13.ドアマットは許さない
短編版を少し修正したものです。
アシュリーは売れっ子のメイドだ。しょっちゅう助っ人の依頼が入る。短いと一週間、長い時は数か月、お屋敷に住みこむ。そこでの仕事が終われば、次の依頼先に引っ越しだ。だから、アシュリーの荷物は必要最低限。自分で持ち運びできる旅行トランクに入るだけ。そう決めている。
メイド服はたいてい勤め先で支給されるが、万一のときのために、どこのお屋敷でも浮かないメイド服は一着入れている。清潔な下着、寝巻き、どこにでも溶け込める服。ぎっしり書き込んだ黒革の手帳。なんでも洗える石鹸。たいがいの病気は治せる薬草茶。いざというときの解毒剤。魔牛も従えられる長いムチ。屋根から地面まで降りたり、賊を縛り上げたりするときに便利な長いロープ。様々な魔道具に変装用具。貴重な魔法の靴。そして、一級メイドの証明メダル。これらが、トランクの中にきっちりと詰められている。
こざっぱりとしたワンピースをまとい、羽飾りのついた帽子をかぶったアシュリー。すました顔で屋敷の裏口に立った。トントンッとドアを叩くと、すぐにひとりのメイドがドアを開ける。
「おはようございます。今日からこちらでお世話になるアッシュです。こちらが依頼書です」
スッと手紙を差し出すと、メイドはホッとしたようにアシュリーを招き入れる。
「よかった。あなたが来てくれるなんて。本当に助かるわ」
「状況は?」
「ひどいの。もう、見てられない。なんとかしようと思っても、私たちの力じゃ限界があって」
「分かりました。大至急、メイド服をください。着替えてすぐに仕事を始めます」
アシュリーはあてがわれた屋根裏部屋で手早くメイド服に着替える。黒いワンピースに白いエプロン、白い帽子をかぶった。認識阻害のネックレスをつけ、魔法の靴を履けば、完成だ。これでもう、アシュリーはどこにでもいる、目立たないメイド。誰に見咎められることもない。
屋根裏部屋から階下に降り、教えられていた部屋に向かう。軽くノックし、答えを待たずにスルッと部屋に入り込んだ。中には傷だらけの少女。床に倒れている少女の首と手首を触り、脈をはかる。アシュリーはポケットの中から万能解毒剤の入った小瓶を取り出すと、一滴を少女の口に垂らした。
血の気のなかった少女の顔に少し赤みがさす。脈も安定しはじめた。アシュリーは薬草茶を入れて、ぬるくなってから少女の口にひとさじずつ流し込む。少女の呼吸が穏やかになった。
「かわいそうに。大丈夫よ、これからは私が守ってあげる」
アシュリーは少女の髪を優しくなでつけ、やせ細った頬を軽く指でなぞる。
「まったく、どいつもこいつも。家族だからってなんでもやっていいって思ってるわね。こんな虐待、絶対許さないんだから」
トテトテトテ、アシュリーの足元にネズミたちが集まる。ネズミたちの力を借りて、アシュリーは少女をベッドに寝かせた。硬いマット、薄くゴワゴワの毛布。アシュリーはフーッと息を吐くと、腕まくりをした。
「この子が元気を取り戻すまで、少なくとも一週間は必要ね。ベンに頼んでお茶会でも開催してもらいましょう」
アシュリーは窓を開けると、外に向かってピュイピュイと口笛を吹いた。すぐに小さな青い鳥がやってくる。アシュリーは小鳥にむかってささやく。小鳥は首を左右に傾げながらアシュリーの言葉をじっと聞くと、パッと飛び立っていった。
数日後、アシュリーがいつも通り看病をしていると、ノックされることもなくドアが開く。アシュリーは壁際に立ち、静かに頭を下げた。化粧の濃い派手な身なりをした女性が入ってくる。女性はアシュリーをチラッと見ると、ベッドの方にあごをしゃくった。
「あれ、具合はどうなの?」
「メアリー様は食欲がなく、痩せていらっしゃいます。回復するのに一週間は必要かと存じます」
「十日後に侯爵家でお茶会が開かれます。あれも招待されているので、それまでに人前に出られるようにしてちょうだい」
「はい、奥様」
奥様はいまいましそうにメアリーをにらみつけると、不機嫌さを全開にして部屋を出て行った。
アシュリーは「奥様に申しつけられましたので」を繰り返し、メアリーの生活環境を整えていく。
「メアリー様に滋養のあるスープと果物が必要です。奥様に申しつけられましたので」
「メアリー様のベッドのマット交換と、新しい毛布が必要です。奥様に申しつけられましたので」
