東京コンクリート 第一章(吉原編)
最近は、新型コロナウィルスのせいで世の中の経済が混沌としている中で、都内の風俗営業にスポットを当てた摩訶不思議な経験値から得た超能力に近い力を持った男が、色々な店の問題や人間関係をどういう風に解決させるか!を読んでみて欲しいと思います。
あくまで、ノンフィクションでありながらも実際は限りないフィクションであるという事を御理解の上で楽しんで頂いたら幸いです。
小雨の降るなか、ドンドン、ババーンと花火が夜空に咲いた夜。大勢の人達は空を見上げ歓声をあげる中、私の心は何故か 巻き戻り遠い昔の幼い頃のフラッシュバックに襲われていた。
「こわい!こわいよ~、嫌だ嫌だ!もう帰る!」
これが、私の五歳で初めての打ち上げ花火の出会いだったのを想い出した。今、思うと何が怖くて泣きじゃくったのか恥ずかしかった。大きな音と包み込まれる様な色々な光と音に恐れを感じ、何処か遠くに連れ去られるんじゃないかと感じたんだろう。とにかく幼児期の私は、とても臆病だった……………
「うわぁ!綺麗ですね!ヒロさん。今日は花火大会だったんだぁ!凄い偶然……」
脚を止め隣で明るい水色が基調で金魚柄の浴衣姿の、親子のように大きく歳の離れた彼女が私の左腕を掴んではしゃいでいた。
この後は、彼女が勤めているキャバクラへの同伴が待っている途中の道中の突然の出来事だった。花火なんて、この人生の中でどれだけの数を観た事だろう。
「本当に綺麗だね……久し振りに近くで観たよ」
私も空を見上げ呟いた。
「暫く、眺めます?……」
「時間はいいのか?」
「大丈夫です!お店に連絡しときますから」
「そうか…じゃ!のんびりと眺めるとするか。滅多にない偶然だしね……」
私は、此処で幼い頃の恐怖を何故か思い出したのである。小雨の中で色々なものに臆病だった遠い昔を。そして、今までの経験が連なって高速で流れていった。
偶然?いや!これも偶然に見せかけた"必然"なのだ。これが色々な経験をさせられ、長く生きている私が得た結論だった。眼では空に咲く花火を見上げながらも頭の中では、消したくなるような恥ずかしい記憶と経験が次から次へと浮かび上がっている。
「今じゃ、怖いものに老化も増えてしまったか…………」
そして、四尺玉だろうか沢山の小花火が咲き乱れる中で、一際大きな打ち上げ音が聞こえ、小花達を押し退けるように一番の大輪の爆音を響かせ観客はどよめきながら、それを眺めていた。
私には、それを蝉の短い一生みたいに感じ儚く思った。成長するのに長い時を経ながら、脱皮した後の一瞬とも思える短い一生を終えてしまう運命を花火と照らし合わせていた……それに対して人間の人生というものは、あまりにも色々な不思議な運命というものに晒されている。
人生なんて無駄に長生きをする人も居れば、惜しくも短命で一生を終える不思議な宿命を合わせ持つ。長生きする事が本当に幸せだろうか?悲しいかな、儚く短命でも生きてきて幸せだったと思わせる人も結構居るのではないか?
要は、生きている密度と考え方の問題なんだろう。それに気付かず、只、時を無駄にしている人も大勢いるのも、しかりである。
私も、その中の一人であろうか?花火をじっと見上げながら自問自答していた。
「綺麗でしたね花火♪」
「確かに……でも、俺は別の事を考えていたよ」
「私をどうやって口説こうかとかですか?勿論、とても優しいヒロさんだから言える冗談ですけど♪」
隣に腰掛け、先程迄、一緒に花火を見ていた最近指名しているホステスの"ゆめ"が微笑んだ。
「ゆめを口説く?悲しいかな俺にそんな欲はもうないよ。もう俺一人で十分だし一体、年齢がどれだけ離れてると思ってるの?」
私は、いつも飲んでるビールを口に当て微笑み返した。
「尋ねたかったんですけど、ヒロさんて一体何歳なんですか?」興味深く、ゆめが尋ねた。
「幾つに見える?」いたずらな微笑みで私が逆に尋ね返した。
「パッと見て四十前後ですか?」
「やっぱり、若く見られてるんだな…嬉しいやら、悲しいやらの、もうすぐ俺は還暦なんだよ」
「え??え~?!嘘でしょ。これは、御無礼致しました…マジヤバい」
何のカクテルを飲んでいるのか私には分からないゆめが、口からそれを吹きこぼしそうになり驚きを隠せなかった。
「まあ、意識して若作りしてる訳でもないんだけどね……実際、自分の歳が幾つなのか分からなくなる時がよくあるよ」今度は、自分で煙草に火を着け私は微笑んだ。
「奥様が、健康に気を配られてるからでは……」
「何を言ってるの。言ってなかったっけ。俺は、寂しい独身だよ。恥ずかしながら"バツ3"だしね」
「え?!え??!バツ3って?離婚ですよね?私は、バツ3なんて初めて聞きました」
