四話 能力と日常
爪を操る能力:『処刑人の剣』を持つ脱獄囚のドロスと交戦し、
お互いの能力を駆使してドロスを何とか退けた"鬼火纏いの燐"と女帝エンプレス。
戦いから一週間経ち、"鬼火纏いの燐"は中学校へ通う学生としての日常へと戻っていった。
脱獄囚ドロスとの戦闘から1週間。
私、”鬼火纏いの燐”の生活は日常へと戻っていった。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、静寂な教室から一変して喧騒な教室となる。
「ククク……思い出す度に我の封印されし左手が疼くな……」
包帯を巻いた左手を抑えながら、ドロス戦を思い出し悦に浸る。
今日の授業は全て終わったが、セミはまだ騒々しく鳴いている。
ここ最近は気温が上がり続け、本物の包帯を巻くと蒸れて暑い。
なので、能力で全く蒸れない包帯を創造して左手に巻いている。
普段はなんでもないことに能力を使ってるけど、いざとなれば脱獄囚だって倒せる。
ママとクロが襲われずに無事に済んだ。
この2つを思い返すだけで封印されし左手が疼いてしまうのは仕方のないことだ。
「リンちゃん〜最近ずっとニヤニヤしてな〜い?」
隣の窓際の席で片手で頬杖をつきながら、おっとりとした口調で話す女の子。
友達のミカちゃんだ。
エンプレスから能力を貰ったあの日、1日30個限定のどら焼きを買うために老舗の和菓子屋に向かっていた大の甘味好きだ。
美味しい和菓子屋、ケーキ屋、喫茶店は何でもござれのミカちゃんマップは女の子からとても評判が良い。
「に、ニヤニヤなどしてないわ!!」
「なにかあったのリンちゃん〜」
私の二の腕に、もっちりとしたほっぺたを付けてゆさゆさと揺すってくるミカちゃん。
季節が季節だけにしっとりと汗ばんでいて暑苦しい。
「暑い〜〜離れてミカちゃん〜〜」
ミカちゃんも暑いだろうのにぴったりとくっついて離れない。
くっつかれながら周囲を見ると、部活動へ向かう人、帰宅する人、教室に残って会話をしている人様々だ。
「リンちゃん〜今日暇〜??」
「暇だよ!今日はどこのスイーツ行くの?」
放課後に誘われる時は決まってスイーツ関連だ。
……正直太ってしまわないかを気にしてしまうのだが、現状の自分の体型は気になるほど太ってる訳では無いので、甘味の誘惑に抗う余地も無い。
ミカちゃんは私以上の頻度で甘味を食べているはずなのに、太ってしまわないか気にしないのだろうか。
「今日はちょっと遠出しない〜〜?ミノルも一緒に!!」
名前を呼びながら後ろを振り向くミカちゃん。
私も釣られて後ろを振り向く。
後ろの席に座っていたミノルが、ビクッと身体を揺らすのが見えた。
「お、俺も一緒に!?」
「そう〜ミノル、後ろでこっそり聞き耳立ててたでしょ〜それで一緒に行きたいのかなって!!」
私と話す時よりも若干声のトーンだったり、テンションが高めに感じる。
いや恐らく、ミノルと話す時だけ高いのだろう。
ミカちゃんとは小学校1年生の時に同じクラスになった時からの友達で、それから毎日一緒に共に過ごして来たので、小さい変化にすぐに気が付ける。
「俺は良いけど……文楽が困るんじゃないか?」
ミノルがチラッと私を見る。
一心不乱にスイーツに貪りつくのを男子に見られることで、女子としての尊厳を失うのを恐れたが、ミカちゃんのことを考える。
文楽りんご、一肌脱ぎますか。
「ククク……良かろう!!共にゆこうぞミノル。スイーツパラダイスへ!!」
「スイパラは予約取ってないし、行くのは普通に喫茶店だけどね〜〜」
ゆずちゃんは……今日も部活か。
チラリと周囲を見渡すと、クラスのバレー部員と一緒に教室から出ていくゆずちゃんが見えた。
教室にはもう殆ど人が残っていないので、そろそろ教室の鍵がしまる頃だ。
早いところ退散しよう。
「では、一旦家に帰ってその後、橋の真ん中で待ち合わせとしよう!!」
「おっけ〜〜」「分かった」
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帰路に着く。
ミノルの家は、学校の校門から徒歩5分圏内なので、先に帰って準備をしてから待ち合わせ場所へ来るそうだ。
