ぽっちゃりエルフ幼女に出逢った。
三十一日。
俺がこの世界に来て経った日数。
見るもの全てが大きくて初めてでワクワクの毎日ではあったが、大枠で捉えれば田舎とあまり変わらない暮らし。
それに俺は小さくて弱い人間だからと、無償で寝床から食べ物まで提供される日々。
申し訳ない気持ちでいっぱいな毎日であり、俺ができることといえば掃除洗濯くらい。
それもこんな大きな生き物の物ともなれば微々たる助けにしかならず、むしろ邪魔になっているのではとビクビクしている今日この頃。
そんな今日、今までの生活に動きがあった。
狩りをやるらしい。四里合同のアレだ。
前回はそれはもう巨大な恐竜を仕留めて来た彼らは今回も張り切っている様子で、俺も何かの役に立たないかと立候補して即座に拒否された。まあ、わかってた。
もしかしたらこの世界に降り立って秘められた何かの力が開眼するかもしれないじゃんと、誰に言うでもなく思いながら大鬼たちの逞し過ぎる背中を見送った。
前回はまだ許可されていなかったらしいベニさんも今回は行くらしく、立派な刀を貰ってはしゃいでたのは記憶に新しい。
大鬼の間では成人すると刀を貰えるそうだ。
ベニさんは数日前に成人したらしく、受け取った刀を寝る時すら肌身離さず抱いている。
この世界の、というか、大鬼族の中にある暦で、今日は999年の緑月一日目らしい。
この里では赤橙黄緑青紫の六つの月と、色の間に挟まる六つの月無の夜を合わせた十二の夜でひと月を区切っているらしい。
そう、この世界には月が六つある。驚きの事実だ。
月が六つある、と言うよりは、どういう原理か、この世界の月は色が六回変わる。赤橙黄緑青紫と順々に。
月が欠けて月無になるまで三十日、色が変わる節目には月無という、文字通り月がない星だけの夜が三十日、合計三百六十日で一周する、らしい。
そこに星さえも隠れてしまう星無の夜が月無の夜に一日だけ。
赤月の満月が三十日掛けて欠けていき、月無に、それから三十日経てば急に橙月の満月が現れて、また三十日掛けて欠けていく。
まだ三十一日しかこの世界を知らない俺は未だに半信半疑である。
これを一年と捉えれば地球と五日違いの周期。
体感では一日の長さは地球とそこまで遠くはない。
なんとも綺麗な収まりようである。魔法か何かの類かもしれない。
ちなみに俺がこの世界にやって来た日は黄月無の一日目で一年に一度の星無の夜。
つまり、俺は月がある夜をまだ知らないわけで。
月がない夜を過ごしてみた感想だが、都会育ちだった俺には爛々と輝く無限の星空は新鮮で、夜に空を見上げるだけで感動ものだった。
その輝く星々の中でも一際目立つ輝きをした一等星が、月の無い夜の主役だと言わんばかりに自己主張していた。
まるで何かが俺を包み込んでいるかのような。
決して触れることすら叶わないその星々に、俺は安心する何かを感じたのである。
そんな眩く輝く星たちも、今日から現れるらしい緑色の月に主役を奪われる、大鬼たち曰く月をより輝かせる大事な存在を買って出ているんだと。
訛りのひどい彼らがそんなロマンチックなことを言うもんだから、びっくりしていると、古いお話であるらしい。
むかしむかし、という言葉じゃ表せないくらい昔の話なんだと。
そんな昔話が今も大鬼たちが語り継いでいるのを聞いて、なんかいいなと思った。
...話がそれにそれたが、つまり俺はいつも通りお留守番で誰のなんだかわからない麻布を川まで洗いに行く一日が決定したのである。
いつも通りアザミさんとイチハさんが護衛について、というか彼女らに運ばれながら川へ洗濯に。
俺は彼女らの十分の一にも満たない量の洗濯を終えて、里へ帰る。この繰り返し。
ちなみに狩りは男限定らしい。
女子供は危ないから家を守ってくれと、昔からの決まり事なんだと。
現代の感覚で言えば時代錯誤も甚だしいと声高らかに宣言する人もいるだろうが。
生き物には向き不向きがあるのだ。
女の大鬼が男の大鬼より一回り小さいように。
...俺が川で洗濯しているように。
異世界に来てやることが川で洗濯って地味じゃないだろうか。
しばらく里の子供たち、と言えるのか疑問な、もうすでに立派な体格の大鬼たちにもみくちゃにされながら、今日は何を狩ってくるんだろうかと想いを馳せる。
前回はあんだけでかい恐竜だったんだから、今日も期待してしまう。
まあ、一番はみんな無事に帰ってくることだけども。
なんて、思ったのが悪かったのか、狩りから帰ってきた大鬼たちの様子に里は慌ただしくなった。
「ベニ!?
