夢の中 ~黒い死神~ 後編
(死神? これが?)
違う。
これは武士だ。
裾が広がった異国の服というのは袴のことだったのか。
左腰に日本刀。
鞘走らせた刀の残像が見えた。
騎士の上半身は鎖帷子で守られている。日本刀は効かない。
だから彼の狙いはもっと低いところ。長身で脚が長い相手の下半身を狙うのは難しくない。
彼は短身を更に低く沈めて相手を驚愕させた。
騎士が知らない動き。
だが伝説と謳われた騎士はそれに反応した。
即座に跳び退き、それと同時に体勢を整える。剣を抜く。
強敵に対する備えが瞬時に完成した。
清乃はそれらの動きをほとんど知覚できていない。
ただ止めなければ、それだけの思いだけを持って、息を吸い込んだ。
「やめ‼︎」
黒髪の後ろ姿が一瞬で眼前に迫り、清乃の視界を塞いだ。
再び体勢を崩す彼女に、その場の全員が反応した。
紅い竜が攻撃の予備動作をとる。
抜剣したフェリクスが紅い竜の前に飛び出る。
清乃の後ろに瞬間移動したユリウスが、身体を張って転倒を防ぐ。
清乃はユリウスに支えられながら、噂の人物の背中に声をかけた。
「……あんた、なんでここに」
武士は後ろを振り返ってから、刀を鞘に収めた。
しかめっ面の弟が、清乃を見下ろした。
何故、誠吾がこんなところに。
家族を巻き込みたくなかった。
清乃はそのために、子どもが独立、夫を亡くしてからアッシュデールに渡ったのだ。
アッシュデールの事情を知る唯一の誠吾にも、清乃が何をしているか伝えないまま異国で生涯を終えることを選んだ。
彼が魔女の夢の中の住人になる理由なんてないのに。
「ちゃあーん!」
その場に割り込んできた幼い声に、清乃の頭に疑問符が浮かんだ。
「……ん?」
ちゃん、だと?
「ダイ!」
笑顔になった誠吾が、飛び込んできた子どもを抱き留める。
ダイ? なんだその中途半端な名前。
「え?」
ユリウスも中途半端に固まっている。
「ほら、キヨノさん。会えたでしょ!」
「そうだな。おまえほんとすごいな。助かった。ありがとう」
二十歳前後に見える誠吾に抱き上げられたミカエルが嬉しそうに笑っている。
黒い死神。
子連れ。剣の達人。黒髪黒目。異国の衣装。
すべての条件に合致する人物に出会ってしまった。
誠吾とミカエル、混乱している清乃とユリウス、フェリクスを観察していた竜が、その場をまとめた。
「とりあえず死神殿、お連れの御子も一緒に我が城へ招待しよう」
こんな奴をもてなす必要なんてありません。
清乃の言葉に、古城の空気に呑まれた誠吾も賛成する。
うち小作人の家なんで。どうかお気遣いなく。さっきはすんませんした。鈍い姉の動きがおかしいせいで勘違いしちゃって。
姉弟の主張に、紅い竜は城内に案内することを諦めた。ここでいいか、と城門近くのベンチに腰掛ける。
自分はこのままで、と誠吾はベンチの向かいに立ったままだ。へらっとはしているが、警戒を解いていないらしい。
六歳の外見のミカエルはにこにこして誠吾にくっついている。
「ちゃん、コサクニンって何?」
「おお。日本の言葉だから分からんよな。畑や田んぼを借りて耕す人。俺のご先祖様。多分だけど」
「へええ。ちゃんのお父さんって農家の人だったの?」
「いや。フツーのサラリーマン」
「ちょっと待て」
紅い竜に目線で断りを入れてから、清乃はようやくふたりの会話に突っ込んだ。
藍色の剣道着の誠吾と、彼に抱っこ抱っこと甘える同じく剣道着姿のミカエルが振り返る。
(やっぱり似てる)
「誠吾。ちゃん、ダイ、って何。あんた何遊んでんの」
「え、そこから?」
ユリウスが横から突っ込んでくる。ツッコミに対するツッコミなんて不要だ。黙ってろ。
「何って言われても。なんか危ないとこに来たみたいだから、とりあえず備えようと思って着替えたら、この子が自分も着たいって言うから。昔の道着を実家の奥から引っ張り出して裾切ってなんとか着せてやったの。そしたら意外と似合うじゃん? 話聞いたら自分には母親しかいなかった、パパって呼んでいい? って言うから。それはどうかと思って、ちゃん、なら有りかなって」
乳母車なんかないから手押し車に乗せて遊んだりもした。
楽しかったー! とミカエルが手を挙げる。
なー、と誠吾。
仲良しだ。いつの間に。
「……ミカエル?」
