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過ぎ去りし日々 ~紅い竜と従者~ Ⅲ

 野盗とやらは、結局出た。

 よせばいいのに、コールの前を歩くルーファスの行く手を阻む形で五人ほど。

 老人と子どものふたり連れ、ではあるが、頭から全身をすっぽりと外套で覆ってしまえば、ただの男ふたり連れだ。ルーファスの身のこなしは素人目にも明らかな武人のもので、これまでこういった輩に遭遇することはなかった。

 よっぽど自信があるのだろうか。

 コールはルーファスの背中越しに、体格のいい野盗を見た。

 確かに強そうではあるが。

(一対一なら俺でも勝てるかな)

 多分彼らは、アルよりも弱い。純粋な腕力だけならライリーよりもありそうだが、剣の扱い方が雑だ。

 なんだその構え。隙だらけだ。ほら、紅い竜が呆れて溜め息をついている。

「小僧。その木剣を貸せ」

「へっ? あ、はい。どうぞ」

 出発前、ライリーに持たせてもらった練習用の木剣である。彼の身内であるルーファスに貸すことになんら問題はない。

 ルーファスは木剣を受け取ると、右手に下げたままスタスタと歩いた。

 野盗に向かって。

「遅れずついて来い」

「はい!」


 五人の中心に立っていた男がその場にくずおれた。

 その脇に立つ男ふたりずつが、わずかな時間差で左右に吹っ飛ぶ。

 ルーファスの手技だ。多分。

 よく見えなかったが、多分そうなのだろう。それ以外に考えられないから、コールはそう考えるしかない。

 誰も死んでいない。そのための木剣だ。痛いだけ。骨が折れていたとしても、縫わねばならない斬り傷と違いそのうち治る。

 最初に倒れた男を跳び越えて、そのまま走る。走る。疾る。

 山の麓の村に着いた頃には、コールは息も絶え絶えな状態になってしまった。

 八十のルーファスは汗ひとつかいていないのに。

 化け物だ。

 どうしよう。仕える相手を間違えたかも。

 竜のように強いが、まだ理解出来る気がするライリーと違い、この老人は本物の竜なのだ。

 竜にいくら師事しても、人間が竜になれる道理はない。


 野盗はコールでも見て取れるだけの隙があったものの、明らかに長剣を使い慣れていた。

 それは何故か。元騎士の傭兵崩れだから、ということらしい。

 麓の村でそう聞いた。

 日暮れ前に村に現れたふたりに、村人が声を掛けてくれたのだ。

 まだ子どもの顔をしたコールの様子が尋常でなく、その連れの男が総白髪の老人であったために、警戒よりも心配が勝ったようだ。

 野盗に遭って逃げてきた。村でひと晩匿って欲しい。

 ルーファスが穏やかな口調で頼むと、その振る舞いを見て貴族だと察したらしい村人が母屋に部屋を用意してくれた。

 コールだけだとこうはいかなかっただろう。大変だったな、納屋の隅なら寝てもいいぞ、と言われるのがせいぜいだった気がする。

 