どうしただか!?」
「ふん、こんのあほうめ、尻込みしよったがや!」
「ご、ごめんだ」
右肩から左胸にかけて大きく引き裂かれたかのような裂傷をしたベニさんが、申し訳なさそうに他の大鬼に肩を借りながら。
俺は頭が真っ白になって意味もなくベニさんの元へ走り寄る。
「な、治します!
キュア!ホイミ!
くそっ!ヒアリング!カバー!
...っなんか、なんかあるんだ俺には絶対!」
異世界に来たんだから、何かしらの力があるのはお約束だろう!今がその時だろ!
治れ治れと知ってる呪文を片っ端に叫ぶ俺に、そんな都合よく何かができるわけもなくて。
「だ、大丈夫だぁ
西のアオイさんに魔法さ使ってもらっただかよ」
困った顔でそう告げるベニさんの傷を冷静にみてみれば、傷痕はひどいが血は止まっているように見えた。
...一人で盛り上がってバカみたいだ。
穴があったら入りたい。
「んだども、人間さのお陰かだいぶ良くなって来たがや〜
ほ、ほ〜れ、腕も軽かが、っ」
「ほ、ほんとだがや!す、すげかな〜人間は」
「い、いやすみません、無理せず安静にしてくださいね」
ベニさんの優しさだろう。
俺のお陰も何もないだろうに、無理して腕を動かすから、まだ痛みも残ってるだろうに。
イチハさんもベニさんを庇うように、痛みに引き攣るベニさんの顔を身体で隠すように俺に話しかけてくる始末。
...情けなさすぎる。
「...まあ、無理すんながや
そん傷治ったらもっぺん性根ば叩き直すからや」
「...んだ」
しょぼんと効果音がつきそうなほどに落ち込むベニさんの様子に、何か俺でもできないかと考えるが、悔しいくらいに何も思いつかない。
そんな頭でっかちな俺とは違って、イチハさんはその肩を支えていた薄緑色をした男の大鬼からベニさんを掻っ攫って部屋へ運んで行った。
「...着いてかなくていいだか?」
「...今ベニさんに必要なのは俺みたいな弱っちくて何もできない人間じゃないです」
あまりにも、あんまりな無力感につい、アザミさんにまで当たってしまう俺のなんと小さきことか。
「ふ〜ん?
アザミからすれば、人間もベニも一緒がや〜
どっちも弱っちくて、やさっこいお人よしだがや
けんど、おめベニと仲良くやってただ?」
「...ベニさんは俺とは比べ物にならないくらい強くて優しいです」
「だ〜か〜ら〜!
アザミからしたら一緒!
狩りで怪我してこ〜んななってたがや!
長があんなに怒ってんだからよ、きっと事故とかそんなんじゃなかよ
弱っちくて怪我しちまったんだがよ」
「べ、ベニさんは弱っちくないです!
アザミさんにはわかんないですよ!」
こ〜んななってと大袈裟に肩を丸めてベニさんをバカにするようなアザミさんの様子に、少しムッとして大きく声を荒げて、しんと静まったところで俺はやってしまったことを後悔した。
里の中ではなぜか女の大鬼なのに一目置かれているアザミさんに向かって、売り言葉に買い言葉で喧嘩腰に言葉を返すだなんて。
恐る恐る顔を上げて様子を伺うと、そこには激昂したアザミさんが...いなかった。
何言ってんだお前とばかりに心底不思議そうなキョトン顔をしたアザミさん。
え、俺の言葉なんか難しかった?
「そりゃおめ、わかるわけなかが〜
アザミはベニに喧嘩で一回も負けたことなかからな〜
弱っちいやつのことなんてわかるわけなかがよ?」
何言ってんだお前とばかりに呆れ顔で言われてしまい、面食らう。
いや、そういうことではなくてですね。
今のはあんたなんかに何がわかるんだと駄々を捏ねたみたいな、そういうどうしようもなく恥ずかしい負け犬の遠吠えみたいなやつでして。
てか、アザミさんってやっぱり強いんだ。
そんな俺の心の声など梅雨知らず、アザミさんは言葉を続ける。
「だから、アザミにはわかんねこともおめならわかるんじゃなかが?
なんでえ、おめはベニに必要なかなんて言ったがや?