「ミカエルって大天使の名前なんだよ、って教えてあげたら、ちゃんがじゃあおまえはダイだな、ぴったりだって」
「…………誠吾」
何も知らない異国人相手になんつー遊びを。
姉からの冷たい視線を受け流して誠吾が適当に笑う。
「別にいいだろ。この子も楽しんでた。なー、ダイ」
「ねー」
息ぴったりだ。親子というには年齢が近すぎる。どちらかというと歳の離れた兄弟だ。
清乃、ユリウス、フェリクスの三人は何を言えばいいのか分からず黙ってしまった。
「姉ちゃんが死んだ、その後ユリウス、フェリクスさん、って順番に訃報が届いて。ふたりの葬儀には行けなかったけど、そっかあ俺もそろそろかなって思いながらまた何年か経ってようやくくたばりかけたところに、あの暴走魔女が現れたんだよ」
「ジェニファーが?」
暴走魔女の兄ユリウスが一応確認する。
「そー。あいつまだ生きてるのな。あいつが俺をここに放り込んだんだろ。あの子に会ってあげて、とか言って。わけ分かんねえ。どうすりゃいいか迷ってとりあえず飛行機に乗るかと思ったところにダイが来て」
「ねー。キヨ伯母さんを探してるって言うから一緒に来たの」
「ここに来るまで大変だったんだぞ。錯乱してる魔女に会うは、魔女狩り集団に遭遇して巻き込まれるは」
「ちゃん、すごくかっこよかった! すっごく強かった!」
目をキラキラさせるミカエルの頭を、誠吾がそうかそうかと撫でまわす。
……仲良しだ。
「…………えっと。セイ。ジェニファーの言ったあの子、っていうのは多分」
「ユリウス知ってんの? その子に会ったら、俺あの世に行ける?」
「………………その子」
「え?」
「キミが抱いてるその子。ミカエル。ジェニファーとキミの息子だ」
固まった誠吾の腕から、ミカエルがするりと降りる。
今度は清乃に甘えに来た。わざとらしい上目遣いは伯父似だ。可愛い。
「ミカ、何も言わなかったの?」
清乃は仕方ないなあと腹の高さにある黒髪を撫でた。
「だって。言ったら嫌われちゃうかと思って」
「そんなこと……!」
誠吾が反射的に否定する。
「本当?」
見上げる青い瞳に、同じ形をした黒い瞳が怯む。
「…………え? ちょっと待てよ。だって、え? 俺? の? ジェニファー、の?」
「心当たり、あるんでしょ」
誠吾の女性関係は派手なものではなかった。数少ない女性と真面目な交際をし、最後に付き合ったのが結婚相手だ。彼女は清乃をお義姉さん、と呼んで当たり障りのない親戚付き合いをした。
彼女もまさか、夫に隠し子がいるとは考えたこともないだろう。
知らないほうがいいことも世の中にはある。生前の清乃は、ユリウスとの約束通りミカエルの存在を口外しなかった。
弟の家庭は、最後まで平和そのものだった。
「こっ、ころあたり、って。そんなの無っ、な……?」
「あたしも弟にこんなこと言いたくないけどさ。百パーセントの方法なんて存在しないんだよ」
「ひゃくぱー……」
「あるんでしょ。心当たり」
清乃が淡々と弟を追い詰める。
誠吾がその場にしゃがみ込んだ。
フェリクスは微妙な表情だ。微妙な同情心を、項垂れる誠吾に寄せる顔をしている。
何十人、下手したら三桁人の女性と関係を持っていたであろうフェリクスは、そういった騒動とは無縁のままだった。
交際人数の少ない誠吾に婚外子がいる。世の中分からないものだ。
「……やっぱり嫌いになった?」
ミカエルの小声に、誠吾ははっとしたように顔を上げた。
「養育費……!」
そこか。
まあ仕方ない。庶民が一番に考えるべきことだ。
「セイ、それは気にしなくていい。彼の祖父は一国の王だ。金には困らなかった」
学生だった誠吾のアルバイト代など、送られても、な家だ。
「……おれ……ダイ……ミカエル? …………どうしたら」
蒼くなった誠吾の肩を、それまで黙って事の成り行きを見守っていた紅い竜が叩いた。
「とりあえずついて来なさい」
紅い竜は誠吾を広場に連れて行った。
城主に木剣の用意を命じられたハリボテが、西洋剣形の木剣を二本持って来る。
誠吾は勧められたそれを茫然としたまま断り、自前の木刀を構えた。
「ミカは今までずっと誠吾と一緒にいたの?」
紅い竜と誠吾、異流派の試合を眺めながら、清乃は隣に座るミカエルに訊ねた。
「うん。血が呼んだって言って分かるかな。セイゴさんがこっちに来たのが分かったから、多分お母さんが送ってくれたんだろうと思って。それならもう会ってもいいかなって」
