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湯けむり

ーー城内露天大浴場にてーー


チャプ……

湯面が静かに揺れる。


ネクトリアは顎先まで湯に沈み、

じっと星空を睨んでいた。


湯気の向こう、月が滲んでいる。


「いつまで拗ねてんだよ……」

縁に腕を預けたヴェスピナが、空を見上げたまま呟く。


「拗ねてない」

即答。

声だけが湯気を震わせる。


「昔っからそうだろ。お前、避けてばっか」

「だってお姉ちゃん加減しないもん」

「ったりめーだ」

即答。


(……加減はしてたつもりなんだけどなぁ)

ヴェスピナは小さく鼻を鳴らす。


静寂。

湯が、ちゃぷん、と音を立てる。


今までのそれは、訓練と呼ぶにはあまりに荒かった。

ネクトリアは一度も、姉に一撃入れたことがない。

ただ、避ける。

ただ、生き残る。


先のオオカマキリとの戦い。

(――あとは、恐れないこと)

アピスの声が、耳の奥で蘇る。


ネクトリアを叩き上げたのはヴェスピナだ。

だがその背は、あまりにも遠い。

強すぎる。


憧れはあった。

だが拳を交えるたび、胸の奥に沈むのは――恐怖。

勝てない。

届かない。

だから、避ける。

それしか、なかった。


兵士から攻めの技術は教わっている。

だがそれは槍の戦い方だ。

レイピア。

ミツバチでただ一人、その細身の刃を握るネクトリアに、

正しい戦い方を教えられる者はいなかった。


沈黙を破ったのは、ヴェスピナだった。


「なぁ、ネクトリア」

湯を払い、振り返る。


「お前、もっと自信持っていいんじゃねぇか?」

「なんで?」

「ウチを誰だと思ってるんだ。この国最強の隊長様だぞ」

「知ってる」

「だから!!」


湯が大きく跳ねる。

「そんなウチの攻撃を避け続けられる奴なんて、お前くらいなんだよ」


ネクトリアの目が揺れる。

「……でも」

「お前はなんで、ウチに教わろうとしてるんだ」

「お姉ちゃんが一番強いもん」


ヴェスピナは一瞬黙る。

それから、ふっと笑った。

「それは、そうだな」

誇らしげに胸を張る。

「でもな。完全に真似したって、ウチにはなれねぇ」


湯面に映る月が揺れる。

「あのカマキリをボコボコにした時のこと、思い出せ」


ネクトリアの胸が、ぎゅっと縮む。

「お前には、お前のやり方があるはずだ」

「……わたしの……」

「まぁそのうち思いつくだろ」


ぶっきらぼうに背を向ける。

「それまで何度でも付き合ってやるよ」


湯気の向こうで、ネクトリアの唇が震える。

優しい。

雑で、乱暴で、偉そうで。

でも、優しい。


「先、上がってんぞー……」

ヴェスピナは少し足元をふらつかせながら去っていく。

少し…のぼせているようだ。


ネクトリアはゆっくりと湯から立ち上がった。

滴る水滴。

冷たい夜気。

月明かり。


足元に落ちていた、小枝。

そっと拾う。

(明日は、勝ちたい……!)


構える。

細い枝を、レイピアのように。

突く。

一歩踏み込む。

引く。

下がる。

突く。

下がる。

呼吸。

足さばき。


月が見ている。

突く。

踏み込む。


――その瞬間。

ツルッ。

「わっ」

ドシャアッ。

盛大に転倒。


湯で濡れた石畳が冷たい。

「……いたた……」

しばらく動かない。


夜は静かだ。

月明かりの下。

ネクトリアは、しょんぼりと天を見上げた。

星が、やけに綺麗だった。

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