吸血鬼と狼男に出逢った。
綺麗な白の石壁に囲まれた部屋に三人。
この世界にも窓があるんだなと、外が綺麗に見えるハメ殺しの景色に新たな発見を得た。
まるでコンクリートのように継ぎ目のない綺麗な壁や床と、透明で大きめの窓を確認して、現代でも通じる建築技術だなと感心する。
ピンと尖った耳と黒い肌、燻んだ白の髪に赤い瞳をした細身の男性は銀縁の丸眼鏡を掛けていて、優しい印象。
その隣にはエメちゃんを成長させたらこうなるだろうと想像できる少女。肌は黒く、瞳は赤をした真白のおさげ髪が印象的な彼女はオドオドとして小動物を思わせる。
アザレアさんに紹介されて、眠ったままのエメちゃんを酒盛りに興じる二人に任せて、先にコンタクトを取ることになった俺は何から話せばいいのか頭を働かせる。
「…初めまして
セイヤと申します」
「ええ、初めまして
私はエルモア、この子はルビです
エルフ語はどこで?お上手ですね」
「…ルビです」
ふんわりとした声色のエルモアさんと、若干硬い印象のルビちゃんに、やんわりとエルフ語のことは誤魔化しながら、話出しを探る。
この街で過ごしているということは人間の言葉もわかるはずだが、彼の様子からしてどうやら俺はエルフ語を喋っているらしい。
俺の言葉は話す対象の第一言語でも選んで通訳してくれるのだろうか、なんて自分の不思議な力を推測する。
アザレアさんにエメちゃんの家族に会わせてくれとお願いすれば、すぐにこの場を用意してくれたものの、きっと二人には何も伝えてくれてはいないだろう。
でなければこの温度差は生まれないはずだ。
なら、直球で勝負しよう。
「エメ、という名前に心当たりは?」
ぴくりと、エルモアさんの眉が反応したのを見て、確信した。
「彼女を保護しています」
「…ありがとうございます
それで、エメはどこに?」
若干前屈みに、先ほどまでの余裕の様子は消散して、警戒半分期待半分の表情。
ルビちゃんに聴かせるべきなのか否か。
経緯を説明するには母が亡くなっていることは避けては通れないだろう。
…聴かせたくないなあ。
「少し、…二人で話せますか?」
「…そ、うですね、はい
ルビは少し隣の部屋で待っててくれ」
「…うん」
俺の言葉と表情から何かを感じ取ってくれたのだろう。
辛そうに歪んだ表情から、ある程度の推測はできているようだ。
パタンと、扉が閉じるのを見送って、会話を続ける。
「エメちゃんは大鬼の里の近くの森で保護して、エルモアさん達に会うためにここまで一緒に来ました」
どう順序立てて行こうかと頭を悩ませながら言葉にしていると、ガタンと音が鳴った。
「…なんと感謝していいか!
お礼は必ず!」
「ちょ、そんな、座ってください!」
いきなり地面に手をついて首を垂れるエルモアさんの様子に、異世界にも土下座あるんだ、とかどうでもいいことが脳裏を過ぎる。
なんとか椅子に座らせて落ち着かせるのに数分。
ポツポツとエメちゃんの現状を告げていく。
ある程度は覚悟していたのだろうエルモアさんは、表情を険しくしながらも黙って最後まで話を聞いてくれた。
母が亡くなったこと、それによって精神に何らかの異常が起こっていること、不思議な風の加護のことや大鬼に保護されてからのこれまでの日々まで。
なるべくエメちゃんが楽しそうにしていたことを強調するように、大鬼の人の良さを全面に押し出しながら、少しでも辛い現実から逃れるように。
一時間ほど話を続けて、日も暮れ始めた頃。
エルモアさんが話し始めたのは里から出てからの日々だった。
「アザレアさん、あのオーガの女性に、里から出てすぐ、モンスターから襲われていたところを助けてもらったんです
それからこの街に…、お世辞にも歓迎とは遠かったんですけどね
アリサさんは知っていますか?
