夢の中 ~清乃とお城に棲む人々~
清乃は頑張って働いていた。
頑張る、というのは得意分野ではないのだが、彼女なりに一所懸命言われた仕事をこなしていたのだ。
「見てられないな。貸せ」
なのにその仕事を取り上げられた。
水の入った木製のバケツを軽々と持った男を見上げて、清乃は大人しく頭を下げた。
「…………すみません」
「キヨはまず食べて大きくなるところからだな! 水を運ぶのは無理そうだ。厨房の手伝いついでにつまみ喰いして来い」
「はあ」
残念ながら成長期は終わっている。今のサイズが一番大きいのだ。どれだけ食べても大きくなりようがない。
なんであたしこんなことしてるんだっけ、と首を傾げながら、清乃は城に向かって歩いていった。
城は堅牢な石造り。建築関係の知識がないから、中世の時代にこんなものが建造されたという事実には驚嘆するしかない。
まだ電気が発明されていない時代だ。
蝋燭は貴重だから、こんな昼間は室内が薄暗いなと思っても灯りを点けたりはできない。
今日は曇りのために光源が弱い。雰囲気のある廊下を歩いて厨房を目指す。
が。
また迷ってしまったようだ。
ここはどこだ。
広い城にげんなりして立ち止まる清乃の耳に、足音が聞こえてきた。
廊下を曲がったところに人がいる。こっちに向かってきている。
大きくて、武器を持った男。複数だ。
そんな物騒な集団に遭遇しても、この城では恐れる必要はない。分かってはいるがどうしても緊張してしまう。
清乃は廊下の端に寄り、頭を下げ気味にしてその人物たちをやり過ごすことにした。
「おお、キヨ。どうした、こんなところで」
やべ。このひとだったか。
この城の主。紅い竜だ。
「厨房の手伝いに向かっているところです」
「ん?」
「厨房の手伝いに」
「道に迷っているということだな」
「はい」
そんなに見当違いな場所を歩いていたのか。
常に佩剣している赤毛の騎士はおかしそうに笑った。いつ見てもかっこいい。
ハリボテとは思えない。人間臭い、リアルなハリボテ。
だけどやっぱりハリボテだ。
何十年も昔、清乃に小さき魔女と呼び掛けたのはなかったことになっている。
「ハリエット、これがこの間拾った子です。賢そうな顔をしているでしょう。黒髪の従者が懐かしくて育てようかと思ったのですが、見た目以上にひ弱だから、まずは家の仕事をさせています」
偉い人の奥さんの顔をまともに見るのは失礼かと思って、視線は下げたままでいた。
でも竜を見上げたときに視界の端に映った女性の美しさはなんとなく認識できた。
見ても、いいだろうか。
好奇心を抑えられず視線を上げると、眼が合ってしまった。
その瞬間、清乃は自分の頬が上気するのが分かった。
青い瞳。これは知っている。豪華な金髪。これも短いものなら見覚えがある。この世の美を集めたような顔。これにも耐性はあるはず。
でも。知っているのに知らない。
こんなに美しいひとが、この世に存在していたのか。
「こら、キヨ。おまえ子どもとはいえその反応は」
「…………ライリー」
低く出した声も素敵だ。
「はい」
「この子をどうするですって?」
笑顔。素敵。声が高くなった。綺麗。
「え? だから従者にするつもりで」
「ライリー」
「はい」
「女の子を従者にするのはおやめください」
美女が笑顔のまま呆れている。どうしよう。何これ。心臓がバクバクする。
「?」
「あなた、キヨといったわね」
「は、はい」
「ついていらっしゃい。着替えを用意しましょうね」
「えええ? ハリエット?」
「キヨはあなたの従者にはなりません」
呆れ声も最高だ。何をしても何を言っても最高。何このひと。女神様かな。美の女神? え? ヴィーナスってこと? 貝に乗っても絶対美人!