 そこは農家にしては大きな家だった。

 コールの祖父よりは少し若いくらいの年齢の男が、出稼ぎに出ている息子の部屋だと言って、寝台のある部屋にふたりを案内してくれた。

 ちょうど食事時だったのだ、と同じ食卓に招待もしてくれた。

 歓待といってもいい扱いに、ルーファスは穏やかな態度を崩さず礼を言い、コールにも頭を下げさせた。

 部屋の奥にある寝台は、もちろんルーファスに譲った。

 コールは彼から離れた場所、扉の前で、家人が用意してくれた毛布にくるまって横になる。

 彼が手本にする従者のアルが、主人と同室で寝むときにはこうしていたからだ。


 なぜアルはそんなところで寝るのだと、昔訊いたことがある。

 それは、こんなときに備えるためだ。


 十六歳のコールの眠りは深い。

 周囲への警戒を怠らずに寝むなんて無理だ。

 だから先輩従者の教えに従い、扉の前で眠ることにしたのだ。

 内開きの扉の前で眠っていたコールの頭にぶつかるものがあった。

 そのおかげで、深い眠りを必要とする年齢の少年でも、目を醒ますことができた。

「……何かありましたか」

「っ‼︎」

 ルーファスの眠りを妨げないようにと、声を低めたコールの気遣いは無にされた。

 驚いた拍子にガタンと大きな音を立てた男が、コールに向けて短剣を突き出す。

「んんん?」

 状況が掴めないまま、コールはそれをたたき落とし、室内に蹴り入れた。

 これは誰だ。

 これ、この腕の持ち主。コールに手首を掴まれ、扉で挟まれて情けない声を上げたこの右腕の持ち主は、どこからやって来たのだ。

 家人にこのような人物はいなかった。老夫婦と、その娘、息子の嫁、その四人だけだったはずだ。

 こんな太い腕の持ち主はいない。家人はどうしたのだ。まさか殺されでもしたのか。

「腕が千切れる前に答えろ。家の人はどうした」

「あああ⁉︎」

 右腕の持ち主が、焦りを隠せないまま威嚇らしき声を出す。

 答える気はないらしい。

(ええっと、確かここをこうしてこうしてこう!)

 男の悲鳴が夜闇を引き裂いた。

「うわうるさってほら、師匠起きちゃったじゃんか!」

 コールが慌てて振り返ると、寝台の上に胡座をかいてこちらを眺めているルーファスと目が合った。

「一応言っておくが、おまえが起き上がるところから見ていた」

「ええっはずかしー! 声掛けてくださいよ、もー」

「腕を折っておいて騒ぐな、はさすがに無理があるぞ。別の方法を考えろ」

「だって俺、これしか知らないから。斬ったら血で汚れるから、女性の前と他人の家では気をつけろってライリー様が」

 手っ取り早く敵の動きを封じるには、気絶させる、骨を折る、致命傷を負わせる、そのくらいしかない。

 現状では、目の前の右腕を折るしか選択肢がなかった。

「ご立派な教育を受けているな。だがここは敵の住処だ。多少汚すくらいは構わんだろう」

「えっ」

「野盗の家族だ。この村全体がそうなんだろう」

「えええ……?」

「襲撃を受けるまで寝めれば充分だろうと思ってな」

 悠々と立ち上がる高齢者。なぜか旅の疲れが取れた様子だ。化け物。

「悪くない動きだった。このまま村を出るが、ついて来られるか」

「……どこまでもお供します」

 眠気はすでに吹き飛んでいる。

 コールはルーファスに前を譲り、その後ろを速足で歩いた。小走り一歩手前くらいの速度だ。

 取りこぼした奴を片付けろと、短剣を抜くよう指示された。

 十六歳の少年は、人を殺したことがない。騎士を目指す限り、いつかはその日が来るのだろうと思ってはいるが、とりあえずはまだ未経験の領域だ。

 緊張を隠せないまま、木剣を片手に歩くルーファスの後ろを歩くが、彼の後ろは至極平和であった。

 野盗の一味はすでに慄いているらしく、武器が必要となる場面はその先なかった。


 その後もひたすら歩き続けた。

 旅というものは存外単調でつまらないものなのだと、残念に思いながらコールはルーファスの背中を見ていた。

 物語のように魔物が襲ってくることはなく、あれきり野盗には遭うこともない。

 野犬に遭遇したくらいだ。賢い野生の動物は、己よりも大きな人間ふたりに襲い掛かってきたりせず、じりじりと遠ざかって行ってしまった。

 残念がるな、とルーファスは呆れを隠すことなく、世慣れない少年に教えを授けた。

 無駄に争っても得るものはない。周囲を観察し、避けられる問題は避ける。それが出来なければ、いつまでも目的地に辿り着けない。

 常人離れした剣技の持ち主なのに、頭脳と理性まで持ち合わせている。

 すごい。

 コールはルーファスを知るたび、憧れの念を強くしていった。

 何日も何日も歩いて、自国の小ささと世界の大きさを思い知った。国境を越えてからのほうが長い時間が経っていた。

 そうして辿り着いたのが、流れて生きているはずの傭兵の本拠地だった。

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