九話 つかの間の日常
長い夏休みに入った。
日中はカラッとした暑さで、外に出たら身体が溶けてしまうほどだ。
暑さとは直接関係ない筈のセミの鳴き声も、なんだか暑さを助長しているように感じる。
目眩のする量の宿題の山を横目に、私”鬼火纏いの燐”はリビングで転がっていた。
“鬼火纏い”とは言うが、夏の太陽の暑さには敵わないものだ。
冷凍庫にバニラアイスがあったはず。
アイスを食べてひんやりしたいが、身体を起こしてまで冷凍庫へ取りには行きたくない。
そんな時は『想像と創造』の能力を使って、冷凍庫の中にあるアイスがワープしてくるように想像するととても便利だ。
何もなかった空間にアイスがパッと現れ、手元にポトリと落ちる。
エンプレスに貰った能力も日常に馴染んできて、日々利便性が向上していく。
良い事だ。
私は今、冷房の下でアイスを頬張りながら、女子高生がのんびりキャンプをするアニメを眺めている。
今流れているのは、キャンプ場でカレー麺を食べているシーンだ。
(意外と夏の暑い時に食べるカレーもありかもしれない。でもやっぱり暑い時はやっぱりそうめんの方が良いな)
そんなことを考えながら、私はだらけきった夏休みを過ごしている。
「りんご!!だらだらばっかりしてないで、ママのお手伝いでもしたらどうなの!?」
ガラガラとラットルの音が鳴り響く。
日常茶飯事だが、この音にはいつまで経っても慣れる気がしない。
「ママうるさい!!ラットルがうるさすぎてセミの鳴き声すらも聞こえないよ!!」
「ほら!!クロの水が入ってない!!水を入れてあげて!!」
溜め息をつく。
ラットルの音でママの声が聞き取りずらい。
喋りながらラットルを鳴らすのは本当にやめてほしいものだ。
能力で水飲み器を空中に浮かせてママの手元に運ぶ。
「ママが水を入れればいいでしょ。手から水を出せるんだから」
「そうね、水道代の節約になるから地味に助かってるわ」
ママは水飲み器とラットルを机に置き、能力で手から水を出して注ぎ始めた。
「それに、クロがママの母水を飲んで育ってるみたいで母性が沸くわね」
「きもい」
ママが水の注がれた器を床に置くと、クロがペロペロと水を飲み始める。
「そういえば、佐藤さんの母親からお誘いが来てたんだけど、プールに一緒に行かない?って」
ミカちゃんの母親からのお誘いとは珍しい。
私は小学校の頃からミカちゃんと仲が良かったが、ママはいつの間にミカちゃんの母親と仲良くなったのだろうか。
「あ〜良いけど、なんでミカちゃんからのメッセージじゃないんだろう?」
「遠出になるから、ミカちゃんママが車出してくれるみたいよ」
「なるほど」
質問に対する回答が絶妙にズレているが、大した問題ではない。
なんとなく分かればそれで良い。
「いつ行くの?」
「確か明後日だった気がするわ」
「ふ〜ん。じゃあ誰が一緒に行くの?」
「知らないわ。ミカちゃんは一緒に行くと思うわよ」
「ミカちゃんがプールに行きたがってるのかなぁ」
ママも物事をなんとなくで理解している。
色々となんとなく理解が出来れば良いと思っている血筋なのだろう。
メッセージの通知音がピコンと鳴る。
バキバキに割れたスマホの画面を見ると、ミカちゃんからメッセージが届いていた。
私とミノルがいるグループへのメッセージのようだ。
スマホのロックを解除し、メッセージを開く。
ミカちゃん:明後日、プール行かない〜?
このグループで誘ったということは、誘い相手は私とミノルの二人だ。
私はミカちゃんの内に秘めるミノルへの好意を察しているので、思惑を推測してニヤニヤしてしまう。
リビングでキャンプアニメを観るのも楽しいが、恋する乙女なミカちゃんを観る方が楽しそうだ。
私:よかろう!!!!
私に続いて、ミノルがメッセージを送ってきた。
ミノル:良いよ、何時にどこ集合にする?
ミカちゃん:7時に私の家の前に来て〜
私:よかろう……腕が疼く!!