ゆめが、再び驚き眼を見開いて私を見詰めている。
「なってしまった事は仕方ないし、未練も無いさ。何かの神様が、俺にこういう運命をもたらしてくれた事だからね。この人生に俺は後悔はない」
「なんで………また?よく懲りませんでしたね」「色々なタイプがいたけど、神様が許してくれないんだな…まだ次が待っているみたいな事じゃないかな。皮肉な人生さ。だけど心じゃ、もう独り身で良いと感じている。そろそろ、隠居したいのが本音……」「色々あるんですね………人生って私もそろそろアラサーで焦ってますけど……」
「女の三十路は、確かにヤバイかもな。彼氏とか居ないのかい?勿体無いよ。ゆめちゃん綺麗なのになぁ…」
「はい!自信を持って彼氏は居ません。居たらこの仕事は恐らくしてないし、密かに寂しいのが本音なんですけどね。良ければヒロさん私を貰ってください!」冗談なのか本音なのかぼかして、私が好感を持つ微笑みを浮かべながらるいが言った。
「言った筈だよ。もう俺は一人で良いって……外見的は若く見えるかもしれないけど確実に中身は衰えている。もうポンコツに近いし、責任も取れないなあ。でも、こういう風に素敵な女をまだ探してる。ゆめちゃんみたいな女性をね……」私も世辞でなく誠実に応えた。
「ヒロさん御上手ですね。こうやってさりげなく女を泣かせてるのか。記憶にメモメモ♪しとかないと」
のんびりとしたい私だと思うが、神はまだ私を解放してくれなかった。そして、これから起こる未来は予想もしない結末に発展していくのだった。全ては、今夜の打ち上げ花火の様に二人は発射台の中に入れられた四尺玉となるかのように…
偶然とは、"必然"というものを悟った私への、新たな本当の終わりが、いよいよ始まった。
結局、飲む時のルーティーンになっている、年甲斐もなく営業時間の夜明け前のラスト迄、決して安くはない料金を支払いながらも気持ち良い時間を潰した私は、帰宅するタクシーで今日の出来事を回想していた。
「どうして、神様は変わった誘導を私にするのだろう?」
"ゆめ"というキャバ嬢は、今迄見てきた多くの嬢とは何か違うものを確かに持っていた。過去の妻達と何処か似ていてスタイルも群を抜いて良いとは思うし、顔も美形の女優に似ているが、何よりも私に会話の調子を合わせる賢さと性格が壺に嵌まったのか、初対面から好印象だった。縁があった今迄の女性達もファーストインプレッションは、女性に厳しい私にとってタイムリーな求めるものを持っていた。そして縁が結われるも終りを迎える……その繰り返しは、避けようもなく私に何度も襲ってきた。別れ方も、泥々と混迷した事もあれば、さっぱりと終りを迎えたりで、種を授けた子供達の状況も大まかにしか把握出来ないでいた。何度めの妻かは、おぼつかないが「貴方は、"麻薬みたいな存在なの"」だと言われた事があった。
何時も一緒に居れる訳は無く、今でも一生懸命に生活には支障がない程度のテレビドラマの隠れた物書きとしてかれこれ三十年近く生計は立てていた。
この物書きという職業にも、なりたくてなったわけではなく運と縁が絡み合って何時しかその都度の経験をベースにテーマを決め書き始めた。
きっかけは二度めの妻となった彼女の極度の嫉妬というかヒステリーに悩まされ、それは考えなしで感情の向くまま手当たり次第で、
物に当たり壊されるのに私は呆れ果て、自身の身体を差し出し彼女の感情が収まるまで暴力を自ら受けた。勿論、私は女性に手を上げたことはない。
いわゆる、逆ドメスティックバイオレンスである。
その時は、まだ何ら普通のサラリーマンであり、規模の小さなビジネスホテルのフロントスタッフをしていた。暴力の後に仕事に行くも、顔の腫れや青アザを隠す様にして業務を私は続けていた。仕事の同僚も十も歳の離れた元々、同じ職場結婚した若い妻の性格を知った行為に「大変ですね」と心配される中で、最近経験した事がない激しい頭痛に私は襲われ始めた。これは、只事ではないと薄々思いながらも鎮痛剤で誤魔化しつつ仕事を続けた。
そして、反りの会わない腹違いの長男の運動会当日に事態が動いた。
その時の妻は、産まれて半年の実子の赤ん坊が居ることを理由に、応援に来る事はなく子供の応援の為に私は一人で出掛け、長男の出番の合間を見て本当に偶然である。小学校の隣に脳神経外科病院があり、そこで気休めのつもりで検査を受けようと思い扉を開けた。そして、検査を終え待合室で結果を待っていると周りが急にバタバタし始めた。
「これに乗って下さい!」
車イスを看護師が押してきて私に言った。
「どうしたんですか?」
何が起こっているのやら私は意味が解らなかった。
「貴方は、今大変な状況に置かれています」