もうすぐ夏休みなこともあり、夏休みにプールや都会の方へ出てショッピング等、ミカちゃんと色々な妄想を膨らませながら並んで歩く。
川を挟むように植えられている桜の木に止まるセミの輪唱を浴びながら、橋のたもとの交番を通りかかる。
「あれ、いつも立ってる警察の人いないね〜〜。今日はひばん……で言葉あってるっけ?おやすみなのかな〜〜?」
「ほんとだ、いないね」
ミカちゃんと共に、交番の中を覗きながら橋の方面へ歩いていく。
流れで交番の横にある掲示板が視界に入り、注視せずにポスターを見ていると、ドロスの顔が目に入った。
「……えっ、指名手配ドロス、殺人!?」
掲示板にドロスのポスターが貼ってあった。
「あ〜ママが言ってたんだけど、その人近くの刑務所から逃げ出したらしいよ〜。だからほら」
ミカちゃんは私に周りを見るように促す。
今まであまり意識していなかったが、パトカーや地域パトロールの服装をした人がどこを見ても動き回っていた。
ただ、私がドロスの指名手配ポスターを見て驚いたのは、近辺の警戒度の高さだとか、近くの刑務所から逃げた脱獄犯の存在に対してではない。
私がドロスと戦った当事者だからこそ思う内容だった。
(気絶させて通報した筈なのに……逃げられた……!?もしかして、ママとクロがおそわれるかもしれない……!?)
芽吹いた不安から、暑さによるものでは無い冷たい汗が背中を伝う。
しっかりと目を開けて橋を渡っている筈なのに、視覚からの情報が何も頭に入らない。
頭がクラクラする。
「……リンちゃんどうしたの?顔色がちょっと悪いよ〜」
「あ、いや、ごめん。……あ、ミノルを待たせたら悪いから急いで家戻るね!!また後で!!」
「ちょっ……まっ……リンちゃん!!」
ミカちゃんの静止を振り切って走り出す。
芽吹いた不安の種を掻き消すように。
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玄関に入り、慌てるようにして靴を脱ぐ。
靴を脱ぎながら見かけない一足の靴が視界に入る。
よく考えてみればすぐ気が付く事だったが、慌てていた私の脳内では、見かけない靴がある=ドロスの靴という先入観に囚われていた。
音を立てずに最大限素早く移動する為にフローリングの廊下を滑るように走り、リビングのドアを恐る恐る開く。
「おお、鬼火使いの燐。おかえり」
エンプレスがリビングにあるふかふかなソファーでくつろいでいた。
「いや、鬼火使いじゃなくて、鬼火纏いね……というかなんでエンプレスが私の家にいるの!?」
リビングに置いてあるテレビにはママが好きな韓国ドラマが流れており、何故かエンプレスとママが並んで座っている。
飲みかけのコーヒーカップが二つ並んでいたことから、腰を据えて私の家に居たことが伺える。
「いいじゃないのりんご。細かいことは」
「そうだ、細かいことはいいじゃないか鬼火纏い」
愛猫のクロも、初対面の筈であるエンプレスがいる空間で全く意に介さず昼寝をしていた。
ママもクロも警戒心というものは無いのだろうか。
私からするとエンプレスは命の恩人だし、仲間認定されてるしで、危なくない人間であることは知っているのだが。
「ま、いるのはいいけど、鬼火纏い単体呼びはやめて」
「あっ、りんご聞いて!そういえばエンプさんに能力を貰ったの!!ウォーターサーバーみたいに手のひらから水が出せるのよ〜」
ママが嬉しそうに立ち上がり、クロの水飲み器に水を注ぐ。
目を覚ましたクロが水飲み器に近づき、ママの手から注がれる水をジッと見つめている。
(エンプさん……?あ、エンプレスのことか)
私の適応力の高さは、ママの血を色濃く受け継いでいるからなのかもしれないと思った。
ひとまずはドロスが家にいるという最悪な事態は起こっていなかった為、胸を撫で下ろす。
ママのウォーターサーバー発言はスルーし、リビングと隣接しているキッチンで手洗いうがいをする。
「ちょっと!りんご!手洗いうがいは洗面所でしなさいっていつも言ってるでしょ!!」
ママのこだわりで怒られるのは、日常の1シーンの中にいるのを実感して安心する。
エンプレスや能力の存在もこれから段々と私の日常の一部として染まっていくような予感がした。
リビングを後にし、二階に上がってすぐ正面にある自室に通学用カバンを置き、制服のスカートを脱ぐ前にデニムパンツを履く。
