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「シャルを行かせる。日程は」
レイシャはそう言って彼女を引き止め、薄っすら笑いかけた。
相変わらず無反応だが、それも直に変わる。
「そう。なら明日。引き継いだ通りのスケジュールで」
やっと、通話は切れた。
「明日の0時にここを1号ボートで出て。
ルートパターン3の病院。
そこにいる仲間と対処して。
遺体データはこっち」
言われるがまま、シャルは付いて行く。
持ち場は常に消灯されている。
部屋のおおよそ半分を占める、緩やかに弧を描く防護ガラスの壁。
それに向いて、2種で1セットとなったコンピューターデスクが3台ずつ、等間隔を空けて並んでいた。
ガラス壁の向こうには別空間が広がっており、アンドロイド製造機が、コンピューターに対して同じく3台並んでいる。
青白いスポットライトが各々に当たり、仄暗い周囲には、直接触れて作業に当たる為の工具や、必要な薬品が並ぶステンレスワゴンが数台置かれている。
レイシャは前屈みになり、キーボードを叩く。
ガラス壁の向こうで灯る青白い光と、すぐ手前の液晶から射し込む光が、消灯された空間でありながら2人の顔や姿を明確に浮かび上がらせている。
「読んで」
「ターシャ・クローディア、身長161.2cm、
体重50.3kg、中型スポーツバイク事故により頭部外傷。
遷延性意識障害と診断。その後、尊厳死が下る。
コピー」
「よろしくね。明日、無事に連れて来てちょうだい」
「了解」
低く、余裕のある冷静な声で呟かれると、彼女は去った。
見届けてからふと、中央の席に目が向く。
移動させ易いシンプルな骨組みをしたローラーチェア。
細い革のクッションが背凭れから連なって敷かれ、勝手に上質を思わせる。
根を張った様に滅多に動かず、ここを出入りする頻度も少ない彼が、居ない。
彼女はそこに何気なく近付くと、爪先から乾いた摩擦音が立った。
床に落ちた何枚もの用紙。
相変わらず、脳も環境も数式で散らかし続けている彼を、彼女はここの誰よりも知っている。
単なる気分転換や、酷く苛立つ時。
思い悩んでいたりするとその現象は起こる。
叩き込まれている数多の方程式を、気が済むまで連ね続けるのだ。
因数分解や関数作成、変数変換、係数の置き換えを続け、辿り着く形に帰着させるという行為。
それをしている時は大抵、声も届かなければ、強く揺さぶりでもしない限り接触されている事にも気付けない。
何時か、こんな事をする理由をしつこく訊ねた事がある。
自分の事は兎に角話さない彼は当時、相当鬱陶しそうにしていたが、やっと口を割った。
等号で結ばれていくその形が、人間という訳の分からない生き物そのものに見えて仕方が無い、と。
形状を変えていく数式から、そう取れる様だ。
尖っているだの丸いだの、長いだの短いだの。
線引きするだの、組を作り隔たりを生むだのと解説し、人間と引っ括める。
式によっては、こういう解という事にしよう、代数的に解けない、或いは解は無いと都合よく表現したりする。
それらの羅列はまるで、人間の思考に終わりが無い様相を表している、と。
だから何故、そんな事をするのか。
結局、言わない。
ただ、彼はいつだってそれから目を離そうとしない。
筆跡から見るに、始まりは突然で筆圧が濃く、乱暴だ。
そこからフェードアウトでもする様に、半ばでは優しく、終わる頃には何かを思い出したのか、別の事に思考が切り替わった様子を薄く描いている。
レイシャは不安定なそれをじっと眺めては、その席の正面で静止する1体に視線を移した。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。