必要なんわ、ここをわかってくれる友達やなかっけ?」
ぽよんと、その大きな胸を叩いて不思議がるアザミさんの言葉に俺は頭を引っ叩かれたかのような衝撃を受けた。
...真理だ。
「んで?
行くがか?」
「...ごめんなさい、行きます」
「あっはっは、人間はよ〜謝るこったな〜」
わははと豪快に笑いながら俺を抱えてベニさんとイチハさんが行った先へ歩き始めるアザミさんに、俺はベニさんに何ができるだろうかと頭をフル回転させる。
そもそもどうして怪我をしたのか、いや、傷を抉るようなことを聞くのはよくないか?じゃあ、慰める?いや、こんな自分より弱い人間からそんなことされたら余計落ち込むんじゃ...やっぱり普通に世間話でもするか?...なんで来たんだこいつはって思われるよな、じゃあ
「ベニのこと愛しとるが!」
ぐるぐると回せば回すほど泥沼に陥る俺の思考は、突如聞こえたイチハさんの愛の告白に全て吹き飛ばされた。
俺の止まった思考とは裏腹にそろりそろりと声の元へ勝手に近付いていく俺、というかアザミさん。
っておい。
「な、何やってるんですか?」
「しー、こんな面白かことなかがや」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべて尚も近付いていくアザミさんに、あ、これはテコでも動かないなと諦めた。
...俺も少しだけ興味をそそられたことは内緒だ。
ここは、イチハさんとアザミさんの家だな。
イチハさんは自分家にベニさんを運んだらしい。
なかなか大胆、いや、ベニさんの家は長の家でもあるのか。
狩りで何があったかは知らないが、あまり顔を合わせたくないのもあるだろうか、イチハさんはベニさんのことを思いやったのだろう。
流石はアザミさんと言うべきか、我が家の構造を知り尽くしている彼女は絶好のスポットに陣取ったようで、丸太の隙間から覗いてみれば、二人が抱き合っている姿が目の前に。
い、いけません、始まってしまいます!
何がとは言わないが、姉としてそういうの気にしないの?...そのニヤリ顔には愚問でしたね。
こんなことが起こっているだなんて少しも思っていないであろう二人は尚も言葉を続ける。
「ベニののんびりしたとこも、お人好しなとこも、自分より弱いものば傷つけるんができんとこも全部!
イチハは優しかベニのこと全部がすきがや!」
「お、おで、狩りもろくにできなかよ?
さっきだって狩りだったけんど、殺せんでこのザマがよ?」
「どうせ弱っこい獲物にでも当たったがやろ?
そんでそん刀で傷つけるんができんかったがやろ?
ベニは優しかやけ、狩りはイチハがやるがや!
ベニは家さ守って待つがいいが!」
なんとも男らしいイチハさんの宣言に、そういうのアリなのかとアザミさんを見やれば、初めて見る険しい表情。
眉間に皺が寄って、今にも怒鳴り出しそうな雰囲気のアザミさんの様子に一人でアタフタしていると、視界の端に複数の影があることに気付いた。
あ、みなさん覗き見てたんですね。
まあ、そりゃこんな大きな声で喋ってたら何があったか気になるよね。
..どうなることか。
「...イチハ、これはおでの仕事だがや」
静かなトーンで刀を抱くベニさん。
そこには普段の優しさも影を潜めて、静かなのに男らしい、ベニさんであって、ベニさんでないような確かな迫力があった。
「...んだらしゃんとし!」
「イチハ、おで、...おめに見合う立派な男になるがや」
そして二人は顔を近付けて、え、いや、見てていいのこれ?!
アザミさんや一緒に隠れてる大鬼を振り向けば、これでもかというくらいにガン見。一瞬すらも見逃すまいとするその危機迫るガン見に、俺は種族間の価値観の違いなのかなと悟った。
うわ、そんな感じなの?牙が、あぁ、そんな、大鬼のキスってそんな、え、そんな、え、それどうやって?え、す、すごい...
...郷に入っては郷に従えって言いますし、ちゃんと全部見ましたよ、ええ。すごかった。
あと、これはなんともムーディーな雰囲気が漂ってきてるけど、大丈夫なんだろうか。
「「よく言ったがや!」」
何かが始まってしまいそうな雰囲気に、流石にこれ以上の覗きは不味いんじゃなかろうかとドキドキしていると、大声と共に開かれる扉。
バンッ、と大きな音と共に扉が開かれて大鬼たちが雪崩れ込んでいく。
結構な人数が覗き見てたし気持ちはわからんでもない。
俺が思っていたように、二人がそれ以上に突入しかけた空気を悟ったのかもしれない。流石にそこまでは大鬼の世界でも御法度なのだろうか。
「と、父ちゃん!?それにみんなも!?」
「ふん、おめぇがここで何も言わんかったら叩き切るところだったがや」
「え、あ、...父ちゃん、いや、長、おでもう弱っちいのやめた
もういっぺん連れてってほしいがや」
「言われんくともそのつもりやが!
