火したのだ。

紅蓮の光柱が広島の空へと突き抜け、一瞬、世界の色彩を奪い去った。タケルのシルエットが変貌し、筋肉が膨張。指輪から腕を伝い、禍々しい刺青のような紋様が螺旋を描いて広がっていく。


ティア3の悪魔が襲いかかるが、タケルは避けない。

彼はただ、無造作に拳を突き出した。その圧だけで霊体は粉砕され、拳が触れるよりも早く、塵となって消滅した。


タケルは立ち尽くし、荒い息をつく。彼は指輪を外そうとした。「……おい、これ、抜けねーんだけど……」


「……当たり前だ、バカ野郎!」少年は叫んだが、タケルから放たれる圧倒的なオーラに気圧され、距離を取った。「呪いの指輪を嵌めるってことは、魂に固着するってことだ。食ったケーキを腹から取り出せないのと同じだよ。もう一生外れない!」


タケルは沈黙した。頭を垂れ、そして……ゆっくりと、暗い笑みを浮かべた。

顔を上げた彼の瞳は、もはや黒ではない。血のような赤色に変色していた。


「……ようやくか」

タケルの喉から、古めかしくも禍々しい声が響く。「……素晴らしい器だ」


タケルの中の『存在』は両腕を広げ、肉体を得た感覚を享受するように空を仰いだ。

「さて……女はどこだ? どこにいる……女子おなご共は……」


彼はクスクスと、背筋も凍るような低温の笑い声を上げ、跳躍した。

ただのジャンプではない。彼は足元の重力を増幅させ、局所的な歪みを生み出すことで、落ちることも飛ぶこともなく、相反する力の狭間で宙に留まっていた。


少年は地上から、怒りと絶望の混じった表情でそれを見上げていた。

「……あいつ、絶対に嵌めちゃいけなかったんだ……」

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