21.きれいごとでしょうか
優秀な諜報部門が、耳寄りな情報をゾーイとエーミールにもたらした。
「まあ、転移の神様? 柔軟に転移者の願いを聞いてくれるらしいですって?」
「レイコさんからお手紙を預かってまいりました」
日本語で書かれた手紙。ゾーイは懐かしくて涙が出そうになった。エーミールが心配そうにゾーイを見つめている。
「転移者は体があるので戻しやすい。転生者は元の体が残ってないから、戻しにくい。魂だけ戻して、適当な器に入れることはできるらしい、ですか。まあ」
エーミールがゾーイの手を強く握った。
「ゾーイは、戻りたかった?」
「そうですね。戻りたい気持ちはもちろんございます。でも、こちらの家族や友人、そしてエーミール様と会えなくなるのは寂しいです。行ったり来たりできたらいいのに、などと都合のいいことを思っておりました」
「ゾーイ。よかった。いや、よくないんだけど。ゾーイが戻りたいなら、悲しいけれど方法を探すつもりだったんだ。行ったり来たりできるといいね。それなら、僕もゾーイのあちらの家族に挨拶できるし。引き続き調べてみよう」
その後、ゾーイはレイコさんと手紙のやりとりをした。レイコさんは神様のお気に入りらしく、色んな無理をきいてもらえるようだ。なにそれ、うらやましい。ゾーイは、ちょっぴり思ってしまった。
「実験台になってもいいという奇特な人がいれば、日本行きを試せるそうです。魂だけ行くか、日本に転移するか。どちらか選べると」
「ゾーイ、僕は反対だ。命がけではないか」
「ですわよね」
ゾーイは神妙に頷く。ところが、思わぬところから立候補が出た。
***
とある日本の片田舎で、畑を前に中年の女性がため息を吐いた。
「まーた畑が荒らされてるー。クソー、イノシシどもめ。どうしたもんかな。罠をしかけるか、撃つか。うーん、猟犬がほしい」
父に頼めば、狩ってくれるだろうが。父ももう年だ。本当は自分でイノシシと鹿を狩れればいいのだが。アキの腕では、イノシシは持て余す。猟犬がいれば、猟が楽になるのだけど。
「猟犬を育てるのは大変だしなー」
堂々巡り。アキは、狩猟仲間に、猟犬とイノシシについて相談しようと、パソコンの前に座る。メールを開くと、友人からなにやらリンクが届いている。
「あの頃はまだ未来が明るかったよねーって、なんのこと」
リンクを開けると、アキが大学生の頃に一世を風靡したアイドルの動画に飛んだ。オーディション番組の落選組からできたグループ。あれよあれよという間にトップまで上り詰めた彼女たち。
「日本の未来は、明るいって歌だったな。ははは。確かに、まだあの頃はそんな未来を見てたかもしれない」
今では、そんな空気はさっぱりどこかに消え去った。テレビをつければ暗い話ばかり。
「少子化、高齢化、限界集落、コロナ、戦争、増税、物価高。明るい話題は海外で活躍している日本のスポーツマンぐらい。この国はどうしてこうなっちゃったのかなー」
アキはだらしなく畳に寝転がる。アキが大学で就職活動をしたときは、氷河期のまっただなか。毎日毎日、資料請求のハガキを送り、履歴書を手書きし、送付したものだ。あの頃は、今みたいにパソコンに入力し、ピッとボタンを押せば、応募できるような時代ではなかった。
なんとか潜り込んだ中小企業で、お局にいびりぬかれ、心を病んで、実家に戻ってきた。ちょうどその頃、地元にいた姉に娘が生まれたので、姉の子育てを手伝いつつ、少しずつ社会復帰したのだ。
「社会復帰つっても、便利屋と狩りと農業だけどさ。実家だし、土地はいっぱいあるし、このまま細々とやっていければ、なんとかなるでしょう。ナツが大学卒業するまで持ちこたえれば、なんとかなる」
教師をしていた姉が、教師仲間と結婚し、産まれたのがナツ。頭がよく、まっすぐないい子。ナツが八歳のとき、姉と義兄の乗っていた車が、トラックに押しつぶされた。トラックの運転手と運送会社の社長は土下座で謝った。厳しい労働環境で、ろくに寝られず、フラフラで運転していたらしい。
怒りは誰にぶつければよかったのか。最低の環境で必死に働いていたトラック運転手か? なんとか利益を出して、トラック運転手をクビにしなくてすむよう、ギリギリで運営していた会社社長か? そんな社会システムを作った政府か? 誰に投票していいか分からないから、選挙に行かなかった自分か? 誰かがなんとかしてくれる、そう期待して戦わず待ってるだけの国民か?
