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夢の中 ~ユリウス~ 後編

「迷子じゃないけど、そろそろ帰ります。お世話になりました」

「迷子を保護していただき、ありがとうございました」

 迎えをちっとも喜んでいない清乃の横で、ユリウスは頭を下げた。

 紅い竜の夫人のようにとまではいかなくとも、少しは嬉しそうにしてくれたらいいのに。

 一瞬で不機嫌な顔になった未熟なふたりを見て、何百年も昔のご先祖さま夫妻が笑った。

「君たちに妻からの提案がある」

「提案、ですか」

「ああ。ふたりとも、ここで働かないか。普段はうちで働いて、休日だけふたりで過ごせばいい。そうすれば喧嘩になることもないだろう」

「…………」

 清乃が気まずそうに明後日の方向を向いている。

 なんの話だ。いつもはなんでも周りに喋るなと言っている清乃が、喧嘩の内容をバラしたのか。

「……キヨ?」

「大丈夫だ、ユリウス。キヨはわたしも知っていることしか喋っていない。ユリウスが四六時中くっついて離れない、鬱陶しい。とな」

「! エルヴィラ様、あたしそんな言い方してません!」

 清乃が慌てている。違う言い方で、そういった内容の話はしたわけだ。

「……キヨ」

「まあまあまあ。君はまだ若い。気持ちは分かるが、ご婦人のことも気遣ってあげなさい」

 残念ながら若くない。実年齢は全然若くないが、見た目と気持ちは確かに若い。

「……はあ」

 憮然とするユリウスの背に、清乃の手が添えられる。

 清乃はずるい。これだけで、彼女が隣に立って触れてくれるだけで、ユリウスの機嫌が直ることを知っているのだ。

「お気遣いありがとうございます。今日は彼と帰って、また明日来ます」

「そうしなさい」

 紅い竜は微笑んで清乃の頭に手を伸ばし、ふと途中で止まって方向を変え、ユリウスの頭をくしゃりと撫でた。

 子ども扱い。体格はともかく身長はそこまで変わらないように見えるが、相手は曽がたくさん付く祖父だ。仕方ないか。

 同じく彼の子孫であるフェリクスは、何故かずっと無言だ。

 ひと言も喋らない長身の男を不審に思ったのか、竜がわずかに目をすがめる。

「あの、彼はオレの付き添いで。このまま一緒に帰ります」

「そうか」

「…………お邪魔を、いたしました。すぐに失礼いたします」

 少しかすれた声で挨拶したフェリクスが、丁寧な仕草で頭を下げる。

「ああ」

 あまり良い空気ではないな、とユリウスは思った。

 一触即発、というほどではない。紅い竜が何故か不快感を見せているだけだ。

 彼の奥方はにこやかに座っている。侍女らしき女性も冷静だ。彼女たちは竜の不機嫌を気にしていない。

 エルヴィラはともかく、清乃は荒事を嫌う。とりあえずこの場を去ることにしよう。

 ユリウスは清乃の手を引き、フェリクスを促して城を後にした。

 少女の姿のエルヴィラはその様子を楽しそうに見送っていた。



 フェリクスは城を出てすぐ、じゃあな、と言ってどこかへ行ってしまった。

 清乃は彼の後ろ姿を、何故だかじっと見ている。

「……フェリクスがどうかしたか」

「ん?」

 また不機嫌になるユリウスに、清乃が振り向く。

「なんでそんな楽しそうなんだ」

「あ、やだ。つい。奴の弱点を掴めたと思ったら。ニヤニヤが止まらない」

「弱点?」

 フェリクスのか。彼がいつそんなものを晒したと。


「ううん。なんでもない。迎えに来てくれてありがとう。なんかね、あの領主様に従者にしてやる、って連れて行かれちゃって。あそこで働いてたの」

「従者? キヨを騎士にするって?」

 なんと見る目がない男だ。彼女ほど騎士に向かない人間はいないのに。

 幼い頃から憧れていた伝説の騎士は、意外と粗忽者らしい。

「昔黒髪の小さな従者がいたんだ、おまえもすぐ大きくなれるから大丈夫だとか言われて」

「何が大丈夫なんだ」

「よく分かんないけど。お城に行けばエルヴィラ様に会えるかと思って、ついて行っちゃった。役立たず、みたいな扱いされたけど、みんな優しかったよ。さっきの奥さまが気づいてからは、力仕事は免除されたし。割りと楽しかった」