当時新人だった彼女に街へ入る際に助けてもらって
いや、里で人間の言葉を多少なりとも学んでいてよかったよ」
エルモアさんの年齢は166歳、ルビちゃんは22歳、きっと母親のことも産まれた妹のことも覚えているだろうとのこと。
エメちゃんにどうやって会わせるべきなのか。
なるべくエメちゃんの負担になるようなことは避けたい、けど家族に会いたいと願ったのもエメちゃんであって。
ルビちゃんもお母さんが居ないって知ればどうなることやら。
どうしたものかと二人で頭を悩ませるものの、会わなきゃ始まらないだろうと腹を括ってルビちゃんを呼び戻そうと扉を開けた。
「エメ!
お姉ちゃんだよ!」
「…おねえちゃん?
せいやにいはいるよ?」
先ほどのオドオドした印象は発散し、ニコニコと幼女に話しかける少女と、なぞなぞをぶつけられたとばかりに頭上にはてなを咲かせて考え込むエメちゃんがそこに居た。
…あの酒呑みにしっかり言い聞かせるべきだった。
後悔先に立たずといった言葉が頭に浮かぶ。
「何言ってるのエメ?
それよりお母さんは?!
エメがいるならお母さんはどこにっ
「ルビ」
しんと、静まり返る。
こうなるのであれば多少辛くとも先に三人で話し合えばよかった。
硬い表情をしたエルモアさんの顔を見て察しただろうルビちゃんは瞳を潤ませながら俯いている。
「おかあ、さん?
おかあさんは、えと、あれ?
おかあさんどこ?」
「エメちゃん…」
混乱しているんだろうエメちゃんは、ただでさえ白いその顔を更に白くさせながら。
泣きそうな顔で虚空を泳ぐ目が痛々しい。
どうしよう。
どうすればいいかわからない。
その小さな身体を震わせて縋るような表情で俺を見上げるエメちゃんに、考えるよりも先に身体が動いた。
そのまま抱きしめて告げる。
「…大丈夫だよ
エメちゃんにはお父さんもお姉ちゃんも、俺やアザミさんだって付いてるからね」
ぎゅっと抱きしめたエメちゃんの身体は小さくて、震えていたけど、少しは安心してくれたのかきゅっと抱きしめ返してくれた。
「…エメ」
「おとう、さん?」
絞り出したような弱弱しい声で、長く離れていた自分の娘の名前を呼ぶエルモアさんと、恐る恐る確認するように言葉にしたエメちゃん。
今のエメちゃんの精神はどうなっているのか、何とか家族を家族と認識できるだけの記憶は共有できているらしかった。
「おね、ちゃん?」
「エメ!」
こちらも恐る恐るだったが、何とか絞り出した言葉はルビちゃんを突き動かした。
何とも荒々しく抱きしめるルビちゃんに、身体を硬くしたのがわかった。
「エメ?エメ!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてね!
たぶん色々あって混乱してるんだと思う
それが今限界に達したのかも」
カクンと身体を弛緩させてもたれ掛かる妹に驚いたルビちゃんが必死に呼びかけるのを制して、何とかエメちゃんを救出する。
どうやらキャパオーバーだったらしく、エメちゃんは眠っていた。
ベッドまで運んでから会話を続ける。
「なんとか、認識はできてそうでしたね」
「…どうなんでしょうか?
今はあまり刺激を与えないように離れておくべきかもしれません」
「エメは、大丈夫なんですか!?」
「うん、大丈夫だよ、きっとね」
エルモアさんの慎重な言葉も、ルビちゃんの心から妹を心配した表情も、きっとエメちゃんは家族としてまたやっていけるだろうと確信した。
「おとうさん、おねえちゃん…」
「「エメ!?」」
これからのエメちゃんへの接し方について、どうしたものかと考え込んでいるところに当の本人が起き上がり話しかけてきた。
もう大丈夫だろうかと顔色を確認したところで気付いた。
この子は今、いつものエメちゃんじゃない。
なんとなく醸し出されている雰囲気がいつもと違う。
「…おかあさんが、えめのせいで、」
「エメのせいじゃない!」
ひと際大きな声を出してそれ以上先を言わせないぞとばかりに遮るのはエルモアさん。
普段の彼を知らないものの、いつもの彼からは程遠かっただろうことはわかった。
それを裏付けるかのように、目を丸くしたルビちゃんの驚いた顔が印象的だった。
「本当は、お父さんが何とかするべきだったんだ
…間に合わなかった
二人を迎えに行くのがあと一歩、遅かったんだ」
きっとこっちはこっちで慣れない人間の街で苦労しているのだろう。
見た目人間の俺が居たにもかかわらず襲われた事実があるのだから、エルフと大鬼の三人がこの街で暮らしていくには厳しいものがあったはずだ。
強い後悔、それが目に映るかのような、つらそうな表情をするエルモアさんを見てそう思った。
「…そもそもですよ
原因はその村の他のエルフたちです
家族を失ったことは、きっと一生心に残るものだと思います
誰も悪くない、今は再会を喜べれば、それがきっとお母さんの手向けになるんじゃないかとか、生意気言ってみたり…」
言いながら、なんで俺が盛り上がっているのかとふと冷静になって尻すぼみしていく。
今はそれこそ家族間での傷の共有をしている段階なのに、部外者の俺が何を宣っているのだろうかと余計な口出しをしてしまったことを恥じる。
若干時の止まった状態の室内で視線だけは痛いほどに感じる。
…ごめんなさい。
「…なんだぁ?