色々と決まった後にふと思い出す。
水着をスクール水着しか持っていないことに。
「プール明後日で良かった……水着を買いに行かなきゃ。ミカちゃんを誘って買いに行こう……」
私の住んでいる地域は山間部にある、温泉が有名な観光地で、大きな商業施設はない。
そのため、水着を売っているのは小さな個人店ぐらいとなる。
「お、ミカちゃん今日一緒に水着買いに行けそう」
ミカちゃんの二つ返事で水着を買いに行くことが決まった。
「ママーちょっと水着買ってくる」
「気を付けなさいよりんご!!今はエンプさんがいないんだから!!」
「はいはい昨日も聞いたから大丈夫だよ」
親分達による誘拐未遂事件以降、エンプレスの姿を見ない。
洗脳されていた時の記憶は無く、気が付いたら自宅のベッドで横たわっていた。
ママやミノルからはその事件のことは『エンプレスに助けてもらった』と聞いているが、その後どこに行ったのかは分からないらしい。
まあ、そのうちフラッとまた現れるだろう。
--
待ち合わせ場所はミカちゃんの家の前だ。
この前起きた親分達による誘拐未遂事件以降から、保護者の目が届く場所を集合場所としている。
私の左手の甲にある火傷の痣は、能力を用いて綺麗さっぱり消えたように見せかけている。
「リンちゃん〜お待たせ〜」
白を基調としたワンピースにどら焼きの髪留め。
香料入りの日焼け止めなのか、ほんのり華やかな香りを感じる。
おっとりとしていて甘味が好きなミカちゃんを体現するようなコーディネートだ。
「よし!水着買いに行こう!」
「お〜!」
水着の売っている個人店はミカちゃんの家から徒歩10分ほどで着く。
観光街を横切ってしばらく歩き、二車線の大通りから路地に入るとそのお店がある。
「……それでリンちゃん。今日のTシャツの模様はなに〜?」
「今私の中で激アツ妖怪のがしゃどくろだよ!観光客向けのお店で売ってた!」
がしゃどくろとは巨大な骸骨の妖怪だ。
この前、公園で『想像と創造』を使ってがしゃどくろを召喚して遊んでいた時に、お上品な所作のご老人を驚かせてしまった。
「山が削れて妖怪が溢れ出てきたんじゃッ!!た、祟りじゃッ!!」
と叫ばせてしまったので、知らないふりをしてこっそり帰った。
どうやらその山を削ったのは私らしいが、その時の記憶がないので覚えていない。
能力の取り扱いは注意しないと。
「……水着は私がリンちゃんに似合うのを選んであげるね〜」
「人魂の水着とかあるかな!?青白いやつ!赤でもいいかも!」
「うーん、人気すぎてきっと売り切れだよ〜」
観光客が多く賑わう通りを抜けて、歩道の狭い二車線の道路を進む。
車通りがそこそこに多く、一列になって歩かないといけない程に歩道に余裕がない。
車に気を付けながら慎重に進んでいると、目の前に自転車に乗ったおばさんが左右の確認をせずに道路を横切ろうとするのが見えた。
あのままだとおばさんが車にぶつかってしまう。
「おばさん!あぶな…………え?」
おばさんが道路に飛び出る前に自転車ごとおばさんが持ち上げられた。
普通の人であれば自転車ごと持ち上げられた方に目が行きがちだが、私が驚いたのは持ち上げた人物だった。
「お、おっさん犬!?」
筋骨隆々で大人よりも身長が一回り大きい。
柴犬の耳は付けていないが、黒いスーツにサングラスをかけているコーデは以前そのままだった。
黒いスーツは普段着だったのかと驚く。
「ん?貴女は……どなたでしょうか?何処かで会ったことありましたか?」
おっさん犬はおばさんを抱えたまま考え込む仕草を見せる。
おっさん犬も私と同じく洗脳されていたため、私と会った時の記憶がないのだろう。
「もしかして貴女。私の記憶がなかった時期に会ったりしてますか?」
「え、えーっとどうだったかな」
確実に会っているが、知らないふりをすることにした。
私のおっさん犬に対する印象を簡潔に述べると『不審者』だ。
サングラスと柴犬の耳を付けて突然現れ、第一声で『甘く爽やかな香り……』と言われたのだ。
不審者と思わない方が変だ。
今さっきおばさんを助けていたが、私の中での『不審者』という位置付けが覆ることはなかった。
「もしかして、リンちゃんが誘拐されかけた日に血だらけで倒れてた人かな?」
「うーん、それは私は知らないかな……まあいいや行こうミカちゃん」
おっさん犬を素通りして路地に曲がる直前に振り返ってみた。
おっさん犬は自転車に乗るおばさんを抱えたまま、二車線の道路を横断しているところだった。
「優しい不審者だったね〜」