「メアリー様に、日当たりと風当たりのいい南側の部屋に移っていただきます。奥様に申しつけられましたので」
一週間がたつ頃には、メアリーの頬は少しふっくらし、アシュリーと笑顔で話せるまでに快復した。
「アシュリー、本当にありがとう。私、もう諦めていたの。お父様は領地での仕事が忙しくて滅多にこちらにいらっしゃらないし。お継母さまは私が憎くて仕方ないみたいで。ごはんも食べられなくて」
ハラハラと涙を流すメアリーの手を、アシュリーは優しく握りしめた。
「間に合ってよかったです。プッツェルマン子爵家の正当な後継ぎはメアリー様です。必ずや、正当な地位にお戻しいたします」
「私、地位とかは別にいいの。ごはんを食べられて、叩かれたりしなければ、それでいいの。今はとっても幸せ。ずっとアシュリーがいてくれればいいのに」
「メアリー様。残念ながら、私はいつまでもはいられません。メアリー様に戦う術を身に付けていただかねばなりません。踏まれ続けていると、舐められます。誇り高く、立ち向かいましょう」
「どうやって? 私、剣は使えないわ」
メアリーは自信無さげに目をふせる。
「美貌、魔力、筋力。これを鍛えれば勝てます。メアリー様は、美貌と魔力は既にお持ちです。あとは、筋肉をつけること」
「魔力はともかく。筋肉は必要なのかしら?」
メアリーは折れそうに細い手を組み、首を傾げる。
「メアリー様。覇気は、筋肉に宿ります。適度な筋肉は美貌を輝かせ、スッとした立ち姿は人目をひき、舐められない覇気を作ります。いざとなったら、お前の首をへし折るぜ。そう心の中で唱えるだけで、強くあれます」
「そんなこと、考えたこともなかったわ。でも、そうね。やられっぱなしは、イヤだわ」
「では、鍛錬を始めましょう。本当は庭の散歩から始めたいところですが。ご家族に見られると面倒ですからね。部屋の中で鍛えましょう」
「がんばるわ」
メアリーが握りこぶしを作ってかわいらしく微笑む。アシュリーはメアリーの拳を両手で包み、メアリーの指に指輪をはめる。アシュリーは不思議そうに首を傾げた。
「ゾーイ様がくださった魔法の指輪です。私とお揃いです。この指輪で、メアリー様をお守りします」
アシュリーは、もうひとつの指輪を自分の指にはめる。
「まあ、魔法の指輪ですか。そんな貴重なものを、私、そんな」
メアリーがオロオロしていると、バンッとドアが開く。
「あーら、本当に元気になったのね。つまんないの」
「お母さまが大目に見てるからって、いい気になるんじゃないわよ」
「お茶会が終わったら、あんたなんて用済みなんだから」
厚化粧でゴテゴテと着飾った少女が三人、ニヤニヤと笑ってメアリーを見ている。
「お姉さま」
「あんたにオネエサマって呼ばれるとゾワゾワするのよ。黙りなさいよ」
異母姉が手を振りかざした。
パチンッ、いい音がし、叩かれたはずのメアリーではなく、アシュリーが派手に吹っ飛んだ。アシュリーの頬がみるみる内に赤く腫れあがる。
「えっ、私、あれ? あいつを叩いたつもりだったんだけど」
金髪縦ロールの三女は不思議そうな顔をして、手をブラブラ振る。
「お姉さま、アッシュに手をあげるのはやめてください」
「うるさいわね、私たちに口答えしようっていうの。生意気よ」
頭につけた大きなリボンを揺らしながら、次女がメアリーの髪をつかむ。握られたハサミがギラリと光る。
ジャキンッ、アシュリーの髪がひとふさ、ハラリとベッドの上に舞った。
「あれ、おかしいわ。なんでメイドの髪が切れてるの」
次女がいぶかしげに頭を振る。リボンがプルプル揺れる。
「あんた、お茶会に何着ていくつもり? あ、ごめーん。あんたあの貧相な母親のお古のドレスしかないわよね。私がマシなの見立ててあげるわ」
大きな花飾りを頭につけた長女が、ズカズカと部屋を横切り、衣装棚を開ける。
「これがいいんじゃない。鶏ガラなあんたにピッタリよ」
薄いピンクの上品なドレス。長女は強引にメアリーの頭からドレスかぶし、ニヤニヤしながらビリッと引き裂いた。
キャッ、アシュリーが叫び、胸元を隠す。アシュリーのメイド服の胸元が破れている。長女は気味が悪そうにアシュリーを見た。
「なんでお前の服が破れるのよ。なにかおかしいわね」
長女は気味が悪そうに後ずさると、アシュリーとメアリーをにらむ。