このしみったれた空間は」
そんな空気を吹き飛ばすのは大きな身体をしたアザレアさん。
腰を折り曲げて扉の外から怪訝な顔でこちらを伺っている。
後ろにちらりとアザミさんが確認できた。
「…こういう時は宴だ!」
空気に耐えかねたのかやけくそ気味にそう叫んだ声が建物に響き渡った。
***
結局、誰もアザレアさんの提案を断ることができずに宴は決行され、話はなあなあのままに一日が終わった。
人間の街初めての朝。
起きたい時間に起きて、各々で支度をしていた大鬼の里とはがらりと変わって、人間の街は大きな鐘の音が鳴り響いて一斉に活気づき始めた。
料理の匂いやら、朝早くから働いている人々の雑音がこの街の起床を告げていた。
「はー、人間の街は朝が賑やかかねー」
「そうですね
なんだか懐かしいです」
広い、アザレアさんが使っているという寝室に雑魚寝させてもらった俺は種族は違えど女性と一夜を共にしたことになる。
まあ、大鬼の里でもよく一緒に寝ていたし、旅の途中の野宿でも似たようなもんだったし、今更どうということはないのだけど、環境が違うとなんとなく意識してしまうわけで。
相変わらず布面積の少ないアザミさんは結構目に毒だった。
「んん、オーガ語は久しぶりやが~
朝アリサが来るいうてたがやな?」
「あ、そういえば言ってましたね
朝っていつ頃でしょうか?もう来ますかね?」
「どうやろかね
ま、その内くるが~」
何とも大雑把だが、時計なんかないしそんなものなのかもしれない。
ん?大鬼の里では日時計だったからそう思ったけど、この街になら時計くらいあるのか?
「あの、何時に来るとか、そういうのは…」
「時間?
あ~、確か人間は鐘ん音で色々決めてたか気がするがな~」
なるほど、どのくらいの間隔で鳴るかわからない鐘の音が合図と。
いつ来てもいいように準備だけやっておこう。
いそいそと服を着替える、けどそういえば、俺も大鬼の文化に染まって麻布もどきで身体を覆っているのみなんだった。
これは、早急に服を調達しなければ。
その前にお金も。
そう考えるとやることは多いな。
エメちゃんの家族を探すのをゴールにしてたせいでその辺全く頭になくなってしまっていた。
エメちゃん、大丈夫だろうか。
あの後、宴が始まってからすぐ、お姉ちゃんなエメちゃんと家族の間で会話をしていたのを小耳に聞いていたところ、活動限界が来たのか、電源が切れるかのように寝落ちてしまった。
ちょっとした騒ぎになったものの、すやすやと幸せそうに眠るその表情にいつもの幼女味を感じたため、問題ないと判断してルビちゃんの要望に沿って二人は今一緒に寝ている。
何かあったら来てもらうようにお願いはしたものの、やっぱり心配は心配である。
「…子供は親と一緒にいるんが一番がや」
「あ、顔に出てましたか」
今は亡き、いや、少し離れただけで大げさに過ぎるか。
エメちゃんのことを考えていたことはアザミさんに丸分かりだったらしい。
確かに、俺みたいな素性の知れない人間より身内に預けたほうが安心なのはわかっているけど、どうしてもここ最近常に一緒に居た手前、心配が尽きない。
そうやって、うじうじと考え込む俺とそれを慰めるアザミさん、そしてマイペースに何かを準備しているアザレアさんの三人だったが、そこに訪問者が現れる。
大鬼仕様なのか、異常に大きな両開きの扉を開けると、昨日とは印象が違って、動きやすそうな白のシャツに紺色のハーフパンツ、装飾控えめの白を基調とした剣が腰に収まっているものの、騎士とは程遠い緩い雰囲気を醸し出す女性。
