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夢の中 ~誠吾とユリウス~ 後編


 ユリウスの我が物顔の案内で室内に踏み入ると、部屋の奥にあるベッドに、小さな老婆が座っていた。

「……って身体的な問題か」

 身体の問題で動くのが億劫だったのか。

「たまにこうなるんだ。昨日セイに会って、現実の世界を思い出したんじゃないかな」

「…………誠吾」


 弟を見上げる清乃の視線はどこか定まらないものだった。

「よう。その前期高齢者のカオ、久しぶりだな」

 七十歳頃だろうか。年寄りではあるが、頭も体も元気だった頃。

 清乃がアッシュデール移住を決めた頃の姿だ。

「……うん。あんたはいつまでも若いね」

「まあな」

 ユリウスが慣れた手付きで部屋の中央にあるコタツ机にお茶のセットを用意した。

 カップはひとつ。誠吾たちに出したわけではないということだ。

 彼らは恋人同士というより、祖母と付き添いの孫のように見えた。

「キヨはのんびりしてなよ。オレはセイとミカと外に出てくる」

「うん」

 頭も体も元気な年寄り。

 七十前後の清乃はそうだったはずだ。だが一時期、そうでないときもあった。彼女は、そのときの顔をしていた。

 誠吾とミカエルはユリウスに促されて部屋を出ると、階段を降りて元の部屋に戻った。


「キヨがああなるのは、コータを思い出してるときだから。今のキヨはコータの奥さんなんだ」

 なんでもないことのように、ユリウスは自分の恋人の状態を説明した。

 結婚歴がある者同士の恋愛だ。

 どちらとも、嫌いになっての離婚ではない。たまたま配偶者と死別したために成立した恋愛関係である。

 亡くした夫や妻を想う瞬間だってあるだろう。ただの元カノ元カレを思い出す瞬間がある人だって珍しくないのだ。

 この世界ではその気持ちが、外見に表れてしまうから隠せない。

 ユリウスはそんな清乃を思い遣り、その間は恋人として振る舞うのを遠慮している。


「キヨ伯母さんがうちに来てくれたの、あれくらいの頃だったよね」

「……姪が言ってた。ミカがお母さんを気にかけてくれるから大丈夫だ、って。もしかしてミカってミカエルのことか」

 美香とか美佳子とか、そういう名前の日本人がアッシュデールに住んでいるのかと勝手に考えていた。 

 清乃みたいな人間が他にもいたのか、その女性は魔女狩りに協力することを選んだのか、と。

「うん。キヨ伯母さんに初めて会ったのは、ケンジが赤ちゃんのときだったかな。従弟妹はふたりとも仲良くしてくれたよ」

 誠吾の知らないところでそんな交流があったのか。そんな昔から。

「ごめん、セイ。キミには黙っててって、オレがキヨとコータに頼んだんだ」

 それは感謝すべきことなのだろう。そのおかげで、何も知らないまま、誠吾はそれなりに平和で幸せな家庭を持てた。

「ああ、あああの、ユリウス。オレ」


 ユリウスは清乃のこととなると、逐一誠吾に許可を求め、彼女に何かあると、自分のせいでなくとも謝罪するような男だった。

 彼は親には黙ってろと言う清乃の希望を尊重し、その代わりに弟に仁義を通そうとしたのだ。

 誠吾は今まで、ジェニファーのことを知らぬ振りをしてきた。誰にも何も言わず、彼女とのことは無かったこととして生きていた。

 ジェニファーは、誠吾の知らないところで彼の子を産み育ててきた。

 兄であるユリウスの元で。

「どうした、セイ。顔色が」

 悪いぞ、までユリウスが言うのを待たず、誠吾はその場で両膝を突いた。

 正座の姿勢から、勢いよく頭を下げる。


「わたくしの身勝手な行為により、多大なるご迷惑をお掛けしました! 妹さんに対する不誠実、言い訳の仕様もございません。誠に、誠に申し訳ございませんでした!」


 土下座である。

 この場では正しい姿勢だ。

 謝って済む問題ではない。だが、謝らないわけにはいかない。

 誠吾には、謝ることしかできない。

「わー。お父さん本物の武士みたーい」

「こら、茶化すなミカ」

「……今更、と思われるのは分かってる。もし、もし今俺にできる償いがあるなら、なんでも言ってくれ。なんでもする」

