8.勇者召喚されたら大好きなお姉さんに再会した僕の話
僕の姉ちゃんは、暴君なんだけど。マリちゃんに言わせるとそうではないらしい。
「さっちゃん、アカネちゃんはね、さっちゃんのことが大好きなんだよ」
姉ちゃんにいじめられてしょんぼりしていると、マリちゃんがしょっちゅうなぐさめてくれる。
「そうかな。僕、召使いみたいになってるんだけど。姉ちゃんすぐ、僕に命令するんだ」
「それはね、愛のムチだよ。ね」
愛のムチってなんだろう。分からなかったけど、マリちゃんが頭をポンッと軽く叩いてくれたので、いいかと思った。
姉ちゃんはあれこれ命令するけど、いざ僕が他の子に偉そうにされていると、すごく怒る。僕は体があまり強くなくて。すぐ風邪をひくし、冬になると喘息でゼイゼイヒューヒューするし。食べられないものがたくさんある。無理に食べると、体にブツブツとか赤い点々ができる。
体育は休みがちだし、給食は食べられないものが多い。
「弱虫」
「甘えん坊」
「もやし」
そんな風に言われても、何も言い返せない。
「コラー」
そんなとき、どこからともなく、姉ちゃんがものすごく速く走ってくる。三枚のお札のヤマンバみたいな顔で、男子をにらみつける。
「あんたたち、サトシをいじめていいと思ってんの。サトシはね、私の弟なの。サトシを泣かせていいのは、私だけなの。分かった?」
小学校では年上には絶対逆らえない。男子たちは悔しそうに帰っていく。
「姉ちゃんにかばわれてやんの」
「よっわ」
「ダッサ」
そんなことをボソッと言って。
「コラー」
姉ちゃんが叫ぶと、男子はひゃっと悲鳴を上げて逃げていく。
「サトシ、なんで言い返さないの」
「だって」
「アカネちゃーん、さっちゃーん」
姉ちゃんが僕に怒り始めると、マリちゃんが来てくれる。
「ね、うちでゲームしようよ」
「いくー」
マリちゃんが僕の姉ちゃんならいいのに。何度そう思ったか分からない。マリちゃんは、僕が喘息でゼイゼイしていると、いつまでも背中をさすってくれる。
姉ちゃんは「早く吸入薬を使いなさいよ」ってジロッと見る。うん、でも、夜中にゼイゼイしてると、姉ちゃんも背中さすってくれたっけ。そっか、姉ちゃんは僕のこと嫌いじゃないのか。
でもやっぱり、マリちゃんみたいに優しい姉ちゃんがよかったな。こっそり思ってしまう。
僕が中学生の頃、マリちゃんは引っ越してしまった。それ以来、疎遠になったんだけど。なんとなく、いつも、誰かにマリちゃんの面影を探していた気がする。初恋だったから。
僕には姉が三人いるんだけど。僕が大学生のとき、一番上の姉が赤ちゃん抱えて家に出戻ってきた。
「実家、最高だわ。いちいち言わなくても、みんなが子どもの面倒見てくれるし。ゆっくり寝られるし。まったく、あいつは、役に立たなかった」
姉の結婚相手は、仕事のできるシュッとした感じの人なんだけど。家では能無しらしい。長姉は僕に訓戒を垂れ流すようになった。
「たとえどんなに仕事で疲れていようが。家に帰ってすぐソファーに座って携帯を見るな。いいか。ただいまの後は、子どもをお風呂に入れようか? 子どもの面倒は俺が見るから、ちょっとゆっくりしてなよ、だ。いいな」
「はい」
姉たちに逆らっても意味がないことは、もう十二分に知っている。
「大人相手の仕事と、子どもを一日中見てるのだと、子どもの世話の方が何億倍きついの。理屈が通らないから。大人はお腹が空いたからって、泣きわめかないだろう」
「そうだね」
甥っ子に哺乳瓶でミルクをあげながら、答える。甥っ子は、寝てるか、泣いてるかだ。そりゃ、長姉の眉間にくっきりシワが入るわけだ。
しばらくして、長姉の結婚相手が家に迎えに来た。長姉は玄関で淡々と話していた。