その後ろにはどこか軽薄そうな、軽い印象のチャラ男。
「んー?外人か?」
「…俺に言ってます?」
誰だろうかと、凝視してしまっていたのかもしれない。
茶色の短髪がツンツンと逆立っているその男性は見たところ20代前半くらいだろうか。
八重歯が特徴的なそのワイルドで整った容姿はどこか日本を思い出させるような、そんな造詣をしていた。
不躾に外人かと独り言かのように言葉を投げかけてきた彼に、十中八九俺のことだろうとは思いながらも返すが、次の言葉は予想外なものだった。
「は?日本語喋りやがった?」
「え、」
何とも親近感の湧く顔立ちをしているなとは思ったものの、まさか推定異世界で日本語なんて単語を聞くことになろうとは予測しておらず、もろに反応してしまった。
彼は目を丸くして驚いている様子で、しばらく俺たちの間に空白が流れた。
「…二人は知り合いでしょうか?」
そんな空気を察してか、アリサさんが告げる。
知り合い、と言えば知り合いではないだろう。
けど、全くの他人でもない。
「ドウキョウ、ラシイ、デス」
そんなアリサさんの疑問に、変に片言な言葉で答えたのは目の前の推定日本人。
どうして片言?と疑問が浮かんだが、きっと彼は慣れないこの世界の言葉で答えたんだろうと推測できた。俺の不思議な力はそういう微妙なニュアンスもくみ取って翻訳してくれるらしい。
らしい、ってなんだと言わんばかりに不思議そうな顔をするアリサさんと、カミヤと言うらしい男性は何か言いたそうにこちらを伺っている。
「んー、言いてえことは山ほどあるが…
あっち出身は初めてじゃねえしな
日本人ってのは初めましてだが、後で話そうぜ?」
「は、はあ、わかりました」
あっち出身っていう言葉に引っかかったものの、どうやらアリサさんとの当初の予定を優先したらしいカミヤさんの言葉に了解することにした。
「あの、小さな子はどちらに?」
「あ、そうですよね、すっかり抜けていました
今は家族と一緒にいます」
「家族?というと、エルモアさんのところの?」
「はい、そうです」
今日の朝に迎えに来ると言っていたアリサさんの言葉をすっかり忘れて、エメちゃんをエルモアさんに預けたのはよくなかったかもしれない。
この街に入った時の三人に話があったのだろう、困ったような顔で視線を彷徨わせている彼女に、俺一人だけで話だけでも聞こうと提案することにした。
どっちにしろ言葉は俺以外わかんないわけだし、先に内容だけでも把握しておいて損はないだろう。
「では、まずこの街についてですが、」
俺がカミヤさんと同郷であることを踏まえて丁寧に説明してくれた。
ここはアメリア国の端でファンガス街と呼ばれたり、最果ての街なんて呼ばれたりする場所だとか。
大鬼の里があった森を人は帰らずの森と呼んでおり、そんな危険と密接なここには脛に傷を持った人間が集まる、言ってみれば自由な街、らしい。
そのため、特に書類による住民の制限なんてものもないらしく、腕っぷしと金さえあれば大抵のことはなんとかなってしまう街なんだと。
そんな街にも治安を維持する彼女ら太陽騎士団が居て、そんな一員である彼女は苦い顔をしながら、裏の顔であるマフィア集団について教えてくれた。
この街を実質的に支配しているのは御三家と呼ばれる三つのマフィア。
テゾーロ家、ルッソ家、カポネ家の三つ。
この御三家だけは敵に回さないようにと注意された。怖い。
そんな物騒な街で御三家以上に恐れられているらしい災害と呼ばれている五人が居て、だれかれ構わず喧嘩を売る個人というか狂人。
