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別の棟に飛び込むと、そこは全くの別空間だった。
まるで集合住宅の様な造りで、馴染みある扉が点々と並んでいる。
ベージュの大理石の廊下に落ちる、淡い電球色。
ダークブラウンの木彫の壁。
程良い上質さが漂っていた。
走り抜けてきた際に感じていた薬品の様な臭いも無く、そこは、まるで自宅に入る様な生活感のある香りがする。
ターシャはそれが、余計に気味悪く感じた。
随分と静かで、警報音も無かった。
壁を背に、恐る恐る歩き続ける。
時に後方を振り返るが、追手の気配は無く、緊張が少々解れた。
そして痛みに気付く。
巻きつけていた黒い布の裾を僅かに引き上げる。
膝が、床の摩擦により少々火傷していた。
他も所々、薄皮が捲れ血が滲んでいる。
気が付いた途端に益々疼き始めるが、構う暇は無い。
直に、辿り着いた1つ目の突き当りの角を曲がった。
先では、微かな音と光が漏れており、角で一度身構える。
捉えられた部屋の入り口付近にバケツと、立てかけられたモップ。
その部屋からは、機械が回る様な音がする。
何か、摩擦音も聞こえる。
掃いているのだろうか。
目を凝らしていると、フラッと現れたのは中年の掃除婦。
咄嗟に口を押え、隠れた。
掃除婦は掃き掃除を終え、今度は廊下のモップ掛けをし始める。
ターシャは耳を欹てた。
ほんの少し覗くと―
「?」
「!」
目が、合ってしまった。
「何ぃ?その格好」
彼女はターシャを上から下まで、かなりゆっくり細かく見つめる。
「あんた大丈夫?その様子だと走ってたね。
その怪我は転んだの?そんな汗もかいて。
それでその格好じゃあ寒くて震えるね。
ここは季節関係なく夜は冷えるわよ」
そう言っては、途中だったモップ掛けをし始めた。
ターシャは隠れる事を止め、彼女に近付いた。
「あの…ここは何処…?どうやったら出られるの?」
モップの手が止まり、またターシャは凝視される。
「見ない顔だね、新人なの?若いわ。羨ましい」
ターシャは動揺し、顔を強張らせる。
返答の意味が全く理解できなかった。
「ここは従業員の住居よ。知らずに居るの?
あんたの部屋もあるでしょう。
出るんならそこのエレベーターからロビーに下りりゃいいわ」
一体それは、何なのだ。
顔がどんどん歪み、混乱が混乱を招き続ける。
目の前の彼女は、淡々と仕事を続けている。
早い手付きで、奥へ奥へモップ掛けをしながら遠ざかっていく。
そこへまた、振り返った。
「ああ、服を取りに来たんなら、まだ終わってないわよ。
あんたのじゃないね。
頼まれたんなら、こんな時間に扱き使うなって言い返しなさいよ」
そのまま顔を伏せ、掃除をする手はまた動き始める。
廊下を進みながら、彼女は続けた。
「新人だからって、何でも従わない事ね。
私の娘がそれで苦労したの。
幾ら仕事が誰かの為とは言え、自分もその誰かの内である事を忘れない事ね。
自分1人の時は、自分しか自分を守る者は居ない。
結局そういうものなのよ」
「あの」
ここの者ではないと、言いそびれてしまった。
掃除婦は、颯爽と向こうの角に姿を消す。
胸のザワつきが止まない中、ターシャは服というワードに気付き、目を見開いた。
脇の部屋に近付くと、洗剤の香りが漂った。
時折柔らかい物がぶつかり合う音が零れるそこは、ランドリー室だった。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。