「そっか。教えてくれたら良かったのに」
清乃が言うと、ミカエルは幼い顔に似合わない複雑な笑顔になった。
「……ごめんなさい。反対されたら嫌だなと思って」
ユリウスがミカエルの肩を優しく抱き寄せる。
「反対なんてしない。おまえの正当な権利だ。生きてる間に会わせてやれなくて悪かったな」
「……うん」
清乃も手を伸ばして甥の頭を撫でた。
「どうだった? 楽しかった?」
「うん。聞いてた通りのひとだね。強くて明るくて優しかった。セイゴさん、キヨ伯母さんを探そうとしてたんだけど、あんまり楽しいからわざと寄り道しちゃった。謝ったほうがいいかな?」
「いいよ。そんなの。今までふたりで何してたの?」
「まず袴着せてもらったでしょ。武道具屋で子ども用の竹刀買ってもらって、それからセイゴさんが知ってる頃のアッシュデールの街に飛んで観光案内して、でもあのへん滅多に人が来ないから不安定で危ないんだよね。僕も生まれる前だからよく分からない区域だし。だからこの辺をウロウロして黒髪の女の人知りませんかーって聞いてまわったりしてた。暴れてる人がいたら、セイゴさんが成敗してくれるの。かっこよかったよ」
にこにこするミカエルの話を、両脇の伯父伯母ふたりで微笑んで聞いていた。
紅い竜との立ち合いを中断した誠吾が、三人に視線を向けた。
彼はあれで地元の剣道界では神様扱いされていた男だ。
木刀を構える前には精神の動揺を消し去ってしまった。剣道とは異なる動きをする騎士に動じることなく、静かに観察し対峙し無駄のない剣捌きを見せていた。
清乃には分からないが、ユリウスの解説ではそういうことらしい。やっぱりセイはすごい。だそうだ。
ミカエルが誠吾に向かってぶんぶんと右手を振る。
「ちゃん! かっこよかったよ!」
無邪気を装う幼い笑顔に緊張が見える。
清乃は黙って弟の次の行動を見守った。
それまで試合に全力で集中していた誠吾は、木刀を腰に戻すと紅い竜に頭を下げ、走り出した。ミカエルに向かって一直線に。
無心になって強者と試合うことで、何やら吹っ切れたようだ。彼らしい。
「……ダイ。じゃなくて、ミカエル」
目の前にしゃがんで視線の高さを合わせた誠吾を、ミカエルは真っ直ぐに見返した。
「どっちでもいいよ」
「ミカエル。おまえの母親が、ジェニファーが付けた名前なんだろう。俺もミカエルって呼んでもいいか」
清乃とユリウスは視線を交わして、親子の対面をするふたりからそっと距離を取った。
「うん。今まで黙っててごめんなさい。セイゴさん」
遠慮がちな声で名前を呼ばれた誠吾は、顔をわずかに歪めた。
「ちゃん、でいい。別の呼び方がしたければそれでもいい」
「……おとうさん、でもいいの?」
「ああ。呼びたいように呼べ」
「お父さん」
首にしがみついたミカエルを、誠吾の両腕がしっかり抱き返した。
「ミカエル。ごめん。俺何も知らなくて。今まで悪かったな」
「お父さん。なんかごめん」
「何が。おまえは何も悪くない。悪いのは俺と」
誠吾の声が湿り気を帯びる。
彼の背中を、ミカエルの小さな手がぽんぽんと叩いた。
「うん。あのね。僕今こんな外見だけど、本当はそれなりな歳の爺さんなんだ」
「………………そうか」
「気を遣わせちゃってごめんね。もう傷付くとか拗ねるとかいう感じでもなくて」
「……………………そうか」
「会ってみたかっただけなんだ。今更恨み言とか言わないよ。お父さんはうっかり母さんにタネを盗まれただけなんでしょ。親とか子とか言われても困るよね。間抜けだなあとは思ってるけど、知らなかったんだから、会いに来てくれなかったのは当然だとも思ってるよ。安心して」
「………………」
誠吾が落ち込んでいる。
清乃は苦笑いで弟の背中を思い切り叩いた。
「とりあえずうちにおいで。ユリウス、今日は泊まりにおいでよ。ユリウスの部屋はこの子たちに貸してあげて」
「そうするか。アパートに帰ろう」
ユリウスがふらふらしている友人に手を貸して、立つよう促す。
ミカエルはすかさず父親の手を握った。
誠吾は小さな手を見下ろし、それをぎゅっと力を込めて握り返した。
「領主様! 弟がお騒がせしました! 今日のところは帰りますね!」
「ああ! 死神殿、また来られるといい」