「あんたは気持ちよく出しただけで父親になれたけどさ。私は妊娠してからずっと好きな酒も飲まず、お腹の中に爆弾抱えてるみたいな気持ちで、薄氷を踏む思いで生きてきたわけ」
「ごめん」
義兄は悲壮な顔をして謝る。
「子育てなんて初めてだから、この子をなんとか生かし続けようと必死なわけ。授乳とオムツ替えの永久コンボでろくに寝られてないのよ。あんたはさ、なんも変わってないじゃない。働いてさ、家帰ってボヘーッてしてさ、ゲームしてさ、夜はグーグー寝て。なんなの」
「ごめん。これからは心入れ替えるから」
「ぜんっぜん信用できない。私が仕事復帰したら、家事も育児も学校回りのことも、全部私ひとりでやるハメになる気がする。あんたは、仕事だけでヒーヒー言ってるけどさ」
「家事、俺が全部やるから。食洗器、乾燥機、ロボット掃除機も、もう買ってある。食事は、総菜とか出前とか外食が多くなると思うけど。努力するから、帰ってきてください」
こっそりのぞいていた、母と姉二人がうんうんと満足げに頷いている。長姉は、ひとしきりブツブツ文句を言ったあと、仕方ねーなと子どもを連れて帰っていった。
「あの子、なんだかんだ言って、いい相手をみつけたわね」
「姉ちゃん、調教するのうまいもんね。最初に強烈なパンチをかますのがいいのね。私もがんばろーっと」
「最新家電は必須だね。文明の利器を駆使して、家事を時短しないとね」
僕は父とふたりで息をひそめていた。視界に入ったら、また訓戒を垂れ流される。
こうして、女性を怒らせない秘訣を身につけたのだけど。それが、異世界でこんなに役に立つとは思わなかった。
夜のご商売の方ですかって聞きたくなるような、うっすいペラペラの服を着た異世界の女性たち。水着なみに体の線がくっきり見えて、目のやり場に困りすぎる。耐えかねて、肌を隠してって頼んだら、女性たちの僕を見る目が優しくなった。
野営の場所についたら、率先して焚火をおこし、川から水を運び、お湯を沸かす。フリーズドライっぽいスープの素をカップに入れて、お湯を注ぎ、スプーンでグルグルして、みんなに渡す。
「お腹が空いてる女はイライラしてるから。まずは温かいものを食べさせろ。話はそれからだ」
姉たちがよく言ってたことを、実践しているだけなんだけど。
「サトシってば、もう」
「サトシ、なんていい子なの。お姉さん、こんなに優しくされたことないわ」
「どうしてそんなに気が利くのよ」
姉に鍛えられたって素直に言うと、みんなが母親のような顔になる。
「このスープの素、いいですね。こっちにこんな便利なものがあるとは思わなかった」
「ああ、これね。ゾーイ様っていう他国の王太子妃が発明したのよ。ゾーイ様が資金を出しているカフェで、カレーとかハンバーグも食べられるのよ。討伐が終わったらみんなで食べにいこうね」
「楽しみです」
野営のごはんは、スープとそのへんで狩った獣の肉だ。串焼きはもう飽き飽きだ。でも、そんなことは絶対に口には出さない。
「出されたものを、ありがとうって言って、パクパクおいしそうに食え」
「食卓に並んだものに文句をつけるな。不満があるなら、己でいちから料理をしろ」
姉が地獄の番人のような形相で常に言っていた。おかげで、僕はなんでもおいしそうに食べられるし、ひと通りの料理はできる。
パーティー仲間は、気のいいお姉さんたちだ。色っぽい見た目だけど、そういう気分には全然ならない。母親っぽいというか、近所のおばさまたちっぽいというか。かわいい幼児を見るような目をされるとさ。なんだかな。
体がエロのかたまりみたいなエルフのマリカさんは、面倒見がよくて、本当に母親みたいだ。薬草茶でむせていたら、ずっと背中を叩いてくれる。
あれ、この手の感じ。こういうこと、小さい時にあった気がする。
