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過ぎ去りし日々 ~誠吾とフェリクス~ 前編

王子様と過ごした日々69話の数日後の話です。


「おう。来たか」

 人種どころか生物としての分類からして違って見える男が誠吾に向かって片手を挙げる。

 サル目ヒト科の誠吾とは違う、王目王子様科。個体識別名はフェリクス。


 理科の先生の手伝いをしてきたせいか、変なことを考えてしまった。

「来ましたけど。あ、生ひとつお願いします」

 フェリクスは当然、自分の容姿が目立つことを自覚している。

 人に見られながらでは落ち着かないからと、半個室のある居酒屋を密会場所に指定してきた。

「キヨに怒られるぞ」

 先に飲み始めていたフェリクスが、切れ味の悪い揶揄いを投げてきた。

「俺もう二十五っすよ……ってはいっ免許証」

 二十代に見える客は年齢確認しろ、と教育されているのであろう店員に身分証を提示する。

 誠吾が成人したくらいから社会の目が厳しくなったらしい。居酒屋で年齢確認されるのには慣れている。

「ほんとにおまえたちは」

「もうそのネタ飽きました。日本基準ではフツーの二十代っすよ」

 実のところ誠吾は日本でもまだ学生に間違われるが。ひどいときには、中学生(せいと)に交ざると区別がつかん、と先輩教師に言われたりもする。

 フェリクスが楽しそうに目を細める。相変わらずかっこいいな。

 このひともうじき三十になるんだっけ。昔のチャラチャラした軽薄さがだいぶなりを潜め、その代わりに落ち着きを纏っている。かっこいい。

 頬が熱くなりかけた。危ない。とりあえず飲もう。赤いのはアルコールのせいだと言えるように。

「そうか。確かに大人だ。立派な社会人になったな」

 ラフな格好で出勤したら、おまえ何年だよ制服着ろよーと生徒に揶揄われる。だから誠吾はスーツか、それに準じたなるべくカチッとした格好で学校(しごと)に行く。

 仕事帰りの今はスーツのままだ。社会人に見えるのは当然である。

 ジャケットを脱いでネクタイを緩めると、ようやく一日を終えられる心地がした。

「きょーしゅくです」


「なあ。俺がキヨよりセイのほうが好きだって知ってたか?」

 唐突な告白。なぜ。

 このひといつから飲んでんだろ。酔いが顔に出ない酔っ払いはタチが悪い。

「今日俺口説かれるために来たんすか?」

「キヨは抱けない。無理」

 なんの話だ。聞きたくねえ。

「じゃあ、あのセクハラの嵐は一体」

「ただのハラスメント。キヨが一番忌み嫌ってたジャンルだろ」

「うわあ」

「セイならイケる気がするんだよな。サイズ感もちょうどいいし」

 欧米女性の平均身長な。くそ。バカにしやがって。

 イケメンが正面で頬杖をついて口説いてくる。なんだこの地獄。

「フェリクスさんがあと三十センチ小さくなって凹凸があちこち修正されたら、気持ちに応えられたんすけど」

「キヨより素直で可愛いしなあ」

「よく言われます」

「試してみるか」

「そろそろ逃げていっすか」

 フェリクスの目が据わってきたのが本気で怖くなってきた。

 何これ。貞操の危機的なやつ? 車に竹刀取りに行っていいかな。まだ少ししか飲んでないから、泥酔一歩手前のフェリクスになら勝てるはずだ。

「もう少し付き合えよ。だっておまえ、おまえの姉……キヨが」

 ヘラヘラ笑っていた口元が一文字になる。

(お?)

「…………キヨ」

 その先に続ける言葉が見つからなかったのか。

 つい先日別の男と結婚式を挙げたばかりの女の名を呼んだ男は、拳を額に当ててうつむいた。

(おお? ……っていうかえええええ?)