「お茶会が終わったら、家から出ていってもらうから。今のうちに荷物をまとめておきなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
アシュリーは頬を腫らし、髪を乱し、服の胸元がビリビリの状態で、神妙に頭を下げた。
三人が出て行ったあと、メアリーがアシュリーの頬に手を当て謝る。
「アッシュ、私のためにごめんなさい。私、必ずもっと強くなるわ」
アシュリーはニコニコ笑いながら、ゆるんだ指輪をはめなおす。
アシュリーが魔道具でメアリーへの嫌がらせを肩代わりしたのだ。メアリーは赤い石のついた指輪、アシュリーは青い石のついた指輪をつけている。稀少な身代わり魔道具。
「新作の身代わり魔道具、効果は抜群ね」
アシュリーはボロボロの状態なのに、浮かれている。
「ざまぁするには、物理的になんらかの被害を受けたことを公衆の面前で見せつけることが効果的なんですって。ゾーイ様が仰っていたの。でも、虐待されて弱っている令嬢が殴られるのはダメでしょう。だから、健康体の私たちが身代わりになることにしたのよ」
アシュリーは誇らしげに指輪をつけた手をヒラヒラ振った。メアリーは困惑しきっている。
「でも、本当に、ごめんなさい」
「予行演習って必要ですもの。本番はもっとうまくやりますわ。それにね、殴られたり刺されたりしたぐらいなら、ポーションで治るの。気にしないでくださいな」
アシュリーはポケットからガラス瓶を取り出すと、グビッと飲む。アシュリーの真っ赤だった頬が、元に戻った。メアリーは、まだ悲しそうにアシュリーを見つめる。
「切られた髪は戻らないのですね」
「ああ、これね。大丈夫。カツラですから。あ、破られた服は戻らないんでした。ごめんなさい」
シュンとしょげた様子のアシュリーに、メアリーがフルフルと首を振る。
「服は、破れたところに花飾りなどをつければ、ごまかせますもの。アッシュの体が無事でよかった。私、この指輪がいらなくなるくらい、強くなるわ」
「少しずつ鍛えましょう」
アシュリーとメアリーは手をつなぎ、真剣な目で見つめ合う。
***
侯爵家のお茶会は、ベンヤミンと婚約者アシュリーの登場と共に、始まった。夜空のような深い紺色髪をしたベンヤミン。月のように神秘的な銀髪のアシュリー。一幅の絵のように似合いのふたりに、庭園に集まった令嬢の視線が集中する。
「なんてお美しいのかしら」
「夜空に輝く銀の月のようですわね」
「目の保養ですわ」
令嬢たちは頬を上気させてささやき合う。
「天才魔道具師として名高いベンヤミン様。女性には興味がないというウワサでしたのに」
「ゾーイ様がベンヤミン様にアシュリー様をご紹介なさったのですって」
「まあ、うらやましいですわ。アシュリー様、いつの間にかゾーイ様と仲良くおなりになったわよね」
「社交界にはあまり出ていらっしゃらなかったので、存じ上げませんでしたが。ゾーイ様とベンヤミン様
から寵愛を受けていらっしゃるのだもの。きっと素敵なご令嬢なのでしょうね」
「アシュリー様とお近づきになりたいですわあ」
令嬢たちがアシュリーに熱い視線を向ける。
「あら、あのご令嬢はどなたかしら」
「アシュリー様と随分親し気ですわね。うらやましいですわ」
アシュリーが優しく微笑みかける栗色の髪の令嬢。薄いピンクのドレスは飾り気がないが、かえって令嬢の儚げな雰囲気を引き立てている。
「あら、あのゴテゴテしたご令嬢たちはいったい」
「あのお三方、アシュリー様にあんなに近づくなんて、無礼ですわ」
「えっ、うそ」
ゴテゴテした令嬢のひとりが、あろうことか紅茶をアシュリーにかけた。もうひとりはアシュリーの腕をつねり、三人目が足を踏んだ。
庭園は痛いほどの沈黙に包まれる。
「私の愛しいアシュリーになんという無礼を。許しがたい」
ベンヤミンの冷気で庭園の温度が一気に冷えた。遠巻きに見守っている無関係の令嬢たちは、寒そうにむき出しの腕をさする。
三人のゴテゴテ令嬢たちは、必死で言い訳を繰り広げた。
「違うんです。なにかの間違いです」
「妹が出すぎた真似をしていたから止めようとしただけです」
「アシュリー様に何かしようなど、決して思っておりません」
ゴテゴテ令嬢は叫んでいるが、ベンヤミンとアシュリーは見向きもしない。ゴテゴテ三令嬢は、いたたまれなくなったのか、モゴモゴ言いながら、庭園から出て行った。
