[2]
「電気くらい点けなさいな……下りてらっしゃい」
淡い電球色が灯ると、彼女は部屋に入って来た。
ジーンズが映える細身の体に、マロンブラウンのセミロングヘアをハーフアップにしている。
その姿は、ターシャの体格とよく似ていた。
目の当たりにした散らかった部屋に目を見開くと、そのまま娘に歩み寄る。
「あのねぇ、片付けなさいちょっと」
そう言ってレースを捲って端に寄せると、未だどこか無力な表情で母親を見つめる顔が露わになった。
「何してるのかと思えば、ここで座ってただけ?」
ターシャは何も答えず、窓の外を眺める。
母親はそんな娘の真横に座ると、その頭を優しく撫でた。
「ねぇ…
仕事関係の物は目の付かない所に仕舞っておけばどう?」
「分かってる…」
僅かに震える声が零れる。
先程までの穏やかな自分は、こんなちょっとした事で崩れようとする。
「分かってる…でも体が動かないっ」
終いには少々強く母親に放った事でまた心を痛め、俯いた。
母親はそっと震える娘を抱き寄せると、頭を撫でてはそこにキスをした。
「......週末、ちょっと港や近くの市場を歩かない?」
先程は、僅かだが外へ出たい気分になった。
しかし、今はまた不安になっている。
何度も親友と一緒に出かけた場所に行くと、記憶が生々しく蘇って怖い。
「考えとく……」
ターシャは小さく呟き、微かに滲み出た涙を素早く手の甲で拭った。
「行こ…父さん待ってるね…」
そう言って窓を閉め、母親に少し支えられながらそっとベッドから立ち上がった。
僅かにだが、食欲も湧くようになってきている。
今日は何と訊ねる声は、ドアの向こうに消えていった。
翌朝、ターシャは久しぶりに夢を覚えていない状態で目覚めた。
随分眠ったのか、体はどこかスッキリしている。
しかし心の方はまだ、何かがつっかえてる様な、重く、疲労を感じる。
下りて来ると、両親の仕事準備のルーティンが目に入る。
本来ならそこに自分も混ざっている。
なのに今日も引き続き、準備もせず軽装で2人を見送るのだ。
「おはよう。ちょっと顔色が良いんじゃないか?」
台所からやって来た父親が、気さくな声で頭を撫でた。
大きな手から体温が浸透していく。
通り過ぎていくとソファに腰かけ、新聞を広げた。
マーケターの父はいつも、スーツ姿で決めている。
今日はグレーだが、まだネクタイは締めておらずシャツのボタンも開いていた。
締めたり、着込んだりするには今日は少々汗ばむ。
同じ髪色の短髪をした頭を軽く掻きながら、何らかの記事と向き合っている。
ターシャは台所に向かうと、コーヒーの支度を始めた。
そこへ玄関から洗濯物を干し終えた母親が入って来ると、目が合った。
「あら早いのね。暑いわ…半袖がいいんじゃない?」
袖をロールアップする夫に言いながら、母親はせかせかと洗濯籠を置きに奥へ姿を消した。
台所の窓のカフェカーテンの隙間からは、陽光が強く射し込んでいる。
それを受ける床や台の温度の上昇が、気温の高さを思わせる。
何だか、外に出てみたくなる。
心で僅かに迷う中、電気ポットの沸騰中のランプが消えた。
白い湯気は一気に、挽き立ての香りを立たせる。
両親はそっと、娘に目を向けた。
一時期、全くそこに立つ事がなかったが、今は陽光を浴びる様になり、血色も良くなっている。
「気分良さそうだな」
「徐々に、ね」
その会話をふとターシャが振り返ると、父親は笑いかけた。
「……何?」
こちらを振り返る娘に母親は微笑み返すと、食卓に着いた。
MECHANICAL CITY
本作連載終了(完結)後、本コーナーにて作者後書きをします。
また、SNSにて次回連載作品の発表を致します。