そんなやばい連中絶対関わるものか、と決意した瞬間にアザレアさんとエルモアさんもその災害の一人ですと告げられた。
「…なんだよ」
「あんま喧嘩しちゃダメですよ」
「うるせえ、売られたら買うだろ」
お世話になった手前強く出るわけにもいかず、ほどほどにしてくださいねとお願いする。
大鬼の頑丈さは知っているものの、周りに被害が出ては目も当てられない。
「あと俺もそうだぜ
言葉わかんなくってよぉ、返り討ちにしてやったらいつの間にかなー」
「…そうですか」
何故か自慢げに告げたのはカミヤさん。
同郷のはずだったが、なんとも好戦的らしい。
俺の言葉がわかる力のような、特別な何かを持っているのかもしれない。
彼は最近太陽騎士団に入ったとのこと。
「あとの災害二人については関わることも少ないでしょうし、」
大丈夫でしょう、と言い切ったかどうかといったところで街中で銃声が鳴った。
パァン、と軽い音だったが、それが銃声だとわかったのは、その撃った本人が目の前に居たから。
キィン、と甲高い音が起こり、あ、これ俺が撃たれたんだと気付いたのはアザミさんに抱えられた後だった。
どうやら、彼女が刀で銃弾を弾いてくれたらしい。痛みもなく、何事かと状況を把握して出した結論がそれだった。
黒のスーツに白のシャツを着崩した、何故か真っ黒の傘を差している四十代の男性。
右腕に構えたリボルバー式の銃口から吐き出される煙が、加えているタバコの紫煙と混ざり合って様になっていた。
「ブラッド、てめえ」
「んん、誰かと思えば犬っころか」
ブラッドとカミヤさんが呼んだ目の前のおじさんは、カミヤさんになど興味がないようで、その視線を欲しいままにしていたのは俺だった。
「…斬っていいがか?」
「まぁまぁ、ちと相手が悪かぁ」
今にも飛び掛かりそうなアザミさんを止めるのは意外にもアザレアさんだった。
「…前言を撤回します、彼がもう一人の災害、ブラッド・ヴァン・パープルヘイズ
こんな時間にあなたを見るなんて、珍しいですね」
「あぁ、野暮用でな」
その野暮用はきっと俺のことだろう。
全く身に覚えがないが、視線がそれを物語っている。
「…いきなり、なんですか?」
「依頼を受けてな、面識はねえが死んでくれ」
「な、い、いやですよ!」
震える声で問うてみれば、何でもないことのように依頼があったから死んでくれと言われる。
知り合いもいないはずなのに急に殺されそうになるとは、いったいどこの誰からの依頼だろうか。
「…それは私も困りますね
彼は昨日この街に来たばかりです
カミヤさんと同郷ということは、あなたとも同郷なのでは?」
「…おい、犬っころ、それは本当か?」
「しね」
アリサさんの言葉にピクリと眉を上げたかと思えば、銃口と視線はそのままにカミヤさんに語り掛ける。
当のカミヤさんは中指を立てて舌を出しながら吠えていた。
…会話になっていない。
「…ああ、英語で話しかけてきていたか、死ぬ人間に意識を割くのも馬鹿らしくてな
んん、同郷か…それはまた、めんどくさい」
ぶつぶつと独り言をしていると思えば、彼は銃口を降ろした。
「やめだ
能力がわからん上に後ろの鬼どもがうるさそうだ
割に合わんな
…よかったな、命拾いしたぞ」
「へ?」
俺が答えるまでもなく、ブラッドさんは溶けて消えた。
いきなり現れたのと同じように、いきなり目の前から消えてしまった。
「…なんとかなりましたね
じゃあ、続きですが」
「ま、待ってください!
