過ぎ去りし日々 ~紅い竜と従者~
王国騎士道物語主人公の大叔父と、本編に一瞬だけ出てきた男の子の話です。
油断は禁物だ。
相手はただの老人ではないのだ。
コールは慎重に対象から一定の距離を保ち、視線を外すことなく跡を追い続けた。
(しかしあれ、本当に年寄りか?)
八十歳くらいのはずだ。
そう聞いているのだが。
外套の頭巾を被った後ろ姿は、二、三十代の若者といっても通用しそうだ。
姿勢のよい長身、鍛えた体躯。長い脚で大股に進む速度は速く、ぼんやりしていてはすぐに見失ってしまうだろう。
コールだって、彼に較べれば圧倒的に年数は足りないが、毎日鍛えている。
なのに、というかだから、分かる。
彼には絶対に勝てない。死にたくなければ、何があっても彼は敵に回すべきじゃない。
仮に今足音を忍ばせて彼の背中に肉薄し、攻撃したとしたら。
その瞬間に、コールの短い人生は終わってしまう。
そう、確信できるだけの恐怖を感じる。
「怖いか、小僧」
街の大通りを真っ直ぐに進んでいた背中が右側の小路に入った。
それを、コールは追いかけた。
気は抜いていない。
慌てず確実に距離を保ったまま、本人はおろか周囲の人々にも尾行を悟られないよう平静を装い続けていた。
それなのに。
曲がった先に潜む危険に気づけなかった。
低く出した声をかけられるまで、突きつけられた刃の存在に、気づけなかった。
「恐怖を感じるだけの能力があるなら、すぐに引き返せ」
コールが感じたのは恐怖。
恐怖を上回る驚愕。そして驚愕よりも。
「おれを従者にしてください‼︎」
感動。憧憬。
「…………ぁあ?」
老人、年齢だけ考えれば立派な老人である彼は、コールの故郷の領主である騎士の師匠である。
首の後ろでひとつにまとめた髪は老いを表す白色なのに、それが全然弱そうに見えない。強そうな総白髪って初めて見た。
コールは目をキラキラさせて、向かいの席に座るルーファスを見つめた。
彼は翠の瞳を嫌そうにすがめて、皿に盛られた肉を口に運んでいる。
領主ライリーと似ている。顔の造りや背格好もそうだが、粗暴な連中のなかに溶け込んでいるように見えて、どことなく漂う品の良さ。
姿勢だろうか。所作とやらか。育ちが違う、というやつだ。
無意識に滲み出る貴族臭。
「すっげえ。まじでかっこいい。何喰ったら師匠みたくなれるんすか?」
「……普通にしっかり食べてしっかり寝てりゃデカくなれるんじゃないか」
さすが。貴族の方は、下々の者には難しいことを当たり前のように言ってくださる。
「やっべえ。うちビンボーだから、たまに喰えない日があるー!」
それにコールの憧れの従者アルは、しっかり食べてしっかり寝るよう大事に育てられているはずだが、あまり大きくなっていない。
「それならこんなところで遊んでないで、帰って親の手伝いしろ」
「えーだってえ。おれ領主様の従者になるって出てきちったから」
「じゃあ領主サマのところにいろよ」
「そこなんすよ!」
コールは右の拳を握り締め、熱い想いを語り始めた。
赤茶色の髪に鳶色の瞳、十七歳として大きくも小さくもない体躯、あっけらかんとした性格。
それがコールという少年である。
先の戦では有志軍の雑用係として従軍し、髪の色が赤系という特徴を主張して重要な役を担った。というのが、一生言い続けると心に決めている自慢だ。
ほとんど茶色じゃねーか、として後ろのほうに追いやられはしたが、赤毛組に入った事実に変わりはない。
出身はホークラム子爵領内の小さな村。
幼い頃に出会った騎士の従者の強さに憧れ、おれもじゅーしゃになる! と言いながら大きくなった。なれないまま大きくなってしまった。
子爵位を持つ騎士の、その従者、アルを団長とする騎士団に所属し、畑仕事の合間に剣代わりに棒切れを振ってきた。
少し歳上の少年たちは騎士から直接指導してもらっていた。コールはもう少し大きくなってからな、となかなか相手にしてもらえない。
遊び仲間のなかではひとりだけ年少のコールはそれならばと、アルの後釜を狙っていたのだ。
アルが従者を卒業する頃には、コールがちょうどいい年齢になっている。強い騎士の従者になればアルのように強くなれる。
そう、思っていたのに。
「アルの奴がいつまでも従者の座を譲ってくれないから、おれもその間に育ちすぎちゃって。もう遅い、って言われたんすよう!」
「……ほう」
「でもでも、師匠なら年寄りだし、おれくらい成長した従者のほうが便利でいいと思うんすよ! 師匠が疲れたらおぶえるし! 忘れ物がないよう気をつけられるし! あっ歳の離れた弟がいるから、つい最近まで歯がなくても食べられるメシ作ってました! うわあおれお買い得!」
コールは自分を従者にしたらいかに便利か、力説した。
「…………おまえは老人介護がしたいのか」
「その老人が剣の指導してくれるんなら、喜んで介護しまっす!」
「介護されるような年寄りに指導はできない。諦めろ」
「諦められません! ここまで師匠の背中だけ見て来たんで、帰れって言われたら迷子になるじゃないすか」
「………………」
「いや、そんな眼で見られても。本気で言ってますから。地図もないし、あっても読めないし。ひとりで帰る自信ないっす」
こうしてコールは、めでたく伝説の騎士紅い竜の従者の座を勝ち取ったのだった。
ルーファス・ティンバートン。
三代前のティンバートン伯爵の次男として生を享け、騎士となった。当時の王家に仕え、平時は王女の親衛隊として護衛の任に就いていたという。
事が起これば戦場を縦横無尽に駆け、特に剣の腕では彼に敵う者はなく、当時はまだ十代の若者だったにも関わらず剣聖と崇められた。
彼の大甥であるホークラム子爵ライリーと似たような生い立ちである。
だがライリーが言うには、俺がじいさまに勝てる日は一生来ない、じいさまは死ぬまで力を手放すことはない、だそうだ。
若さと同時に申し分無い経験を持つ、騎士としての最盛期を迎えた騎士団長にそこまで言わしめる騎士とはどんなものなのか。
コールはそれを知るため、紅い竜に仕えるのだ。
「師匠、今どこに向かってるんでしたっけ?」
「知らずについて来たのか」
「はい! 師匠について行きたいって言ったら、ライリー様がじゃあじいさまが道中で倒れたらすぐに報せてくれって。路銀も持たせてくれました」
「……ほう」
「おれライリー様に信用されてるってことですよね! 師匠もどんどん頼っちゃってください!」
「…………行き先は傭兵の本拠地だ。気を抜いたら、おまえみたいな小僧の命なんか一瞬でなくなるぞ」




