過ぎ去りし日々 〜ヴァルプルギスの夜〜
ヴァルプルギスの夜
4月30日日没から5月1日未明にかけて
聖ワルプルガの列聖記念日
「行くぞユリウス。気を抜くなよ」
アッシュデール王国王太子が真剣な表情で弟に注意を促す。
本日は大事な公務日である。
国内付き合いたい男ナンバーワンの座を一年ほど前まで守っていた美形王太子は、現ナンバーツーの弟王子の指導役を務める。
ちなみに現ナンバーワンは王弟子であるフェリクスとなっている。リアルに付き合うならチャラ男は嫌だが、夢見るだけならダントツ、という庶民票が大きいらしい。
まだちょっと幼いかなぁと次点に甘んじるしかなかったユリウスも今年で成人を迎えた。次回は一位二位が入れ替わると予想されている。
結婚し子どもも産まれたルキウスは三位から更に転落するのでは、というのが父である国王による下馬評だ。
閑話休題。
「分かってる。ルキウスこそ大丈夫か。隈ができてるぞ」
兄と同じくらいの真剣度で、ユリウスは手袋をきゅっと引っ張って整えた。
「さすがだな。ナンバーツーは見た目まで気にする余裕があるか」
「なんの話だ。寝不足なんだろう。夜泣きか」
「そうだよ。なんでうちの子あんなに寝ないんだ」
兄の愚痴に、ユリウスは柔らかく微笑んだ。
待望の第一子である。
次の王太子になることを決められて生まれてきた甥は、元気な赤ん坊だ。最近はますます丸々としてきて、叔父である身からは、可愛い、以外の言葉が出てこない。
「でも母さんがよく寝るいい子だって言ってた」
「外野は好き勝手言えるからな。こんなに育児する王太子、世界中探しても俺しかいないぞ」
「その台詞、絶対義姉上に言うなよ。また喧嘩になるぞ」
「俺王太子なのに、敬われてない」
「まあ国王があれだからな」
あれ、とは、今夜のお祭り騒ぎを最前線で楽しむ気満々の、彼らの実父のことだ。
今夜のアッシュデール王国国王は、ただのギャンブル好きの親爺でしかない。
賭けるのは、自分の子らの勝敗だ。
今夜はヴァルプルギスの夜。
魔女が荒ぶる夜である。
アッシュデールは魔女の国。
今夜、魔女の国では魔女の仮装をした人々が暴れまわり、春の訪れを歓び歌う。
アッシュデールは騎士の国。
今夜、騎士の国では騎士がその武勇を見せつける。暴れる魔女を打ち払い倒さんと、どこまでも追いかけ追い詰める。
「今夜はヴァルプルギスの夜だ! 魔女たちよ、今夜だけは存分に暴れることを許そう!」
王城の高い位置から呼び掛ける王に、広場に集まった人々の最前に立つエルヴィラが片手を挙げる。
今夜の彼女は黒いドレスに紅い裏地の黒いローブを羽織っている。唇には真紅の口紅が映える。
紅い爪の優雅な指の動きに合わせて、甲高い声の掛け声が響き渡る。
わざとらしく片耳を押さえる国王に向けた笑いが収まるのを待ってから、彼は続けた。
「紅い竜の子らよ! 魔女に打ち勝つ準備はできたか!」
今度の呼び掛けは、先ほどよりも真剣さを帯びている。
野太い応えからも、男たちの本気が伝わってくる。
魔女の仮装をする女性のなかには、本物の魔女が混ざっている。
騎士の扮装をする男性もいる。騎士のなかには、本物の魔女に対抗し得る魔女の騎士がいる。
武闘派国家の祭である。危険が伴う場面も多くある。
そのため、参加者は魔女、つまりエルヴィラよりも早くに生まれた者、と定められている。
彼女よりもわずかに遅く生まれた者たちは、毎年ひとつふたつ年嵩の者が出掛けていくのを羨ましく思っていた。
だが今年からは、彼らも参加を許される運びとなった。
十五歳の魔女が誕生したからである。
魔女といえば、と問われた人が答えるのは、箒だろうか。黒猫だろうか。それとも鷲鼻?
