2.じゃじゃ馬ならし
王宮の一室で、ゾーイはエーミールと隣り合ってソファーに座っている。ふたりでゆっくり話したいと、エーミールがゾーイの父を説得したのだ。
「さあ、何から話そうか」
エーミールが優しい目でゾーイを見つめる。
「グスタフ殿下とベラさんは、どうなるのでしょう?」
「兄上と彼女は、軟禁された上で取り調べを受ける。その後は、彼女は修道院に入れられのではないかな。兄上のことは、父上と宰相が決めると思うけど」
「そうなのですね。グスタフ殿下に、あそこまで嫌われているとは思いませんでした。私なりに、努力してきたつもりなのですが」
ゾーイは長年の王妃教育を思い出す。日本での受験勉強と同じくらいの、長くて苦しい勉強の日々だった。十歳のときにグスタフと婚約した。公爵家で家庭教師をつけられていたが、十歳になってからは、学園に通いつつ、王宮で王妃教育を受けた。自由時間なんて、なかった。でも、それはグスタフも、エーミールも同じだった。だからがんばれたのに。
「よく三人で歴史や語学を学びましたわよね」
グスタフ、ゾーイ、エーミールの順で年がひとつずつ離れている。十歳の頃は、三人で教師から入門編を叩き込まれたのだ。
「兄上とゾーイがあまりにすごくて、僕はすっかり自信をなくしたものだよ」
「あら、私はおふたりについていくので必死でしたのに」
「そうだったの。ゾーイはいつも表情を変えずに淡々としていたから。余裕があるんだと思っていた」
「弱みを見せると外交で不利になると父から言われておりましたから。できるフリ、分かっているフリ、動じていないフリ。全部ハッタリでしたわ。家に帰ってベッドに入って、毛布をかぶってからため息を吐いたり、弱音をこぼしたり、泣いたりしていました」
「僕もだよ。あのとき、それを知っていたらなあ。兄上もこんなことにならなかったかもしれないね。兄上もきっと、弱音を吐きたくても言えなかったんじゃないかな」
「数年後には、一緒に勉強することはなくなりましたけれど。そうですね、あのときにお互い弱みを見せあえればよかったですわね。きっと」
日本でバリバリの進学校にいたから、よく分かる。周りはみんな天才に見えて、劣等感に押しつぶされそうになるのだ。誰もかれもが、「勉強が間に合わなかったー」など言いながら、涼しい顔で高得点を叩き出す世界。もっと努力しなければ、ついていけない。いつも追い詰められていた。前世では、祖父と叔母、友人たちに弱音を吐けたけれど。こちらでは、できなかった。おそらく、グスタフも肩ひじはって生きてきたのだろう。
「ピリピリと張りつめているときに、天真爛漫で気を使わなくて済む女性がいれば、癒しを求めてそちらに行ってしまうのも分かります。私とグスタフ様は、いたわり合うというよりは、大将と副将のような関係でしたもの。国政を担うという大きな壁に立ち向かう戦士」
「兄上は、ゾーイの才能に引け目を感じたのかもしれない。ゾーイは、なんでも一度聞いたら理解してしまうから」
「家で必死に予習復習していただけなのですけれど」
「そんな風に見えなかったから。でもよかった、ゾーイも必死だったって分かって」
「エーミール殿下。私たち、弱みを見せあえる関係になりましょうね」
「そうしよう」
ゾーイの張りつめていた心が、やんわりとほどけていく。
ゾーイとエーミールは、またふたりで教育を受けることになった。婚約破棄騒動のゴタゴタが片付くまで、王都の外に出るのは危険だと止められた。もっと知識を身に着けてからでも遅くはないだろうと。勉強の合間に断罪騒動について、調査の進捗が報告される。
「まあ、魅了の魔力がつまった魔石ですか」
そんなことだろうとは思ったけれど、実にありがちだけど。かわいそうなグスタフ。
「彼女は遠縁の娘ということで男爵家に入り込んだらしい。当主は野心のないぼんやりした貴族で、養女のしでかしたことに腰を抜かしている」
「なんてこと。他に黒幕がいるのかしら?」
「その線で調べている。いつの間にか、男爵家から家令や使用人がごっそり消えてしまったらしい。無実だけど怖くて逃げたのか、後ろ暗いことがあって姿をくらましたのか、不明だ。調査部の大失態だ。情けない」
エーミールが深いため息を吐く。
「ベラさんはなんと?」
「私は孤児院育ちのヒロインだ。見込みがあるから、守護天使様に魅了魔石をもらった。私こそが次期王妃だ、と」
「あらー」
やっぱり転生ヒロインだったのね。返り討ちできてよかった。ゾーイは感謝の気持ちを込めてエーミールを見つめる。
「エーミール殿下があのとき来てくださらなかったらと思うと。私、ひとりでは持ちこたえられなかったと思います。助けてくださって、ありがとうございます」
「ゾーイ、間に合ってよかった。本当に」