いくが!」
「「おう!!」」
赤い肌をさらに赤くさせたベニさんは、今の流れが見られていたことへの羞恥心と、甘い空気を吹き飛ばすというか、うやむやにするというか、そんな力技に出た長の発言とに混乱しながらも、切り替えて真剣な表情で決意を言葉にした。
そしてそのままぞろぞろと行く大鬼たち。
...その怪我で行くのだろうか。日を改めることはできないのだろうか。
とは思ったものの、ベニさんの覚悟を聞いてしまった手前、言い出せる雰囲気ではない。
どうするのが正解なのかとオロオロしていると、アザミさんと目が合った。
「...大丈夫、長もみんなもわかってるがや
今は無理するとこ
こういうんはココが一番だかよ」
ぽよんと胸を叩いて、狩りに行く背中に目を向けるアザミさん。
釣られて俺もその背中を追いかければ、ベニさんに気付かれないようにか、イチハさんに向かって小さく力瘤を見せる大鬼たち。
この里でよく見るそのジェスチャーの意味は、任せとけ。
きっと、この狩りは今のベニさんにとってとても大事なことなのだろう。
里のみんなが一丸となってそれをサポートしているその光景に、思わず涙腺が緩んだ。
「...大丈夫、大丈夫」
「...んだ」
そっと、妹に言い聞かせるように何度も繰り返すアザミさんと、それを震える背中で受けるイチハさんの様子に、二人も当たり前に心配しているんだなと、さっきまでの自分の落ち着きのなさを思い出して恥ずかしくなってくる。
「あ、あの、すみません、覗くつもりはなかったんですけど...」
何か他の話題で気を紛らわせようと、とりあえずさっきの覗きを素直に謝罪する。
するとイチハさんはきょとんとした表情をして、ニコリと微笑んだ。
「男ば立ち直らせるんが女の仕事がや
男を男にするんが惚れた女の幸せがや」
「...え?もしかして全部知ってて?」
「...ベニには内緒だかんや?」
少しだけ頬を染めてそう告げるイチハさん。
...恐るべし大鬼の里。
その後大きな怪我もなく、日が暮れて帰って来た大鬼たちは、これまた大きな戦果を携えていた。
これがおでからイチハへの証やが、とすっかりかっこよくなって帰って来たベニさんに、真っ赤な顔で幸せそうに笑顔を浮かべたイチハさんの可愛さと言ったらなかった。
宴会で聞いた話だが、ベニさんのように生き物を殺すことに踏ん切りがつかないって例は珍しくないらしい。
ベニさんのように心優しい人だったり、そもそも争いごとが苦手な人だったり、そういう人は一定数居るんだと。
それでも乗り越える人が大半で、理由を聞けば、今日の二人を見てもわかんねえのかと笑われた。
愛する人のために自分の苦手を克服する。
文章にしたらたったそれだけのことを、たったそれだけのことにしたベニさんがかっこよすぎて、俺も変わりたいと思った。
劇的ではなくても、少しでもベニさんの友達だと胸を張れるように。
なんて思っていたからだろうか、ついに俺にも仕事が回って来た。
「ああ、そうだったがや〜
人間さ、おめぇ北の里ばいってこい」
「はい?」
追放の二文字が脳裏をよぎる。
「も〜、父ちゃんは酔っ払うと言葉が少なくなっていかんが〜
北の里におめと同じちっこいのがおるがって〜
おめと違って何言っとるかわからんがって困っとらしいがよ〜」
「人間!?