スカートを履いたままデニムパンツを履いている状態だ。
そして、スカートを外しながら携帯を片手にTokTik(ショートムービーを見れるアプリ)を開き、流れてくる動画を眺める。
「……ん?これって……能力者??」
目に留まったのは、とある一つの動画。
一人の男がビルの屋上から別のビルに飛び移る動画だ。
アニメでもあるまいしそんな事は出来るのだろうか。
ビルとビルの間には四車線の道路を挟んでいた。
正確な幅は分からないが、並行して車が四台走っていることを想像すると、四台分をジャンプで超えて飛び移るのは不可能だろう。
上は制服、下はデニムパンツの状態のまま、繰り返し同じ動画を流して映像を注視する。
背景に東京タワーが映っていたことぐらいしか、追加で得られた情報は無さそうだった。
チャンネル名は『神の子』と書かれ、概要欄には”革命”とだけ書かれている。
「チャンネル名が『神の子』で、革命って……もしかして中二病なのかな?痛い人だなぁ……」
画面をスワイプしていくと、飛んでいる人とは別と思われる人物が、指先から火をライターのように灯したりする動画が流れたり、また別の人物が石を食べる動画が流れたり、普通の人間にはあり得ない事象が映った映像がいくつもあった。
「うーんこれはCGかな……エンプレスに聞いてみようかな……」
携帯を机の上に置き、私服に着替える。
そろそろミカちゃんとミノルとの待ち合わせ場所に行かないとまずそうな時間になってきた。
携帯が光ったので視線だけ画面にやると、ミカちゃんから「ミノルが集合場所に着いたらしい〜」とメッセージが来ていた。
「今から行く、と送信。よし!!集合場所に向かおう!!」
ミカちゃんにメッセージを返して、財布と携帯のみが入るサイズのバッグを手に取り階段を降りてリビングへ向かう。
リビングの扉を開けると、流れるような銀髪を猫じゃらしのように使ってエンプレスと黒色のネコが戯れているのが見えた。
「あ、エンプレス。ちょっと見て欲しい動画があるんだけど」
「ああ鬼火纏いの凛。どれどれ見せてみろ」
銀色の髪が私のそばに寄る。
エンプレスの顔をよく見ると、青色の瞳に長いまつ毛、多くの女性が羨みそうな細身のモデル体型。
平行世界の能力者と言われなかったら、異国のモデルではないかと疑うレベルで容姿が整っている。
意識を半分エンプレスに持っていかれつつも、TokTikで見た異常なパルクール動画を再生した。
「この人って、能力者じゃない?明らかに飛びすぎてるし……」
いつの間にかママも画面を覗き込んでいた。
「ビルとビルの間に四車線と歩道があるわね。この人、少なくとも15m以上は飛んでそうね」
「能力者っぽいが、合成の映像の可能性はあるな。何より、顔が見えないから私の能力で触れた能力の発現者なのかが分からない」
「そんなに沢山能力を発現させてるの?」
エンプレスに率直な質問を投げる。
東京タワーが画面上の背景に映り込む。
「ここは……東京だな。確かに東京でも能力を発現させて回ってはいた。ただ、私が発現させた能力者の中に、能力を発現させる能力を発現している者がいて、私と同じように能力を発現させて回っている可能性はある」
「う〜ん……つまり、どういうこと?」
「つまりは私の把握していない能力者がいるかもしれないってことだ。この動画の人物にも会ったことは無い可能性がある。……それよりどこかに出かける様子に見えるがいいのかい?」
エンプレスは私の格好と肩に掛けていたバッグを見て、出かけると判断したのだろう。
携帯に再びミカちゃんからのメッセージが届く。
『リンちゃんさっきは急いでたみたいだったけど大丈夫だった〜?私は今から集合場所に向かうよ〜』
ミカちゃんも集合場所に向かう準備が出来たようだ。
『了解した。』とメッセージを返信して、玄関へ向かい靴を履く。
ママとエンプレスが何やら韓国ドラマの話をしながら玄関先まで見送りに来た。
「じゃあ、喫茶店行ってくるね」
「鬼火纏いの凛。人々に能力を発現させ始めた私が言うのもなんだが、他の能力者に気を付けてくれ。」
「他の能力者に気を付ける……?」
