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夢の中 ~フェリクスの過ぎ去りし日々~ 後編

 大人に見える従姉が、珍しく同世代の少女のような表情をしているように見えた。

 それがどういう感情からくる表情なのかは分からなかったが、興味を引かれたフェリクスは彼女の見ているものを探した。

 エルヴィラはなんでもない顔をして、それまで見ていたものを教えてくれた。

「カタリナ」

「ほんとだ。久しぶりに見た。あれ、一緒にいるゴリラみたいな男は誰だ」

「さあ。ゴリラじゃないか」

「ゴリラだな」

 ふたりは普通に会話しているように見えた。

 狂犬カタリナと話ができる男がこの世に存在していたのか。

 エルヴィラはその光景が珍しくて見ていたのだろう。

 そのときは、そのくらいにしか思わなかった。


 しかしそれからそう間を空けず、フェリクスは似たような場面を見ることになった。

 王妃主催のガーデンパーティーの日だった。

 よく晴れた日の午後、未成年の王族は全員出席した。彼らと同年代の子を持つ貴族の家族が中心に招かれた、騒がしい集まりである。

 ユリウスやジェニファーははしゃいでいたが、フェリクスはちっとも楽しくなかった。

 背が伸びて声が低くなり、大人びてきたフェリクスを見てヒソヒソ言っている少女たちをさりげなく無視するのが地味に大変なのだ。

 彼女たちはみんな子どもっぽくて、子どもなら子どもらしくすれば相手してやるのに、そうではないから面倒臭い。なんで子どもをレディ扱いしてやらなきゃいけないんだよ、と言ったら大人に叱られる。

 関わらないのが一番だ。


 エルヴィラも似たようなものだろうと、その日までは思っていた。

 だが彼女に親しく声を掛けるのは、怖いもの知らずの同年代の少女と幼い子どもだけだった。

 男は魔女を恐れて、視線を合わせることすら避けていた。

 大人は必要以上に恭しく魔女に接し、彼女は落ち着いた態度でそれに応えた。

 昨年までは一緒に参加していたカタリナは先に成人してしまい、招かれていなかった。

 それなりに楽しんでいる姿を見せていたエルヴィラが、先日カタリナを見ていたときと同じような表情をしている瞬間を、フェリクスは目撃した。

 その視線の先には、彼女と同じくらいの歳の少女と少年がいた。

(ふうん)

 フェリクスは意外なものを見る眼でエルヴィラを見た。彼女はその視線に気づくと、彼に一瞥だけ返して違うほうを向いた。



 後日、大人の眼を掻い潜ったフェリクスは、エルヴィラを城の一室に引き摺り込んだ。

 前触れのない出来事だったが、魔女のことだ。どうせ彼が待ち伏せていることには気づいていただろう。

 黙って腕を引かれたのがその証拠だ。

「なんの用だ」

「エルヴィラおまえ、あの男に興味があったのか」

「あの男」

「違うか。あの、じゃなくてそこらへんの、男。オトコ全般」

「もう少し違う言い方はできないのか」

 エルヴィラは、ガーデンパーティーでフェリクスの視線の意味に気づいていたのだ。

「レンアイ。でもいいけど。同じことだろ」

「興味がないわけないだろう。おまえはないのか」

「ある」


 あるにはあるが、相手がいない。大人の女は十四歳のフェリクスを子どもとしか見ないし、同年代の女は子どもっぽすぎてその気になれない。少し上の、十代後半くらいの女は眼が本気になるから腰が引ける。