え、この世界の人間!?」
お酒も入っていたこともあったが、世界がどうとかあんまり口にしない方がいいだろうと気を付けていたものの、思わず飛び出てしまった。
周りも似たり寄ったりで俺の発言に引っ掛かるような人はいなかったが。ベニさんなんて長呼び抜けちゃってるし。
「明日出発するがや
半日くらいで着くがよ〜」
「はい!わかりました!」
この世界で初めての同類の存在にテンション上がって敬礼までしてしまった。
自分にも何かできるかもしれないという高揚感とお酒の魔力にやられて、深く考えもせず俺は眠りについたのだった。
空に浮かぶ緑の月が綺麗な夜のことだった。
***
「よっし
こんなもんだがや」
「傷大丈夫そうでなによりやが〜」
昨日の今日ですっかり復活したベニさんを見て、俺は大鬼には逆立しても勝てないなと悟りを開いた。
今、俺たちは北の里へ向かう道中。
今日の朝、俺が行くなら、とアザミさんとベニさんが真っ先に付いてくることを宣言した。
女に怪我人の二人だったが、揺るがない意思に観念した長はこれを渋々承諾。
ベニが行くならとイチハさんも手を挙げて、一度は断られたものの、姉ちゃんだって行くんだからいいでしょと綺麗なカウンターを喰らわせていた。
今回は狩りをするわけでもなく、危険な道は通らないらしいのでそこまで強く拒否する必要もなかったってのもあるが、怪我人に女二人と長っていう、俺の仲良しオールスターズで北の里に向かうことに。
そしてこの旅、というかちょっとした遠足は特に大きなイベントもなく、目的地に到着したらしい。
そこまで東の里とは大きく変わらない建物の様子を見て内心落ち着いている自分に、すっかりあそこが俺の帰る場所になったんだなと。
北の里の長と会話をしている長だったが、すぐに話は終わったらしく、丁度ご飯の時間だと連れられて向かった先は他と比べるとずいぶんと小さな小屋だった。
ここでご飯?と首を傾げていると、どうやら俺の勘違いだったらしく、目的の人間がこの小屋で過ごしているとのこと。
ご飯の時間ってのはその人間へのものだったらしい。
へー、言葉も通じないのにご飯も用意して住む場所も与えて、やっぱり大鬼は里が違ってもお人好しの種族なんだなと微笑ましく思っていると。
「...ぐすっ、えぐ、た、たべられるんだ
いっぱいたべさせて、っふとらせて、ひくっ、たべられちゃうんだっ」
と、小屋の中から何とも見逃せないガチ泣きの子どもの声が聞こえてきた。
なんだか雲行きが怪しくなって来たぞと気を引き締める。
北の里の長が用意した食事には肉に魚に野菜に果物にと、とりあえず全部詰め込みましたと言わんばかりの贅沢盛りの一品。
「何言ってっかわかんねけど、食べれねといけねと思って色んなのいれてんだ〜」
と、善意百パーセントの笑顔で照れながら頭を掻く北の長に、なんて言っていいのかわからず、曖昧な笑顔で誤魔化した。
とりあえず、状況がよく飲み込めない、いや、理解を拒否しようとする頭を冷やすためにも彼の食事の差し入れを見学することにしよう。そうしよう。
現実逃避とも言っていい。
そして、扉を開けた先に居た子どもに眼を奪われた。
真っ白の肌と肩で切り揃えられた薄緑色の髪をしたぽっちゃり体型のガン泣き幼女。
小学一年生くらいか?いや、もう少し幼いか?
耳先がとんがっていて、これは、エルフってやつなのか?
ぽっちゃりエルフ幼女のぐちゃぐちゃの泣き顔に俺の脳は一旦処理を中断した。
「っ、またきたっ、ひくっ
さっきもいっぱいたべたのに...っどんどんでてくるっ」
「怖くなかよ〜
いっぺ食べてええからな〜」
「...っひ、おいしくそだってほしいんだっ
あのおっきなはで、っ、たべっ、たべられちゃうんだぁあ!」
「お、おめこれがすきだったか〜?
そんな大きな声ば出さんでもたくさん持ってくるがよ〜」
ニコニコと笑顔で話しかける大鬼と、涙で顔がぐしゃぐしゃの幼女という。
これは、どうすればいいんだろうか。
なんて話しかければいいの?
というか、何でどっちも話が噛み合ってないの?
どこから突っ込むべきなの?
俺は試されているんだろうか。
「でも、っ、おいしくてっ、ひぐっ
おいしい、んぐ、あ、またたべ、ちゃった
ふとっちゃう、っでも、おいしっ、このままじゃ、ふとって
ったべられっ、たべられちゃうんだぁ...」
「よしよし〜
今日もいっぱい食べただな〜
また持ってくっからな〜、それまでゆっくり寝てな〜
いっぱい育つからよ〜」
身体中の水分がなくなるんじゃないかと思うくらいに涙を流す幼女は、泣きながらもなぜか美味しくご飯を頂いているようで、いっぱい食べたからなのか、泣き疲れたからなのか、気持ちよさそうに眠りについた。
さっきまでのギャン泣きが嘘かのように満ち足りた寝顔である。
てってれーはいつだ?これは俺の何を試しているんだ?
