六話 染み付いた救援の香り
クラスメイトのミノルと合流。
何とか柴犬の能力を持つおっさんから逃れるも、別の能力者に見つかり再び追われてしまう。
「ダメだ!あの滑空人間速すぎる!!こっちに向かって来てる!!」
ミノルの叫び声が辺りに響き渡る。
黒い服装に赤い顔。
能力の影響によるものだと思うが、背中からは翼が生えている。
翼は暗めな茶色をしている。
立ち向かった方が良いのか、このまま逃げた方が良いのか。
逃げるとしてもどこへ逃げれば良いのか。
立ち向かうにしても果たして勝てるだろうか。
頭の中が不安で渦巻き、正常な判断が出来なくなっていくのを感じる。
「ママ!聞こえる!?」
通話相手のママに向かって叫ぶ。
ママは私の声色から異常事態と伝わったのか、『どうしたのりんご!?』と返事をした。
(ママと通話が繋がったのは良いけど、状況を細かく伝える余裕がない……)
「人が飛んでて!ハァハァ……こっちに向かってきてる!!」
『りんご!?なにが起きてるの!?』
逃げながらママに状況を伝えようとするが、うまく状況を伝える表現が見つからない。
『想像を創造』する能力でどうにか対処しようにも、何を想像して対処すればいいのかが分からないし、集中も出来ない。
パニック状態に片足を突っ込んでいる状態だ。
持ってきたカバンもどこかで落としてしまったようで、手持ちは片手に持つスマホのみとなってしまった。
「文楽!!大丈夫か!?」
隣を一緒に走るミノルが私を呼んでいる。
「向かってきてるアイツ、多分キジだ!!彼岸花みたいな赤い顔に、枯れ葉の色に近いあの羽根……多分文楽と同じ能力者ってやつだろ!!」
(キジの……能力者……?)
軽いパニック状態からか、視界が白く霞み、思考が纏まらない。
橋を渡りきり、何も考えなしに中学校への通学路を辿りながら逃げ続ける。
『りんご!大丈夫!?りん……』
「ハァハァ……ママ……?き、聞こえる……?」
ママの声が聞こえなくなった。
逃げている最中に通話を切るボタンを押してしまったらしく、ママとの通話は切れてしまったようだ。
スマホをポケットに突っ込む。
懸命に歩道を走るが、キジの能力者に距離をどんどん縮められている気配がする。
「能力……能力でなんとかしないと……そうだ!!羽根をどうにかして……ハァハァ……無効化すれば逃げられるかも……!!」
キジの能力者の羽根を凍らせれば、羽根の重みで墜落させられるかもしれない。
(能力を使う為に相手の姿と位置を見て、想像を膨らませないと……!)
走りながら後ろを向く。
キジの能力者は、例えるなら教室の机を3〜4つ並べた先辺りの距離にまで近付いていた。
(思ったよりもキジが近い!!距離が近すぎて羽根を無効化しても、そのまま攻撃されちゃうかも……)
「あっ」
思わず声を漏らす。
足がもつれてバランスを崩してしまい、身体が倒れていく。
追われる焦りと躓いた焦りで頭の中は完全に真っ白だ。
(転んじゃう、危ない。能力使わなきゃ)
反射的に地面に向かって能力を発動し、トランポリンみたいな柔らかい材質へと変化させた。
そのトランポリンに変化した床に転んだ私はポヨンと跳ね、硬い地面に投げ出された。
トランポリンで転んだ勢いは殺せたものの、ちゃんと痛かった。
「ハァハァ……ミノル……ごめん、もう走れない」
痛みを感じた箇所に目をやると、膝を擦りむいたようで血が滲んでいた。
そこまで大きな怪我ではないが、ジンジンと痛む。
ミノルが再び叫ぶ。
「文楽!!危ない!!」
キジの能力者の方を見ると、既に目と鼻の先にまで迫っていた。
(あ、これヤバい……避けれ……ない)
キジ人間との接触の直前、全く意識をしていなかった想定外の方向から衝撃を受けた。
突き飛ばされたような衝撃。
宙を舞う最中、身体の自由は利かないが視線だけは動く。
衝撃を受けた方に視線をやると、ミノルがキジ人間からのタックルを受けている瞬間が見えた。
「ッ……ミノル!!」
(ミノル……もしかして、私を庇ってくれた……?庇う為に私を押してくれた……?)