「洗脳されてる時はただの不審者だったけど、普段のおっさん犬は優しい不審者なんだ……」
「あっここだよリンちゃん。水着の売ってる洋服屋さん!!」
その洋服屋は、木造で大きなガラスの窓があり、ガラスを覗くと店内が一望出来る。
内装は中々シックな雰囲気で、中学生が来るには少し大人びていて高級感のある印象だ。
少なくとも私が入ったことがないタイプの洋服屋だ。
「昔から思ってたけど、ミカちゃんってお嬢様?」
「ん〜?普通だよ?」
よく考えたらミカちゃんのお家はかなり大きい。
ミカちゃんのお家には庭もあり、庭の花壇には四季折々の花々が植えられている。
お家に庭があるってだけでお嬢様だと思ってしまうのが私の価値観だ。
ミカちゃんが躊躇いなくお店に入っていくので、後ろにくっ付いて私も入った。
「ここの2階に水着コーナーがあるんだよ〜」
階段を上がるたび、店内に木造の階段特有の良い音が響く。
おばあちゃんの家やお城の階段を踏み締めると鳴る、ギシッギシッと身体に染み渡る音。
木造の階段を足踏みしているだけで1日過ごせそうだ。
階段を上がりきるとミカちゃんの言う通り、水着コーナーがあった。
「リンちゃんにはね〜これが似合うかな?」
肩が存分に露出されている、ビキニワンピース。
肌を露出しすぎるのは少し恥ずかしい。
「……もっと肌が隠れるやつが良い」
「じゃあこんなのは〜?」
肩は隠れているが、足が存分に出ているセパレートタイプだ。
足に自信がある訳でもないので出来れば隠したい。
「あ〜このタイプで、足も隠れてたらいいかも」
「肌を出した方が可愛いのに〜じゃあこれは?」
同じくセパレートタイプで、膝上まで隠れている水着。
上下二点セットに、ぶかぶかなTシャツを羽織って肌の露出を抑えられる三点セットタイプだ。
「これなら……良い……かも?」
そもそも水着が肌を出す前提すぎて麻痺していたが、肩から膝上まで隠れるとは言っても大分露出感はある。
慣れるまで恥ずかしいとは思うが、スクール水着よりかは全然マシだ。
「私は……これとかどう〜?」
「ミカちゃん……それじゃ全部出ちゃうよ」
中学生にビキニは早い。
この後、肌を露出したがるミカちゃんと肌を隠したがる私の攻防が長く続いた。
水着の値段を見て目が飛び出るかと思ったが、プールを存分に楽しむための必要経費と割り切ることにした。
水着を選び終えて1階へ降りると、見知った顔があった。
恐らく相手からは知らないであろう、一方的に見知った顔だ。
「リンちゃん……あの人って……」
「うん。あの時、おっさん犬と一緒にいたギャルの人だと思う。スルーしよう」
私達が入店時にはいなかったキジギャルが洋服を眺めていた。
特徴的な顔の赤いメイクはしておらず、ギャルにしては薄めのナチュラルメイクをしていた。
ミノルに聞いた話では、キジギャルと戦って最後に怪我を治したと言っていた。
確かに見た範囲では怪我一つなさそうだ。
キジギャルも洗脳されていた時の記憶はないだろう。
ギャルもシックで落ち着いた洋服店に来るのは新しい学びだった。
変に絡まれる前に水着を買って早いところお店を出よう。
「あ、ミカちゃん。先に水着買ってきていいよ」
「分かった〜」
レジを待ってる間にカバンから財布を取り出そうとする。
財布をカバンから引き抜いたのと一緒にスマホが転がり落ちる。
スマホは、店内にいた他の客──キジギャルの足元に転がった。
「ほいスマホ。落としたよ」
「あ、ひ、拾ってくれて、ありがとう……ございます」
優しい。
襲いかかってくるキジギャルしか印象にないため、スマホを拾ってくれる優しさに面食らった。
「まじ気を付けてね!!うちもスマホ落としすぎて四回買い直してるから笑」
「は、はい。気を付けます」
「そんなかしこまらなくていいのに笑。あ、折角だし、イソスタ交換しない?スマホバキバキ友達ってことで笑」
キジギャルが自分のスマホをヒラヒラと見せてくる。
可愛くデコられたカバーと、バキバキなスマホの画面が見えた。
落とす前から私のスマホもバキバキであり、ちょっと親近感を覚える。
「あ……良いですよ。なんて調べたらアカウント出てきますか?」
「KYOKOKKOOOOで出るよ!」
「え?きょ……こおお?」
「ローマ字で”きょうこっこおおお”ね笑。うちの名前、キョウコだからね」
「な、なるほど……あ、いた。フォローしときました」
「さんきゅ!!!!」
キョウコのイソスタには旅行先で撮ったであろう、観光名所の写真が大量にアップロードされていた。
イソスタを眺めていると、店員さんの呼ぶ声が聞こえた。