様々な答えがあるだろうが、アッシュデールの祭で使う小道具は、杖と決まっている。
古木を切り出し加工された魔女の杖を、今夜の主役であるエルヴィラが持って参加する。
今年は急遽もう一本用意された魔女の杖を持ち、緊張の面持ちを見せるジェニファーも人々の前に現れた。
旧知の魔女の妖艶さとはまた違った美しさを持つ新しい魔女の登場時には、あちこちから溜息が漏れた。ふたりの並ぶ姿に、女性陣がうっとりする。
本来であれば、美女にうっとりするのは男性陣であろう。
が、今夜の彼らが求めているのは、美しかったり可愛らしかったり妖艶だったりする女性ではなく、圧倒的な強さを持つ漢なのだ。
国王の呼び掛けに手を挙げたのは、王国の若き後継者ルキウスだ。
「勝利を我々の手に!」
力強い声に、隣に立つユリウスが右の拳を掲げる。反対隣のフェリクスもそれに倣うと、数百もの拳が後に続いた。
先ほどの甲高い声とは違い野太い声が、王都の端まで届けとばかりに爆発する。
今度の合唱は国王も加わって、長く続いた。
涼しい顔で両耳を押さえる新旧魔女と後ろに並ぶ女性たち。
「魔女よ暴れろ! 飛び、疾り、逃げ回れ! 騎士よ追え! 魔女を捕らえろ! 魔女の力の源はあの杖だ! 夜明けまでに必ず奪い、我に勝利の証を捧げてくれ!」
勝利を 我らに !
祭には参加しない、若者を卒業した面々や、ジェニファーよりも後に生まれた子どもたちが唱和する。
試合、否、武闘派国家の祭開始だ。
本物の魔女、エルヴィラとジェニファーの持つ杖を奪えば、ルキウス率いる騎士団の勝ち。
魔女が己の杖を守り抜けば、魔女の勝ちだ。
騎士が勝利すれば、その一年は魔女との闘いに一歩リードする、と云われている。いわば願掛けだ。
魔女が勝利すれば、魔女に有利な年となる。その場合は、国王自ら魔女の夢の中の魔女と対話を試み、彼女らを慰撫する儀式を行う。
騎士が勝つべきでは、などと思っても誰も口にしない。
魔女に扮する女性陣に嘲笑われるだけだからだ。
エルヴィラ率いる魔女連合に、負けるつもりは毛ほどもない。
「去年までは魔女優勢だったがな。今年からはいけるぞ」
「いけますかね」
「ふはははは。うちの次男坊を顔だけ見て舐めるなよ」
「ユリウス様は優秀ですからねえ」
「勝ったら今年のバカンスは親抜き日本だって言っておいた」
「うわあ」
「鬼畜親父」
「息子の純情まで利用して」
「ふははははは。今年の配当はごっそり懐に入れてやるからな」
「一国の王の台詞じゃない」
「あっ写真集まってきましたよ。SNSって便利ですねえ。でもこれ、非公開にしたら本当に外部に漏れないんですかね」
「不安が残るから、独自のサービスを開発させたんだろう」
「この日のために。突貫でしたけど、本場と比べてもそう悪くないですね」
「開発費かかってるからな」
「もう超能力とか時代遅れはなはだしいな」
「よっ時代遅れの国王!」
エルヴィラ発見。
頭の中、不意に響いた声にユリウスはその場で立ち止まり集中した。
エルヴィラ。 坂道通り。 小路を入
そこで声は途切れた。
視覚優位の能力を持つフェリクスは、ユリウスの注意を引くためだけに苦手な音声を使っての呼び掛けをしてきた。
ユリウスの受入れ準備が整ったことを確信してから、映像を送ってくる。
映像の内容を瞬時に理解したユリウスは、再び走りながら指示を飛ばした。
「中央通り四番北! 六番北三号東! 直線四番南! 残りは俺に続け!」
「中央通り四番北」
「六番北三号東」
一人ひとりに出す指示は必要ない。
すぐに主の意を汲んで動く側近候補が、王子の指示を広めていく。
「ルキウス」
魔女の騎士ふたりが現場に到着したのはほぼ同時だった。
「ユリウスよくやった。完璧な布陣だ」
ユリウスは兄の指示を待つ。
魔女エルヴィラに対抗できるのはルキウスだけだからだ。
ここでは、彼と彼の側近が重要な役を担うのが正しい布陣。
「かかれ!」