今のがブラフかもしれないじゃないですか!」
「安心しろ
あいつは一度言ったことは覆さない
そのあいつが殺しを撤回したんだ
おめーがあいつを殺そうとでもしない限りは大丈夫だろ」
二人がもう大丈夫だと言わんばかりに話を進めるから俺は無理やり納得するしかなかった。
嵐のような出来事に、話は頭に入ってこなかった。
***
夜、青の月が爛々と輝くそんな異世界の街二日目に俺はカミヤさんと二人で飲んでいた。
カミヤさん、本名は狼谷橙利、彼に誘われて飲みに行くことになったが、朝あんなことがあったのだ、アザミさんが心配してついて来ようとしたものの、大鬼が飲める店なんてないとのことで、断念した。
どうしても行きつけの店に招待したいという彼の意志で、アザミさんを瞬殺して連れてこられたのがついさっき。
そう、彼はアザミさんを簡単に伸してしまった。
アザミさんが負けるとこなんて初めて見た俺は断ることなんてできず、俺が守ってやるからって軽い言葉に頷くことしかできなかったのだ。
「するってぇと、おめーは今年の星無の日にこっち来たのかー
俺はな、五年くらい前にこっち来てよー」
酒の入った彼は上機嫌にこれまでの武勇伝を語る。
まあ、獣のような特徴に覆われた彼が酒に酔うことがあるのかどうか。
驚いたことに彼は日本出身の狼男らしい。
月が出る夜に獣人のような、狼に変身するようで、目の前には三mに届きそうな立派な体躯をした狼男。
月の夜は彼の独壇場らしく、敵なしであるとのこと。
出来事が怒涛過ぎて、俺の脳はキャパオーバーである。
この世界に降り立つ際に彼も不思議な力を授かったらしく、内容は教えてくれなかったが異世界でもそれなりに楽しくやれているとのこと。
朝殺されかけたブラッドさんは、地球出身の吸血鬼らしく、英語を喋っていてよくわかんねえいけ好かないやつだと説明された。
地球も立派なファンタジーだったらしい。
気に入らないからと、吸血鬼の彼の能力を教えてもらった。
どうやら影と血を操るらしい。
弱点は太陽で、昼間にはめったに顔を出さないらしく、あの傘で何とか外に出ていた状態だろうと推測していた。
月のない夜以外は俺のが強えと豪語する彼の言葉は酔っ払い始めたのかろれつが怪しかった。
「ふむ、失礼する」
そんな彼の武勇伝を聞いていると、何でもないように噂の張本人が隣に腰かけてきた。
あまりにも自然なその様子に警戒することも忘れてただ目を丸くしてしまった。
人間驚きすぎると声が出ないんだなと新たな発見であった。
「そう、身を硬くするな
依頼は破棄してきた
折角の同郷だ、仲良くやろうではないか」
「おー、てめぇの分は出さねえからな?」
「ふん、犬っころに世話になるわけなかろう」
この二人は仲がいいのか悪いのか、軽口を叩きながら酒を飲み比べ始めた。
…考えるだけ無駄なのだろうか。
二人の様子に脱力しながら、お酒でも飲んで紛らわせることにした俺は、やっぱり大鬼の里の食べ物、飲み物の方がおいしかったなと思いをはせる。
「ああ、そうだ
お前を殺そうとしたのはテゾーロのとこだった
あまり自分の能力を大っぴらにするのは感心しない」
「は、あ」
急に言われて何のことかと思考を停止したが、聴いたことのある名前にマフィアの一つだと酔いがさめる。
能力を大っぴらにってのはどういうことかと口にすれば、俺の言葉の力がバレていたらしい。
特に誰にも話したことなかったはずだと首を傾げていると、どうやらアリサさんの報告で推測されたらしいことを教えられた。
エルフとオーガの言葉を使う人間がいると。
それがどう都合が悪かったかは想像できないが、そのせいでブラッドさんに殺されかけたわけだ。
どうしてアリサさんの報告がマフィアに行くんだよ、と思っていると、マフィアのスパイはどこにでもいると無表情に告げられた。
もしかしてアリサさんが敵かと驚愕していたが、別の意味で度肝を抜かれた。
この街、危険すぎやしないだろうか。
「まあ、しばらくは大丈夫だろう
あの大鬼どもは中々骨が折れる」
「はあ」
慰めなのか何なのか、紫煙を吐き出しながらそう告げるブラッドさんに気の抜けた言葉が口を出る。
能力を大っぴらに、とはいうものの、俺自身自分のこの力がよくわかっていないのだ。
どこでぼろが出るかわからない。
なんて会話をしていると、じゃあその能力で居場所を確立しろとアドバイスされた。
この街になくてはならない存在にさえなれば、むやみやたらに命を狙われることはないだろう。
寧ろ、その有用性さえ示せれば勝手にボディーガードが増えると教えてもらった。
簡単に言われたものの、どうすればいいのかアイデアも浮かばず、自然と話題は別に移った。
この世界や国のこと、種族だったり魔物だったり、魔法の存在や文化の話。
カミヤさんがアリサさんに惚れて太陽騎士団に入団したことや、金さえ稼げればそれでいいらしいブラッドさんの依頼先まで、意外と話しやすい二人に挟まれながら、エメちゃんは今頃寝てるかなと、そんなことが脳裏をよぎった。
***
朝、またも鐘の音で目を覚ました俺は部屋の隅に縮こまってのの字を書いている大鬼へかける言葉を探していた。
昨日、カミヤさんに子供のようにあしらわれた後からずっとこの調子らしい。
何とかしろとアザレアさんに言われて、どう言葉を始めようかと悩んでいると、一日ぶりの幼女の声が聞こえた。
これ幸いとばかりに話しかける。
「あ、アザミさん!エメちゃん帰ってきましたよ!
