境界線上の正義
今回のお題は
「夕陽」「人形」「正義の運命」を使って創作するんだ!ジャンルは「サイコミステリー」だよ!頑張ってね!
音声配信アプリRadiotolkにて配信をしております。
https://radiotalk.jp/program/67074
けいりんさん(https://radiotalk.jp/program/59156)という方の企画「お題で創作」に参加して書いたものです。
作者を明示していただければ、ご自由に朗読発表できます。特に連絡は不要ですが、ご連絡いただけたら喜んで聞きに行きます。
夕陽に照らされたその部屋は、凄惨の極みであった。
すでに遺体は運び出されているが、残された血痕が、事件のすさまじさを物語る。しかし部屋の中心に立っている正義は、何の感情も見せずに辺りを見回していた。
鈴木正義。正義と書いてまさよし。スーツを着ているからかろうじて社会人に見える、というほど幼い顔立ちをしているが、これでも和田と同じ刑事である。和田はこの男を小学生の頃から知っているが、印象はその頃からたいして変わらない。
昔からかわいげのない、人形のように無表情な子供であった。
「被害者はこの部屋に住む所田一昌。39歳。こんなんだったので直接的な死因はわかりませんが、恐らくは失血死でしょう」
鑑識の森沢が見せてきた現場写真を見て、和田は顔をしかめた。ザクロの実がはじけた様子、というのがしっくりくる表現である。人相も体格も、ほとんどわからないまでに切り刻まれていた。
正義はやはり平気な顔で写真を眺めている。
「犯人は犯行後シャワーを浴びて血を洗い流したようです。ご丁寧に排水溝まで掃除してありました。床の足跡やら何やらもきれいに拭いて。そのごみや雑巾は持ち去ったようです」
「死体の横でよくやるな」
「そりゃあ血だらけじゃ外出られないでしょ」
正義が呆れたように言った。
「それなら着替えも準備してたのか?計画的犯行か」
「でしょうねえ。素人にできる証拠隠滅はばっちりしてますから。その割に犯行はすごい…恨みというか、熱いものを感じますけど」
「怨恨じゃないでしょ、これ」
和田と森沢の中年二人が「え?」という顔を見せると、正義は眉をひそめて、「何でわからないんだ」という顔をした。
「単純に、中がどうなってるのか見たかった、そんな感じの切り方でしょ、これ」
和田はそこまでまじまじと切り口など見ていない。
「カエルの解剖と同じ感じじゃないの。ただ切り方は下手だし、これ凶器も多分その辺のカッターナイフだよね。今時医療用メスなんてネットで簡単に買えるんだから、それができないってことはよほど金がないか頭が回らないかのどっちかでしょ。
こんな「人としてヤバいこと」やる奴は、大人なら狡猾に立ち回って隠してるし、練習もしてるだろうから、もっとうまくやるよ。だから犯人は、そうじゃない――子供じゃないかな。高校生か、もしかしたら中学生かもね。大人ぶってるけどやり方がガキだよ」
現場写真を見ながら一気にしゃべる。
「それにほら、こんな狭い所に手を入れて切ってる。大人の手じゃ無理だよ。よほど小柄な人間でないと」
赤一色の写真をこちらに示しながら説明してくるので、和田は「わかった、わかった」とさりげなく顔を反らした。
「マッチングアプリとかで獲物探してたんじゃないかな。被害者のスマホは……どうせ持ち去られてるんだろうけど」
「ご明察の通りです」
森沢はうなずいて、「さすがのプロファイリングですね」と満足げに言った。
和田は返事を濁した。
正義はプロファイラーではない。それは森沢もわかっているが、現場の人間は正義の推理をそう言って称賛することがある。
そう、こういった異常犯罪の時、正義の推理はかなりの確率で当たる。
何故なら――正義は、「そちら側」の人間だからである。いわゆる「普通」の人間にはわからない、犯人の「異常」な心理が手に取るようにわかる。それをなぞっているだけなのだ。
生まれつき良心や感情を持たない、いわゆるサイコパスと呼ばれる人間がいる。正義はそれだ。
そう生まれ付いた人間が全て犯罪者になるわけではない。感情と理性を切り離して行動することが求められる職業では、むしろその特性は強力な武器となる。学習能力も高いから、感情を理解できなくとも、社会の仕組みを理解し、その規範に則った生活を送れる者が大半だ。しかし何らかの理由で社会の仕組みに適応できなかった時、世間一般では「異常」とされる、常識の範疇から大きく逸脱した事件を起こすこともある。
正義には身寄りがない。和田がある事件をきっかけに知り合った、孤児院を運営する雅江さんという女性が親代わりだった。和田はある時彼女に頼まれたのだ。
――この子は感情というものがない。いいことと悪いことが本能的にわからない。だけど理屈をこねるのは得意だ。あたしはこの子を、親が遺した名前の通りに、まっとうな人生を歩ませてやらないといかん。ねえ、刑事さん。この子に、正しい人としての道を、正義を教えてやってくれ――
それが縁で、なにかにつけて世話を焼くことになったわけだが、何も警察官にしようなどとは思っていなかった。しかし正義はいつの間にやら警察学校への入学を決めて、今では和田の隣に立っている。
それが正しかったのか、和田は今でもわからない。どちらかと言えば不安である。
正義も表面上は世間に適応することを覚え、怒り、笑い、悲しむ。ただしそれは感情の模倣でしかなく、「こういう時はこういう表情をするのが正しい」という学習の結果である。AIと同じだ。実際の中身は空っぽ。空っぽの胸の中に、学習した正義を詰め込んで、そこから逸脱する犯罪者を追いかけている。
正義が立っている場所は境界だ。犯罪者という「あちら側」を見つめ続けることで、いつかこちらに背を向ける日が来るのではないか。
その不安を正直に口にすると、正義は
「親父さんは心配症だなあ」
と言う。作り物の表情を浮かべることを和田が嫌ったので、二人だけのとき、正義は常に無表情だ。
「大丈夫、おれはうまくやってるよ。確かに犯人の気持ちはわかるけど、共感はしない。何でこんなバカなことをしたんだろうとしか思ってないよ」
それは良心とか道徳心とかいったものではなく、社会から逸脱することはデメリットの方が上回るという計算の結果だ。
もし彼が、今の社会的常識を踏み倒しても、その行為にメリットがあると判断したら。今までの学習と論理で蓋をしている、「やってはいけないこと」に魅力を感じてしまったら。
警察官という職業は、最悪の翼を与えるものでしかないのではないか。
その時、彼の中の正義は、どのような変貌を遂げるのか。
「さて、とりあえず見つかった毛髪と繊維、指紋を持ち帰って調べますね」
「お願いします」
森沢と正義のやりとりをぼんやりと眺めながら、和田は胸の中のわだかまりが、日に日に大きくなっているのを感じた。
先程血の海の中にたたずんでいた正義は――どうしようもないほど、しっくりとなじみすぎていて。
「どうしました、親父さん?」
表情なく問いかけてくる彼の目は、どこまでも人形のように空っぽで。
彼の中の正義が、不安定な境界の上にあることが、和田にはわかってしまうのだった。
正義の運命がこの先どちらに転ぶのかわからない。だができればこちら側であることを、せめて境界線上を歩き続けてくれることを、和田は切に願っている。