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夢の中 ~フェリクス~

「へえ」

 遅ればせながら夢の中の住人になったフェリクスは、従弟の話を聴いた感想をそのひと言ですませた。

 キヨとは一緒に暮らしてない。なんかすぐに赤くなったり固まったりして大変そうだし、可愛すぎてオレの身が持たない。

 だそうだ。

 へえ、しか言うことがない。

 死んでいるくせに血色良く幸せそうな美青年の顔は、まだ十代のものに見える。

「フェリクスは爺さんのままか」

「みたいだな。俺は若くなってやりたいことなんかないからな。このままで問題ない」

 フェリクスは現世とあの世の狭間にあるこの世界を、最後の責務として見廻ったらすぐに消えるつもりでいる。

 最後にユリウスに会えてよかった。

「ふうん」

 はたから見たら、老人と曽孫くらいの年齢差だろうか。

 フェリクスは微笑んで、若い頃の美しい従弟の顔を見た。

「で、おまえはせっかく若返ったくせに、未だにキヨとできてないってことか」

「いや、するのはした」

 時間は腐るほどあるんだから、好きなだけもったいぶらせてやれよ。ハジメテのカラダなわけだろ。

 の台詞はユリウスに。

 生娘でもあるまいし焦らしすぎだろ。いい加減にしろよ。

 の台詞は後で清乃に言おうと考えていたフェリクスは拍子抜けした。

「やったのか」

「うん。まあ」

「どうだった」

「…………すごいよかった」

 部屋の真ん中に置いたローテーブルに額をつけて、ユリウスが呟く。

 完全に骨抜きにされているようだ。

 あの普段はおっとりした弱々しい少女にしか見えない、敵の前でだけ眼光鋭い武士になる女に。

 想像できない。

「ちょっと詳しく聴かせろ」

「やだよ。キヨに怒られるだろ」

 まあベッドの中のことを外で喋られたと知ったら、清乃でなくても大抵の女は怒るだろう。

「ふーん」

「そんなことより。問題が生じてるんだ」

「……ここの住人に子どもはできないはずだろ」

「じゃなくて。感染しちゃったんだ。今度はESPが発現した。死んでるから吸収も何もないだろうと思って油断した」

「ぁあ?」

「オレの感情が視えたってショックを受けてる。キヨが部屋に閉じこもって出てこないんだ。助けてやってくれ」

「…………また面倒なことを」



 先に夢の中の住人になって異界の生活を満喫していた従弟の要請を受けて、フェリクスは清乃の住むアパートの一室のインターフォンを押した。

「…………」

 無反応。

 コンコンコンコンコン。

 ノック音にも反応無し。

 コンコンコンコンピンポンピンポーンコンコンコンコンコンコンコンコン、どん!

「おいキヨ! 出て来い! いいトシしてそのっくらいで引き篭もるな!」

「うるっさいわ! あんたもとうとうくたばったのね! 憎まれっ子世にはばかるってほんとだったみたい!」

 バァン、と音を立てて扉が開くと同時に、文句と悪口がまとめて飛んできた。

「おまえもそれなりに長生きしたけどな」

 夫亡き後異国に渡り、友人知人を幾人も見送って、晩年には恋人をつくる時間まであった。慣れない異国暮らしで具合を悪くすることもなく。

 清乃は小さいが丈夫な老婆だった。

「もー。なんで死んでまであんたの顔見なきゃなんないのよ」

 意外と元気である。

 彼女に未知の能力に怯えて泣き暮れるような可愛げがあれば。ESPのコントロールに長けたフェリクスを見て、助けが来たとすがってくるような女であれば、フェリクスも多少はぐっときたかもしれないのに。