「はー、おめとは全然違かったがや〜
何言ってっかもまったくわかんなかったけどよ〜
あんなに泣いて、そんなにおいしかっただかな?」
「え?」
「んでも、困っただな〜
全然何言ってっかわがんねかったけどよ〜
人間はどうだったがか?」
「え?」
俺は状況に混乱していた。
正直何が何だかわかっていない。
ベニさんの様子を見るに本当に言葉が通じていない?
ベニさんも仕掛け人か?
いや、流石にそんなことする人だとは思っていないが。
これは俺がおかしいのか?
だとしたら何がおかしいんだ?
...言葉がわかるのがおかしいのか?
「...けんど、普通泣くのは痛かったり寂しかったりした時だがや
げんに人間が泣いてるとこ一回だって見たことねえがよ?
あのちいせえの大丈夫だか?」
「そ、そうなんか!?
こういうちっせえのはよく泣いて、よく食べて、よく寝るんじゃなかっただか!?」
アザミさんの言葉には真に迫るというか、なんか本気の心配を感じた。
衝撃の事実とばかりに表情を激しく変化させる北の長の様子に、どうやらふざけているようじゃなさそうだと一旦真面目に考える。
...やっぱ俺がおかしいのか?
「あの、一旦いいですか?
...正直に本気で答えてください
みなさんはあの子が何言ってるかわからないですか?」
「「?」」
みんなの頭の上にはてなマークが浮かぶのが目に見えるようだ。
そうだって言ってるじゃんとばかりのその反応に、俺は自分のやらかした過ちに冷や水をぶっかけられた気持ちだ。
ってことは、この子は本気で怖がって泣いてたのか。
...それなのに俺はそんな子を眺めて。
「ど、どうしただか?
なにか変なもん食っただか?」
「...いえ、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてたところです」
過ぎたことをウジウジ考えてもしょうがない。
しょうがないとはいえ、泣いてる子どもを目の前にして状況把握に躍起になって目の前が見えてなかった自分の脳みそを恨む。
最初に何も考えずに動くべきだった。そもそも幼女があんな演技できるわけないだろうと少し考えればわかっただろうに。
怖くないよ大丈夫だよと、なぜか俺だけに通じる言葉に応えてやるべきだった。
「北の長さん
この子拾ってどのくらいですか?」
「んー、一昨日の黄月無最後ん日さ若いもんが拾って来ただよ」
「ご飯は何度あげてますか?
量は?」
「このちっこいのが起きたら今くらい持って来てたがや」
寝て食って寝て食ってってことか。
ある意味拷問...いやでもあんだけ泣いててしっかりおいしいおいしい言ってたし一概には言えない、のか?
「この子はどのくらい寝るんですか?」
「夜はずっとだがや
明るい時は四回は寝るがや」
一日四回もあの量の食事を摂って寝るのか...。
いや、四回は寝る回数で、朝に一回起きるわけだから一日五食?
よく食べてよく寝る末恐ろしい幼女だ。
余談だが里の時計は日時計で賄っている。
「...まず、そんなにたくさんのご飯はいりません
一日三食で十分です
あと、これは大変心苦しいことを言いますが...」
「そうだっただか〜
それで、な、なんだか?」
「...この子はめちゃめちゃ怖がってます
なので、次起きた時は俺から話しますがいいですか?」
「んー、おめぇはこんのちっせぇのの言ってることがわかるがか?」
「はい、実は普通にわかってて
最初はみなさんで俺を騙そうとしてるのかと変に考えてしまって...申し訳ありません」
「...このちいせえのは怖くて泣いてただか?」
「...はい
ですが、ちゃんと話してわかってもらいますので、その辺は」
「そんなんどうでもよか!
ちゃんと安心させてやらんがか!」
「はい!」
すごい剣幕でアザミさんに怒られた。
変に静かだなと思っていたら、この子のことを本気で心配してたようだ。
あと、この世の終わりみたいな顔で放心している北の長のメンタルケアも必要そうだ。
彼に視線を向けると、任せてとばかりに目配せをするイチハさん。
「じゃあ、俺はここに残りますのでみなさんは一旦...」
「ほれ!はやくせんがか!
起きたらどうすっか!」
物凄い勢いでみんなを追い出すアザミさんは本当にこの子が心配なんだろう。
...ただ声が大き過ぎてこの子起きちゃったけど。
幸い、と言っていいのか、彼女が起きたのはみんなが退散した直後だった。
「...あれぇ、ここどこぉ?
