どこまでいっても、どこまでも
「自分が苦しむために殺した」数瞬の間に僕の頭でその言葉が何度も反芻され僕を理解に苦しませた。結局理解出来ないので、
「何で苦しむために行動するんです?」
と聞いた。白上は予想通りの質問が来たというふうに答えた。
「簡単に言うなら絶望の克服が好きだからだ。死にたくなるような絶望を克服した時人は自分を深く理解し、精神的に成長する。僕はその成長をとてつもなく求めてしまうんだ。あくまで絶望の克服は手段に過ぎないが、それでも自分の精神の成長の為には絶望の克服は最もコスパのいい方法だ。仕組みは筋トレと同じだよ。成長のために自分に傷をつける。だから僕は自分が深く苦しむための出来事が必要だった。だから大好きでそして僕の生活を形作ってくれていた彼女を殺したんだ。海に溺れさせたまま流したんだけど、彼女の頭を水面に押さえつけたまま彼女の抵抗をも押さえつけていた時は本当に心が苦しかった。今自分は人を殺そうとしていると、今手を離せば彼女は助かると、数瞬毎に辞めようかと悩み、心臓が誰かに握られているような痛みを感じながら、僕は彼女を殺したんだ。そのまま抵抗がなくなって沈んで見えなくなった時には今度はさっきまで痛かった心臓が急に消えたかのような虚無感と寂しさに襲われた。人肌を無性に求めたがったけどその寂しさを埋めてくれる人をその直前に自分の手で殺していたんだから、本当にどうしようもない気持ちになったよ。あの時の絶望感は人生で一番だったよ。」
普通そうだとしても自ら辛い体験をしに行くものだろうか。絶望を克服できる前提で話を進めた白上に僕は聞いた。
「自分が絶望を克服出来ないとは思わなかったんですか?」
「僕は絶望を克服する才能を持っているんだよ。その才能を持っていてそうすることを望むのだから、行動に移さない奴はいないだろ?」
「どんな才能何ですか、それ」
白上は答えた。
「まず何で絶望を克服すると自分を深く理解できるようになるかから説明しよう。それは絶望が多量のエネルギーを生むからだ。人間何かを考えることにさえエネルギーを使う。ただ普段から考えていることであっても、常に同じ脳の回転数で思考を進める訳じゃない。論理を組み立てるために思考を早く深く進めたいなら、それをするためのエネルギー、つまり脳を働かせる動機が必要なんだよ。精神が深く傷つき、死にたいとまで思った時、人は防衛本能を働かせる。防衛本能がどのような対処をとるかは状況や人次第だろうが、とにかく生きるためという動機で普段からは考えられないほどの莫大なエネルギーが使われる。僕の場合、そのエネルギーは脳を働かせるために使われることが多い。心が傷ついた時、どうしてこうなった、自分の何が悪かったのかと考えるのは不思議なことじゃないだろう?絶望による思考は結果、新たな自分を発見させてくれる。それが自分を深く理解する、精神が成長するということだ。もちろん絶望が生むエネルギーが全て思考の加速に使われる訳じゃない。むしろ普通の人間ならその出来事について考えることをやめようとする「抑制」や「抑圧」といった安全装置としての心理現象が起きる。僕にはそれが起きにくい。それが僕の才能だ。ただ僕だって最初からそうだった訳じゃない。僕はね、常に心のどっかで自分というのがどんな存在なのかと疑問を持っているんだ。そして時々、それに対する一応の答えを出してはまた後にそれを訂正することを繰り返してきた。でも僕は特別その疑問への正解の答えを知りたい訳ではない。その疑問への新しい答えを出す度、僕は自分の人としての格を上げられているように思えるんだ。自分という存在を理解し、発展させている感覚がたまらなく好きなんだ。そして僕はその感覚が絶望の体験によって達成できると知ってしまっている。一度味わってしまったあの感覚への執着と成功体験が僕を思考の放棄を意味する「抑制」を人より起こしにくくさせているんだ。」
白上の言っていることは抽象的で難しく、他人が一度聞いただけで理解できるようなものには思えなかった。となるとやはり僕の予想は正しく、白上の言っている事は白上と似ている僕にしか理解できないことであった。白上の話すことは僕の実体験に当てはめて考えることが出来た。白上の話を聞いている時、いつもより頭が冷静でよく働くのは僕の知識欲を満たすためという動機が存在しているからであろう。また昨日僕が感じた頭の疲れと達成感の混ざったあの快感を求めている僕は白上と行動原理が一致していることを知った。僕は世間一般とかけ離れた感性のこの話に共感と納得が出来た。
白上の話を聞き終わって最初に僕が思ったことは白上の殺人の理由が表面上理解できた嬉しさであった。それでも僕の頭が追い求めていた昨日の快感を僕はまだ感じられていなかった。白上の話で理解できないところがあった訳ではないが、まだ一つ僕には実感という最後のピースが必要だった。僕の頭はただ論理的に理解しただけの実感の伴わない理解は本当の理解とは思ってくれないらしい。もちろん殺人なんてした事のない僕にとってこの話に実感を持つ事は無理があった。それでも何とか理解を進めるため僕は白上の話を聞いていて突っかかっていたことを言った。
「大好きな彼女よりも自分の精神の成長の方をとったんですか。」
白上は笑って答えた。
「分かるだろう?僕だって人に興味がないんだ。結局どんなに彼女の事が好きになっても彼女は他人のままだったよ。」
ああそうだ。本当に。白上と僕は似ているのだ。人に興味がなく、自分に興味が向く。そんなどこまでも内向的な僕と白上だからこそ理解し合えるのだ。僕だって他人と自分なら自分を選ぶ。白上もそうしただけだ。最後のピースがはまった。僕の頭は達成感と昨日と同じ快感でいっぱいになっていた。
祝、三話坊主解消
内容の難解さと忙しさで書くのに時間がかかりました