「鬼火纏いの凛はまだ能力者をあまり見たことが無いから実感しにくいと思うが、君の能力の『想像と創造』は相当強力な能力だ。……単純な能力パワーで言うと、魔法世界も含めて今まで私が見た中で一番強力かもしれない」
他の能力者。
エンプレスは能力を発現させる能力。
ドロスは爪を操る能力。
ママは手のひらから水を出す能力。
CGかもしれないが、ジャンプ力が凄い能力にライターのように火を出す能力、石を食べる能力。
細かい能力の解釈の違いはあるかもしれないが、確かに私の想像を創造する能力は強力かもしれないと思った。
「私が鬼火纏いの凛の近くにいるのは、仲間なのも理由の一つだが、他の能力者から守る為でもある。強力な能力であるが故に様々な理由で狙われる可能性があるのを気にしている」
「……いや、我の能力は最強だから大丈夫だ!!ドロスを撃退して、ママもクロも守れたし、自分の事は自分で守れる能力でもある!!」
両手を腰に当ててふんぞり返る。
ママは、エンプレスと私の会話に割り込まず、静かに聴いていた。
「後は鬼火纏いの凛が、まだ人生経験の浅い少女である、ということも不安要素の一つだな。自信を持つのは良いことなのだが……」
ここまで黙って聴いていたママが割り込むように口を開いた。
「まあまあ、確かに不安だけれども大丈夫よ。なんてったって、私の娘だもの!!さ、お友達が待ってるわよ、いってらっしゃい!!」
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待ち合わせの橋へと小走りで向かう。
時間は17時を回ろうとしているのに、真っ昼間みたいに辺りが明るい。
季節が冬だったら既に真っ暗な時間帯だ。
冬の季節を思い出すのは、夕方でも日が昇っている夏のこの時間帯だけな気がする。
辺りをパトロールしていた警察や地域パトロールは、ポツポツ見かけるぐらいまでに数が減っていた。
恐らく学生の登下校の時間に合わせて多くの人々がパトロールしていたのだろう。
蝉の騒々しい鳴き声も、その数を減らしていた。
「ワンッッ!!ワンッッ!!」
不意に獰猛な犬の鳴き声が胸に響き渡る。
鎖に繋がれたドーベルマンが犬小屋から勢いよく飛び出し、私に向かって何度も吠えている。
いつもはこんなに吠えられないのに……機嫌が悪いのだろうか。
「うわ、びっくりした。パトロールしてる人を見てたらドーベルマンを飼ってる人の家の前を通ってた。見た目は可愛いけど……こんなに吠えられるとショックだなぁ……」
「じゃあ私を飼ってくれるかい?甘く爽やかな香りがする貴女がね」
「だ、誰!?!?」
ドーベルマンを飼っている家の向かい側に、細い路地がある。
具体的には一軒家と一軒家で挟み込むような位置に自転車が一台通れる程の路地が存在しており、その路地を通ると川沿いの遊歩道に続いている。
その路地に柴犬の耳を付けたおっさんが”おすわり”のポーズで佇んでいた。
柴犬の耳に目を惹かれがちだが、おっさんは上下黒いスーツを身を纏っておりサングラスを掛けている。
体格は一般の成人男性より一回り大きく、黒いスーツがぴっちりと身体に張り付いている。
「香るよ……甘く爽やかな香り……果物に例えると、林檎の香りが近い気がするよ」
斜め上を向き、クンクンと鼻を動かして犬のように周囲の匂いを嗅いでいることが動作から伺えた。
ドーベルマンは私に吠えていたのでは無く、おっさん犬に向かって吠えていたのを理解した。
パトロール達からは丁度死角となる位置にお座りしており、私とドーベルマン以外に不審者の存在に気が付いている者はいなさそうだ。
(どうしよう……能力者なのかは分からないけど、ヤバい人なのは確実だ……
集合場所の橋までは100〜150m先の角を右に曲がると着くけど、ミカちゃんやミノルまで危険に巻き込んでしまうかもしれない)
ドーベルマンは吠え続けている。
鎖に繋がれていなければ、今にもおっさん犬に向かって飛び出しているだろう。
(……ドロスだって撃退出来たんだ。私一人でこのおっさんを撃退してやる!!)
おっさん犬が私の目を見つめ、口を開く
「……貴女、能力者だよね?」
「なっ……」
おっさん犬の予想外の一言に思考を一瞬持っていかれた。
と、同時におっさん犬が四つん這いのまま私の方へと勢いよく走ってくるのが見えた。