だれぇ?」
寝ぼけているのか、さっきまでのことはすっかり頭から抜け落ちている様子のぽっちゃりエルフな幼女。
なんだこの可愛い生き物はと戦慄する。
俺はこんな子に徒に怖い思いをさせて...。
「大丈夫だよ、ここは安全な場所
お兄さんは」
そういえば名前を名乗るの初めてだなと。
「俺は、あれ?だれ、だっけ?」
あれ?俺ってなんて名前だっけ?
...なんでそんなことに今まで少しも引っ掛からなかった?
「だいじょぶ?
こわくないよ?」
「あ、ああ、ありがとう
やさしいね」
俺が一人でパニックに陥っていると、小さな手で一生懸命に頭を撫でてくれるエルフ幼女。
この子を安心させようと目線を合わせたはずなのに、逆に俺が慰められてしまった。
けど、俺の言葉に照れているのかニマニマとしながら撫でる手を止めないこの子の様子に、しばらくはこうしていようかと思い直す。
「お嬢ちゃんは?なんて名前なの?」
「えめはね、えめっていうの」
頭を撫でられながら聞いてみればニコニコと笑顔で答えてくれる。
ふと、同じ目線にして初めて気付いたが、この子の眼。
「綺麗な色だね
宝石みたいなお目目」
「...でしょー
えめらるどっていうのににてるんだって
えめのなまえといっしょ!」
えへへー、と笑う目の前の子に父性が沸いて出た瞬間だった。
守りたいこの笑顔。
「じゃあ、お兄さんの眼の色は何色かなー?」
「んー?
あ、こら、じっとしてなきゃみえないでしょ!」
きょろきょろと眼を動かして遊んでみたが、怒られてしまったので大人しくすることにした。
「わー、まっくろ!
きれい!ほしのよるみたい!」
「星の夜?」
「しらないの?
つきがないよるなんだよー?」
月無の夜を星の夜って言ってるのかな?
もしくは、星無の夜のことか?
そうか、ふむふむ、よしきめた。
「知らなかったや、教えてくれてありがとう
あと、お兄さんの名前はね
せいやって言うんだよ」
「せいや?
せいやおにいさん?」
「好きに呼んでいいよ
せいやでもせいやお兄さんでもお兄ちゃんでも」
「んー」
星の夜でせいやってのも安直かもしれないが、俺にはあんまり名付けのセンスはないみたいなので。
...別の漢字を当てられる気もするけど、こういうのはやっぱり勢いとフィーリングでしょ。
むむむ、と真剣に悩み始めたエメちゃんの様子にほっこりすること数分ほど。
中々真剣に悩んでくれた結果は。
「せいやにい、じゃだめ?」
「...いいよ」
やったーと喜ぶエメちゃんはきっと将来魔性の女に育つことだろう。
なんだこの庇護欲は、これが父性か、これが父性なのか!
「...せいやにい」
「うん?どうしたの?」
急に喜びもそこそこに、テンションを下げて泣きそうな顔になるエメちゃん。
ああ、たぶん思い出したのか、現状を。
「せいやにいもつかまっちゃったの?
たべられちゃうの?」
「大丈夫、食べられないよ
お兄ちゃんが守ってあげるから、ね?」
「うん...でも、」
「じゃあ
そうだなー、エメちゃんはあの大きな人たちにどうしてほしい?」
「...えめをたべないでほしい」
「なんで食べられるって思ったのかな?」
「だって、えめいっぱいごはんもらったから」
「じゃあ、お兄ちゃんがごはんをいっぱいエメちゃんにあげたら、エメちゃんはお兄ちゃんに食べられるって思うかな?」
「...おもわない」
「じゃあ、お兄ちゃんと大きな人たちは何が違うかな?」
「...ぜんぶ?」
「...じゃあ、あの大きな人たちに食べないでくださいってお願いするのはどうかな?」
「...むりだよ、なんかいいってもきいてくれないもん」
「じゃあ、お兄ちゃんがお願いしてみようかな」
「だ、だめ!
なまいきだからってたべられちゃうかも...」
「食べられそうになったらごめんなさいってすれば大丈夫だよ」
「...そ、そうかな?」
「そうだよ」
少し、ほんの少しだけ傾いたエメちゃんの気持ちにつけこんで、と言うと言葉が悪いけど、このまま勢いにのって何とかしてしまおう。
だって、彼らとは言葉は通じるんだから、後はなんとでもなる、はず、たぶん。
「じゃあ一緒にお願いにいこっか」
「...でもぉ」
「大丈夫、ほらおてて繋いで行けば安心でしょ?」
「う、うん...」
何とか外に連れ出すことに成功。
後は野となれ山となれ。
「あ、いたね
おーい!すみませーん」
「ひぅっ、やっぱり、た、たべられちゃうよぉ」
実際に目で見て怖気付いたらしいエメちゃんには悪いけど、聞こえないふりをする。
「...ど、どうなっただか?