 低身長と円い目が子どものような、成人して間もない娘。

 フェリクスの記憶通りの若い頃の清乃だ。

「年寄りを労れ。こっちに来てすぐユリウスにおまえの相談をされたんだ」

「みたいね。見えてるよ、ユリウス!」

 清乃が外に向かって大声を出す。

 口元に手を当てる仕草が無駄に可愛らしい。その手は絶対拡声器の役割を果たせていない。

 指摘したら彼女はきっと冷静を装いつつ、無意識のその行動を恥じらい悔しがる。

 イジってやりたい。

 フェリクスの虐めっ子心がむくむくと湧いてくる。

 他の女にはこんな感情は覚えない。女には優しくしなくてはならない。

 女性は守るべき存在。騎士の子孫たる誇りを忘れるな。

 そう、叩き込まれて育っているからだ。

 だから清乃にだけだ。彼女はフェリクスにとっても特別なのだ。

 若い頃にこの感情はまさか恋なのだろうかと考えたことはある。

 違うな、と早々に結論付けている。

 フェリクスは清乃を見て、ユリウスのように幸せに浸ったことはない。エロ目線で見ることも難しい。無理ではないがギリギリだ。

 外見が可愛らし(おさな)すぎるのだ。

 その外見を裏切る逞しさ狡猾さが面白い。小さな口から飛び出す鋭い舌鋒が愉快な気分にさせる。その防御をすり抜けてやり込めてやったら気分が良くなる。

 だけど他の人間がそんなことをするのは許しがたい。

 清乃はユリウスのものだ。そうでなくてはいけない。

 彼女は一度、別の男と結婚している。あれは仕方ない。清乃の幸せな結婚はユリウスの望みだった。だからフェリクスも心から祝福した。

 多分フェリクスは、生まれは王子だがかしずかれるよりも人に仕える騎士でいるほうが性に合っているのだ。

 フェリクスの主君はユリウス。主君のパートナーたる清乃は、仮想恋愛の相手なのだ。

 彼女には何も求めない。ただ愛と献身を捧げるのみ。

 決して触れることはない、絶対不可侵の女。


(いやまあ、フツーに触るんだけど)

 こんなふうに。

「…………っっ‼︎」

 清乃の額に掌を押し付けるようにして頭を鷲掴みにしてやると、精神感応とは別のルートから彼女の恐怖が伝わってきた。

「フェリクス!」

 離れた場所で様子を見ていたユリウスが叫ぶ。

「大丈夫だ、そこで待ってろ!」

「強引なことは……」

「するに決まってるだろ。いいから待ってろ」

 皺だらけの手を震える指で引き離そうとする清乃を押して玄関内に押し入る。

「はなし……っ」

「怖がる必要はない。……ほら、何も視えないだろ」

「………………うん」

「よし。茶でも飲ませろ。話を聞いてやるから」

「…………え。やだ。出てってよ」

「なんでだよ」

「死ぬまで愛人侍らせてたような年寄りを招き入れたくないから」

 真顔で正論。変わってない。こんな世界に居ながら。頼もしい。

 頭のカタさも素晴らしい。彼女は絶対、ユリウスを裏切らない。

「そうかよ。若ければいいのか」

「っっっ! っ‼︎」

 多分出来るな、と思ったからやってみたらやっぱり出来た。

 若返ってみた。

 出会った頃の姿になったフェリクスに危機感を覚えたらしい清乃が脱兎の如く逃げる。

 部屋の奥へ。

 素人め。自ら追い詰められる方向に進みやがった。

 いつも嫌そうに睨んでくる顔が恐怖に歪んでいる。

 他人の頭の中を視る経験が、よっぽど恐ろしかったか。いつもチャラ男だ変態だと罵っているフェリクスの頭の中なんか視えてしまったら、気が狂うと思っている。

 清乃がこんなに怯える姿は見るのは初めてのことだ。臆病ではあるが、恐怖に打ち勝つ方法を自分で考え、なんとかするのが彼女の本来の姿だ。

 震える清乃の姿は貴重だ。しっかり覚えておいて、落ち着いた頃に揶揄ってやろう。

(ナマケモノもだが、こいつウサギにも似てるな)

 追い詰めてやりたいと思うフェリクスは、さしずめ狼か。

「そう怯えるな。助けに来てやっただけだろ。ユリウスのナカが視えたのか」

「………………()えた。()こえた? コエ、文字? みたいなのが。一気に頭の中にぶわって侵入(ハイ)ってきた」

「最中か事後か」

「………………っ」

 多分清乃は今赤面している。顔色が変わる前に泣きそうになってしゃがみ込み小さくなったから見えない。

「おい、今更恥ずかしがるな。どっちだ」

「…………あとで。朝目が醒めた瞬間」

 直後ではないということか。吸収するまでにタイムラグがあるのか。それとも。

「なんだ。最中に気を()ったのか」

「………………そ、れは、なんか関係あるの?」

「いいや。まったく。ただの興味」

「!」


 どん !