清乃はうっとりした視線を美女から外せないまま、促されるままにふらふらついて行った。
背中に茫然とした声を聞いた。
「えええ……」
そもそもである。
清乃はエルヴィラを探そうと思っていたのだ。
褐色の髪に金茶の瞳の美少女を見て、そのことを思い出した。
「エルヴィラ様?」
「キヨ。もう記憶は戻ったか」
「はい。なんとか。それでエルヴィラ様、その姿は」
美女について行ったら、古めかしいワンピースを使用人らしき女性に手渡された。
着方がどうとか迷うほどの作りではない。頭から被って、紐でウエストのあたりを縛る。
これを着けるにはあなたはまだ若すぎるけれど、と頭に簡易ボンネットのようなものを被され紐で固定された。短い髪を誤魔化すためだろう。
昔本で読んだことがある。これは既婚女性が被るものだ。
結婚はしたことあるので問題ないです、と言って驚かれているところだった。
戸口にひょっこり顔を出したのは、美しい魔女だった。
ただし、年齢は推定十代前半だ。こんな若い姿は見たことがないが、ひと目で分かった。
「どうだ。十一の頃のわたしだ。今はキヨのほうがお姉さまに見えるな」
なんて畏れ多いお言葉。
「素敵です。可愛いエルヴィラ様なんて初めて。素敵」
うふふふ、と幸せな会話をしていると、美女が小首を傾げた。
「あら。魔女殿のお友達でいらしたの?」
「ええ。わたしに会いに来てくれたのかな」
美女と美少女。眼福。
まとう色彩は違うが、どことなく雰囲気が似ている気がする。
なんというか、強い女のオーラがある。
おっとりして見える微笑を浮かべる美女も、外見年齢に似合わない表情の美少女も、平凡な清乃はひれ伏したくなる空気を持っているのだ。
「はい。きっとこちらにいらっしゃるだろうと思って。どうやってお城に近づけばいいのかと考えていたら、ご領主がうちで働くかと連れて来てくださいました」
「……ごめんなさいね。あのひと、時々ああいうところがあって」
「いえ。わたしもあんな髪と服装で歩いてましたから」
美女に謝られてしまった。清乃は慌てて両手を振った。
「彼女は最近こちらに来たのです。近頃は髪を短くする女性も多いのですよ」
エルヴィラの紹介に、美女が目を丸くする。
「まあそうなの? わたしも一時期短いことがあったのよ。軽くていいわよね。また短くしようかしら」
「お似合いになるとは思うが、ご夫君が泣かれるのでは?」
あー泣きそう、と清乃も思った。
「…………そうね。やめておきましょう」
奥さんにまでそう思われている。
ここで領主と呼ばれている赤毛の騎士は、誰もが口を揃えていいひとだと言う。
そして必ず、こう付け加えられる。
奥方が絡まなきゃな。
え、そんな仲悪いのかな、意外。と清乃は思っていた。
反対だったらしい。
奥さんが大好き過ぎて、ちょっとアレなことがあるというのが真相だった。
確かに先ほど、清乃が美女をうっとり見上げていたら、怖い顔をされた。
小さい男の子だと思い込んでいる相手に大人げない。ちょっとアレだ。
「エルヴィラ様はずっとこちらに?」
どうやらこの城は、見た目以上に奥行きがあるようだ。
魔女は王族のなかから生まれることが多い。城で暮らしていた歴代魔女の居処として在るのだ。
部屋毎に時代が違ったり、扉を開けるとあり得ないサイズの広い空間があったりすることもある。下手にあちこち開けられない。迷子になったらおしまいだ。
「ああ。紅い竜殿の近くに居たければ子どもの姿で、というのが奥方の出された条件なんだ」
エルヴィラは紅い竜のことが好きらしい。
生前から、同じ世界の住人になる日を楽しみにしていた。
だからここにいるだろうと捜しに来てみたのだ。
だがまさか、奥方公認とは。
「わたしたちの遠い子孫ですもの」
美しい奥方もなかなかアレなようだ。夫が自分以外の美女によろめかないようにと、子どもの姿でいろなんて。
「ユリウスはどうしているんだ。一緒じゃないのか」
「……ああ。えっと」
なんと言うべきだろうか。
清乃は口ごもった。この話をするために彼女を探しに来たのに。
エルヴィラは友人と言ってくれて、清乃はその立ち位置を畏れ多いと言いつつも喜んで受け入れている。
が、この美しいひとは友人であると同時に彼氏の姉でもあるのだ。
恋愛初心者の二十歳に戻ってしまった清乃は、昔は子どものくせにとあしらっていた十代のユリウス相手にどきどきしっぱなしになってしまった。
大人なのだから問題ないだろうとキラキラしながら迫ってくる彼を相手に、心臓の暴走を止められなくなった。
もう無理、となった清乃は、思い切ることにした。
やることをやってしまえば落ち着くはずだ、ちゃっちゃと済ませてしまおう。とユリウスに提案した。
またそれか、成長しないな、との文句は飛んできたが、彼もその提案に乗ってきた。
思いがけない問題が生じるも、目的はおおむね達成された。
清乃は平時における心の平穏を取り戻したのだ。
だがそれからまた、新たな懸念事項が発生してしまった。
「こちらのキヨは、わたしの弟の、……今はなんと紹介すればいいのかな。妻、でいいのか?」
「いいえ!」
清乃は慌てて首を横に振った。
「一緒に暮らしているのではないのか」
「いえ。別です。……あの、お付き合い、させていただいています。でも今はちょっと」
「喧嘩中か」
「…………ハイ」
あっさりと正解を見つけたエルヴィラから目を逸らして、清乃は頷いた。
「あら」
「またあいつが何かやらかしたか」
「い、いえ、ただちょっと意見の相違というか」
はっきりしない清乃に、美女がおっとりと首をかしげる。
「お酒の用意が必要かしら」
「そのようですね」
「短編」の意味を考え中、「連作短編」という便利な言葉を発見しました。
内容が連動しているため、本日より5話分毎日投稿します。