 誠吾とフェリクスはそう深い付き合いではない。

 このイケメン外国人は、姉の友人の親戚として誠吾の前に現れた。

 友人と呼ぶには遠過ぎる。顔を合わせたのは高校生の頃に数えるほどだけしかない。

 格好良いな、とは思っていた。

 長身美形、頭が良くて喧嘩も強くて統率力がある王子様。当たり前のようにモテて、スマートに女性と遊ぶ。薄ら寒いくらいに完璧な男だ。普通に憧れる。

 それと同時に、危険な存在だと警戒もしていた。今も少ししている。

 他人の精神に感応する超能力。それももちろん危険だが、この男はやることがやばいのだ。

 未遂に終わりはしたが、まだ学生だった清乃を攫って襲おうとした。端的に言えば犯罪者だ。

 性犯罪被害者になりかけた姉は自力でエグい反撃をして、このデカい男を撃退した。

 そのため、喧嘩しただけ、お咎め無し、という結末になってしまった。

 従兄を大切に想う友人を守るため、清乃が強引にそうしたのだ。

 いや、それやべえだろ。

 誠吾はずっとそう思っている。

 思ってはいるが、フェリクスと清乃の関係に口を出す気はない。


 この男は、姉の理解者だ。

 同じものを大切に想い、同じように護りたいと思っている。

 清乃はユリウスにはフェリクスが必要だと思っているし、フェリクスはユリウスのために清乃をアッシュデールに引き込もうとしていた。

 その能力には雲泥の差があるはずなのに、何故かいつも同レベルにやり合っていた。

 あそこ仲良いよな。

 今はもう会えない友人たちもよく言っていた。


「えええっと。今日はどういったご用件で」

 マジかよ。

 このひとついこないだ言ってたじゃん。

 実は好きだったって言ったら面白いんだろうけどな。

 清乃の花嫁姿を見ながら。嬉しそうなカオで祝福してたじゃん。

 たった今、女に見えない抱けないっつったじゃん。

 今更そういうのやめてくれよ。

(そもそも俺ら、そんな関係じゃなくないか?)

 そんな親しくなかったよな? 失恋? しちゃったの? 意味分からんけど仮にそういうことだとしてもだ。本人(あいて)の弟に愚痴るとかおかしいだろ。ましてや身代わりにしようとするとか勘弁してくれ。

「昔話に付き合え」

 やだなあ。やだなぁあ。

「……あのう、その相手は今お付き合いしてる方とかにするわけには」

「女に女の話をするわけにいかないだろ」

「弟相手っていうのもどうかと思うんすけど」

 なんなの? 仕事帰りに昔の知人と一杯やって気持ち良く帰るだけのつもりが、慰めなきゃなの?

 あんなのよりいい女は世の中にいっぱいいるって! って言わなきゃなの?

 そんなこと、このひとのほうが実感としてよく知ってるだろ。


「おまえの姉はだな」

 はじまっちゃったよ。

 一族揃って黙って行方をくらまして、何年も経ってからふらっと現れて、呼び出したかと思ったら勝手に語りはじめる。

 なんて身勝手な王子様、じゃないんだっけもう、元王子様。

「はあ」

「小さい」

「知ってる」

 日本基準では標準の範囲内だが。欧米人には気になるサイズらしい。

「カワイイよな」

「ひとの趣味はそれぞれっすよね」 

 多分このひとたちは一族全員が美形なせいで、美醜の基準が少しズレているのだ。

「俺一回あいつのハダカ見てるんだけど」

「何してんだよ」

 マジで。ひとの姉貴に何してくれてんだよ。そして何されてんだよあの(ヤロウ)

