レ・ミゼラブル
「僕が臆病ってどういうことだ」
白上はただただ僕の言っていることが分からないという声で聞いた。
「白上さんは強くなるために絶望を感じたいと言っていましたがそうじゃないということです。むしろ弱いままでいても良いように絶望を求めているんですよ。結局貴方は幸せになるのが怖かっただけだ。幸せになっていつか自分の思いがけないタイミングで絶望の底まで落とされるのが怖かった。だから自分から底に行こうとした。自分で彼女を殺せば、自分が彼女を裏切れば、彼女に裏切られることはないってね。」
「そんな訳無いだろ。僕は彼女が大好きだったし、彼女を信頼していたんだぞ。」
白上は不機嫌になって言った。
「でも自分の方が大事だった。どこまでいっても他人だったんでしょう?彼女は。大方、彼女が貴方の日常の大部分を占めていることが不安になって、一人という、孤独というもう何も失うことが無い状況が欲しくなったといったところでしょう?」
白上は閉口した。しばらくしてこちらに答えを問うように言った。
「じゃあ何で僕はわざわざ自分の腕で直接彼女を溺れさせたんだ。もっと他にナイフで刺すとか手っ取り早い方法があるだろうし、何なら殺す必要すらないだろ。別れればいい話だ。」
「それも白上さんが臆病だからでしょう。最後まで彼女を殺す方に振り切れなかった。だから直前まで彼女を生かすか殺すかを迷う猶予を作れる方法をとった。それに貴方、彼女に別れようとか言えないでしょ、そう言った後に彼女の顔を見れたままでいられる自信が無いから。自分が裏切っておきながらも、それに対する彼女の反応が怖かったから。」
白上はまたしばらく黙った。そして何か論理が固まったかのように少し笑った後言葉を発した。
「確かに僕は臆病なのかもな。君の言ったことはまぁ合ってると思うよ。僕はあの時、そういう恐怖心を持っていたのは事実だ。僕は絶望感に浸りたかった訳じゃなかったんだな、おかげで分かったよ。」
白上は楽しげな口調になって言った。
「僕が本当に求めていたのは葛藤だったんだな。確かに君の言ったことは間違ってない、だか全てじゃない。僕がさっき言ったことも全くの間違いではない。僕は臆病で、何かに振り切ることが出来ないんだろうね。そして色んな事で悩んでしまう。でもそれと同時に僕はその葛藤が好きなんだ。何か思考が凄まじく巡る感覚が好きなんだ。それに精神の成長も好きなんだ。結局手段が絶望から変わっただけで葛藤はその末に新しい価値観を自分に残してくれるからね。僕が彼女を殺した日、彼女の頭を水面下に押さえつけていた時、彼女を生かすか殺すかを悩んでいたのは僕自身が臆病だから起きた結果であり、僕自身がその葛藤を求めていたからでもあるんだ。それに彼女がいなくなってからの方が気楽になったのも事実だよ。何も失うものがないというのは臆病な僕には丁度いいのかもね。」
先ほどまでと違いご機嫌な白上に驚いたが、言っていることに反論は思い浮かばなかった。白上は続けて言った。
「あぁ、今なら何で君がそんな事を言い出したのか分かるよ。君だって臆病だからだろう?君は自身を否定するようにそんなことを言った訳だ。君だって強くなりたいんじゃないか。その為に必要なのは自己否定だって君も分かっただろ。やっぱり、君と僕は似ているんだな。」
「僕のどこが臆病なんですか。」
「それは僕が分かることじゃないね。僕はただ君が僕がそうなっている時と同じように笑っているから気づいただけだ。僕を自分と重ねて、臆病な自分を責めてみたかったんだろ。」
僕は白上の反応が見てみたかったから言ってみたのだ。ただそれが臆病な自分と白上を重ねてやった訳では無いと否定することはできなかった。僕は見たかった白上の反応を見れたのだろうか。僕はどんな反応を期待して白上にあんなことを言ったのだろうか。答えは思い浮かばなかった。僕らの間にもう言葉はなかった。今日はここまでのようだった。僕が自分の部屋に戻る時、白上は
「君と会えて本当によかった」
と吐き捨てるように言った。僕は何も返さぬまま自分の部屋に戻った。
それを知ったのは翌日の夜だった。白上は自殺していた。僕が白上に次にやるゲームを話し合おうとして白上の部屋に入ると、白上は首を吊って宙に浮いていた。もう動かないその死体から腐ったような臭いが僕の鼻を刺した。頭から血の気が引いていき、酷く頭が痛くなった。何も考えることができなかった。足を動かすのを忘れて、目は白上だったものから離せなくなっていた。次に吐き気が襲ってきた。そして体から込み上がってくるものを何とか抑えた後、思い出したように警察へと通報した。
白上の死から3週間が経った。あっという間だ。警察は僕に事情聴取をしたが、結局僕と白上の関係はただのゲーム仲間としてそれ以上聞かれることはなかった。僕が白上としていた話の事を話そうか悩んでいる間に聴取は終わった。後から考えたことだが、白上は元から死ぬつもりだったのでは無いだろうか。白上は彼女の死に対して未だ胸に痛みを感じていると言っていた。白上にとって彼女の死は過去の話ではなく殺してから今までずっと続いてきた絶望の苦しみ全てであったのだろう。その苦しみを抱えたまま前を向いて生きることが結局白上には出来なかったのだ。死のうと思っていたからこそ、最後に殺人の告白なんてことをしたのだろう。どうにか自身の理解者を得られないかと。そう思ってしまうのは僕が白上の死の原因に自分は関係ないと思いたいからなのだろうか。警察が白上の殺人に気づいているかは分からない。気づいていたとして僕がそれを知っているとは知りはしないだろう。僕の頭の中では白上のことについてもう何も考えたく無いという思いと白上が何を考えていたのかしりたいという思いでぐちゃぐちゃになっていた。死体を見た時とは違いよく回る頭とは裏腹に僕の鼻は未だあの腐った臭いを忘れられないでいた。
これにて一章閉幕です。