「おまえは相手に困らないだろう。わたしなんか魔女だぞ。一生無理だ」

「そんなとこだろうと思った。なあ、試してみようぜ」

 エルヴィラは魔女だ。生涯独身。子どもを産むことを禁じられている。

 恋愛止まりなら問題ないのだろうが、魔女に声を掛ける命知らずの男なんてそうそういないだろう。

 彼女は諦めるしかないと思っている。

 思いながらも、十五歳の少女らしい憧れを捨て切れずにいるのだ。

 エルヴィラが。

 あの最恐最強の、いつもフェリクスの上で嗤っていたエルヴィラが。


 何を、とはエルヴィラは訊かなかった。

 眉をひそめ、自分よりもわずかに背が高い従弟を見た。

「おまえできるのか」

「さあ。やったことないけど多分」

 世界最恐最強の魔女はしばしの思案ののちに、こう言った。

「試してみるか」




 昨夜、フェリクスの元に十五歳のエルヴィラが現れた。

 本人ではないな、とすぐに気づいた。彼女は今十一歳の姿で城で暮らしている。これはフェリクスの記憶だ。

 そう考える彼の姿は、十四歳の頃のものになっていた。

 なんだよこれ、と思いながらも、散々だった初体験のリベンジをした。

 それなりに成功したように思う。

 だが、当時のような感動も衝撃も高揚も、フェリクスの内から生まれたものは何もなかった。

 虚しさだけを胸に独りで朝を迎え、過去をつらつらと思い出しながら目的もなく歩いていたのだ。

 そこへ確かな存在感を持つ清乃が現れた。

 魔女の血など一滴も流れていないくせに、魔女のような女。

 彼女は無垢な少女のような顔で笑い、フェリクスを魔女の棲む城へいざなった。




 十五歳のエルヴィラが苦痛に顔を歪めるのを彼女の上から見下ろして、勝った、と十四歳のフェリクスは思った。

 そんなダサい勘違いからくる高揚感は、一瞬で終わってしまったが。

 エルヴィラはそれが終わるとすぐに、様々な感情と感覚が入り乱れて立ち上がれないでいるフェリクスに冷笑を投げて去って行った。

 その後はまた、エルヴィラの顔を見たり見なかったりの日々が続いた。

 フェリクスは順調に成長し、どこまで大きくなるつもりだと伯父である国王に笑いながら見上げられるまでになった。

 何人かの女性と付き合ってみたりもした。

 同年代は子どもっぽいと馬鹿にする態度を改めたフェリクスは女の子にモテたから、エルヴィラの言うとおり相手に困ることはなかった。


 十七か八くらいの頃だっただろうか。夜会に出席していたから、十八歳か。

 夜会の最中に、いつかのガーデンパーティーのときのような顔をしているエルヴィラを見た。

 その頃のエルヴィラは美しさに磨きがかかり、魔女であってもいい、むしろ魔女がいいと言う酔狂な男も何人かいると聞いている。

 なのにまたその顔か、とフェリクスは思い、親戚に声を掛ける顔をして彼女に近づいた。

 彼女の視線の先には、いつかのように狂犬とゴリラがいた。

「動物園に行きたいなら付き合ってやろうか」

「おまえと行くくらいならひとりで行く」

「冷たい奴だな。弟と妹も連れて行ってやれよ」

「ユリウスはおまえが連れて行ったほうが喜ぶだろう」

 見栄えのするふたりの姿に、周囲が溜め息を漏らしている。

 長身のふたりの姿は目立つ。親戚といえどあまり親しい様子を見せると、勘繰る連中も出てくるものだ。

 フェリクスは去り際に小声で提案した。

「慰めてやろうか」

 エルヴィラは視線を合わせることなくこう返してきた。

「そうだな。夜は魔女の時間だが、途中で怖気づかずにいられるならな」

 最初はそれが怖くて、昼間にしておいた。

 今は怖くないと言えば嘘になるが、妖艶さを増した夜の魔女に対する好奇心のほうが勝った。




 あの頃は知らなかった。

 エルヴィラは恋人と一緒にいる幸せそうなカタリナが羨ましかったのだ。

 彼女が夢の中の人物に恋をするなんて不毛なことをしているとは、想像したこともなかった。

 不毛、とは言い切れないか。現実に存在する男に恋をするよりは、ずっと良かったのかもしれない。

 エルヴィラは、妹のように恋に憧れるよりも前に魔女になった。

 我儘魔女と違い、彼女は早いうちから魔女だろうと目されていたために、自覚を持つのも早かった。

 案外自分で恋の相手を夢の中に求めたのかもしれない。

 城で会った幼いエルヴィラは、長年想ってきた男を楽しそうに見ていた。

