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夢の中 ~黒い死神~ 前編

 魔女の夢の中の住人は、九割以上が女だ。男は一割に満たない。

 現世には、女三人寄れば(かしま)しい、という言葉がある。

 死者の想いが創った世界でもそれは同じだ。



「ねえ、聞いた? 黒い死神の話」

「聞いた聞いた。出会ったら最後、一瞬で斬り捨てられるって!」

「ええ? すごい礼儀正しい紳士でしょ?」

「それのどこが死神なのよ」

「魔女狩り集団を斬り伏せて、魔女を助けたって。助けられたのあたしの友達の友達のお姉さんのお隣さんなんだけど、一目惚れしたって騒いでるの。でもそれ以来逢えないって泣いてるんだって」

「何それエモい」

「それいつの時代の言葉よ」


 噂話は、夢の中に瞬く間に広がっていく。



 魔女の夢の中にある古いアッシュデールの地を治める領主は、現代まで伝説と語り継がれる騎士である。

 唄になり芝居になり絵本になり、そういった創作を多分に含んだ面とは別に、史実としての偉業も多数ある。

 つまり凄いひと、だ。

 その凄いひとの子孫であるユリウスもフェリクスも、彼に憧れて育った。らしい。


「死神というのは、とにかく強くて格好良い人物ということだろう」

 すごいひと。

 らしいが、今の紅い竜はいい歳をして子どもみたいなひと、にしか見えない。

 強くて格好良い人物。何それ。見たい。会いたい。探しに行こう。

 小学生男子と同じ思考回路。その表情はヒーローショーを心待ちにする幼稚園男子のものだ。

「そうらしいですね」

 目が曇っているユリウスは、先祖と同じような表情をして同調している。

 まあ彼はそういう子だ。純粋なのだ。

 外見アラサー、実年齢約一世紀だが。仕方ない。

 ユリウスは竜の奥方に似ていると思っていたが、性格は竜のほうに近い気がしてきた。

「そうは言っても、紅い竜殿より強いということはないでしょう」

 おまえ本当にフェリクスか。

 おべっかを言ったふうもなく真面目にキラキラしているチャラ男に、清乃は胡乱な視線を投げた。

 そんなにこの大きな小学生男子に傾倒しているのか。

 彼は多分、自分が今どういう顔をしているか気づいていない。

「目撃証言によると、折目正しい青年、ということだったな」

「あと子連れ」

 急にほのぼの。

 子連れの剣の達人。日本人としては捨て置けない話である。


「……でも危険人物、なんですよね」

 清乃がそっと水を差す。

 複数の男を瞬く間に倒し、魔女を助けたと聞く。武器を持って歩く男三人は、敵と見做され攻撃されてしまわないだろうか。

「大丈夫だ。紅い竜殿と一緒にいて危ないことなんかあるわけがないだろう」

 そこはオレが守ってあげるから、じゃないんだ。別にいいけど。

「怖いなら何故ついて来た」

 清乃を見下ろすフェリクスの表情からキラキラが消える。この野郎。珍しく分かりやすいな。

「だって気になるじゃん。芥子坊(けしぼん)が、ちゃん! って言ってたらどうするの。ナマで観たいじゃん」

「なんの話だ」

「日本の狼の話」

壬生狼(ミブロ)か!」

 フェリクスよりも日本文化に詳しいユリウスが反応する。

「残念。別の狼です」

「日本文化は奥が深い」


 魔女の夢の中には義務がない。欲求は自分が望んだときにしか湧いてこない。

 暇なのである。

 紅い竜が噂話に興味を示すと、ユリウスとフェリクスもすぐに乗っかった。暇だからだ。

 清乃も行きたい、と挙手をした。暇だから。

 竜の麗しい奥方は美しい笑顔に呆れを隠し、城門まで見送ってくれた。

「最後の目撃情報はこのあたりだったか」

 中世盛期の街中である。薄暗い小路だ。手掛かりらしいものはない。

 斬られたのは魔女狩りという話だった。死体はその場で跡形なく消えてしまったのだろう。当然血痕も残っていない。

 何かあったらすぐに逃げられるよう、動きやすい従者の衣装に外套を羽織った清乃は、その場にしゃがみ込んだ。

「キヨ?」

「なんだ。手掛かりかと思ったらただの木屑だった」

 ほらこれ、と手に持ったゴミをユリウスに見せる。

 彼は隣にしゃがみ込むと、目を皿のようにして地面を観察した。

「……何もないな」

「ないねえ」

 長身のふたりは少し離れた場所で、高いところを見回している。

「あのふたりは可愛らしいな」

 聞こえてますけど。こちとらもうじき三十(外見)なんですけど。小学生男子に言われたくないんですけど。

 清乃は思ったが気づかない振りをした。ふたりで並んで地面を見つめる姿が幼い子どもに見えたようだ。

「人形みたいでしょう。ビスクドールとコケシ」

 フェリクスめ。誰がコケシだ。昔の人物には日本のコケシどころかビスクドールも分からないだろうに。

「キヨはコケシというよりも市松人形だ」

「そりゃ髪は伸びますけど」

 誰がホラー人形だ。聞こえない振りをしていたのに会話に巻き込むな。自分が女の子の人形に喩えられたのはスルーでいいのか。

「キヨの黒髪は親譲りか」

「はい。親兄弟も親戚も、祖国は大半の人間がこんな感じの黒髪黒目でした」

「そんな国があるのか」

 清乃の晩年にはだいぶ髪や膚の色が違う子が生まれるようになってきてはいたが、それでもまだ日本は黒髪が多数派だ。

「はい。前に黒髪の子を育ててたっておっしゃってましたよね」

「ああ。最初は今のキヨよりも小さかったが、鍛えたらちゃんと強くなった。賢い子だから戦場以外でも役に立つんだ」

 竜が遠い眼になる。


 彼の意識は今どこにあるのだろう。

 普通のハリボテとは明らかに違う。だけど清乃たちのように元の意識を持って存在しているわけではない。

 不思議なひとだ。彼も、彼の妻も。

「死神も黒髪の親子という話でしたよね」

 フェリクスが清乃の頭を見下ろしながら呟く。

「そうだったな」

 黒髪は優性遺伝する。欧米でも珍しい色ではないが、ユリウス曰く、こんなに綺麗な黒色はこっちでは見られない。そうだ。

 確かに清乃の見てきたところだと、アッシュデールは黒というよりも褐色というべき髪色のひとが多い印象だった。彼らのように金髪や赤毛などの遺伝しにくい髪色の人も少なくない。