「小さい女の子だから、ちょっと脅してやれば降参するだろと思ったんだよ」

「リアルな犯罪史聞きたくねえ」

「躊躇なく冷水シャワー浴びせられて、あ、これ真冬の話な、びっくりしたんだよ」

「俺はあんたにびっくりしてるよ」

「一般人の女が初対面の男相手に反射的に反撃できるって普通じゃないだろ」

「初対面それかよ」

 清乃がフェリクスに必要以上にトゲトゲしていた理由が分かった。ファーストインプレッションがそれなら、基本事なかれ主義な彼女がこの男を敵認定するのも無理はない。

「うっかり撃退されて、まず驚くだろ」

「俺はあんたに」

 最後まで言うのも面倒になってきた。以下略でいいか。

「翌日半裸の俺見て嫌なカオするからまたびっくりだ」

「うちの姉ちゃん何されてんだ」

「俺カオとカラダには自信あったんだけど」

「うわあ」

「普通の女なら下心見せて赦すとこだろと思ったんだけどなあ」

「うわあ……」

 このひと意外と世間を知らないのな。世の中そんな女だけじゃないはずだ。

 その頃の清乃は男っ気ゼロの女子大生、痴漢男のハダカなんか見せられたらそれはキレるだろう。

「ちょっと強引なことしたら正確に鳩尾に蹴り入れてきやがるし」

「ちょっと強引に何したんだよ」


 誠吾が把握していたよりも酷いことをたくさんしていたようだ。

 このセクハラ常習犯元王子による、ほぼ犯罪史な清乃メモリアルはいつまで続くのだ。

 失恋男うぜえ。

「あのときなんか、邪魔が絶対入らない場所だったんだぞ。自分の腕の中で泣いてる女を慰めて緊張をほぐしてやって、これもう落ちたな、ってとこまでいったのに」

「あのときって、それあのときの話? さすがにキレますよ。俺一応アレの身内っすよ?」

「セイの相槌が気持ちいい。さすが弟だな。酒が美味い」

「黙れ犯罪者」

「昔も言ったけど、本当に俺何もしてないからな。これだけ」

「え。うわっこっち来んな。再現しなくていい!」


 フェリクスが向かいの席から通路を通って無理矢理誠吾の隣に座った。

 酔っているくせに強い力で抱き寄せられた。身長差から生じる腕力差に抗えない。

 くそっこのひと無駄にいい匂いするな。なんだよこれ。香水? いい男のいい匂いなんか、こんなゼロ距離で嗅ぎたくねえ。

 しかもデコちゅーまで。最悪。相手が美形でもちっとも嬉しくない。最悪。

 これ駄目だ。警察呼ぼう。お巡りさんに捕まえてもらおう。でも抵抗されてお巡りさん怪我しそうだな。騒ぎになって学校(きんむさき)に知られたらヤバいから、我慢するしかないのか。

 被害者泣き寝入りかよ。男だって恋愛対象でない人間にちゅーなんかされたら嫌なんだよ。清乃の気持ちが分かる。これは仕返ししたくなる。


「これだけだ。本当にこれだけ」

「だけってあんた」

 フェリクスにとっては、だけ、なのかもしれないその行為が、清乃の逆鱗に触れた。

「だけ、だろ。去勢されるには理由が足りない」

「……それに関しては、どっちの味方すればいいか分かんねえ」

 襲われた清乃(みうち)か、同じ(じゃくてん)を持つフェリクスか。

 清乃は帰国前、中国語で書かれた古い本の挿絵を見せて、いかにしてフェリクスを撃退したのか誠吾に語った。

 子ども泣きして油断させたところに一撃。思ったよりチョロい奴だったわ。

 そんなことを言っていたが、やっぱり多少は怖い思いをしていたのだ。

 何もなかったけどムカついたから、この武勇伝をあんたの愉快な仲間たちにも広めてきてよ。置き土産にチャラ王子のダサい話広めてから帰ろう。今なら名誉毀損とか言われる心配もないから。

 なのに、フェリクスに周囲からの同情を集めてやった。お咎め無しでも仕方なくね? という空気を作り出した。

 気遣われた本人は、そのことをまったく喜んでいなかったが。


 そうだ。

 多分あの後からだ。フェリクスが清乃を特別視するようになったのは。

 それまでは、自然体で彼女を下に見ていた。彼にとって人類の大半がそうであるように、彼女のことも取るに足らない者と認識していたはずだ。

 だが、ひ弱な女にしか見えないラスボスの本性を垣間見て、頼もしく思った。こいつになら大切な従弟を任せられると考えた。

 それと同時に、自分も惹かれてしまったのだ。

 多分。知らんけど。チャラいエスパーの考えることなんか。


「……今だから言えるが、俺あれからしばらく使い物にならなくなったからな」

「…………ご、ご愁傷様です」

 清乃が聞いたら、拳を高く掲げて勝利宣言しそうだ。

 ついでに高笑いと共にフェリクスの肩、は高すぎるから、ちょうどいい位置にある腹か腰を叩くくらいのことはするんだろうな。

 タッチのチャンスじゃねえか、失恋男。あの女の前でその話してやれよ。

「一日に何度も喪失感に襲われて、そのたびにちゃんとついてるか確認する日々が続いた」

「……ちなみに今は」

「心配ありがとう。時間はかかったが完全復活した。今の相手からの不満は聞いたことがない」

 それはよかったな。こっちには彼女なんていないけど。ちくしょう。

 精神的去勢事件以降、せっかくのイケメンに三枚目キャラが付け足された気がしていたのは、多分誠吾だけではない。

 自業自得だけど。

 失言してカタリナにしばかれたり、彼女に加勢するマシューにもシメられたり。海辺の別荘のバルコニーで尻を出して日光浴しているところを清乃に目撃されて、汚物扱いされたり。それを知ったユリウスに殴られたり、信者であるはずの少年たちにまで説教されたりしていた。

 あの海のバイト旅行、色々あったけど楽しかったなあ。


「とりあえず席戻ってくれます? 狭いんで」

 促すと、彼はあっさりと向かいの席に座り直した。やっぱり狭いと思っていたらしい。

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