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過ぎ去りし日々 ~誠吾とフェリクス~ 後編


「……俺なあ、キヨに…………、キヨを」

 元に戻った。

 気を取り直したところで、胸の痛みを思い出したのか。エンドレスだな。

 チャラ美形の苦悩する姿は初めて見る。そんなのも絵になるってどういうこと。

 さすがに憐憫を催してしまいそうだ。


 彼はようやく自分が恋を失ったことに気づいたのだ。

 案外鈍い男だ。恋多き人生を送っているように見えて、その実真剣な恋愛には不慣れなのだろう。

 そこまで似てないだろ、とは思うが、欧米人には清乃と誠吾の顔は同じようなものに見えるらしい。

 フェリクスはきっと、この顔を見ながら気づくのが遅すぎた恋を思い出し、そして忘れる儀式をしたかったのだ。多分。そういうことなのだろう。

 昔は四つ歳上の彼はすごい大人に見えていた。

 あれから何年も経った。誠吾は当時の彼よりも大人になった。フェリクスも更に大人になっているが、昔のような大人と子どもの関係ではなくなったのだ。

 同じ大人の男として、失恋した男を慰めてやるのは義務のうちに数えるべきだろう。


「フェリクスさん。もういいっすよ。飲みましょう」

「……セイ」

「もうそれ以上は言わなくていいですって」

 フェリクスは誠吾が日本酒の瓶を傾けるとグラスで受けて、なみなみと注がれたそれを一気に飲んだ。

 すごい飲み方だ。

 姉と同じく弱い誠吾には真似できない。

「…………俺、キヨの結婚式を見た日からずっと、こう胸だか腹だかの奥がモヤモヤして」

「うんうん。語りたい派なわけね。聴きますよ」

「前にもこんな想いしたことあったなと思い出して」

「ああ。一応経験あるんだ。意外」

「そんなに多くない。前のときもキヨだ。おまえたちがアッシュデールを発った日」

 惚れた女に故郷を拒否されたのがショックだったって話か。モテ男のくせに可愛いところあるじゃねえか。


「ああ……。うちの姉、ちょっと無神経でしたよね。すんません」

 もう絶対こんなところには来ない。と宣言していた。

 清乃と同じく興奮状態だった誠吾も同調していたが、好きな女にそんなことを言われる男の気持ちを、もっと慮ってやるべきだった。

「あのときもしばらくモヤモヤモヤモヤして苦しかったんだ。朝も昼も夜もキヨの顔が浮かんで、こう叫びたくなるような。分かるか、セイ?」

「あー……えっと、まあなんとなく」

 恋愛感情の暴走の仕方が思春期みたいだな、このひと。好きな女を思い出して、ひとりのたうちまわっていたのか。

 そしてその当時は、そこまでしておいて自分の気持ちに気づかなかったのか。

「ありがとう」

 素直だ。

「俺がフェリクスさんにアドバイスするのも色んな意味でおかしいと思うんすけどね。姉ちゃんみたいな男嫌いにアピールするなら、ユリウスみたく分かりやすく優しくしなきゃ駄目っすよ」

 彼女の知らないところで彼女の敵を倒したって、なんの意味もないのだ。

 夏のビーチで清乃の天敵を地に沈めた。あの姿を見せてやっていれば、違う結末もあったかもしれないのに。

 そう考えればフェリクスも、世の中の男の大半がそうであるように、不器用な奴なのかもしれない。

「それをやろうとしたときは、裏があるんだろうと警戒を強められた」

 日頃の行いって大事だ。


「……今日は朝まで付き合いますよ。明日土曜日(やすみ)なんで」

 顧問だから部活はあるけど。授業はないから、仕切りは部長に任せてテキトーにさせておけばいい。大きな試合は終わったばかりだし。たまにはいいだろ。

 可愛い生徒たちは二日酔いの顧問を嗤いながらも、その事実をその場だけの秘密にしておいてくれるはずだ。いや、無理か。あいつら言いふらすな。

 寝不足は気合で乗り切ることにして、飲むのはほどほどにしておこう。

「セイは優しいな。やっぱりキヨの代わりに」

「それは勘弁」

「なんでだよ。剣道でもいいから。一回この顔を倒させろ」

「なんでだよ」

「頼む。そうでもしないと俺、気持ちが弱る気がして怖いんだ」

 必死か。

 なんなんだこのひと。


「ちょっと待って。今なんの話してます?」

「なんの話って。さっきからずっと話してるだろう」

「だからなんの話?」

「キヨに勝ち逃げされて悔しいって話」

 あれ? 今勝負事の話してたっけ?

 違くないか?

