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過ぎ去りし日々 ~エベラルド~ 前編

1話完結無理でした。

長くなったので前後編とします。

「王国騎士道物語」の番外編になります。

 国王稼業を始めて、どれくらいの月日が流れただろうか。

 エベラルドはほとんど変化することのない不機嫌面を下げ、城の廊下を歩きながら思い起こしてみる。

 鎖帷子を着ない軽い肩にはもう慣れた。それだけのときが経ったのだ。

 身軽になった分動きが速くなったかというと、そんなことはない。来る日も来る日も執務室に篭って仕事をしていると、四十を目前にした身体はどんどん重く鈍くなっていく。

 鍛錬に参加できないからせめてもと、歩くときには速足で移動する。

 王に相応しくない、と繰り言を言う奴もたまにいるが、現王の育ちは周知のものなのだ。異国の客人がいるわけでもないのに、取り繕う必要性を感じない。

 主君に遅れるわけには、と近衛が同じ速さでついて来る。

 競歩でもしているかのような彼らに、廊下の端に寄り損ねた女官が慌てて跳び退く。

 エベラルドはそんな周囲を気にすることなく、歩き続けた。

 が、目的地に到着する前、彼は唐突にその足を止めた。

 近衛は慌てる。国王にぶつかるような無様はしなかったが、ぎりぎりだった。

 彼らの王は、護衛である近衛よりも腕が立つ。下手なことをしては、鍛え直して来い、と冷たく任務から外されるのだ。

 そして機嫌が良いときには自らの剣を抜いて直々に稽古をつけてくださる。という非常に迷惑な一面も持っている。

 平然とした顔を取り繕う近衛には一瞥だけくれて、エベラルドはゆっくりと歩みを再開した。

 その先には、彼の旧知の男がいた。

 王都騎士団長である。


「…………」

 何故ここに、と書いた顔を隠しはしなかったが、ウォーレンはそれを口に出すことなく頭を下げた。

 騎士の鍛錬場に続く道である。予定もないのに国王が現れるべき場所ではない。

 ウォーレンは非番丸出しの姿だ。用を思い出しでもしたのだろう。

「おい、やめろ。あんた相変わらずだな。そんな姿勢になったら苦しいだろうが。可哀想に」

 そう言ってエベラルドは、ウォーレンが抱えていたものを優しい手付きでひったくった。

「……お戯れを。赤子が粗相をする前にお離しください」

 近衛に退がってろ、と手振りで追い払った国王は、騎士団長の言葉を無視した。

「泣かないのか。度胸があるな。この子は何人目の孫だ」

 エベラルドは腕の中の赤子の顔を覗き込んで微笑んだ。

 いつ振りか思い出せないほど久し振りに見るその穏やかな表情に、孫を奪われた祖父もかすかな笑みを浮かべた。

「……三人目。上の娘のふたり目の子だ」

 距離をとった近衛に声が届かないよう、ウォーレンは低い声で返した。

「いつの間に。アルの奴から何も聞いてないぞ」

「あいつの立場で私生活をおまえに喋るわけがないだろう」


 そうだ。それが今のエベラルドの立場だ。

 親しくしていた者が今何をして何を考えているのか、何も教えてもらえない。

 彼らに喜ばしい出来事があっても、逆に何かに苦しむような状況に置かれていても、エベラルドはその知らせを耳に入れてもらえないし、力にならせてもらえない。

 エベラルドの弟分が育てた騎士アルは、立派に成長しているようだ。

 小柄なぶん人よりも動けるようにと工夫と鍛錬を重ね、その勘働きの良さも相まって順調に出世を重ねている。

 と、側近から聞いている。本人と話をする機会にはなかなか恵まれない。

 弟分の弟子なら俺の弟でもあるだろ、と酒を飲んで管を巻いたこともあるが、それを聞いていたのは妻だけだ。

 その弟分は、もうエベラルドを兄分とは思っていない。だからアルは、エベラルドの弟ではない。それが現実だ。

「肝の小せえ奴らばっかだな。おまえは大物になりそうだ。すぐに親父より祖父(ジジイ)より強くなるぞ」

「だといいんだがな」