エーミールがゾーイの手を取る。温かいエーミールの手に包まれる。
「グスタフ殿下はどうなるのでしょう? 魅了魔石に操られたのですもの。無実と言ってもいいぐらいですわ」
「そうなんだけどね。意思の強い人は引っかからない程度の魅了魔石だったらしい。ほんの少し、不満を増幅させたりする程度。父上は、温情は与えるけれど、信頼回復の何かが必要だとお考えのようだ」
哀れなグスタフ。ゾーイはうつむいた。
「ゾーイは」
エーミールが小さな声でささやいた。
「ゾーイは。兄上と結婚したい?」
ゾーイはハッと顔を上げる。エーミールの目が、少し揺らいでいる。
「エーミール殿下。私は、エーミール殿下と結婚したいです。グスタフ殿下には、私の弱みを見せようと思えませんでした。私は、結婚する人には、自分の悪いところも弱いところも、見せたいです。そして、そんな完ぺきではない私を、受け入れて、ときに正してほしいです」
「ゾーイの全てを受け入れ、必要なら諫めるよ」
「私も、エーミール殿下の全てを受け入れ、必要なときは忠言いたします」
ゾーイはエーミールの手を強く握り返した。エーミールの少しこわばっていた表情がふんわりゆるむ。
「彼女はね、修道院に入れようと思っているのだけど。受け入れてくれるところがなかなか見つからなくて。難航している」
「王家の敵みたいなものですものね。ベラさん、癖も強いですし」
修道院も、牢屋代わりにはねっかえり令嬢を放り込まれては、困るだろう。
ところが、意外なところから解決策が現れた。
翌日、ゾーイとエーミールは、初めてのデートに出かけた。いわゆる、お忍びデートだ。ゾーイは朝からソワソワが止まらない。前世でも今世でも、初めての、デート。頭の中には、デートの二文字がグルグルしている。ついつい、ニヤけてしまい、慌てて口の中を噛んで真顔に戻る、を繰り返しているのだ。
「ゾーイとふたりで出かけるの、初めてだね。なんだか、緊張するね」
「はい」
エーミールはラフな服装と整えていない無造作な髪で、かえって美貌が際立っている。ゾーイは、エーミールの破壊力にもだえている。すごくすごく、とてもとても、かわいい。
「髪を結い上げていないゾーイ、久しぶりに見た。かわいい」
エーミールがポーッとした表情でゾーイを見る。
「勉強のときは邪魔にならないようにまとめているので。今日は、女の子っぽくしてみました」
侍女のマルタと、ああでもないこうでもないと、色々試した結果、ゆるくネジッてハーフアップにし、リボンをつけたのだ。前世では直毛だったけど、今は輝く金髪だ。フワフワで柔らかくて、まとめやすくて、とても気に入っている。美人な今の見た目には、鏡が優しいのだ。
美少年のエーミールの隣に並んでも、気が引けない美貌。すごい。これは、チートといってもいいかもしれない。日本にいたときは、クラスの真ん中らへんだった。可もなく不可もなく。普通の見た目。美人ってだけで、自信がすごくみなぎる。すごい。デートだって、できちゃう。
エーミールに手を取られて、馬車に乗る。ドライブデート。初デートがドライブデート。大人みたい。ゾーイは完全に浮き足立っている。さっきから、すごい、って言葉ばかりがうずまいている。
考えてもみてほしい。前世も今世も、青春を勉強に捧げた人生だった。初めての彼氏、もとい、二番目の婚約者が、こんなに美形で優しい王子なのだ。陽キャパリピでも有頂天になるだろう。いわんやゾーイにおいてをや。
ゾーイが気もそぞろになっている間に、馬車は王都の中心街に近づいて行った。
「この辺りで降りて、街歩きしようか」
エーミールに手を取られ、馬車から降りて街を見る。お忍びとはいえ、護衛はびっしりついている。目立たないよう町人を装って、様々なところに配置されているのだ。買い食いは禁止、買い物をしてもいい店も、指定されている。
「ごめんね、屋台で食べたいって言ってみたんだけど。毒見の段取りとか、万一のことを考えると今回は見送ることになった」
エーミールがすまなそうにゾーイにささやく。ゾーイはすぐ、頭を振った。
「気にしないでください。当然のことですもの」
第一王子が謹慎中に、第二王子が街歩きで買い食いして、体調でも崩したら国が揺らぐ。屋台も撤去するはめになるだろう。そうなると、民も困る。お忍びデートでも、できることとできないことがある。公爵令嬢として育ってきたゾーイには、よく分かる。前世の価値観だと、買い食いぐらい、いいじゃーんと思いそうになるけれど。公爵令嬢側のゾーイは、ダメダメって言っている。
「こうして街をふたりで歩けるだけで、とても楽しいですもの」