「えっと?」

「俺が勝てない奴なんか、この世にはエルヴィラだけで充分だ」

「……ああ。ええ?」

「あいつの勝ち誇った顔を見たら、エルヴィラを思い出すんだ。おまえも弟なら分かるだろう? あの姉って生き物が、上から押さえ付けてくる理不尽さが」

「……はあ」

 おかしいな。そんな話だったっけ。

「エルヴィラの奴、俺に勝ったまま魔女になりやがったんだ。そんなのに一生勝てるわけないだろ」

「まあ多分」

 知らんけど。

「キヨが(うち)を去って落ち着いてから、自分が将来を潰されかけたことの恐ろしさに気づいたんだよ」

「姉ちゃんの話に戻った」

 比喩表現でなくリアルに将来(いのち)を失いかけていたときには、色々と気づかなかったのだろう。

 戦場を(あんな)経験をすると、こんなひとでもそうなるのだ。

 そう考えたらやっぱりうちの姉ちゃんすげえな。あの後も鉄面皮(いつもどおり)だったもんな。

 

「毎日毎日毎日キヨのことを考えた。次会ったらどうしてやろうってずっと考えてた。一応弟の前(ここ)では内容までは自主規制するが」

「良かった」

 最低限の理性は残っているらしい。

「男として通り越して人間としてヤバいことも考えた。あんまりキヨが頭から出て行かないから、もしかして今、俺とキヨの恋愛進行中なのかと考えたりもした。セイはどう思う」

 一応その可能性は考えたんだ。S界の人間だと、それが恋である可能性も生じてくるんだ。

 そうだとしたら、だいぶやべえひとだ。口に出すことすら規制しなきゃいけないような残酷なことを、好きな女にしたがるって。それ絶対すでに犯罪者になってるやつ。一回くらい逮捕歴があってもおかしくない。

「多分絶対間違いなく違うと思います」

「同じ見解なようで安心した」

 大事な大事な従弟と女を取り合うの嫌だろうからな。

 このひと多分、感情が従弟に全振りしているせいで、恋愛感情に乏しいのだ。

 そんなちょっとおかしい男と、情緒が枯れているズボラ女の間に恋が芽生えるはずがなかった。


「こっちもです」

 良かった!

 新婚ほやほやの姉に失恋したイケメンの愚痴じゃなかった!

 本当に良かった!

 そんな意味不明で面倒臭い話よりは、パーフェクト男が運動音痴の激弱女になぜか勝てない話のほうがずっと面白い!