 見えない何かに押されたフェリクスは、壁に背中をぶつけた。

「っお?」

「……あんたが助けてくれるかもと思ったあたしが馬鹿だった」

「おお?」

 清乃の仕業らしい。

 そうだ。彼女も狼だった。ウサギなんてとんでもない。

 怒りと羞恥に頬を赤くした彼女が仁王立ちになり、フェリクスを睨め付けている。

 PKも発現させていたのか。こちらはすでにユリウスからコントロール方法の手ほどきを受けているのだろう。

 目標を外していない。チカラが散らばっていない。

 優秀だ。

 いつもこうなのか。今は怒りで集中力が高まっているのか。

 フェリクスは手指を動かそうと試みた。動く。まだ発現して間もない弱い能力。非力な清乃が己の肉体を使うのと大差ない力だ。

 力任せに抗うことは可能そうだ。

「おい、そんなに熱い視線を向けられたら勘違いするぞ。いいのか」

 口も問題なく動く。

「どうぞご自由に。もっと熱くしようか。三百度超えるくらい」

「発火するだろ。PK保持者がそういうこと言うな」

 ユリウスなら可能なことだ。まさか清乃もすでに習得しているのか。理詰めで超能力を操りそうな女だ。ありうる。

 舐めてかかったら、格好悪いことになりそうだ。


「出てけ。コントロールのやり方はユリウスから聴いた。自力でなんとかする」

 フェリクスを壁に押し付けるチカラの向きが変わる。玄関に向かってじりじりと。

「意地を張るな。できないから引き篭もってるんだろ」

「痴漢野郎に教わるくらいなら、時間がかかっても独学する」

「ユリウスが待ちかねてるぞ。キヨとの夜がよっぽど()かったんだな。二回目を心待ちにしてる」

「っ!」

 動揺した。チカラが散らかる。

 清乃の集中力が切れた瞬間を逃さず、フェリクスは一瞬で彼女に飛びつき倒した。

 ちょうどベッドの前だった。弱い女の頭と背中を庇ってやる必要はなく、遠慮なくのしかかってその視界を片手で塞ぐ。

 勝利宣言をしようとしたフェリクスの側頭部を、視界を塞がれたままの清乃の左手が叩いた。

「っうわっこのやろっ」

 その手にはガムテープ。

「ハゲてしまえ!」

 清乃の視界を塞いでいる右手を離すわけにはいかない。

 フェリクスが条件反射の攻撃をしかけた自身の左手を慌てて止める隙に、彼女の手がフェリクスの髪の毛ごとガムテープを握り潰した。

「ほんとに抜けるだろうが!」

 この女、武器(ガムテープ)を装備するために部屋に逃げやがったのか!

「キレイに剥がす方法を知りたければ今すぐ離れろ!」



「…………前から思ってたけど、ふたり仲良いよな」

 暴れる音を聞いたユリウスが乗り込んできた。呆れ顔でふたりを引き剥がし、布団のないコタツを間に挟んで座らせる。

「どこがよ。ユリウス、なんでこんな奴連れて来たの。どこかに捨ててきてよ」

「……フェリクスならキヨを助けられる。ESPに関してはこいつに教わるのが一番なんだ」

「キヨが助けてくださいって頭下げるならな」

「こいつ助ける気ないってさ。追い出して」

「ふたりともいい加減にしろ」


 フェリクスはとりあえず清乃を特訓してみた。

 普通であれば物心つく前にする訓練である。自分の心を覗かれることを苦痛に思わないうちに、ESPの扱い方を覚えるのだ。そのため、アッシュデールの能力者は息をするように自身の能力を操る。

