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淹れたコーヒーは減る訳も無い。
廊下の一角には黒尽くめの2人。
窓から、敷地内を見下ろしている。
サウス最上階。
上層部が出入りするそこは、他の施設に比べ、環境に特別感があった。
ベージュの大理石の床に、薄いブラウンの大判タイルの壁。
点々と設置されたウォールライトから零れる電球色は、高級感を放っている。
付近に聳えるエレベーターの扉が放つ黒い艶には、落ち着かない様子がぼやけて写り込んだ。
外の風景は、一切入ってこない。
最悪なトラブルに疲労困憊である。
「あいつの迎え、もう直だ」
通知が入ったスマートフォンから顔を上げ、沈んだ声でレイシャに報告するのは、新規R製作テストを通過した研究員。
2人目の補佐官として昇進した、イーサンだった。
上の2人同様、黒一択の姿をしている。
緊迫した一角で、電球色を受けたランプブラックをしたミディアムの髪は、若干冷や汗に湿っている。
「ダミーに死亡判断…」
「本当にありえるのか…」
「知らないわよ。こんなの誰もした事ない」
幾ら見越した策を立てているとはいえ、気を緩めるなどする訳が無い。
手にする紙コップから、怒りの波紋が広がり始める。
湯気はすっかり消え、香りにも愛想尽かされていた。
彼女は窓枠にそれを置くと、目を細める。
元造形師が手掛けるハイクオリティのダミー。
普及している人肌のゲルシートに、血管や肉厚表現の工夫がなされ、肌触りも一層リアルに近付けた逸品。
体毛は化学繊維と人毛を混合させたもの。
瞼の下に眠る眼球は別遺体の使い回し。
当然、虹彩の色も必要に応じて変更する。
目に付きやすく、触れやすい部分に重点的に仕込まれた骨格は、遺灰としても残りやすくしている。
重さも計算済みだ。
「まだ装置を外しただけだった…そういう事ね…」
焦燥で滾るグレーの目を、落ち着けと言わんばかりに閉じる。
「シャルのメンテは」
「……どうかしらね」
窓に向いていた姿勢から、端の壁に背を預ける。
「彼女は…古い…」
「それは保安官全員に言えるだろ。
起動の時期を考えるとビルだって変わらない」
彼はやっと、コーヒーに口を付けた。
「起動期間じゃない……
これまで、何かにつけて彼女で試してきてる……
どのRよりも反動が出る可能性がある…
それを彼が分かってない筈がない…
けど……」
落ちた視線は、過去に向いていた。
彼を取り巻いていた環境を実際に見て知っていた彼女すら、その詳細全てまでは把握していない。
それを聞き出す事は、互いにリスクがあった。
未だ不定期に発症する、ある症状と共存し続ける彼。
その肉体に寄生した恨み、殺意のコントロールはもう誰にもできない所にまできてしまっていた。
組織の各々が大切なものを失い、傷付き、絶望の経験を重ねている。
そこへ自分以外にもそんな人間が居ると目の当たりにしてしまうと、更にそこから憎しみや怒り、痛みが生まれた。
それは、計り知れないものである。
その上で下した彼等の決断が、現状だ。
レイシャの細い溜め息を耳にし、イーサンは冷えたコーヒーを早々に飲み切った。
彼もまた、あの黒い、痛々しくてならない存在の事情を知る1人。
見て見ぬフリなど、できなかった。
「……まぁだが、中は最新にしてあるし、月次メンテもずっと異常無しだった。
今頃になってレーザー実験か何かによる、破局的忘却かよ…」
「だとしても妙に部分的で、都合のいい、歪なね…」
彼女の顔色は先程よりも悪くなっており、声は小さくなっていた。
己に取り巻いていた環境に限らず、彼や、部下の背景を思い出すだけで腹立たしい。
手には微かな痙攣が起きていた。
冷え切ったコーヒーを再び手にし、一気に流し込む。
「Rの数も増えた。
あなたも使える様になってる。
それにRealが出来上がろうとしてる。
彼の判断は大方…お遊びになるかもね…」
レイシャは空のそれを握り潰すと踵を返し、静かに持ち場の方へ向かった。
イーサンはその後を追いながら、捻る音を立てる。
「お遊び?」
「横槍を入れる者は排除する……
だけど、ただあっさりゴミを捨てる様な事はしない。
悉く苦痛や傷を与えたがる……
己が…今では私達が受けた分も含め、それ以上に……
……それが今のヘンリー・クラッセン…」
イーサンの後を追う足が止まると、彼女は彼を振り返った。
「……ただの予想よ」
感情を判別するには微妙な表情のまま、彼女は、黒い扉の先へと消えた。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。