「それはよかったな」

 やっぱり彼女は、ユリウスの迎えなど待っていなかった。ひとりで自由に楽しんでいたのだ。

「こんなに長居するつもりはなかったんだけど。エルヴィラ様が迎えが来るまでいればいいっておっしゃるから、ずるずる居座っちゃった。遅くなってごめんね」

 先に謝られたら、文句を言えなくなる。

 清乃はずるい。彼女はいつもこうやって、自分だけ大人のような顔をするのだ。

「……寂しかった。もういなくなったりしないでくれ」

 ユリウスは子どものように拗ねて見せるしかなくなる。

「うん」


「……これからは、キヨが嫌がることはなるべくしないようにする」

 料理中や読書中はむやみに近づかない。食事中も。屋外では手を繋ぐだけにする。朝は起きる。

 待てよ。それならいつ彼女に触れたらいいのだ。

 清乃の夜は、ご飯、風呂、読書、就寝、が基本だ。ユリウスが入る隙がない。

「なるべく」

「絶対と言ったら嘘になる」

「ふーん」

「だからキヨも、少しは譲歩して欲しい」

「なるべく努力はします」

「なるべく」

「絶対と言ったら嘘になる」

「ふーん」

 清乃は本当にユリウスを好いているのだろうか。

 最近の彼女は、若返った恋人にも自分の心身にもすっかり馴染んでしまい、あの恋する乙女のような姿は見せてくれなくなった。


 これは慣れなのか飽きなのか。考えたくないが、倦怠期というやつか。早くないか。

 ユリウスは全然飽きてなんかいない。

 清乃を見るたび彼女に触れるたび、新鮮な気持ちで幸福感を得ることができる。毎日新しい発見がある。

 彼女はそうではないのだろうか。

 まさかこの顔のせいか。

 日本には、美人は三日で飽きるという言葉があると聞く。

 飽きられたのか。

「…………ねえ、さっきから何考えてんの?」

「別に」

「じゃあ無言で百面相するのやめてよ。あんた本当に元王子様? そんなに全部表情に出して、よく外交なんてできたね」

「仕事中はちゃんとしてた。キヨは、この顔に傷でも付いたら面白いと思うか」

「何それ。やめてよ。もったいない」

「もったいないか」

「もったいないよ。せっかくの綺麗な顔、大事にして」

「キヨはオレの顔、好き?」

 ユリウスの持つ一番の武器はこの顔だと言われている。顔だけでもいいから、好きでいて欲しい。

 姉にはよく、顔だけの男だと言われていた。そんなつまらない男だから、飽きられてしまったのだろうか。

「嫌いなわけないでしょ。ユリウスの顔に傷が付くくらいなら、自分の顔に付いたほうがまだマシ」

「それは駄目だ!」

 顔が問題ではないのか。ではなんだ。

「怪我してもどうせすぐ治るでしょ。何しても変わらないよ」


 まあそうだ。すでに死んでいるのだから。

 でもそうか。分かった気がする。

「キヨは暇を持て余しているのか」

「まあ暇だよね」

 食べなくても死なない。空腹に苦しむこともない。

 外が暗くなれば眠いような気がしてくるから眠りはするが、多分寝なくても平気だ。

 実際清乃は、本に集中し過ぎて何日も眠っていないことに気づかなかったりすることがある。

 アパートの一室に篭ったまま、一歩も外に出なくても困ることはない。

 普通なら気が狂いそうなものだが、孤独を愛する清乃は、そんな生活に嫌気が差すということがないらしい。

 今の生活に不満を持っているのだとは、気づかなかった。

 だってユリウスは、清乃がそこにいるだけで満足できたから。彼女も、ユリウスがいて本があれば満足なのだと、そう信じて疑わなかった。

「だから竜は働くか、って」

「多分ね。日本では働かざる者喰うべからずっていうんだよ。あたしは働くのが好きなわけじゃないけど、でもなんの目的もなく、過去に読んだ本を読み返すだけの生活は続けられそうにないよ」