エーミールはニコッと微笑み、つないでいるゾーイの手をキュッと握った。街中でエスコートは、貴族ですと看板を掲げているようなものなので、手をつないでいる。ゾーイにとっては、本当に、これだけで十分に夢のような時間だ。ふたりでのんびり歩き、屋台をひやかし、道行く人を眺め、エーミールとたわいのない会話をする。今まで憧れていることが、叶ったのだ。
人が多い場所だと、エーミールがさりげなくゾーイをかばってくれたりする。ふとしたときに肩が当たったり。弟キャラだと思っていたのに、大きな手は力強く、見上げる横顔のあごのラインは精悍だ。
この人が、私の彼氏なんですよー。この世界と日本の友人知人家族ご近所さん全員に、大声で報告したいぐらいだ。嬉しくて仕方がないゾーイである。ゾーイの目にキラッと光るものが飛び込んできた。露店をのぞきこむと、小さな石のついたカフスボタン。見る角度によって色が変わるようだ。
「このカフスボタン、エーミールに似合いそうね。これ、くださいな」
ゾーイはニコニコしながらお金を払い、エーミールの上着のポケットに押し込む。
「この紫の花がついた髪飾り、ゾーイの目の色と同じだ。ゾーイに似合うと思うな。これ、ください」
エーミールが負けじと髪飾りを買い、ゾーイの髪にパチリと止める。
「ゾーイの愛らしさが一段と増したよ」
「まあ」
ゾーイは真っ赤になる。街の人たちは、初々しいふたりの様子に顔をほころばせて見ている。直球の誉め言葉に、ゾーイは真っ赤になった。桃色気分のゾーイの脳裏にピンク髪がよぎる。根が真面目なゾーイ。懸念事項は頭の片隅に居座りがち。
「ピンク令嬢ベラさんを、預けられる人が見つかるといいですわねえ」
「王家の直轄地に新たに修道院を作る案も出ているよ。引退した女性騎士に院長をやってもらえばいいかもしれない」
「心も体も屈強で、小娘を手の平でコロコロできるような方がいらっしゃるといいですわね」
神に人生を捧げてきた敬虔で慎ましやかな修道女には、押しつけにくい難題だもの。
ゾーイが、そんな都合のいい人、いるかしらと遠い目をしたとき、大きな悲鳴が聞こえた。
「誰かー、止めてー」
「危ない、逃げろー」
通りの向こうの方から、叫び声が上がった。スッとゾーイとエーミールの前に複数の男が立つ。
「殿下、何か起こったようです。退避いたしましょう」
護衛に誘導され、道の端っこに移動する。パラッとゾーイの頭に何かが降りかかる。思わず上を見ると家の屋根から小石が落ちているのだ。なぜ、と思ったら、地面が揺れている。えっと振り返ると、数頭の馬が走ってくるのが見えた。
「ゾーイ」エーミールがゾーイを壁ドンする。
「殿下」屈強な護衛が数人、エーミールの後ろを取り囲む。
「どけどけどけー」
大きな怒鳴り声が聞こえる。
「キャー」
「ドナさーん」
「あぶなーい」
街の人たちの叫び声を、ゾーイはエーミールの腕の中で聞いた。隙間から、なんとか外を見てみる。大きな馬に乗ったおばあさんが、次々と暴れ馬に投げ縄をかけ、制御していく。おばあさんの丸太のようなぶっとい腕が、ビーンといくつもの投げ縄を引っ張り、馬を力づくで抑え込む。一瞬の沈黙の後、通りから歓声がわき起こった。
「ドナさーん」
「すてきー」
「一生ついていきまーす」
「ばあちゃーん」
「誰がばあちゃんじゃ。お前ら、馬はきっちり繋いでおけって何度言えば」
「申し訳ないです。ごめんなさい。ハチが急にきて一頭が驚いたら、どえらいことになってしまって」
息せき切って走ってきた馬主っぽい男たちが、おばあさんにペコペコ頭を下げる。
「アホウ。いいとこのお坊ちゃんとお嬢ちゃんにケガさせるところだったぞ。すみませんでしたねえ、アホが馬を抑えられなくて。もう大丈夫ですよ」
ゾーイはゆるまったエーミールの腕の中から、そっと顔を出し、おばあさんを見上げた。ムキムキの二の腕、たくましい太もも、しめ縄のような三つ編み。ワシのように鋭い目は、ゾーイを心配そうに見ている。ゾーイは、大丈夫と伝えようと、何度も頷いた。おばあさんは、ホッとしたように少し笑うと、鼻息の荒い馬たちを従え、悠々と通りすぎていった。
おばあさんが去ったあと、ホッとしたように護衛が額の汗を拭いた。
「ドナさんのおかげで、助かりました。数頭の暴走する馬を、別の馬で並走しながらあっという間に鎮めるなんて。並大抵の技ではありません。さすがは世界的な冒険者ですね」
「ドナさんは冒険者なのね?」
「はい。もう引退してますが。現役のときは、名前を聞くだけで荒くれ者が静かになったらしいですよ」
「今は何をされているのかしら?」
「昔からの夢だった、パン屋を開こうとしているとか」
「エーミール殿下、うってつけの人材かもしれません」
ゾーイはパチンと両手を打ち合わせた。エーミールが首を傾げてゾーイを見る。
「じゃじゃ馬ならしですわ」
ゾーイは自信たっぷりに言った。




