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夢の中 ~清乃~

基本1話完結の不定期更新になりますが、よろしくお願いいたします。


1話目は王子様の無駄遣いシリーズ完結直後の話です。

 芸術作品のような顔が真上、つまり目の前にある。

 怖。

 怖くなった清乃は、目をつむっていることにした。

 玄関を入ってすぐにこれは始まった。

 目を逸らすことは許されそうになかった。顔を両手で挟んで上向かされていたから、その力に逆らえない。逆らう気も今はない。

 だから代わりに目を閉じた。

 従順さを示す彼女に、頬を固定していた両手が移動して黒髪をかき乱し、首の筋をなぞる。

「……まっ、て。くつ」

「…………ああ」

 軽々と清乃を持ち上げ、そのまま室内に入ろうとしたユリウスをなんとか制すことに成功する。彼はようやく、ここが日本式の住居であることを思い出した。

 ユリウスは自分の靴は足だけで脱いで、左腕で抱き上げた清乃のスニーカーを踵から抜いてその場に落とした。

 一人暮らし用の部屋の廊下は短い。

 長い脚で数歩。すぐ部屋につく。小さな部屋の奥に置いた寝台までは更に三歩。

 ユリウスの首にしがみついていた清乃は、乱された息を整えながら視線を窓に向けた。

 明るい。

 それはそうだ。まだ朝なのだ。

 寝台に降ろされると、再びユリウスの顔が迫ってくる。

 美しい。ただただ美しい。

 窓から差し込む朝陽に照らされて、清々しいほどに神々しい。何これ神様降臨? 違うか天使か。でもここは天国じゃないから堕天使? じゃあ悪魔。どう見ても悪魔って顔じゃないじゃん。