子どもの頃は、ずっと喘息で苦しかった。胸の中に、ゴロゴロする何かがずっと潜んでいる感じ。寒くなったり、走ったり、笑ったりすると、ゴロゴロが暴れ出すんだ。そうすると、胸が詰まって息ができなくなる。うずくまって、全身で息をする。吸入薬を吸って、しばらく待てば息ができるようになるんだけど。そういうとき、マリちゃんが背中をさすってくれたっけ。マリちゃんの手、温かかったなあ。
僕はハッと振り返った。妖艶エルフのマリカさんは不思議そうにニッコリ笑う。
思い出した。大好きだったマリちゃんだ。僕は用心深く、マリカさんを探る。本当にマリちゃんなのか。僕のことを覚えているのか。
「ねえねえ、サトシはさ。彼女とかいるの?」
「幼馴染の子がずっと好きだったんですけど。ただの片思いです」
ドキドキしながらマリカさんをチラッと見る。マリカさんは菩薩のような笑顔を浮かべている。
「小さい時、大きくなったら結婚しようって約束したんです。もう向こうは覚えてないと思うけど」
マリカさんが、子犬を見るような目で涙ぐむ。マリちゃん、全然覚えてないな、この感じは。
「日本にいたときは、喘息とアレルギーとアトピーと花粉症でしんどかった。こっちにきたら、全部治った。すごく嬉しい。空気がきれいな気がします」
「よかったねえ。喘息って大変だよね。肩上げてがんばって息を吸うんだよね。背中はガチガチになっちゃうし。あれは見てて辛かったわー」
マリちゃん、にぶい、にぶすぎるよ。僕だよ、サトシだよ。
でも、仕方ないか。中学生のときから会ってないんだから。僕の身長も伸びたし。少しは男らしくなったはずだし。中学生のときは、ガリガリだったから。
マリカさんたちは、あるときから、猛烈に魔物を狩るようになった。僕の出る幕がほとんどないぐらい。
「汚れ仕事はお姉さんたちに任せなさい」
「サトシはいざというときの切り札だからね」
「切り札は温存しないと意味ないからね」
血まみれで傷だらけのお姉さんたち。お互いに治癒魔法をかけてすぐ治っちゃうんだけど。僕だけ後ろでボケーッてしてるのは、いたたまれない。姉ちゃんズに見られたら、どやされるに違いない、ていたらく。せめて、ごはんはきっちり準備してあげよう。
最後の魔王は、まだ魔王になる前のモヤモヤした黒い何かだった。お姉さんたちは、いたましそうな顔をしながら、とどめを刺す。
「許せ、魔王。まだ生まれる前のホヤホヤで逝かせるが」
「お前の無念は、私たちが受け止める」
「恨むなら、私たちを恨みなさい」
「こっちの都合で、悪いね」
黒いモヤモヤの魔王は、あっさりと霧散した。そこで万歳三唱になるのかと思いきや。
「さっ、王都に戻って、あの強欲な王を引きずり下ろすか」
「そうね。そうしよう」
「よしっ、増税だって言い過ぎなのよ。あの、おっさん」
「税金上げる前に、無駄遣いをやめろっつーのよ」
魔王を討ち、返す刀で増税王を倒したお姉さんたち。僕がポカーンとしている間に、全てが終わった。
仁王立ちになったお姉さんたちが、僕を囲む。
「異世界ハーレムか、日本で幼馴染か。どっちがいい?」
四人は母親のような目で僕の答えを待つ。
「えーっと。異世界で幼馴染がいいかな。だって、マリカさんは、マリちゃんだよね?」
心臓が口から出そうだけど、平静を装った。マリカさんは、マリちゃんだった。
真っ赤になってうずくまったマリちゃんは、とてもかわいい。やっぱり、僕のマリちゃんだ。
「勇者召喚されたけど、喘息も花粉症も何もかもよくなって、ずっと好きだった幼馴染と結婚できて、僕は幸せです」
離れてしまった日本の家族に、僕の気持ちが届くといいな。
マリちゃんと手を繋いで、日本を思いながら空を見る。




