[2]
【Warning】
※尊厳死。
本描写はあくまで1家族の1判断です。
※上記場面に対する発言に
不快感を催す可能性があります。
足はふと、石の様に佇む妻に向き、近付いていく。
そして、1つしか灯されていない明かりをもう1つ、増やした。
長い影がローテーブルに落ちるとそこには、散乱する新聞や雑誌、未開封の嵩張る郵便物。
行き届いていた掃除は滞り、白く細かい光が一面によく浮かぶ。
左手は自然と、その冷たく震える肩に触れた。
それでもまだ顔を見せる事なく、手首から伝い漏れる悲しみを見ては隣に腰掛け、抱き寄せる。
「せめて何か飲んだらどうなんだ……」
そんな事を言いたい訳ではなかったが、切り出し方が分からない。
引き寄せる手は、微かに震えている。
その腕の中で、髪を乱したままの彼女は首を横に振る。
不可逆的な状態に陥る娘にできる最大の事は、ほんの僅かに残る回復の可能性、つまり奇跡が起こる事を信じて積極的な延命措置を続ける事。
もしくは、それを止める事の2択だ。
夫の指先はそっと、妻の乱れた髪を梳かした。
彼女は、本当は分かっている。
彼が何を考えていて、何に迷い、悩んでいるのかも。
しかし、自分が悪魔の様に思えて心底嫌になる気持ちが勝り、一声も出ないのだ。
助けたいのに、回復の見込みがほぼ無いと言い渡され、ならば次に出来る事は目に見えている。
自分はあの子の母親で、今の状況と誠心誠意向き合う義務がある。
隣にいる彼もまたそうである。
早い段階で遺書を書く文化。
娘はそれを理解し、それを遺す年齢にまで至った。
勿論まだ、どこかあっけらかんとし、駆け出しの大人を匂わせている様ではある。
昨日、とうとうそれを読んでしまったのだ。
「あの子は……あの子はまだ……若いのよ……」
不意に漏れる声に彼は目を見開いた。
そしてやっと、ずぶ濡れの顔が露わになる。
その目は酷く腫れ、赤く、唇は震えていた。
彼は、妻の顔に纏わりつく髪を丁寧に取り除いては、抱きしめた。
まだ若い、まだ若いと言い続ける彼女を、崩れないように支え続けた。
「僕はな……」
やっと間が出来た所で、口は開いた。
「ターシャと同じくらい……君の事も愛してる……」
泣きじゃくる声はまた、肩で一気に溢れ出る。
「……そんな姿の君を…ずっとは見ていられない…」
背中に、悔やみながら爪が立つ。
「僕達はあの子を…懸命に育てて、愛してきた……
この先もそれは変わらない……」
揺れるカーテンはその空間をそっと覆い被せ、灯をぼやけさせる。
それはまるで、そこで悲痛に濡れる2つの心の複雑さを描いていた。
この感情を止める為の線や壁が欲しいのに、無い。
どこまでも広がろうとするそれに、もう、自分達で区切りを作らねばならないのだ。
殺すのではない。
苦しむ時間を短くさせる。
それもまた、1つの愛と表現していいだろうか。
崩れ落ちまいと、この断崖絶壁から彼等は這い上がろうとする様に、ただただ強く抱き合い、手を握った。
「あらそう、殺しちゃうの」
電話の相手は、向こうでの任務中の部下。
遷延性意識障害の診断を受けた患者のデータは、以前に共有されていた。
近々、判断が下る兆候があったからだ。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。