ルキウスの指示を受けたユリウスの号令で、建物の影に潜んでいた男たちが一斉に飛び出てくる。
屋根の上に腰掛けて嫣然と微笑むエルヴィラの黒いローブが月夜にはためいた。
「今日こそぶっ倒す!」
美女の微笑に配下が怯まないようにと、フェリクスが真っ先に攻撃を仕掛ける。
魔女は杖、騎士は剣、両者共に武器は木製である。
たとえその手に持つのが真剣であったとしても、彼は本気で斬り込む。
エルヴィラはその程度で死ぬような存在ではないからだ。
フェリクスの剣は、あっさりといなされた。
彼は続けざまに攻撃を繰り出す。
カンカンカン、と打ち合う高い音が月の下で響き渡る。
「おおお。これ、動画撮ってる人、表彰ものですね」
「この角度、向かいの家の三階から撮ってるな」
「フェリクス様も今年初参加なんですよね」
「そうそう。うちの甥っ子なかなかやるだろ」
「さすが。あの動き、もう我々では敵いませんね」
「あれでチャラくなければなあ」
「なー。女癖悪くなければうちの娘推すのになあ」
「お、その娘も出てきたぞ」
息もつけない攻撃の嵐には、エルヴィラも魔法を出す暇がない。
魔女らしくない物理的な戦い、これが続けば、体格で勝るフェリクスに勝ち目が見えてくる。
「っ」
だがフェリクスは、己が勝てないことを知っている。
機をうかがっていたユリウスに一瞬にも満たない視線を投げることで、二対一に持ち込むことに成功する。
その間にも、攻撃の手を緩めることはない。
騎士二対魔女一、エルヴィラが押され始める、その前に三人を取り囲む魔女たち。
「させるかあっ」
ユリウスが吼える。
彼は目を見開き、フェリクスの背後を注視した。
PKを発動させた、その左側面に隙が生じる。魔女がそこを、
「 魔女 発見 !」
アレクがユリウスのフォローに飛び出すのと、数ブロック先から軍仕込みの大音声がとどろくのはほぼ同時だった。
騎士団と魔女連合は、反対方向に動いた。
すなわち、騎士団は現在の戦いから遠ざかる方向へ、魔女連合は、魔女長の元へ。
二十人ばかり集まっていた女性陣が戸惑う。
エルヴィラが彼女たちの様子を一瞬だけ気にかけるそぶりをする。
「えっぐ。あ、でも避けられた」
「いやー。勝っては欲しいけどでも」
「日本では勝てば官軍、というらしいよ」
「あの異国の魔女のコトバですか。王太子も感化されたと」
「ユリウスのほうだ。あの子最近、孫子がどうとか言うようになってなあ。作戦に性格の悪さが見えるようになってきて。どう思う?」
「大問題じゃないですか。顔と性格の良さが取り柄の王子が」
「なー。どうしよう。でもまあ面白いから別にいっかあ」
身体と超能力を駆使して、ルキウスが跳躍する。
着地点は妹の背中、かに見えたが、避けられる。
現在屋根の上での戦闘に参加しているのは、国王の子三人、甥がひとり、王太子の側近ふたり、王子の側近候補ふたり、そして魔女の扮装をした軍人女性が三人。残りの女性十数人は、隣の屋根上や下の階で待機している。
「ルキウス! 一発で仕留めろって言っただろ!」
フェリクスが最前線を従兄に譲り、息を整えながら文句を言う。
「無理だって言ったろ」
ルキウスは二十七歳。弟ユリウスよりも上背があり、従弟フェリクスよりも確かな剣筋を持つ。俊敏性ではふたりにやや劣るが、それを補って余りある経験と冷静さとを持ち合わせている。
彼は、妹エルヴィラの動きを熟知している。
そしてその最強の魔女である妹は、兄に向けて魔法を駆使することができない。
最後の頼りが、ルキウスだった。
「弱気な宣言するから」
ユリウスがぼそりと兄を批判する。
「宣言じゃない。予測だ」
「騎士兄弟、余裕だな」
魔女の配下が放ったPKが、わずかにユリウスの身体を傾ける。
その一瞬の隙に、エルヴィラが跳んだ。
動きがあまりに自然だったため、魔法を使ったのかどうかすら、周りからは分からなかった。
「うわ、えっぐ。魔女長、また腕を上げましたねえ」
「今の動き何? ただのジャンプに見えたけど」