「皆、騒がしくてすまなかったね。さあ、ゆっくりお茶会を楽しんでくれ。メアリー、アシュリーの着替えに付き添ってくれないか」
メアリーは膝を軽く落として礼をし、アシュリーと共に屋敷に入っていった。
「メアリー様。ああ、思い出しました。メアリー・プッツェルマン子爵令嬢ですわね」
「ああ、あの方。確かお母さまがお亡くなりになってから、社交界に出られなくなったとか。うっすら記憶がございますわ。かわいらしいご令嬢でしたもの」
「後妻に軟禁されていると、聞いたことがございます。その、メイドの情報網ですけれど」
令嬢たちは口に手を当てて、目を丸くした。
「まあ、ということはあのゴテゴテ令嬢は後妻の連れ子ですかしら?」
「後妻は、元々は平民らしいですわよ。男爵家に嫁いで、ゴテゴテ令嬢を産んで、男爵が亡くなってからプッツェルマン子爵の後妻になったそうですわ」
「あらあら、たいした成り上がりですこと。恐れ入りましたわ。どんな汚い手を使ったのやら」
「身分の低い後妻が、身分の高い前妻の娘をいじめる。よくある話ですけれど、許しがたいですわね」
令嬢たちは眉をひそめて首を振る。
「本当に」
「でも、それももう終わりですわね。侯爵家のお茶会でアシュリー様にあんなことをして、ただで済むわけがありませんもの」
「後妻と連れ子は放逐ですかしらね。プッツェルマン子爵家当主にも、なんらかのお咎めがあるのではないかしら」
「きっとそうですわね。メアリー様がアシュリー様に付き添ったということは、もしかすると。メアリー様もゾーイ様の側近になるのかもしれませんし」
途端に令嬢たちが目を輝かせる。
「うらやましいですわ。わたくしもゾーイ様の側近の地位を狙っておりましたのに」
「わたくしもですわ。そうすれば、エーミール殿下の側近とお近づきになれますものね」
「まあ、欲望があからさますぎですわよ。もっと秘めてくださいまし」
令嬢たちの話題は、エーミールの側近の誰がどのように素敵かに移っていった。
***
侯爵家の一室でそわそわしながら待っていたゾーイ。アシュリーとメアリーが現れて、ハラハラした表情を見せる。
「ふたりとも、怪我はありませんか?」
「大丈夫です。紅茶をかけられ、腕をつねられ、足を踏まれましたが。なんということはございません」
「よかったわ。心配していましたのよ。そりゃあ、ベンの魔道具に抜かりがあろうはずはないと思っていますけれども。とはいえ、身代わりとなると。ドキドキしておりましたの」
「ベンは、イヤだイヤだ、そんなの作りたくないってゴネていましたけれどね。最終的には、納得して素晴らしい指輪を作ってくれましたの。渋々ですけれど」
「最愛の婚約者を危ない目に合わすのは、ベンも気が進まないですわよね。あとで労っておきますわ」
ゾーイはアシュリーの手を握り、次にメアリーの手を握った。
「メアリーさん、初めまして。ゾーイ・フェルゼールですわ。アシュリーから聞きました。相当ひどい目に合っていたのですってね。辛かったでしょう」
メアリーは緊張した面持ちで、丁寧にお辞儀をする。
「ゾーイ様、アシュリー様から伺いました。おふたりのおかげで、生き残ることができました。本当にありがとうございます」
「私はいずれ王妃になる立場ですもの。手が届くのであれば、助けるのは当たり前なのです。間に合ってよかったですわ」
ゾーイは穏やかに返す。
「ゾーイ様の仰っていた通り、手を出させるとざまぁがしやすいですわ。いじわるな人の嗜虐心をあおるメアリーの名演技で、うまくいきましたわ」
「アシュリー様に何度も教えていただきましたの」
「メアリーに才能があるのよ」
三人の少女は、互いを褒め合う。
「さあ、メアリーは着替えなくてはね。三人でお茶会の場に行きましょう。私が出れば、アシュリーとメアリーに箔がつきますからね。メアリーの今後については、お茶会の後にゆっくりお話ししましょうね」
「実は、もう心は決まっているのです」
メアリーはゾーイとアシュリーを見つめる。
「私も、アシュリー様のように、ゾーイ様直属の使用人部隊に入りたいです。そして、他の虐げられている人たちを助け、不穏な情報をいち早く集めて国に貢献したいのです」
「メアリー、ありがとう」
「メアリー、一緒にがんばりましょうね」
今や一大勢力となったゾーイの使用人部隊。色んな貴族家に入り込み、弱きを助け、不穏分子を見つけ、王国をひっそりと支えている。