ミノルはタックルの衝撃で大きく吹き飛び、かなりの距離を転がっていった。
吹き飛びながらも頭はガードしているのが見えたが、自身で立ち上がれない程のダメージを受けているのは明快だった。
「あっ、外しちった!!」
ギャルなノリの女の子の声の方を振り向くと、キジ人間が私の方を見ていた。
「ていうかあの男の子も能力者なんじゃね?ターゲットの女の子と一緒に走ってたし」
初めて聞くギャルな女の子の声の主はなんと、キジ人間だった。
黒を基調としたミニスカートにへそを存分に露出したトップスと、薄いレンズのサングラス。
身長は私よりは高いが、大人としては若干低めな気がする。
上下黒で纏めているのはおっさん犬と同じ組織の人間だからなのだろうか。
「あ〜あ、柴犬が女の子を捕まえてられてればうちがわざわざ顔を赤くメイクして来る必要なかったのに」
キジギャルが私の方に近付いてくる。
ミノルは大丈夫だろうか。
落ち着くように心掛けて大きく深呼吸をする。
(落ち着いて……息を整えるんだ……)
「顔を赤くしないと能力が使えないのほんと欠陥だよね〜。顔面真っ赤メイクとかマジウケるわ笑」
キジギャルはブツブツ文句を言いながら私の前で止まった。
この人はおっさん犬とは違って、私の能力を警戒していない様子だ。
(どれだけ逃げてもこのままじゃ捕まっちゃう。戦うしかないけど、私一人で戦って勝てるの……?)
周りには平家や公園がある。
ここの公園は、遊具が少なく狭めなため、あまり子どもも遊びには来ない。
公園の周りは植え込みで囲われており外から公園の内側が見えにくい。
キジギャルを視界に入れながらミノルの方を見ると、ミノルが這いずりながら公園へ向かっているのが見えた。
私を置いて公園に隠れれば、逃げ切れる可能性がある。
(ミノル、そのまま逃げて……)
「……お〜い。キミなんかボーッとしてね?抵抗しないなら優しく連れてくけどどする?」
屈んだキジギャルが、私を覗き込みながら小さい子を相手するように優しい口調で話しかけてくる。
逆に不気味だ。
なんで私に優しくするのか。
能力者を捕まえようとしているにしては、口調は優しいし、強引に捕まえてこない。
目的もよく分からない。
「……なんで」
「ん?なに、どしたの?」
「なんで私を狙うの」
能力を発現してから私は危険な目ばかりに合っている。
日常が脅かされてる。
理不尽だ。
今すぐにも泣いてしまいそうだ。
「う〜ん、ごめんね?世の中には理不尽なこともあるんだよ!」
「意味分かんない!!」
「あ〜駄々こね始めちゃった。この子、使えなさそうだし捕まえなくていいんじゃね?……お、来た来た柴犬」
キジギャルが柴犬と呼んでいたのはおっさん犬のことだったようだ。
おっさん犬は四つん這いではなく普通に歩いてきた。
「小娘を捕まえられたか、よくやったキョウコ」
「本名で呼ぶなし!!ってか柴犬、この子に逃げられそうだったよね!!マジウケる笑」
キジギャルがおっさん犬の肩をパシンと叩いてツッコミをいれる。
「想像以上に小娘の能力が強力だった。今だに小娘の能力の正体が分からない」
「その子、床をトランポリンみたいに跳ねてたから普通にゴムゴムの能力なんじゃね?笑」
恐怖心に押し潰されそうな中、命までは狙われてないから大丈夫と自己暗示をする。
殺人を意に介さないドロスよりはマシ、と自分を言い聞かせる。
一度大きく深呼吸をする。
周囲を観察し、おっさん犬とキジギャルが談笑している隙を突いて逃げられないかと考える。
(ミノルは……いなくなってる。無事に公園に隠れられたのかな。これで、私が逃げても能力者じゃないミノルが狙われることは無いはず)
「じゃ、柴犬その子捕まえててね。うちはもう一人の男の子を探してくる……からッ!!」
キジギャルはそう言い残し、真上に高く飛び上がって旋回を始めた。
「飛んだ……」
さっき滑空しているところを見ているとはいえ、人が飛ぶのは非日常な出来事すぎて驚きが勝ってしまう。
自分も能力者なので、一般人からすると私も非日常側ではあるが。
「そっか、この人達も私と同じ能力者なんだ」
私を狙っている目的は不明だが、おっさん犬もキジギャルも私と同じ能力者。
生きてきた年数は違えど、能力を手にしてからの時間にはそこまで差はないだろう。
同じ能力者である、と自分の頭で飲み込むことができて恐怖心が薄れてきた。
(それに私は脱獄囚のドロスとも戦った経験もあるんだ……!勝てない相手じゃないはず!!)