「いやー。さすがの魔女長も五メートル超えの立ち幅跳びは無理だろ」
「出来そうで怖い」
「うちの娘、一応生身の女の子だから」
「女の子」
「似合わない言葉……」
「なんだと。不敬罪でデコピンするぞ」
「いてっ。てか本気でいてえ!」
騎士団の作戦はこうだ。
未熟な新米魔女を狙え。
ベテラン魔女は、主力と見せかけた少数精鋭が引き付ける。
他の全員で、なんとしてでもジェニファーから杖を奪い取れ。
十五歳の少女を、下は十五の少年、上は四十がらみのおっさんが集団で追いかけ回す絵面はかなりヤバかった。
猥褻行為が発覚したら即退場、のルールを逆手に取ってジェニファーを庇う魔女連合が肉の壁を作ったときには、観客もここまでかと諦めかけた。
が、ゴリラ率いる軍人男子の肩を足場にした超能力少年たちが次々と跳躍することで、壁は崩壊した。
突破口を見つけたゴリラとその仲間が動線を確保し、ジェニファーに肉薄した。
未熟な新米魔女も奮闘したが数には勝てず、指南役の女性の助言に従い投降する運びとなった。
「弱いところを容赦無く突いてきたかあ」
「騎士の息子が揃って、女相手に手加減無しだな」
「まあ女性ってか魔女だからな」
「四年連続負けてるからな」
「王子たちが一番ムキになってるしな。下も力が入る」
騎士団の作戦通りの運びとなった。
ジェニファーの投降を確信したベテランが、後ろ手に合図を出す。
まだ諦めきれていない魔女連合にバレないよう、外側から数人ずつ戦線離脱していく。
魔女長を追い詰める王太子チームの加勢に向かう。
夜明けが近い。
これが最後のチャンスなのだ。
ジェニファーの杖を託された少年が走る。走る走る。
投降から十分経てば取り返し作戦開始してオッケー、がルールだ。
時間が経過する前に城へ走るのだ。
魔女連合もそのことは承知で、王都の端へ逃げていた。
城までの距離は遠い。なんとしてでも王の元へ届けるのだ。
全力で走る少年の息が切れる前に、片手を挙げる別の少年の姿が見えた。
「ジョージ! 頼んだ!」
「投げたな」
「投げるかあ」
「子どもはやることが大胆だな」
「もう眠い時間だしな」
「あの杖結構な値段するんだよな」
「壊れたら作り直しかあ。来年から投げるの禁止ルール付け加える?」
「とっ、っったああぁーーーー‼︎」
最後はルキウスとユリウスのコンビネーションが決まった。
兄が魔女を倒さんと立ち向かい、弟が魔女の背後から忍び寄り、兄の作った隙を突いて弟が杖を奪った。
ユリウスは杖を片手に握り締め、すぐさまその場を離れた。
ルキウスがエルヴィラの相手をしている間に走る。
走りながら右手を大きく振りかぶり、杖をぶん投げた。
その先には、側近候補のルカス。彼は主から受け取った杖を更に向こうへ、オスカーの手に。
ユリウスがそこに出現する。瞬間移動。
城はまだ先だ。オスカーが投げる、ユリウスは走る、跳ぶ。
その繰り返しの途中に、エルヴィラが現れる。神出鬼没の魔女は杖を持つ弟を取り押さえる。
ユリウスの手から消えた杖が、ダムの手元に届く。
「ちっ」
エルヴィラの舌打ちは珍しい。
にやりとしたユリウスは、そのまま姉と組み合った。
王子様は元気な十八歳男子だが、魔女に個人で勝つことは不可能だ。すぐさま増援が駆け付ける。
「今年は久しぶりに騎士団勝利かあ」
祭に参加しない、ただの観客となって久しい国王とその周辺のおじさん連中は、満足気に笑いながら立ち上がった。
「勝ったあ!」
「親抜きバカンス!」
「日本の海!」
「君たち、伝統行事をなんだと思ってるの?」
「祭楽しかったあ!」
「魔女を倒したぞ!」
「まあよく頑張ったね」
「はい!」
「今年はいい年になりそうだな」
ダヴィドの呟きはヴァルプルギスの夜が明けたアッシュデールの城で、誰にも聞かれず消えていった。
思いつきをヴァルプルギスの夜の間に形にしたくて、無理矢理仕上げてしまいました。誤字脱字が怖い…。