 それは右足と左足を交互に動かして歩く、と同じくらい自然なことだ。

 清乃は今から、新しい手足の使い方を覚えなくてはならない。

 今後もこの世界でユリウスとの触れ合いを続けたいのであれば、だ。


 セクハラパワハラのオンパレードに清乃は泣きべそをかきながら抗議し、そのたびにフェリクスは脅したり、慰めた後で嘲笑ったりしてやった。楽しかった。

 スポ根の経験なんてない清乃は何度もストライキを起こしたが、彼女を庇おうと近づいてくるユリウスに触れられないことを思い出すと情けない顔で再び立ち上がった。

 彼女は恋人と初めての朝を迎えて、その感情をまともに喰らったのだ。

 さぞかしショックを受けたことだろう。

 若い頃の純愛を、半世紀以上の時を経て実らせた男の頭の中である。ぽわっとした幸せな気持ちと同じくらいの欲にまみれていたはずだ。

 男を避けて育ち、大人になって初めて付き合った包容力のある歳上の男と結婚、だけの経験しか持たない女には衝撃が大きかっただろう。

 目を開けた瞬間に逃げられた。涙目で怯えられて焦った。

 とユリウスが気まずそうに言っていた。



 フェリクスはESP保持の先輩として、またユリウスの従兄、清乃の自称友達として教官役を引き受けてやった。

 そのおかげで清乃は、魔女の国アッシュデールの血など一滴も流れていないくせに、PKもESPも操る魔女のような存在に成長した。

 まあここ魔女の夢の中の住人となった時点で、現世の人間に魔女と呼称されるのだが。


「よかった。キヨ頑張ったな」

「うん」

 清乃は引き篭もっていた頃から毎晩夕食だけは作っていた。

 ユリウスはそれを食べに彼女の部屋に通ってくる。

 訓練中もそれは続いた。

 食べなくても別にいいんだけどな。と言いながら、フェリクスも同じ食卓を囲む。

 清乃はどれだけ罵倒の言葉を吐いても、当たり前の顔をして彼の分の食事も用意するからだ。


「今日は試すだけだ。最初は指先から確認してみろ」

 食事が終わると、ユリウスが食器をまとめて洗う。

 大昔、初めてその光景を日本で見たときには、あの王子様が、と衝撃を受けたものだが、今ではこういうものだと思うことにしている。

 改めて全員が座り直すと、フェリクスは清乃を促した。

 不安そうに恋人の顔を伺う女は、ためらいがちに右手を伸ばした。

 コタツ机の上のユリウスの指に届く前に、その手は止まった。

「大丈夫だ、キヨ。今オレの頭が視えたとしても、さっきのご飯のことしかないから」

 ユリウスも精神コントロールの訓練は受けている。ESPはなくともそのくらいはできるのだ。

 それでも手を引っ込めた清乃を見て、フェリクスはげんなりした。

「別に本番まで見守るとか言ってないだろ。手くらいさっさと触れ」

 何をもじもじしているのだ、この小動物は。オオカミなのかナマケモノなのかウサギなのか小猫なのかはっきりしろ、と言いたい。

「うるさい黙れ。あっち行け」

 恥じらっている。何故。武士の魂はどこへやった。

 なんだこれ面倒臭い。こいつまさか、ユリウスの前ではずっとこの調子なのか。

 今更少女マンガをやるな。そういうことは生きている間に、それも若いうちにやれ。

 こんな奴をどうやって感染させるところまで持ち込んだのだ。疑問しかない。ユリウスすごいな。さすが元アイドル王子。

「………………」

 面倒臭いから、鈍い奴には反応できない速度で細い手首を捕まえて無理矢理指示に従わせることにした。

 今フェリクスは清乃の教官なのだから、多少強引なことをしても問題はない。これは教育の一環だ。

 清乃の手首を引っ張り、ユリウスの額の直前で止める。

「集中しろ!」

「!」

 清乃が反射的に従ったことを確認してから、彼女の掌をユリウスの額にぺちんとつける。

「………………」

 その瞬間のふたりの様子を観察する。

 

 ユリウスが従兄に視線を投げる。フェリクスは頷きを返してやった。

 天使の顔がほころんだ。

 嬉しそうに恋人の手を取り、机を廻って抱き締めにいく。

 第三者の眼を気にしてそれを押し返す清乃。いちいち面倒臭い女だ。

「教えたことを続けてろ。そのうち呼吸するようにできるようになる」

 邪魔者は退散するとしよう。

「分かった。ありがとう、先生」

 さんざん文句ばかり言っていたくせに、律儀な言葉。

「おう」



 己の常識と倫理観に縛られ生きてきたユリウスと清乃。

 もちろんそれは、悪い生き方なんかじゃない。

 彼らのような人間がいるから社会は成り立ち、例え束の間でも平和が訪れ人は幸せを感じることができるのだ。

 自分の幸せを追求することで他人が不幸になることが耐えられない、似たようなふたり。

 そんな彼らが、自分たちの幸せだけを考えていられる場所があったっていい。

 例えばこんな、魔女の夢の中とか。

 夢の中でくらい、思う存分幸せに浸っていればいいのだ。


 しかし参ったな。

 すぐに消えるつもりが、訓練の終了を見届けないことには消えられなくなってしまった。


 さて。

 これからこの魔女の夢の中で、何をして過ごそうか。

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