 ちょっと自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってきた。

 これは駄目だ。

 これはよくない。


「…………ストップ」

 これまで食べる喋る以外の用途で使われる場面をほとんど見ることのなかった口を、掌で押し返した。

「………………なに?」

「っ……ストップ!」

 唇を寄せられた掌を慌てて引っ込めると、バランスを崩した。ユリウスはそのタイミングを逃してくれなかった。

「却下」

 仰向けになって見上げた恋人の顔は、もう凶器にしか見えなかった。

「……ちょっ、と待って待って待って。そのフェロモン一回引っ込めて!」

「無理。キヨも出てる」

「うそ。あたしそういうの持ち合わせてないもん!」

「でも今出てる。もっと出して」

 囁く声が甘い。至近距離にある青い瞳が熱を帯びて潤んでいる。

 無理だ。無理。

「むりむりむりむりむり」

「何それ。ナマケモノの鳴き声?」

「大人のナマケモノは鳴きませんー! 残念でしたー!」

「フタユビナマケモノはな。ミユビナマケモノは鳴く」

「なぜそんなに詳しい」

 知識マウントを取ろうとしたら、更に上をいかれた。悔しい。

「調べたし、南米に見に行ったこともある。ちなみに日本の動物園にいるフタユビナマケモノも、発情期のメスは鳴くぞ」

「……へえ」

「聴きたい。聴かせて?」

 確かナマケモノの赤ちゃんは人間の赤ちゃんにも似た可愛い声だったはずだ。あーとかなーとかいう喃語みたいな。大人のメスもそんな感じだろうか。

「……って悪口じゃねーか! 誰が発情期のナマケモノだ!」



 怒鳴りながら暴れる清乃を見て、ようやくユリウスは身体を起こした。

「どういうことだ。発情してるのはオレだけか」

「……発情言うな。もっと退がって」

 恋人を腕の中に囲った少年の表情に、退く気配は見受けられない。唇を尖らせた不満顔のまま、座る清乃の腰を捕まえている。

「拒否される理由に思い当たらない」

「朝だから嫌なの! 明るいうちは無理!」

「なんで」

 色気垂れ流しの美形はこんな近くで見るものではない。二メートルでも近い。三メートルは必要だ。

「分かれ。あんたと違ってこっちは見られたくないところばっかりなの」

「何を言っている。今から全部見るぞ」

「ぜっったい嫌!」

「嫌はこっちの台詞だ。オレがこのときをどれだけ待ったと思っているんだ。もう我慢の限界だ」

「何言ってんの。たった数日のことでしょ」

「その前からだ。下手なことをしたらキヨの心臓が止まるかと思って自重していた」

 キスは好きなだけしていたくせに。そのせいで、一世紀とは言わないがそれ近く酷使してきた心臓が止まりかけたのだ。

「…………拒否してるわけじゃないの。暗くなるまで待って欲しいだけ。お願い」

「……おばあちゃんなキヨも可愛かったけど、やっぱり若いときの美しさは格別だ。綺麗なキヨを見たい」

「………………っっ」

「今すぐ」



 あくまでも抵抗し続ける清乃に、最終的にはユリウスが折れた。

 その時点で彼女はだいぶ疲弊していた。

 ベッドに倒れ込みたいが、そんなことをしたらまた同じことの繰り返しだ。仕方なく起き上がり、再び靴を履いて外に出る。

 不満顔の恋人の機嫌を取るために、清乃から手を繋いでやった。

 自身の左手をチラッと見下ろすユリウスの顔が少しゆるむ。よし。ご機嫌取り成功だ。


「……どこに行くつもりだ」

「散歩だよ」

 少し前に同じような会話をした覚えがある。台詞が入れ替わっているが。

 はあ、と大きなため息をついて、ユリウスは気持ちを切り替えることにしたらしい。

「この街がどこまで続いているか確認してくるか」

「ん」


 ここは魔女の夢の中。

 この街は、清乃とユリウスの記憶を元にできているのだろう。

 つまり学生時代の清乃の行動範囲までしか無いはずだ。

「バイト先の本屋あたりまでかな」

 その向こうには用がないから行った記憶がない。

「じゃあ自転車のほうがいいか」

「……乗れるかな」

 自転車なんて、もう何十年も乗っていない。

「大丈夫だろ。身体が覚えているはずだ。オレが漕ぐし」



 自転車、ましてや二人乗りなんて、最後にしたのは半世紀以上昔のことだ。

 もしかして、もしかしなくても、若い頃にユリウスとしたのが最後だっただろうか。

 最後だし、身内以外の異性との二人乗りはあれが最初だ。

「…………」

 なんだか無性に恥ずかしくなってきて、清乃はユリウスの腹に回していた両手を離した。

「どうした、掴まっていないと危ないぞ」

「大丈夫。荷台掴んでるから」

 ユリウスがママチャリの限界を試すようなスピードを出すことを思い出して、荷台にまたがって前向きに座っていたのだ。運転手にしがみついていなくても落ちたりはしない。

「気をつけろよ」

「うん」

 平然とした声を出せている。

 だけど密着したら絶対バレる。

 まだ成長途中の少年の背中。それでも清乃よりもずっと広くて、骨格も筋肉もしっかりしている。

 ついさっき、この背中に腕を回して、上から降ってくるキスをうっとりと受け止めていたのだ。

 思い出して、今更ながらに心臓がうるさくなってきた。

 この鼓動は隠しておきたい。バレたくない。

 だって今更こんな。トシを考えろ自分。


 本屋の少し向こう側まで、アスファルトは続いていた。その向こうは砂地。

 清乃の記憶にある場所ではない。ユリウスも知らないと言う。

 別の魔女の棲処ということだ。

 街の端を確認していって、途中でキリがないと引き返すことにした。

 大昔の魔女は移動することが少なかっただろう。日常的に車に乗って移動していた現代の清乃とユリウスの行動範囲は比べ物にならないほど広い。

 自転車で廻りきれそうにない。

「……まずいな。だいぶ夢が拡大してしまっている気がする」

「……そうだね」

 これは遺してきた人々が頭を抱えているかもしれない。

「まあいいか。気にしても仕方ない。キヨはそれ以上に貢献してくれたから、文句を言われることはない」

「うーん」

 でもこの日本エリアができたのは、清乃のせいだ。

 アッシュデールの歴代魔女たちは、アッシュデールの区域を共有しているはずだから。

「先にエルヴィラが来てるはずだしな。あいつの記憶も含まれているはずだ」

「そっか。そうかもね」

 明るい声が出た。

 エルヴィラには、先に自分が逝っても探すなと言われていた。

 同じ世界の住人になったのだから、もう探してもいいはずだ。清乃の知らない間に一度来てくれていたらしいし。せっかくだから会いたい。

「……キヨは昔からエルヴィラが好きだよな」

「うん」

 自転車を駐輪場に停めながら、ユリウスが何気ないふうに問いを続ける。

「オレのことは?」

「……うん」

「うんってなんだよ」

 不満そうな美少年。眉を寄せて清乃をまっすぐ見ている。

(彼氏の顔が良すぎてツラい)