 想い人の妻の横で。

 倫理観がぶっ壊れているな、とは思ったが、フェリクスも他人のことは言えない。

 だがまさか、自分でも予想外に湧き上がった感情を、清乃に勘づかれてしまうとは。



 城に行くと、通り掛かった存在感のない女に、男連中は広場で鍛錬中だよ、と言われた。

 騎士服のフェリクスの姿から、鍛錬に参加しに来たと思われたのだろう。

 清乃と連れ立っていると、大抵言い争うことになる。昔からそうだ。

 広場に着いてからも毒を吐き続ける小動物の頭をいつものように鷲掴みにしてやっているところに、鋭い剣先が飛んできた。

 反射的に隣の清乃を庇おうとする前に、彼女の姿は消えていた。

 いつの間に、と焦りながらもとりあえず自分の身を守るフェリクスの視界に、エルヴィラの隣に立つ清乃の姿が見えた。

 魔女め。あいつの仕業か。

 それで何故紅い竜はフェリクスを攻撃するのだ。


「ここでは婦女子に対する暴力は許していない」

 婦女子。暴力。なんの話だ、と言いたい。

「それは失礼いたしました」

 清乃は楽しそうだ。いつもなら女扱いを気持ち悪いと切って捨てるくせに。

 下心が皆無だからか。多分そうだ。いいひと、な竜が天敵フェリクスをやっつける様を面白がっている。

 隣のエルヴィラも、想い人の言動を楽しんで見学している。

「抜け。俺が勝ったら態度を改めると約束しろ」

「では俺が勝ったら、奥方の祝福をいただく許可をください」

 自棄糞でそんな挑発を返したフェリクスに、伝説の騎士の剣が襲いかかった。



 フェリクスは魔女の夢の中に居座る気はなかった。

 エルヴィラのようにここに来ることを楽しみにしていたわけではない。

 ユリウスのようにやり直したい恋もない。

 なのにずるずると今までここにいる。

 消えるタイミングを逸してしまったせいで、執着するものができてしまった。

 今更。まったく忌々しい。

 消え方が分からなくなってしまった。この世界に囚われてしまったのだ。

 やっぱり最後は、魔女を消す才能を持つ清乃に頼る必要があるのか。

 そのときはちゃんと、エルヴィラも連れて行ってやることにしよう。

 それが、どこにでもいる当たり前の少女だった彼女を知っている数少ない人間としての、フェリクスの最後の仕事だ。



「見事な負けっぷりだったな」

 負けた。

 当然だ。相手は伝説の騎士だ。生涯を戦に費やしていた男に勝てるわけがない。

 エルヴィラの言うとおり、言い訳のしようもない負けっぷりを晒した。あの清乃が私刑(イジメ)の現場でも目撃したような顔になるくらいの負け方をしてしまった。

 案内された井戸で頭から水を被っているところに現れたエルヴィラに、フェリクスは顔をしかめてみせた。

「おまえなら竜にも勝てるか」

 彼女はフェリクスの知るなかで一番強い奴だ。

「彼の前のわたしはかよわい娘だ。彼と争う気はない」

「そうかよ」

 男を相手にあんな風に完敗した経験がないため、むしゃくしゃする。

 エルヴィラは機嫌がいい。好いた男の格好いいところを見られたおかげだろう。フェリクスに感謝するがいい。

「慰めてやろうか」

 本当に機嫌がいいらしい。

「頼もうかな。でもその姿はやめろよ。俺に歳を合わせてくれ」

「なんだ。キヨがフェリクスは幼い娘が好きらしいと言うから、喜ぶかと思ったんだがな」

「……冗談やめろよ。最初にそのカラダを知った男が、どうやったら幼女に走れるんだよ」

「そういうものか」

 楽しそうに笑った魔女は、一瞬で十年ばかり歳を重ねた姿に変わった。

 そして親族にとも親しい男に対するものとも判別しがたいキスを、フェリクスの頬にできたばかりの傷の上に寄越してきたのだ。


 なんと不毛な。

 これからフェリクスは、一目惚れしてしまった貴婦人を想いながら、その夫を想う従姉を抱く日々を送ることになるのか。

 まあ、らしいと言えばらしい生活だ。

 開き直った顔で一度笑ったフェリクスは、長い付き合いの魔女の腰を引き寄せ紅い唇にくちづけた。


 一番大切な主君とそのパートナー、惚れた女、報われない想いを鼻で嗤いながらも美しい身体で慰めてくれる女。

 それだけの存在があれば、この夢の中でも楽しく過ごすことができるだろう。

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