 イケメン元王子め。うちのラスボス舐めてっからそうなるんだよ。最後に奴を倒すのはこの俺だ。


「蓋を開けてみれば、俺のESP(アタマ)がキヨの姿を勝手に捕らえるようになっただけみたいなんだけどな」

「今すごい問題発言聞いた気がするけど、俺の手に余るんでスルーしますね」

「キヨの奴。他の男のものになったら、もう手出しできないだろうが……」

 そこの倫理観はちゃんとしてるのか。

「えっと。一応確認なんすけど。姉ちゃんの結婚式からのモヤモヤって」

「キヨに何かしたらあの(おとこ)に悪いだろ。罠を仕掛けるために誘い出すのもアウトだろ。つまり俺は、キヨに勝てないまま終わったってことだ!」

 清乃は、結婚したことにより身の安全を確保できたらしい。

 義兄さんの存在にもっと感謝しろよ、と今度言っておこう。

「わー。思ってたよりちゃんとした大人だ」

「だからセイ。一回本気でヤらせろ」

 倒さ(ヤら)せろ、ね。

 激弱な女に対する仕返しに拳を使うわけにいかないから、代わりにその弟を倒してスッキリしたいわけね。

 誠吾が今直面しているのは、貞操じゃなく生命の危機なわけだ。

 マジかあ。

「じゃあ今日はこのへんで切り上げて、明日中学校(うち)来ます?」

「部外者が校内に入れるのか」

 ああ。外国はそのへん厳しいのか。

「俺今、英語教師兼剣道部顧問なんで。知り合いの外国人が日本の剣道体験に来たって言えば大丈夫。行儀良くしててくれるんなら、国際交流って歓迎されます」

「剣道体験」

「まあアホな中学男子ばっかりなんで、フェリクスさんみたいなかっこいい外国人見たら喜びますよ」

「行く。俺たまにニューヨークの剣道道場通ってるんだ。昔のセイの動きが気になってな」

 やっぱりこのひともアッシュデールの男だ。

 格闘バカ。


 誠吾は、もう一生会うことがないであろう顔を思い出して、少しだけ感傷的な気分になった。

 あいつも、あんな細い身体をしてひと通りの格闘技は身につけていると言っていた。

 ほんとかよ。と誠吾は適当に笑うだけだった。

 本当よ。大変なんだから。そう言って彼女は頬を膨らませていた。

 もっと色々なことを体験させてやればよかった、と少しだけ後悔する。

 決められた世界で生きる以外の選択肢がなかった彼女に、竹刀を持たせてみたら面白いことになっていたかもしれない。

 そんなことをしていたら、もう少し彼女を理解してやれていたかもしれない。

 そうすれば、彼女は黙って誠吾の前から姿を消すこともなかったかもしれない。とそんなことまで考えてしまった。

 すべてはもう、かもしれない、のまま終わってしまったのだ。



「へえ。じゃあ普通に稽古参加していけばいいじゃないすか。中学生っても三年はそこそこやりますよ」

 誠吾とて、黙って倒さ(ヤら)れる気はない。

 剣道場の中では、フェリクスにだって負けるつもりはない。

 本来であれば雑念を持ち込むべき場所ではないのだが、明日は姉の分も含め、不快なデコちゅーの仕返しをしてやろう。

「楽しそうだ」

 余裕でいられるのも今だけだ。

「そういうことなら、もう帰りますか」

「車はどうするんだ」

「代行呼びます。ホテルどこです? 通り道なら乗っていけば」

「すぐそこだからいい。セイもついでに泊まっていかないか」

「遠慮しときます!」

 イケメンの流し目こええよ。なぜ今ちょっとフェロモン出した。

 酔ってるからか。まさか今、誠吾が清乃に見えてるんじゃないだろうな。

 小さくて子どもみたいだから女として見れない問題が解消された清乃。やべえ。やられる。

 貞操も生命も大事にしたいから、とっとと帰ろう。そうしよう。





「……なあ。フェリクスさんって姉ちゃんのなんなの?」

 まさか死後もこうして絡んでいるとは。想像もしていなかった。

 若い姿の清乃とユリウスが恋人然として寄り添っているのもそうだが、それをフェリクスが満足気に眺めていることに誠吾は衝撃を受けている。

 このひとはいつまで清乃に付き纏っているつもりなのだ。

 彼女がユリウスの隣にいるから仕方ないのか。つまりこのままずっとストーカーやり続けるつもりということか。

「なんなのって何。なんでもな……くはないか。誠に遺憾ながら、こちら現在わたしの先生です」

「先生だと思ってるんならもっと敬え」

「敬ってるでしょ」

「どのへんが」

 低レベル。昔と変わらない。

「……姉ちゃん、フェリクスさんからなんかされてない?」

「なんかって何」

 誠吾がせっかく小声になったのに、清乃は普通に喋る。意味がない。

 フェリクスも気づいてニヤニヤしている。もういい。開き直ろう。

「なんか。男として通り越して人間としてヤバいこととか?」

 魔女の夢の中では、死んだように見えても翌日には再生する。すでに何度か殺られていたとしても、見た目には分からないのだ。

「そんなのあいついっつもしてるでしょ。今更なに」

「確かに」

 どうやらフェリクスは、自制することに成功し続けているらしい。

 何故か自分が勝てないオンナ、ではなく、従弟の彼女イコール義従妹、の意識のほうが強くなっているということか。


「……セイ」

 清乃たちから少し離れた隙に、フェリクスが声をひそめた。

「はい?」

「おまえな、ここに残ることに決めたなら、自分の軸をちゃんと決めて、その上で他の連中、キヨでもユリウスでも俺でもいい、と関わりを持ち続けろ」

「? 自分の軸」

「おまえはなんのために魔女の夢に囚われることにした」

「……ミカエルのそばにいるためです」

 これまで存在を知ることのなかった、もうひとりの息子。

 誠吾は三人の子を大事に育てたつもりだ。

 彼らへ注いだ愛情を、今更だがミカエルにも同じだけ注ぐ義務がある。生きている間にその権利は与えられなかったが、今はミカエルが誠吾を父と呼ぶ。権利を与えられたということだ。

「それでいい。それなら絶対にミカエルを見失うな。あいつが消えたら、セイも必ず消えろ」

 魔女の夢の中、異界のことわりか。

「分かりました」

「だけどミカエルだけ見てたら壊れるからな。俺たちの基本は人間のままだろう。他の連中とも関わって、精神のバランスを取れ」

「はあ」

 魔女の心得というより、人間としての話か。

 確かにふたりだけの世界という閉塞的な環境は、ヒトの精神を破壊しそうだ。

「ユリウスが少しヤバかったんだが、キヨもおかしくなりかけてた」

「へえ?」

 清乃はそういうのには強そうだが。

「俺がこっちに来てすぐの頃だ。自分ひとりの世界に閉じこもって、周りをシャットアウトしようとしていた。まあ防衛本能が働いたんだろうが」

「それ、奴の通常運転な気が」

「分かってる。それが行き過ぎてたって話だ。キヨがそうなったら、自動的にユリウスも壊れる。気をつけてやってくれ」

「……はい」


「本当はこんなところに居座るべきじゃないんだ。壊れる奴が出てきたら、俺は必ずそいつを現世の魔女の前に突き出すと決めてる。そうすれば、そいつは地獄のような苦痛の中、無理矢理消滅させられるだけだ」

「……つまりフェリクスさんも」

「ああ。頼んだからな」

 フェリクスはそのために誠吾にこの話をしたのか。

 自分が壊れたら、すぐに消してくれと。

「覚えておきます」 

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