おっさん犬はスーツの中からロープを取り出す。
私を縛るためのものだろう。
「大人しくしていろ小娘」
おっさん犬はロープを両手に、私を捕えるために近付いてくる。
手元に青い炎が燃え上がるように想像し、創造する。
先ほどのホログラムの炎と同じ創造物だ。
「……ロープでは燃えてしまって捕えられないか。小娘、気絶させて連れていくぞ」
おっさん犬はロープを捨てる。
ロープは歪な円を描きながら無造作に重なっていく。
四つん這いに姿勢を変えて、私から一定の距離を保つおっさん犬。
私を明らかに警戒しているのが伺える。
足を擦りむいているが、多少は動いても大丈夫な程度だ。
「気絶するのは……どっちかな!!『百鬼夜行・鬼火』!!」
青い炎をおっさん犬の足元に向けて放射する。
放射した炎を見たおっさん犬は後ろに飛び退いた。
青い炎はロープに当たり、腰の高さほどの炎がゆらめく。
偽物の炎なのでロープが溶けたり燃え尽きることはない。
(大きく後ろに躱した……やっぱり能力を警戒してるんだ。おっさん犬が落としたロープを使って、逆に捕まえられないかな)
ロープは今、私とおっさん犬の中心付近に落ちている。
ジリジリと後ろに下がり、おっさん犬との距離を取っていく。
「……ロープが燃えているなら特有の匂いがする筈だが、先ほどから変わった匂いはしない。……その炎は偽物か!!」
炎が偽物と暴いたおっさん犬が、私に向かって最短距離で突進してくる。
四つん這いなので、私の目線よりも低い体勢で突っ込んでくる。
おっさん犬から私への最短距離上にはメラメラと燃えるロープがある。
(おっさん犬がロープの上を通るタイミングでロープに対して能力をかけて、おっさん犬を捕まえる!!)
おっさん犬の両手が青い炎で燃えているロープに達する。
「今だ!!」
叫ぶと同時にロープに対して能力をかける。
ロープがキツく締め上げられていく。
別の能力を創造したため、燃え上がっていた青い炎は消滅した。
「何ッッ!!」
おっさん犬の両手を捉えたと思いきや、異常な反射速度で飛び上がった。
(タイミングは良かったはず……なんて反射神経なの……!?でも……ロープは引っかかってる!!)
ロープはおっさん犬の右手首を縛り上げている。
飛び上がった勢いをそのままに私への攻撃へと転じるつもりのようだ。
攻めるか、守るか。
既に選択肢は決まっている。
(このままロープに能力を使って、おっさん犬の全身を縛り上げる……!)