「体格は祖父で頭は父親、度胸は母親に似たらいい。立派な騎士になるぞ」

 赤子は健康的に丸々と太っており、高い高いをされてもけろっとしている。

 エベラルドが高い位置で赤子を祖父に返すと、その子は途端にふえ、と泣き出した。

「なんだ、祖父さんより俺のほうがいいか」

「そんなわけあるか。今はエイミーがロージー様のご用で呼ばれててな。子守りを任されているんだ。いったん帰ってオシメ替えてくる」

 子守りをする騎士団長の姿を見ても、城の者は誰も驚かない。

 彼は若い頃から幼い従者や若者の面倒をよく見て、自身の娘に振り回され、孫が生まれてからは非番の日にはよく子守りに駆り出されている。

 前騎士団長とはまた違う意味で恐れられない団長なのだ。

「あんたんちまで遠いだろ。うちに下の子のものがあるはずだ。寄って行けよ」

「個人宅みたいな誘い方をするな。どこの世界に王子のオシメを借りる家臣の子がいる」

「赤ん坊の尻なんかどれも同じだろ。仕方ねえな。団長宅まで走るか。おまえの祖父さんは赤子の世話が下手くそだからな。俺が替えてやるぞ」

「いつの話をしている。もう祖父歴四年だぞ。オシメくらい替えられる」

「どうだか」

「いや、うちの孫を返せよ」

 大人が言い合う間にも、泣き声はどんどん大きくなっていく。

 エベラルドは再び抱っこした赤子を気にしつつも早歩きでスミス家に向かった。

「陛下⁉︎ 次のご予定は!」

 近衛がぎょっとして声を上げる。

「緊急事態だ。断りの連絡を入れとけ」

「おい近衛、仕事しろ! 陛下をお止めしろ!」

「えええー」




 十三歳のエベラルドには、休む時間というものが皆無と言っても過言ではなかった。

 従者の仕事とは、要は下働きだ。貴族の家では家政婦と従僕、下男下女のする仕事。

 騎士と従騎士と自分たちが生きるために必要な、炊事洗濯掃除、そのすべてである。

 エベラルドのように貧しい家で育った者は、最初からそれなりにできる。

 が、裕福な家のお坊ちゃんには未経験のことである。要領の悪い奴が大勢いる。

 しかし自己責任だと放っておけば、決められた仕事が片付かない。そうなったら連帯責任だ。同じ隊に所属しているエベラルドもまとめて罰を受けなければならない。

 ざけんなよ、しっかりやれよおまえら。思いながらも、手を貸さざるを得なくなる。

 エベラルドは同じ小隊に所属された従者を、歳上の者までまとめて仕切るようになっていった。

 純粋に荒事だけが得意な者、料理が得意な者、洗濯が巧い者、綺麗好きな者、それらが逆に苦手な者。全員の特性を把握して、忙しい日には得意なことを、今日はのんびりできるという日には苦手分野を練習しろと、己の仕事をてきぱきと片付ける傍ら常に全体を見廻している。

 彼は特定の騎士に師事したことがないため、肝心な剣術の腕や乗馬の腕のほうはいまいちだった。

 だから人一倍鍛錬を積む必要がある。

 稽古をつけてもらう時間にはいつも真剣だ。わずかな空き時間には素振りをする。

 そして夜には、気絶するように従者用の大部屋で倒れる。悪夢にうなされ目を醒ますまでの、束の間の休息だ。


 休みの日には、城下に下りた。

 騎士になるために、金を稼ぐ必要があるのだ。

 故郷の山も村も、通貨が必要となる場面はない。数えるほどしか行ったことのない街で羊毛や農作物を売り、得た金で農機具などの必需品を買って帰っていた。

 働けば金をもらえる、という知識はあるが、どこでどうやって働けばいいのか分からない。

 王都に賑やかさ華やかさに圧倒されながらも、とりあえず歩いて周りを観察してみた。

 エベラルドと同年代の子どもにも、働き口はあるようだ。

 彼、彼女たちはあちこちにある店の内外で仕事を得ている。ならばエベラルドも、適当な店に入って働かせてくれと頼めばいい。

 分からないなりに行動した。目に付いた店に片っ端から入って頭を下げた。そして片っ端から断られた。高級な店では追い返されると勉強してからは、裏通りの小汚い店を選んで頼んでまわった。