 清乃の人生、人生は終わってるか、魔女生、において、こんな台詞を吐く日がこようとは。

「……うん」

「? どうした。具合悪い?」

 気遣う手が頬に触れ、顔を覗きこんでくる。

 血が顔に集まってくるのが自分でも分かる。今清乃は、真っ赤になっている。

 どうしよう。本気でツラい。

 清乃はユリウスの視線を避けてうつむいた。

「…………そうかも」


 ユリウスがこんなふうにキラキラしていた頃、清乃は自分の気持ちをセーブしていた。恋をしている自分を認めていなかった。

 だから彼の顔がどれだけ良くても、色気垂れ流しの場面を目撃しても、好きだと言われ抱き締められても平然としていた。

 老いてからの彼との関係は穏やかなものだった。

 微笑みを交わして、隣に座っているだけで幸せを感じていられた。

 だけど今は。


「まだ頭が混乱してるのかも。無理もない。帰ってゆっくりしよう」

 労る手に肩を支えられる。

 距離が近い。無理。

「っ大丈夫。自分で歩けるから」

 速足で離れると、ユリウスはその距離を維持してくれた。

 不審がられている。背中に視線を感じる。見なくても分かる。

 美形彼氏の怪訝顔。

(ぐっ……)

 想像だけでかっこいい。駄目だ。何言ってんだ自分。しっかりしろ。

 感情が肉体年齢に引きずられてしまっている。

 美形面を物ともしない精神力を弟に尊敬されていた頃の自分を思い出せ。



「………………」

「………………」

 アパートの部屋に戻ってしばらくは、気まずい沈黙が続いた。

 清乃は何故か壁側、フローリングに直接座って膝を抱えてから、動くキッカケが見つからずそのまま固まってしまった。

 ユリウスはそこまできてようやく何かを悟ったらしい。その後の言葉と行動を選びかねて布団のないコタツの前に座ったままでいる。

「……えっと」

「はい」

 ユリウスが口を開いたことに焦って、喰い気味に返事してしまった。

 それに驚いたのか、また彼は黙ってしまった。

 今度の沈黙は短かった。

 清乃の前まで移動してきたユリウスは、彼女の正面に両膝を突いた。日本人みたいな正座。

「キヨ」

「……はい」

「オレ、今から住むところを探してくる。確か一階に空き部屋があっただろ。あそこでいいかな」

「…………」

「それで明日朝になったらここに迎えに来るから。またデートしよう」

 デートってなんだ。周囲環境の調査のことか。

「……ご飯は。夕飯は毎日作るから食べにおいでよ」

 食べなくても大丈夫なはずだけど、一緒に食べたい。

 スーパーで材料は買えるのだろうか。お金は? 働く必要があるのだろうか。

 実際に暮らしてみないと分からないことだらけだ。

 独りだったら不安でたまらなかったはずだ。

「うん。ありがとう。楽しみ」

 膝を抱える手にユリウスの手が触れた。

 おそるおそる顔を上げると、ハグはしてもいいかと視線と仕草だけで問われた。

 清乃は一度深呼吸してから、両膝を立てたまま両手を伸ばした。

 すぐに優しい腕に包み込まれる。

「…………お気遣い、いただきまして」

 知っている。この腕は決して清乃を傷つけたりしない。安心してもいい場所だ。

 なのに落ち着く気配ゼロのこの鼓動。何故。すでに死んでるはずなのに。どうしたらいいのか分からない。

 意を決してユリウスの脇腹の上辺りの服を掴んだ手が緊張で震える。今更何故。

 死んでるのに、なんて考えはもう捨てるべきなのか。

 今の清乃は、どうしようもなく経験不足な二十歳でしかない。

 その四倍以上の年月を生きた記憶もちゃんと残っているのに、外見だけでなく精神年齢まで未熟な時代に戻ってしまっているようなのだ。

 新たな生を受けたと、考えを改めてみるべきか。

 清乃を抱き締めたまま、ユリウスが楽しそうに笑う。

「なんだこれ。こんな可愛いキヨ初めて見たぞ」

「……悪かったな」

「悪くない。その逆だ。すごくいい。最高の気分だ」

「ううう」


 腕の中で固まっている清乃の耳に、ユリウスはささやきをそそいだ。

「大丈夫だ。時間はいくらでもある。オレはまだ十七歳だし、焦ったりしないよ。キヨは好きなだけオレにどきどきしてればいい」

 なんだそれ。

 自信たっぷりな王子様みたいな台詞。

「……もう王子様なんかじゃないくせに」

「元王子だ。このくらい言ったっていいだろう」

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