「能力でどんな小細工をしようが関係ない。フィジカルで圧倒してやるだけだ!!」
ロープは右手首だけでなく、胴体を経由して全身をぐるぐる巻きに縛り上げる。
飛び上がったおっさん犬は両手両足を完全に縛り上げられ、そのまま地面へ落下した。
おっさん犬はもぞもぞ動くも、ロープからは抜け出せなさそうだ。
「ぐっ……う、動けん……ロープの操作も行えるとは、一体何の能力だ……」
「おじさんには話さないよ。……それより、これに懲りたらこの『鬼火纏いの燐』にはもう近付かないことだな!!ハッハッハ!!」
相手を傷付けずに無効化をして勝った。
調子付いた私は、大口を叩いて高らかに笑う。
自分でも薄々気が付いていたが、テンションが上がっている時に中二病的な発言をしてしまう事を、今完全に自覚した。
「それで、このおじさんどうしよう……通報しようかな……一旦ママに電話しよう」
ミノルの身を案じながら、スマホをポケットから取り出す。
ママの電話番号を選択し、通話をかける。
しかし、中々繋がらない。
「ママに繋がらないな……じゃあ警察に通報しよう」
警察への通報はドロス戦の後に一度したことがある。
初めての通報の時に比べたら流れも分かっている為、あまり緊張せずともかけられる。
110とボタンをタップする。
通話ボタンを押そうとしたタイミングで、背後から来た誰かが私の横をすれ違う。
染み付いたタバコの香りがした。
「あ、あ、親分……」
おっさん犬が震えた声を出しているのが聞こえた。
そういえばさっき、親分がどうとか話していた様な気もする。
「柴犬……お前なんなん?女子中学生にロープで縛られる趣味でもあったんか?」
あからさまな怒鳴る声ではないが、静かに圧をかける声から怒りが滲み出ている。
ヤンキー座りをして、ロープに捕えられて地面に転がっているおっさん犬を見下ろす、般若の模様が入ったジャージを着ている男。
セミが鳴く夏真っ盛りな季節であるにも関わらず、両手に黒い手袋を着用している。
物凄く暑そうだ。
「い、いえ、す、すみません」
「何謝ってんだ?わしゃ質問しとるんよ」
110と入力したスマホの画面が自動で消える。
通報をしようとしていた筈だったのに、親分の圧で、息を殺して会話を聞くことしか出来ない。
夕陽も大分傾いてきた。
カラスは鳴いているが姿は見えない。
(……多分、圧を与える能力とかじゃない。親分って人の素の圧が強いんだ)
親分は右手の手袋を脱いで手刀の形を作る。
そして、おっさん犬の肩から腰にかけて切る様な動作で勢いよく右手を動かした。
次の瞬間、ロープと黒スーツがバッサリと切れて、おっさん犬が小さな呻き声を上げる。
「お、おじさん……?大丈夫……?」
おっさん犬とは間違いなく敵対関係にある。
しかし、おっさん犬が震えて恐れる親分の存在は、私にとっても恐ろしく感じるものだった。
私とおっさん犬の恐怖の対象が共通の相手となったからか、勝手におっさん犬に対して仲間意識を感じていた。
おっさん犬を中心にして水たまりが広がっていくのが見える。
明るい時間帯だったら確実にトラウマを植え付けられていただろう。
あまりに急な出来事に頭が追いつかない。
戦う判断も逃げる判断も出来ず、ただただ動かなくなったおっさん犬を見つめる。
親分はこちらに振り向き、訛った口調で話しかけてくる。
「おめぇ、名前は?わしゃ吉田津彦じゃ」
「文楽りんご……です」
「りんごか。すまんの、わしの部下が無礼な事をしたな。キミを狙うつもりは無かったんよ」
津彦は、両手を合わせて頭を下げて謝罪の意思を伝えている。
倒れるおっさん犬に謝罪する津彦。
状況が飲み込めずさらに混乱する。
おっさん犬とキジギャルは能力者を捕まえようとしていた。
でも、二人の親分である津彦は私を狙うつもりはなかったらしい。
何故、能力者である私は狙うつもりがなかったのか。
特定の能力者を探していたのか。
少し考えて、津彦が近づいていることに気が付いた。
「キミ、能力者じゃろ?」
津彦は私の右肩に触れる。
直後、不思議と津彦に対する恐怖心が無くなった。
幼馴染のゆずちゃんや、ミカちゃんに対する信頼感のようなものを津彦に対して感じている。
「うん、能力者だよ。あれ?私、さっきまで何を怖がってたんだろう」
「おぉ良かった。能力者に対してこの能力を使った事がねえから効くか不安だったんじゃ。……今のキミはわしのお供の”猿”じゃ」