 ニヤニヤしながらエベラルドの顔を撫で回し、いいぞ稼がせてやる、と言った男の店はやべえと思って逃げてきた。

 ようやくありつけたのは、中年親爺が営む小さな食堂(タヴァン)だった。

 余り物を喰わせてもらえるかも、という下心はあっさり捨て去る羽目になったが、とにかく働いて金銭を得ることに成功した。

 給仕でも皿洗いでも掃除でも使いっ走りでも、エベラルドはすぐに要領をつかんでよく働いた。

 中年の主人は、また来てもいいぞとその日分の給金を握らせてくれた。

 エベラルドは休暇のたびにその店に通って働いた。

 そうして四ヶ月ばかりが経っただろうか。

 街の水汲み場に行けと言いつけられ桶を持って走っていたところ、見知った顔に気づいたエベラルドは足を止めた。

 同じ中隊の騎士だ。体格に恵まれた男ばかりの集団のなかでも一際背の高いひと。

 目抜き通りから一本外れた路を歩いている。

 ここは王都だ。騎士を見るのは珍しいことではないが、エベラルドが気になったのには理由があった。


「……スミス様、何をなさっているのですか」

 まだ若い平騎士の彼は、声をかけたエベラルドを驚いたように見下ろした。

「エベラルド? おまえこそ何して。今日は休みか」

 声をかけられるまで気づかなかったのか。騎士のくせに注意力散漫か。

「その子、スミス様の子ですか」

 スミスはまだ歩けない月齢の子をその逞しい腕に抱いていた。

 一本向こうの通りにいたエベラルドが気になってしまったくらいの大声で泣いている。

「おお。エイミーっていうんだ。可愛いだろう」

 騒音と言ってもいい泣き声に、抱く親の声も少しずつ大きくなっていく。うるさい。

「いや、可愛いですけど。すげえ泣いてるじゃないですか。何かあったんですか」

「分からん!」

「分からんて。あんた親だろ。見せてください」

 エベラルドは桶を置いて両手を上向けた。

 若い騎士は小さな従者の言葉遣いを咎めることなく、促されるまま娘を差し出した。

 大きな父親に抱かれているときは気づかなかったが、エベラルドの知る赤子よりもだいぶ大きい。

「おまえ、赤ん坊の世話ができるのか」

「歳の離れた妹がいます。……ああ、漏らしたのか。オシメは」

「えっ、家?」

「なんで疑問形なんだよ。母親は」

「寝るから子守りしてろと言われて追い出された」

「夜泣きか。じゃあ静かにしとかないと、一生帰って来るなと言われるな。オシメ、替えられますか」

「……やったことがない」

 スミスの妻には会ったことがないが、こんな父親に娘を預けたくなるくらいに寝不足なのだろう。

 アデライダもよく泣く子だった。エベラルドは昔を想った。

 大人にはたった五年前、かもしれないが、十三歳の彼にとってはだいぶ昔の話だ。

 養母は夜通し起きていて、朝になると息子たちにアデライダを託して眠っていた。

「他に見てくれる大人は」

「俺たちの実家は商家なんだ。今仕事でそれどころじゃない」

 だからこんな父親に預けざるを得なかったのか。

「俺がやってもいいけど、今仕事中です。帰るのが遅くなった、って一緒に謝ってくれますか」

「助かる! どこの店だ。おまえの抜けた穴は俺が埋めてやる」

「いや、別に騎士様にそこまでは」

 ただ偉い騎士様に口を利いてもらって、クビを回避できればそれでいいのだ。

「構わん。うちはすぐそこだ。おまえが世話してくれている間に俺は走って水を汲んで店まで行く。なんなら今日一日代わりに働いてやるぞ。おまえはその子を頼む」

 はあ? と思いはしたが、とりあえず泣く子が優先だ。

 ふたりは喋りながらも足早に移動し間も無くスミスの自宅に着いた。

 到着してすぐ、スミスは宣言通り走って店の主人に話をつけに行く。

 エベラルドは泣く子の襁褓(むつき)を大急ぎで替え、スミス夫人が起きだす前に再び外に出た。


「よーしよし。おまえもう柔こいもんは喰えるんだろ。親父さんにスープでも飲ませてもらえよ」

 幸い空腹ではなさそうだ。エイミーは先ほどのまでのギャン泣きを忘れたように、ぽかんとした顔でエベラルドを見ている。

 しかし重いな。やっぱりアデライダの赤子時代とはだいぶ違う。

 最後に会った妹は五歳だった。もうじき六歳になる頃だ。

 ちゃんと自分の手足でしがみついてくる年齢だったから、記憶の中のアデライダは、今腕の中にいるエイミーよりも軽いくらいだ。

「……あいつも少しは大きくなったかな。なあどう思う、エイミー」

 エベラルドはマルコスを出てからだいぶ大きくなった。まだまだ大きくなる予定だ。

 いくら食べても、その成長速度には追いつかない。騎士団の官舎で食べるものだけでは足りない。実家から小遣いをもらっている奴は買い喰いしているようだが、エベラルドにそんな余裕はない。

「あー腹減ったあ」

 休みの日はいつもこうして城下にいるから、官舎にいれば食べれるはずの食事にありつけない。水汲みのついでに水を飲みながら、空腹を誤魔化して働くしかないのだ。

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