「黒髪かあ。そういえば最近ミカ見ないよね」

 ミカエルもアジア系との血縁を思わせる烏の濡れ羽色の髪の毛をしている。

「しばらく遠出するとか言ってたな」

 ミカエルはいくつになっても、清乃とユリウスの可愛い甥だ。ましてや今の彼の外見は幼い子ども。そろそろ心配になってきた。

 死神だかなんだか物騒な人物が出没している情勢だ。一度帰って無事を確認させて欲しい。


 死神の手掛かりは皆無。諦めて帰るか、という空気になった。

 立ちあがろうとした中途半端な姿勢の清乃の耳に、歓声らしきものが聞こえた。

 きゃーだかぎゃーだか、とにかく興奮している魔女の声。

「また会えましたね! えっなんでっアタシに会いに⁉︎ うそやだほんと⁉︎」

 魔女の夢の中の住人が突進してきた。

 害意は感じられない。敵意のない若い女性の勢いに、男性陣は身を引く。

 清乃を残して。


「……えっと?」

 立ち上がった清乃は、眼前まで迫ってきた女性を戸惑い気味に見返した。

 多分初対面だ。ハリボテではない。魔女。

 魔女の夢の中は広い。清乃が知らない魔女も大勢いる。

「この間はありが、ってちっさ! 別人じゃん! あんた女じゃん紛らわしいアタマやめてよもー」

 人違いだったようだ。勝手に間違われて勝手に文句を言われてしまった。

「アタマって、この髪の色ですか?」

 日本ではよっぽど奇抜な色に染めでもしない限り髪色で人を見分けることはしないが、欧米では人の特徴としてよく挙げられる。

 彼女は黒髪の人物を探しているらしい。

「そうよ。こんな真っ黒滅多に見ないでしょ。あんた知らない? 黒い死神」

「死神と呼ばれる人物だったら、我々も探しているところだ。あなたは彼を見たことが?」

 魔女は紅い竜を見上げて、少し不思議そうな顔をした。何こいつ、と言いたげだ。

「ええ。アタシが男たちに追われてるときに助けてくれたの」

「黒髪の青年が? 他にはどんな特徴が」

 訊かれた魔女は、ここぞとばかりに捲し立てた。

「聴いてくれる? もーちょーかっこよかったの! ちょうどその子みたいな髪の色で、目も同じような神秘的な黒! 顔も似てる気がしてきた。今まで助けてって言っても誰も助けてくれなかったからアタシはここにいるんだけどね。初めてそのひとが駆けつけてくれて、一瞬で男五人も倒しちゃったの! それで振り返って、大丈夫ですか、って声をかけてくれて。ああ王子様っているんだって思ったわ。アタシ、ポーっとなっちゃって名前も聞けなくって後悔してて、で、」