泣くこともできず、両親を失ったことを理解できず、冷え切ったナツを、父とふたりでなんとか生かしてきた。
「このおかしな国をなんとかする。そんなこと言えるまでになってさ。あの子はすごいよ」
最難関の大学に受かったって、電話をかけてきた。仮契約していた下宿を本契約にし、そろそろ帰ってくるころだ。一緒に行くって言ったのに、あの自立心の強い子は、ひとりで東京まで行ったのだ。
「これからは、東京でひとり暮らしだもん。なんでもひとりでできるようにならなきゃ、なーんて。なんつーできた子。おいしいすき焼きで祝ってあげよう。あ、だから白菜とネギとりに畑に行ったんだった」
それにしても、年々、イノシシと鹿の被害が大きくなっている。田舎なので、家庭菜園をやっている家が多いのだけど、誰もが被害にあっている。猟師は減り、人口も減り、動物が里に下りてくるようになって。
「最近は、クマの目撃情報まであるもんね。シャレにならん。クマは無理」
生き物としての風格が違いすぎる。山で会ってしまったら。
「あがくけども、まあ、ダメだろうね」
一瞬でやられるだろう。イノシシでも恐ろしいのだ。クマはもう、死神。出会うことは死を意味する。
「せめて、クマの存在をいち早く教えてもらって、逃げる時間を稼ぎたい。それにはやっぱり、猟犬だよなー。猟犬ほしーい」
ピカーっとアキの隣の畳が光った。あっけに取られていると、畳の上に犬ぐらいの大きさの猫が現れる。
「ええー」
「ニャー」
猫はアキのお腹の上に跳び乗り、アキの胸の上にポトリと何かを落とす。思わず手に取ると、アキちゃんへ、と書いてある紙ではないか。
「ナツの字。なんで、なんなの」
巻物みたいな紙をクルクルと開けながら読み、アキは猫と見つめ合った。
「ナツ、マジなの」
アキは猫を抱えると、ドタドタと駆け出す。
「父さん、父さん、えらいこっちゃ。ナツが異世界転生しちゃったー」
***
アキの、そしてゾーイの元人格であるナツの故郷は、今とても穏やかだ。獣害がピタリとおさまった。ナツが異世界から送ってくれた、猫のおかげだ。
ナツいわく、人語を解し、なぜか日本の知識がうっすらある、人化できない猫人の猫らしい。情報量が多すぎて、アキは頭を抱えた。
猫は納豆が食べたいから、どうしても日本で暮らしたかったそうだ。猫が納豆。いいのか悩んだが、おいしそうに糸をひきながら食べ、毎日元気なので、いいことにしている。
「本当に、マメのおかげで助かるわ」
納豆が好きなので、マメと名づけてみた。マメもご満悦のようだ。
マメはせっせと山を走り回っては、クマやイノシシを退治してくれる。
「猟犬は役所に届け出をしなきゃいけないんだけどね。でも、マメは猫だもんね」
父と話して、しれっとしていることにした。だって、猫だもん。日本では、猟犬に噛みつかせて捕獲する方法は禁止されているのだが、それもいいことにした。だって、猫だもん。
「さすがにクマを倒したときは、驚いたフリして役所に報告したけどね」
クマが倒れてますーって白々しく連絡したのだ。テレビ局なんかが取材に来て、小さな村は大騒ぎになったが、なんとかシラを切りとおした。
狩猟仲間はうすうす何か勘づいているようだが、誰も何も言わない。バカ正直に生きてきて、ひどい目にあった経験がそれなりにある。お上とはうまくやるが、何から何まで真っ正直である必要もないよね。それが大人の処世術だ。
「猫、増えたら俺にもくれ」
こっそり頼まれることも多い。増えるってねえ。マメが生むのか、ナツが新たに送ってくるのか、どっちかしかないんだけど。
「膨大な魔力が必要って書いてあったもんなー。この世界線の我が家に届くかも定かじゃないってあったし。色々調整が必要みたい。でもうまくいけば、いつか」
ナツが一時帰国するかもしれない。見た目はゾーイかもしれないけど。どうなんだろう。
「ナツに会いたいな。でも、どこの世界だろうが、元気にしていてくれるなら、いいんだ」




