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過ぎ去りし日々 ~紅い竜と従者~ Ⅱ

 コールはその後もルーファスの背中だけを見て歩き続けた。

 いくら上背があって脚が長いとはいえ、十代の若者が必死にならなければならない速さで歩く八十代の体力が信じられない。

 何度もうっかり見失いそうになり、置いていかれそうになりながらも、新米従者コールは諦めなかった。

 これはきっと修行の一環なのだ。師匠について行けなくては、従者の仕事が務まろうはずもない。

 と、ルーファスの足が止まる。と見せかけて右に曲がった。

(えっ……)

 慌ててコールもその背を追う。

「……宿?」

 そこは街外れの宿屋だった。

 日暮れまでまだ時間がある。このまま街を抜けて真っ直ぐ山に入り、昨夜のように野宿するのかと思っていたのに。

 一泊、男ふたり、とルーファスが小声で交渉している。

 他人に事情を知られて得することなどない。必要以上に人前で口を開くな。

 師匠により命じられているため、コールは黙って彼の背中を見ているだけだ。

 どうやらコールのぶんまで宿代を払ってくれたらしい。迷惑そうにして従者らしいことをさせてくれないのに、優しい。

 優しいおじいちゃん。


「……なんだおまえその目は」

「そんけーの目っす」

 はあああ。久しぶりに喋ったコールに、ルーファスが巨大な溜め息をつく。

「今日はここに泊まる。飯を喰って寝て、夜明けと同時に出発するぞ。寝過ごしたら置いて行く」

 起きられるだろうか。

 老人は睡眠時間が短い。だが身体の回復は遅いはずだ。

 ひと晩眠れば元気になるのが若者の強みだ。



 がっつり寝過ごした。

 大部屋の大きな台に藁を敷き詰めただけの寝床で、コールは起き上がった。

 周りからは草臥れた旅人たちの大きな鼾がまだ響き渡っている。

 が、夜が明けてからどのくらい経ったのか、見当もつかない。

「……置いて行くと言われて寝過ごすとは、どういうつもりだ」

「……優しい師匠で良かった……!」

 ルーファスは高貴な生まれの騎士である。故伯爵の次男。現伯爵の大叔父という身分がどれくらい偉いのかはよく分からないが、まあ高貴な方なのだ。

 こんなむさ苦しい男たちに囲まれては眠れないだろうと、コールはせめてもの従者の務めとして寝台の一番端を確保した。

 自分はその隣に可能な限り距離を取って寝転び、ルーファスの眠る環境を守ろうと奮闘した。まあ普通に眠っただけだが。

 コールの隣に座っていた呆れ顔の師匠を見て、泣きそうになる。

 なんて優しい主人なのだ。一生ついて行こう。

「……出発するぞ」

「はいっ。ところで、なんで師匠そっちにいるんすか? 俺と場所が反対」

「おまえが寝ながら他人を蹴るからだろうが。夜中にそっちに移動させたんだよ」

 下手な奴が相手だったら、腹いせに寝てる間に見ぐるみ剥がされてもおかしくないぞ。

 と言うルーファスは、夜中に起こされた割りに旅の疲れをまったく見せない。

 おかしい。本当に彼は、八十の老人なのだろうか。老けた三十歳とかではなかろうか。

「ありゃ」

「介護すると宣言した相手に育児をさせるな」

「おじいちゃん大好き!」

「置いて行くぞ」


 ルーファスは前日までと同じようにスタスタ歩く。

 騎士は左腰に長剣を提げることで左右の均衡を保って歩く癖がついている。

 コールの祖父がこの世に生まれる前から剣を握っていたルーファスも、当然そういう歩き方をする。

 彼らは剣を提げることではじめて自然体になれるのだ。

 いつになったら、コールもああいうふうになれるのだろう。

 腰が軽いと違和感がある、と早く言ってみたい。

 整備されていない道を歩く際に杖代わりにしたりしているこの木剣を持っているうちは無理だな。

「師匠はそんな年寄りなのに、なんで疲れないんすか?」

 半ば愚痴のようなコールの質問に、ルーファスはちらっと後ろを振り返って見た。

「……おまえ、その鎖帷子はライリーに言われて着けているのか」

「はい! ライリー様がホークラム騎士団全員分用意してくださいました!」

 騎士、ではまだないが、未来の騎士である証だ。

 はじめの頃は重くて邪魔でしかなかったが、もうすっかり馴染んでしまった。コールは毎朝起きてすぐにこれを着るし、見知らぬ人間が近くにいるときには昨夜のように着たまま眠る。

 騎士の嗜み、だそうだ。

「俺にはもう、そんなものを四六時中着ている体力がない。だから今は、おまえよりも身が軽い」

「えっそうなんすか?」

 ずっと外套を纏ったままだから気づかなかった。

「だからといって真似をしようと思うな。仮に今武装した敵に囲まれたら、それを着ていないおまえは確実に死ぬ。着ていたら九死に一生を得ることができるかもしれない」

「じゃあ脱ぎません。ちなみにその場合、師匠はどうやって包囲を抜けるんですか」

「俺は囲まれる前に敵を散らす。だから重い帷子を着ていなくても問題ない」

 年寄りだから体力がない。

 武人として最高峰の実力を保っているから、並の相手には負けることはない。

 そのふたつは同時に成り立つのか。

「……かっけええ」

「無駄に口を開くな動くな。周囲の観察をしろ。そうすれば、自然と自分に必要な動きだけ出来るようになる」

 多分それ特別な、ルーファスのようなひとだけの話だ。

 が、彼の言うとおりにしていたら、コールも少しは竜のように強くなれるかもしれない。

「はいっ」


 コールは言い付けとおり、無駄口を叩かず神経を尖らせ、最小限の動きだけを選択して歩き続けた。

 ルーファスは時折後ろを振り返り、自身と少年との距離が空いていないことを確認すると、その度に少しずつ速度を上げた。

 そのことに気づいた少年が、一気に疲れを見せた。

 すると足を止めないまま、旅慣れた老騎士は言葉少に注意喚起する。

「この山は野盗がねぐらにしている。隙を見せたら、尾けてきている奴に殺られるぞ」

「えっ」

「俺は日没までに麓の村に進む。おまえはこの辺りで野宿してみるか」

「! 俺はルーファス様の従者ですから! どこまでもお供します!」

 昨日のルーファスの行動の理由が分かった。

 早めの就寝、夜明けと同時に出発しようとしたこと。

 足手纏いのコールのためにそうしたのに、コールのせいで出発が遅れた。従者失格だ。

「うるさい。大声を出すな。年寄りと子どもだと気づかれたら、すぐに面倒なことになる」

 これも、お荷物な従者のためか。

 外套の頭布を取るなとの厳命も、自分も同様にすることも。

「……師匠ひとりなら、野盗くらい簡単に」

「簡単に。殺せと言うか」

「…………」

「年寄りが若い生命を奪うことの罪深さを考えてみろ」

「………………」

「いや、いい。考えなくていい。無駄な頭は使わず、黙って足を動かせ」

「……はい」

「ティンバートンに帰るまではぐれずについて来れたら、従者にしてやる。今のおまえは、勝手について来ている迷子だ」

 そうだったのか。従者になれたつもりでいたのに。

 あれっ。だから荷物持ちとかもさせてもらえないのか。そういうことか。

「はあーい」

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