「セイやめろ。立って」

 誠吾がのろのろと立ち上がると、正面にキラキラの笑顔があった。

「……ユリウス、俺」


 目の奥に火花が散った。

 成人男性にしては小柄な誠吾の身体が、部屋の隅まで吹っ飛んだ。

 殴られた。

 殴られる、と直前で気づいたが、誠吾はそれを避けることも防御することもしなかった。


「ジェニファーから話は聴いてる。セイに非は無いと結論が出たから、キミには知らせなかったんだ」

 握った拳を開き、ユリウスは誠吾に手を貸して再び立たせた。

「……でも」

「今のは、それでも収まらなかった男親の気持ちだ。父はもういないから、代わりに殴らせてもらった」

 各種格闘技を修めた長身の男の拳はかなり効いた。立てたのが不思議なほどだ。

 娘を孕ませてバックレた男に対する親の怒りとしては、足りないくらいだろう。甘んじて受けるしかない。

「気が済むまで殴ってくれ」

「もういいよ。今のでその話はおしまい。それより、血縁上はミカはキミの息子かもしれないが、この子はオレの子と思って育てたんだ。迷惑とか言ったら、次は蹴るぞ」

「! ……ごめ」


 誠吾が無意識の失言を謝ろうとするのを、ミカエルの笑い声が遮った。

「そうそう。伯父さんも結婚前だったからね。僕のことキヨ伯母さんとの子に見えたみたいで、溺愛してくれたからね」

「ミカ、それ誰にも言うなって言ったろ」

「気持ち悪いから?」

「そうだよ!」

 一緒に笑っていいのか分からない。

「もう笑えばいいよ、セイ。うわ、血。垂れてきたぞ。そこで吐いてこいよ」

 ユリウスは笑いながら誠吾の背を押して、洗面台まで誘導した。

 歯は無事だったようだ。絶対折れたと思ったが。そうは見えなかったが、手加減されたのか。

 血を吐き出してから口をすすぐ。何度か繰り返して血の色が薄くなってから、誠吾はすぐそこに立っているユリウスを見た。



「このカオ、治るまで姉ちゃんに見せないほうがいいな」

 清乃に、ユリウスに対する悪感情を持たせたくない。

「寝て起きたら治ってるよ。こっちに来てから、まだ怪我とかしてなかったか。すごいな」

「……ああ。俺もう人間じゃないんだっけ」

「そういうこと。セイ」

「ん」

 切れた口内を気にしながら軽い反応を返すと、ユリウスが真面目な顔になった。

「オレのことも、殴っておくか」

 その美形面をか。冗談じゃない。

「なんで」

「今まで黙ってた。もう何十年も、キヨをうちの仕事に巻き込んでる。死後にまでこうして」

 その話か。それこそ今更だ。

「俺には関係ない。姉ちゃんが自分でやるって決めたんだろ」

「でも」

「姉ちゃんが日本を離れるって聞いたときから気づいてたよ。アッシュデールに移住するなんて、他に理由ないだろ」

「……だよな。でも、それだけじゃなく。ジェニファーがキミまでこうして、というか学生のときにも。迷惑をかけた」

 美少女が、モテない男子学生に抱いてくれと迫った話か。


 懇願に、理性が負けた。流された。

 そのことを理由に黙って殴られたのは、誠吾が男だからだ。 

 過去に関係を持った女性が妊娠していた。そのことを知らずに、呑気な人生を送った。

 その経緯にどんな理由があろうと、女性の家族には相手の男(せいご)に怒りを向ける権利がある。

「最初は驚いたけど、俺はミカエルに会えて良かったと思ってる。あいつ…………ジェニファーさん、がこっちに来たら、過去のことはちゃんと謝るし、ここに送ってくれたことに感謝もする」

 この世界から去る方法を探していた。だけど初対面の息子を置いて逃げることは許されない。

 誠吾は、この世界にとどまることを決めた。


 ユリウスが少し驚いた顔になって、それから微苦笑する。

「……セイはやっぱりかっこいい。オレもハカマ着て剣道やりたいな」

「教えてやろうか」

「お父さん、僕もやる!」

「よし。姉ちゃんにもやらせるか。ここで暮らすんなら、多少は動けたほうがいいだろ」

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