「あの、倒したって、ひとりで五人も? どうやって?」

 まだまだ話し足りなそうな女性の言葉を遮って、清乃は質問を挟んだ。

「どうって。剣で。長いんだけど、おにーさんたちが持ってるみたいのじゃなくて、なんか見たことない形の」

 ユリウスたちが腰に提げているのは中世の騎士が使っていたような長剣だ。このあたりを歩くときには騎士姿でいるのが無難だと言って、アパートを出る前に着替えるのだ。

 長剣とは違う形の武器。アッシュデールや近隣の国とは違う国で迫害され死んだ人物ということだろうか。

 何故異国の魔女が、ここをうろついていたのか。この世界に棲む魔女は、生前と同じような生活をしているのが普通だ。

 清乃やユリウスたちアッシュデールの関係者は特別なのだ。自分の居住区と、別の時代の居住区を行き来している。

 生前から魔女の夢に関わり、そのせいで、こうして死後もこの世界に囚われている。

 まさか、死神というのは生前知り合いだった人物なのだろうか。

「剣を扱うのだな。他には」

「不思議な服着てた。異国の、見たことない服。なんかこう、裾が広がってて、それがまたかっこいいの!」


 思い出しうっとりする魔女に情報への礼を言って、一行は城へ戻る道を辿った。

 友達の友達の、などという都市伝説のような噂話ではなく、実際に死神に接触したという話を聞けた。が、くだんの人物の足取りは掴めないままだ。

「黒髪黒目の異国人」

「剣の達人」

「キヨ、この剣構えてみろ」

「なんでよ」

 清乃はフェリクスに押し付けられた抜き身の長剣の柄を恐る恐る握った。

「剣先を上げろ……ってできないのか。どれだけ弱いんだ」

「重いよこれ!」

 ユリウスがひょいと剣先をつまんで持ち上げ、しげしげと清乃を眺める。

「こんな感じの人物なのかな」

「弱そうだな。そいつ本当に強いのか」

 元王子がふたりが勝手なことを言っている。髪と瞳の色しか共通点がないのに。

「顔も似ていると言っていたな」

 紅い竜まで清乃を眺めて、死神をイメージしようと試みている。

 顔が似ている、というのはアジア系、という意味だろうか。


「つまりセイみたいな男ということか」

 ユリウスが懐かしい名前を出す。

「ああ。それなら分かる。黒髪黒目でキヨに似ていて、異国の剣の達人。そのものだな」

「キヨの親族か?」

「弟です。でも彼はここにはいません」

 清乃の弟、誠吾は普通の人生を送った。もしかしたらまだ送っている、かもしれない。魔女の夢の中に来る可能性は皆無だ。

 三つ歳下、ユリウスと同じ年齢だが、最後に話したときにはまだ頭も体も健康そのものだった。

「剣の達人です。十代の頃は勝てたが、多分今やったら負けます」

 ユリウスの言葉は謙遜だろうか。彼も年老いてからも各種格闘技を続けていた。

 でもそうなのかもしれない。彼は超能力の制限を外して初めて全力を出せるのだ。PK禁止、の条件下ではどうしても分が悪くなる。

「ケンドウな。オレもニューヨークにいた頃道場に通ったことがある」

 フェリクスが言っているのは、CIAの関連組織に所属しながら、鎖国したアッシュデールを外側からサポートしていた時期の話だろうか。

「そんなことしてたの?」

「ああ。一度だけ日本でセイに稽古をつけてもらった。ケンドウでは勝てる気がしない」

「ふうん。まあ最高段だしね。合格したときは地元の新聞に載って騒がれてたな」

 あのときは親戚が祝いの席を用意してくれたのだ。その席で、八段ってそんなにすごいの? と言ったら歳上の親戚に怒られた。孫も生まれるような歳だったのに。

 とにかくすごいことらしい。全国で千人もいないのだと言われれば、へえ、そんなにすごいんだ、とようやく思えた。


