提督の最期
蒼龍は爆弾が命中して、それが致命傷となったが、他の空母はそうではなかった。
1万トン以上もある空母は、重要区画さえ傷つかなければそう簡単には沈まない。だが、爆弾の爆発により発生した火災が弾薬庫に到達し、誘爆すればそれこそ致命傷になる。
それ故、飛龍艦内では士官、下士官を問わず必死の消火活動が行われた。
だが、それもむなしく2330、総員退艦命令が下されることになる。
「皆が一生懸命努力したけれども、この通り本艦もやられてしまった。力尽きて陛下の艦をここに沈めなければならなくなったことはきわめて残念である。どうかみんなで仇を討ってくれ。ここでお別れする」
この言葉を、航空甲板上に集めた飛龍全搭乗員に告げ、加来飛龍艦長と共に、艦に残った。
2310 駆逐艦巻雲より雷撃処分
昭和十七年六月五日 山口多聞少将、中将に特進。
『山口中将は、支那事変にありましては、あるいは艦船部隊、あるいは航空部隊の指揮官として各地に転戦し、その功、抜群だったのでありますが、特に航空部隊指揮官としては重慶空軍の撃滅、並びに敵軍事施設の攻撃に偉功を奏し、軍令部総長の宮殿下よりその功績を嘉尚せられ、御言葉を伝達せらるるの光栄に浴したほか、支那方面艦隊長官より、感状を授与せられております。大東亜戦争におきましては、中将は開戦劈頭のハワイ海戦に参加され、かの赫々たる大戦果の一半は、実に中将の卓越せる兵術、烈々たる実行力の功に帰するというも過言ではありません。
その後、中将は各作戦に参加され、数々の偉勲を立てられたのでありますが、東太平洋方面の作戦におきましては、敢然として敵方に進出、反復猛烈なる攻撃を加え、部下航空部隊の最後の1機に至るまで奮戦し、敵航空母艦、大型巡洋艦、各々1隻を屠り、他の航空母艦1隻に大損害を与え、敵基地に甚大な打撃を与えるという大戦果を挙げられたのであります。』
(昭和十八年四月二十四日 海軍報道部より放送『提督の最期』)
短め。
山口多聞少将は自分が好きな提督の一人であり、艦と運命を共にせず生存ルートも考えていたのですが、史実ルートにさせていただきました。
ここから物語は後半にはいります。 4月の中旬に入るまでには終わらせたいなぁ。
引用
NHKアーカイブス 精神教育資料 提督の最期(一) https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001400264_00000