ミカちゃんが水着を買い終えたようだ。
私も水着を買わないと。
数分後、私とミカちゃんは帰路についていた。
先ほどおっさん犬が居た二車線の道路を歩きながら、満足気に水着を抱きしめていた。
「良い水着買えたね〜」
「そうだね!きっとミノルも喜んでくれるよ!」
「ミ、ミノル!?なんでミノルが出てくるの!?」
ミカちゃんが顔を赤らめてあたふたする。
ミカちゃんは感情が顔や動きに出やすいので、からかいがいがある。
「一緒にプール行くから喜んでくれたら嬉しいよね!ってこと!」
「あ、あ〜そ、そうだね!折角一緒に行くしね、喜んでくれたら嬉しいよね。あはは〜」
観光客が多く賑わう道に辿り着くと、ミカちゃんが観光客に紛れて何処かへ行こうとする。
「ミ、ミカちゃん!どこ行くの?」
「あ、ごめん〜〜この道を少し進んだところに美味しいコーヒーショップがあるんだ〜〜」
「おお〜良いね!私もなにか飲もうかなあ。コーヒーは苦手だからミルクをいっぱい入れないと飲めないけど」
水着を買った勢いもあり、今日の財布の紐は緩みまくっている。
普段は節約しているが今日は散財してしまおう。
観光客の波を掻き分けながら道なりに進んでいく。
通りは人々で賑わい活気付いている。
人混みは多少苦手だが、たまに歩く分には意外と楽しいかもしれはい。
「そういえばリンちゃん、ちょっと聞きたかったんだけど……ミノルのこと……どう思う?」
「えっ?なんで?」
予想外の質問に驚き、反射的にミカちゃんの表情を伺う。
ミノルのことをどう思うか……?
どういう意味で質問しているのか、ミカちゃんの真意を測りかねる。
私が恋愛的にミノルを好いているかを確認したいのだろうか。
「うーん……普通に友達と思ってるよ?ミカちゃんはどう……」
どう思ってるの?
そう聞こうとした刹那、言葉が詰まる。
正面からミノルが歩いて来るのが見えたのだ。
「私はね……好きだよ。相手がリンちゃんだから言っちゃっても良いや〜」
「ちょっミカちゃ……」
ミカちゃんは私を見ていたため、正面のミノルに気が付いてなかったみたいだ。
ミノルは私達に声を掛けようとしていたのか、腕を上げていた。
「あ、こ、声かけようと思ったんだけど……タイミング悪かった?」
ミカちゃんは逃げるように走り出す。
私には、ミカちゃんの頬が真っ赤に染まっていたのが見えた。
私はミカちゃんを追うべきなのか追わないべきなのかを即座に判断が出来なかった。
その結果、ミノルと無言で見つめ合う奇妙な間が生まれる。
(さっきのミノルの反応からして、ミカちゃんの”好き”って言葉は聞こえているはず。それに、ミカちゃんの突然走って逃げた行動。相当鈍感じゃない限り、ミカちゃんのミノルへ向けた好意に気付くはず……気付いてなかったとしても、私からは話しちゃいけないかな)
私はガラにもなく、脳内で適切と思う言葉を整理してから発言する。
普段なら何も考えずに適当に発言していただろう。
ミカちゃんに対する私なりの精一杯の気遣いだ。
「ミノル、ミカちゃんを追いかけて!!私、足遅いからミノルの方が早く追いつけるはず!!」
「いや、文楽の能力を上手く使えば僕より早く追いつけるかもしれない。うーん、どんな想像を創造すれば良いんだ……」
ダメだ。
ミノルは鈍感側の人間だった。
こうなれば力技だ。
「……ぐっ……左手が疼く!!……左手の封印のために我が能力を使わないといけないから能力が使えない!!しかも疼きすぎて身体が動けない!!……ミノル、私を置いてミカちゃんを追いかけてくれ……」
「え、大丈夫……?わ、分かったよ」
ミノルがミカちゃんの後を追う。
観光客の海の中で立ち止まっていた私も、ミノルを尾行するようにしてミカちゃんを探し始めるのだった。
--
“鬼火纏いの凛”の元に女帝エンプレスが現れてから数週間が経った。
女帝エンプレスが現れた山間部の市『高呂市』を中心に、能力者は急激に増え続けている。
能力者の存在はネットの普及により、能力者の増加よりもはるかに早いスピードで知れ渡っていった。
能力者という新たな存在は良くも悪くも人々の注目を集める。
馬鹿にする者。
羨ましがる者。
畏怖の念を抱く者。
ビジネスチャンスと捉える者。
そして──新たな存在に救済を求める者。
とある都市に教祖が現れた。
教祖は人々に救済の手を差し伸べる。
そして自身を神と同一の存在であると主張する。
信仰深い人間には幸福を授かり、信仰しない人間には天罰が落ちる。
私を信じる者は私が救う──(ソラリス教祖の御言葉)