「そうだな。確かに」

 そうなったときには、清乃の精神が変調する前に一緒に消えてしまおうと思っていた。

 生きているときには叶わなかった生活。彼女と過ごす日々は大事だが、彼女を壊してまで継続してもいいものではない。

 今与えられている時間はあくまで、奇跡なのだ。清乃を不幸にするために使う気はない。


「……鬱陶しい、なんて思ってないし、言ってないからね」

「分かってる。オレが悪かったって、ちゃんと反省してる」

 最近キヨに避けられてる気がする。夜は自分の部屋に帰れと言われることが多いし、なんか冷たいんだ。

 つい昔の習慣でフェリクスに愚痴ってしまったのが悪かったのだ。

 飽きてきたんだろ。マンネリってやつ。キヨが嫌がるからって、おまえいつも大人しくしてるんだろ。たまには違うとこ見せてやれよ。とりあえず今夜、今までやったことないこと試してみろ。

 彼に相談したら、そういう話にしかならないことは分かっていたはずだ。

 なのに、自分の願望も混ざって、そういうものかと納得して実行に移してしまった。

 そして距離を置かれるようになり、ついには出て行かれてしまった。自業自得だ。そうなることは、少し考えれば分かったはずなのに。

「ねえ、あたしユリウスが好きだよ」

「うん」

 清乃は優しいから、ユリウスの気持ちを満足させるためにそう言ってくれるのだ。昔からそうだ。


「もうユリウスに辛い思いはさせないって決めてるの。ずっと一緒にいるし、なんでもするよ。もう昔みたいになんでも拒否したりしない」

「キヨの発言には重みがない」

「なんだと」

「拒否してばっかりだろ。オレは結構傷ついてる」

 愛情表現をさっと躱されたり、正面から押し返されたり、そんなことばかりだ。

 無理、やだ、やめて、離れろ、邪魔、あっち行ってて。そんな台詞ばかり聞いている。そろそろ心が折れそうだと思っていたところだ。

「ばっかりではない。あんたは度が過ぎるからだよ」

「ほら。拒否してるじゃないか。オレはもっとずっとキヨと一緒にいたい」

 真剣なユリウスに、清乃は顔をしかめる。

「そういうところが鬱陶しいって言ってるの」

「鬱陶しい! やっぱり言ってる!」

「うるさい。鬱陶しい」

 ユリウスは今、やり直しの恋に溺れている。

 いつでも清乃に沈み込んで、息ができなくなるくらいに彼女に溺れていたいのだ。

 それだけでいい。他には何もいらない。

 清乃はそんなユリウスを、最初のうちは受け入れようとしてくれていた。拒絶の言葉を奪ってなし崩しに身体を重ねても、最終的には赦してくれた。

 彼女の我慢と妥協、優しさに付け込んで調子に乗ったユリウスが悪いのだ。


「…………分かった。紅い竜の提案に乗ろう。明日からオレも城に通う」

「通うってか住んでもいいんじゃない? 自分の部屋あるんでしょ」

「住むのは今の部屋がいい」

 清乃と同じ部屋ではないが、同じ屋根の下だ。

 城にはなるべく近づかないつもりでいたのだ。見たくないものを見たり、会いたくないハリボテに会ったりしてしまいそうだから。

 多分それは、清乃が地元を探そうとしないのと同じ理由だ。

 ユリウスと清乃、ふたりで暮らすのに最適な場所は、ふたりが出逢った小さなアパートしかない。

 まあ、自室に近づかなければ大丈夫だろう。城の敷地は紅い竜が治める地になっているようだから。

「そ。お城楽しいと思うよ。男の人は鍛錬タイムに領主様と稽古するのが日課みたい」

「すごいな。紅い竜と稽古ができるのか」

「喜ぶと思ってた」

 清乃のほうが喜んでいる。嬉しそうに笑ってユリウスを見ている。



 その日はふたりで清乃の部屋に一緒に帰った。

 彼女は宣言通り、ユリウスの気持ちに寄り添う姿勢を見せてくれた。

 大人しくしている彼にキスをして、優しく抱き締めてくれたのだ。

 そうか。いい子にしていたら、こんなご褒美をもらえるのか。

 これからも意見が対立して喧嘩になってしまうことはあるだろう。

 でもこれからもこうやって、ふたりなりの暮らしを確立していけばいい。

 ふたりで一緒にいられるのであれば、その他の問題はすべて些末事だ。

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