高い高いしてあげましょ!」
「…気が乗らんが」
何とも弱弱しいアザミさんを説得して、大きな声でただいまーと叫んでいる幼女を迎えに行く。
今まで負けたことなかったらしいアザミさんには昨日の出来事は中々酷だったろう。
立ち直ってもらうにはエメちゃんの笑顔くらいしかない。
「エメちゃん!どうだった?楽しかった?」
「うん!いっぱいたべた!おにくにおさかなにあまいやつも!」
どうやらエメちゃんは一日食べ歩きの幸せに浸っていたらしい。
今もお弁当だろうか、暖かそうな串焼き肉を両手に抱えて笑顔で昨日の出来事を教えてくれた。
後ろのエルモアさんもニコニコと話を聞いている。
ルビちゃんに至っては少し人見知りが発動しているのか、お澄まし顔でエメちゃんの話を聞いていた。
それにしても、楽しい一日を過ごせたようで何よりである。
心なしか少しふっくら度が増している気もする。
アザミさんはそんなオーバーリアクション気味のエメちゃんを見て少しだけ微笑んでいた。
あとは時間が解決してくれるだろうか。
「おー、なんだこのちっこいのは」
「おにいさん、だぁれ?」
そこには、今だけは遠慮してほしかった人物。
カミヤさんがエメちゃんと同じ串焼きを頬張りながら話掛けてきた。
アザミさんの表情が硬くなる。
「アザミねぇいじめちゃ、だめ!」
エメちゃんなりに何かを察したのだろうか、アザミさんの前に立ちふさがって威嚇し始めた。
けど、その行動はアザミさん的には少し来るものがあるかもしれない。
何言ってんだこいつと言わんばかりのカミヤさんに通訳する。
「ああ?なんで俺が虐めるんだよ
そいつの方が強えのによ」
「アザミさんのほうが強いのになんで、だってさ」
「そ、そっかぁ?」
自分でもどうしてそんなことしたのかわからなかったんだろう、不思議そうに小首をかしげて納得したエメちゃんだった。
にしても、昨日はあんだけ軽くあしらったにも関わらず、アザミさんのほうが強いとはどういうことか。嫌味だろうか。
なんて推測していると、彼と目が合った。
「ん?昨日のことだったらノーカンだぜ?
だって月の夜なんだからよ、俺が勝って当たり前だ」
「ああ、そういう」
月が出ていた夜だからこそあそこまでの差だったらしい。
所謂ドーピングみたいなものだと思えばいいんだろうか。
「…なんて言ってるだか?」
軽く説明する。
彼が月の夜に特別に強くなること、エメちゃんの言葉はアザミさんのプライドに障るかもしれないと思ってぼかしたが。
「負けは負けやが
次は絶対勝つが」
言いながら、すこしだけ表情が柔らかくなっているのに気付いた。
何とか一区切りついたらしい。
まあ、言葉通りいつかリベンジマッチは起こしそうではあるが。
「あ、そういえばカミヤさんはどうしてここに?」
「金、何をするにしても入用だろ?」
にやりと悪そうな笑みでそう告げた彼の手には、しっかりした造りの古本。
年代物だろうか、確かな重みを感じた。
「これ、見た目以上に古いらしくって誰も解読できてねぇんだと
昨日おめーの話聞いてピンときた
文字も読めんじゃねえのかってよ」
言われて、そういえばと振り返る。
俺、この街に来てから文字で不自由してない。
無意識過ぎて気づかなかったけど、街を歩けば嫌でも目に入る文字は普通に読めていた気がするし、昨日の店でのメニューも普通に注文していた。
そう思って、彼の手にする本の表紙に目を向ける。
≪魔術及ぼす影響について ~人体実験編~≫
何とも物騒なタイトルだなと思った。