まだ怖がってるだか?」
おずおずと、申し訳なさそうに俺に話しかけてくる北の長さんに、
返事をしようとして一つ重大なことに気付く。
なんで俺はいつもこういう大事なことを見落としてしまうのか。
俺は大鬼の言葉がわかるし、会話ができる。
大鬼は理解できなかったエメちゃんの言葉もわかるし、会話もできる。
けど、二つの存在を挟んで会話するとどうなるんだ?
俺は不思議な力で自動的に翻訳して話しているのか?
それとも、無意識に言葉を使い分けているのか?
ここで、北の長にこの子はまだ怖がってると返した言葉がエメちゃんに理解できてしまったら?俺と大鬼が仲間と思われてしまったら?
この子は周りが全部敵に逆戻りだ。
それだけは避けないといけない。絶対にだ。
「エメちゃん、大きな人、怒ってなさそうだよ?
勝手に部屋から出ちゃったのに」
「あ、あぅ、たべられちゃうかも...」
「な、なんだがか?
なんて言ってるだがか?」
...判断が難しい。
北の長は俺の言葉がわからずに言ってるのか?
それとも普通にエメちゃんのことか?
「食べられないからね、大丈夫だからね
あ、エメちゃんは食べられるのが嫌なんだもんね
食べないよーって言ってくれたらうれしいね
食べないでくださいってお願いしてみよっか!」
「ぅ、うん
た、たべないでください」
「ど、どうしただか?
急に人間の声さわがんなくなっただかよ
ちっこいのとおんなじになってしまっただか?」
これは...俺が選んだ対象だけに会話が届くっぽいな。
ただ、そうなってくるとどうやって対象を選んでいるのかがわからん。
最悪一番近い距離とかだったら手を握ってるエメちゃんから離れないと会話が伝わってしまう。
じゃあ、あくまでお願いだけを口にするべきか?
...うだうだ考えても答えは出ないんだからしょうがない。
「エメちゃんがたべないでくださいって言ってます
食べないよーって言ってあげてください」
「おわ!
きゅ、急に焦っただ〜
そのちっこいのはエメちゃんって言うだか〜
食べないよ〜だ」
俺が話しかけたっていう意識によるのか?
よくわからないうちは変なことは喋らないのが吉か。
「エメちゃんよかったね
食べないよーって言ってくれたよ?」
そこで俺はまたしても重大なミスに気付く。
...どうやって大鬼の言葉をエメちゃんに伝えるんだこれ。
「ほんとぉ?
もういっぱいごはんもってこない?」
恐る恐るといった様子で、今にも泣き出しそうだったエメちゃんの表情に安堵の色が少しだけ見えた。
...うん、結果オーライ。
エメちゃんが純粋な子でよかった。
「じゃあそれもお願いしよっか
ご飯は少なくしてくださいって」
「ごはんはすくなくしてください」
ぺこりと、さっきまでは俺の足から顔だけ出していたエメちゃんだったが、少し安心したのかしっかり前に出てお願いした。
手はもちろん繋いだままである。
「エメちゃんがご飯少なくしてくださいって言ってます」
「あ、あぁ、すまんだったが〜
やっぱ多かっただな〜
少なくするがよ〜」
「よかったねエメちゃん
少なくしてくれるって」
「で、でもちょっとおおくもしてください」
少し恥ずかしそうにしながらなんとも難しい注文をするエメちゃんに、これでひと段落かなと息を吐いた。
「せいやにい、すごいね!
おーがさんとおしゃべりできるの!?」
「うん、そうみたい」
さっきまでの不安が嘘だったかのように輝かんばかりの笑顔で、きらきらな瞳を向けられた俺は、どうして俺だけ言葉がわかるのかと、首をかしげる。
自分の名前のこともそうだし、俺はもう少し自分のことについてしっかり考えるべきだなと。
「ぇへへ、ありがとう、せいやにい」
「...どういたしまして」
小さな手から伝わる少し高い体温と、満面の笑みのエメちゃんの言葉に、まあ、なんとかなったからいいかと、考え込みそうになる思考を放棄した。
これが、俺が自分の能力に気付いた最初の出来事だ。