[6]
360°から海風を受ける、開放的な水上要塞。
肌に与える僅かなベタ付きすらも心地良いと思える程に、彼は今、久しぶりに快感を静かに覚えていた。
やっとまた1つ壁を越え、小さく一息つく。
同時に漏れた煙は、即刻流され闇と化す。
革のグローブを嵌めた左手に挟まれたそれは、そっと灰を飛ばした。
目に掛かるカーボンブラックの髪は、普段殆ど俯き、隠しがちな顔を、風に靡かせ晒している。
祖父の代から存在する拠点。
すっかり中身も外観も豹変し、あの模範と呼ぶには嘸かし相応しかったであろう美しい組織は、消した。
反吐が出る程下らなかった職員は、この手で変換し、配下にした。
彼等に散々従った挙句、不利益しかなかったのだ。
当然の結果だろう。
ここの本性は知られていない。
未だ生き生きと脈打つ当時からの信頼を、国境を越えてまで利用できている。
この上辺だけの、だが鋼を思わせる偽りのガード。
任務は、優秀な部下とお手製のアンドロイドにより巧みに熟されている。
もう、横槍を入れ、封じようとする者は居ない。
飛び込むディスリスペクトに罵倒。
時代遅れなレール。
凝り固まったルール。
それらを自らの手で払拭し、得難かった居場所をこの手で確立させた。
もう、期待する事も、理解を求める事もしなくていい。
無様だと笑われようが、どうだっていい。
才能を放ち、没頭できる環境。
利益ある逸材。
屍。
それで十分だ。
また勝手に、脳裏で再生される血塗られた過去に鋭利な目を浮かべていると、背後で扉の軋み音がした。
僅かに流し目で反応しては、再び、目前の漆黒を眺める。
遥か遠くで点々と落ちる細微な光は、人気を漂わせていた。
「相変わらず分かりやすいわね」
レイシャは吹き付ける風の中で少々声を張り、その背に近付いていく。
サウス屋上。
1つ下の持ち場のフロアから、ウェストとイーストに伸びる連絡橋の淡い照明が差し込む。
彼女は、彼から僅かに間隔を空けた所で冷たい縁に凭れ、煙草に火を点けた。
メディカルウェアを思わせる黒のワンピース姿。
隣もまた、スポーティーな全身黒のスクラブを思わせる姿で、今にもその場に同化しそうだ。
「明日、久し振りに1体着くわ」
彼は、ジリジリと彼女に横目を向ける。
「………お前も…相変わらずか…」
右肘を付き、手で隠された口から掠れた声が重く、緩やかに落ちる。
適度に鍛えているのか、逞しさが少々ある闇にぼやける男。
今は、どこか気の抜けた表情で、一点を見つめている。
顔と、半袖から露わになる肌からして、あまり陽光を受けてきていないだろう。
「尊厳死」
「……植物か…」
「死なせるには若い。でも決断したとか」
彼は煙草を咥えると、彼女と同じ体勢になる。
「遅かれ早かれ…人間は死ぬ……」
左手をポケットに、そこから肘上までは黒のアームカバーを着用している。
ショートの髪の隙間から僅かに光る目が、閉じる。
「回復の兆候が無ければ生命維持装置を使う責務は無い。
死なせる権利もある。
そいつは幸福だろう」
知識を放つ際の口調は、普段よりも差を見せた。
「スパゲティ症候群なんてダサいわ。
そうなりゃ私もあっさり殺してほしい」
その発言に、彼は小さく息を漏らした。
「………俺が…起こしてやる…」
ここに身を置く者の行く末を、咥え煙草のまま再び、お決まりのトーンで放った。
「なら貴方の都合のいい様にはしないで頂戴ね。
と言うか、私よりも先に貴方かもよ」
彼は黒い手に煙草を取り、顔を上げた。
連絡橋からの淡い白光は、左右に僅かに揺れた目からブルーブラックを垣間見せる。
その顔は普段、引き攣っているか、疲れているかのどちらかだった。
しかし今は、彼女の発言にああそうかと言う様に円らな瞳を浮かべ、高圧的な様も消えていた。
やがてその顔は、少々重い瞼をしてはどこか遠くを眺める。
「………いい……俺は…」
「あら、貴方こそ本当の逸材なのにね…」
彼の能力を最初に認め、付き添い続ける事を決断した彼女。
冗談の1つや2つ、そろそろ言ってみればいいものを。
彼はいつも、どこか別の所を見て、真剣に話す。
「所で、ねぇ、あの綺麗な指示は何?」
話題を切り替え、彼女は少々声高く、目を大きく輝かせては、そこの珍しい目を覗き込んだ。
解析困難なコードの仕組みを知りたくて堪らないのだろう。
彼はジワジワと横目で逸らし、重いドローを無表情で堪能する。
何かを求める際のいつもの表情は、遠ざけたくなる程に眩しい。
「…………土産を砕いただけだ…」
「あら素直に受け取るだなんて、少し丸くなったのね」
甘ったるい香りが煙たい。
ノロノロと首を傾け、視界から彼女を完全に消す。
「………お前の選別にやっと…磨きがかかったんだろう…」
すると数秒して、僅かに笑みを零した。
滅多に見せないそれからは、愉悦が窺える。
「今日は切り上げて乾杯はどう?
3つ目のゴールが達成したご褒美に」
彼女の声を他所に彼は携帯灰皿に火を消すと、首後ろを少々解しながら扉に向かう。
「向こうに出たついでに流行りの甘い物持ってきてるの、いい加減気付いてよ」
振り向きもせず、冷え切ったノブに彼は手を掛けた。
「………マインドイレーザーでいい…」
扉は低い軋み音を立て、黒い背中を消した。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。