「……八段?」

 フェリクスが眉を寄せて清乃を見る。

「らしいよ。なんかすごいんだってね。あの子の唯一の特技。地元の剣道界ではちょっとした有名人みたい」

「それ地元どころか全国レベルだろ。すごいなんてものじゃない。なんで日本人なのにそんな無知なんだ」

 興味がないからだ。

「そんなにすごい人物なのか。キヨの弟ならまだ子どもだろう」

 人生終わりかけ、もしくはすでに終わっているかもしれない高齢者だ。

「見た目は似ているけど、中身は全然違うんです」

 おかしいな。馬鹿にされている気がする。戦闘バカ集団は、強い人が偉いという価値観を持っているのだ。

 万一ここに誠吾が現れることがあったら、彼が敬われ、姉である清乃が駄目な子扱いされるという異常事態が起こってしまうのか。

「俺たちとは動き方が違うんです。こう、身体は正面に向けて構えます」

 フェリクスが清乃から受け取った剣で剣道式構えをする。

 なんとなく違和感があるのは、フェリクスが慣れていないせいだろうか。

「ほう」

 紅い竜がノリノリでいつも通りの構えをとる。


 これは誠吾が現れたときのシミュレーションか。

 戦う気なのか。

 確かに剣道は正面に向かって構えるのが基本だが、誠吾は他にも色々やっていた。居合道とか、ナントカ流の型とか。構えは他にもあった気がするが、指摘しなくてもいいだろうか。

「セイは優しい奴だから、キヨを人質にしたら本気になるはずだ」

 ユリウスがらしくない悪役的発言をする。

 なんだこれ。三人で誠吾対策をしてどうする。彼はここには来ないと言っているのに。

「よし。キヨはこっちだ」

「あ、オレやります」

 女性に対して過剰なほどに気を遣う紅い竜が清乃の外套を遠慮がちに引き寄せると、察したユリウスが人質を拘束する役を買って出る。

 剣道の動きを再現できるフェリクスが誠吾役、相対するのは紅い竜、ユリウスは誠吾が戦う理由をつくる役。アホ共め。

 ここはまだ城外だ。城門まですぐそこだから人通りは少ないが、人目がないわけではない。いい大人がこんなところではしゃがないで欲しい。

「もー。こんなところでやめてください。奥方に言いつけますよ」


 軽く後ろ手にされた清乃はユリウスを押し退けた。手を振り払った拍子によろけてしまう。

 そのくらいなら、清乃でも自力で体勢を立て直せる。

 だが騎士道精神に溢れた紅い竜は素早く動き、動きの鈍い彼女の肩を左手で支えた。

 誠吾役続行中らしいフェリクスが清乃の腕を引っぱって自分の背中の後ろに押しやると、再び剣道の構えに戻る。

 む、としたユリウス、おまえそれまさか素か、が見えないチカラで清乃を引っ張る。

 最初の竜の行動はただの親切、フェリクスは悪ノリ、ユリウスは子どもっぽい独占欲。

 彼らにとってはなんでもない動きだったのだろうが、無理な動きを連続で強いられた清乃は足をもつらせた。


 今度は本気でこける、と思った瞬間、追い討ちをかけられた。

(はあ⁉︎)

 強い力で背中を押された。下に向かって。

 当然清乃はそのまま転んだ。膝と掌に痛みが走る。

 デカい男たちのアホな遊びに巻き込まれて怪我をした! 普段騎士道精神がどうとかうそぶいている連中の手によって傷を負った!

 信じられない、と地面に向かったまま憤慨する清乃は、更に乱暴な扱いを受けた。

「立て。走れ」

 助け起こされた気はしない。肩が抜けそうなほどの勢いで腕を持ち上げられた。


 清乃は無理矢理立たされ突き飛ばされたままの姿勢で固まった。

 短い黒髪の後姿。

 その背中は、彼女を庇う形でそこにあった。

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