「そんな大袈裟な……私は只、気休めに検査を受けに来ただけですよ」
「とにかく、先生のところへ行きます!」
「何処かおかしいんですか?私は、今から子供の運動会に行かなければいけないんです」慌てる看護師を尻目に見ながら私は、抵抗しながら用意された車椅子に渋々乗った。
「これから、直ぐに緊急手術をします。これを見て下さい。見て分かる通り脳が大変な事になってますよ。一体此処まで、どうやって来られたんですか?」
CTの画像を私に見せて医者の方が動揺して私に伝えた。
「隣の小学校から普通に歩いて来ましたが……」「はあ?会話は普通に出来る様ですね。それと頭痛以外に、自身の行動に不自然を感じた事はありませんか?左の脳のところが大きく右側にずれているでしょう。これは、頭蓋内の血管が切れて出血した血だまりで、慢性の“硬膜化血腫“だと思われます。」「え!?硬膜化血腫って何ですか?…………嫌です!そして、無理です!せめて子供の運動会が終わるまで待って貰えませんか?」私は、即答した。「私がこれを見てしまった以上、それは無理です。要は緊急を用します。今じゃないと直ぐにでも貴方は死ぬかも知れないんですよ!どうか命を大切に考えてください。頭痛だけでよく他の症状が出ませんでしたね」医者の方が焦って私を説得してきた。「そうですか……分かりました。でも、学校と家と職場にせめて連絡させてください。まず皆、驚くと思いますから」「いいでしょう。オペの準備の間に済ませてください。電話を此処へ」医者は、そう言いながら私を眺めながら、頭をかしげ不思議そうに溜め息をついた。
まず、学校に電話をし、家の次に職場へと連絡をすると、何処も大変な驚愕を受けて周りを心配させる大騒ぎになった。
手際よく私の髪の毛を剃られた後に、点滴を打たれストレッチャーが手術室に移動されていく間、私はずっとまな板の鯉の様にじっとしていた。
「これから、どうなるんだろう?……」
私は身体の事より、この時は生活の方をまず心配していた。
「少し痛いと思いますけど、辛抱してくださいね」「ちょっと待てよ!全身麻酔じゃないの?」私は、流石に驚いた後に心で思った。
「メスを下さい!」医者の言葉が聴こえた。局部麻酔なんだろうが私はそれだけで激痛を感じた。その後に耳のそばなので、サクサクと皮膚を切る音も間近でした。
更なる激痛が私を襲う。
そして、今度は「ドリル下さ~い♪」余程、この医者は手術が好きなのか?明るい声でそう言われ、今度はカリカリと頭蓋骨に穴を開けられる音まで聞いた。そこから先は、激痛のせいなのか、麻酔がやっと効いてきたのか一時、意識を失って手術が終えようとした時に私の意識が戻った。
「もう、大丈夫です」医者は手術後に会心の笑みを私に浮かべた。
「いつ頃迄、入院ですか?……」私は、恐る恐る尋ねた。
「はっきり言って経過次第になります。後、念の為に聞きますけど最近頭を強くぶつけたりした事はないですか?」医者は、原因を探ろうと質問をしてきた。私に思い当たりはあったが、まさか、"妻のDV"ですとは口には出せずじまいで「特にありません……」と答えた。
「大丈夫かよ。結構ヤバかったらしいじゃないか……」
大学の文学部の同級生で、出版社の編集をしている本田が見舞いに来て、脇の折り畳み椅子に腰掛けるなり心配気そうで私に言った。
「偶然というものの重なりがなければ、医者が言うには"俺は死んでたかも知れない"だってさ」
「偶然て?……」
「学校と病院が隣り合わせで長男の運動会と噛み合ったからさ」「お前って不思議というか、何か持っているよな。まるで不死身じゃないか。高校の時も派手な交通事故が足の複雑骨折だけで済み "もしかしたら後遺症が残るかも"と言われても、それを笑い飛ばす様に完治したしな。」
「俺が一番不思議に思ってるよ。確かに何かに俺は守られてるようだ。特に今は死ぬわけにはいかないからな」
「若い嫁さんや、子供もまだ小さいから心配しているだろ……」
「怪我の光明って本当にあるんだよ。実は今の妻と離婚もすんなり決まったんだ……」
「すんなり離婚って、この入院中に何があった!この大事な時に行う事かよ。また、どうして?しかし、お前って本当に皆が驚く色んな目に遭うよな。どうだ?お前の自叙伝でも暇なら書いてみないか?俺とは違い、波乱万丈な人生をお前は送ってる訳だし……」
これが、私を物書きにするきっかけだった。何をするのも起こるのも、全てが私の運命なのかも知れない。
勤めていたホテルは、病気か怪我か分からない脳の疾患という理由で完治してるのに復帰は無理だと勝手に判断され、解雇同然で簡単に職も失なった事で、前を向くしかないと私は開き直った。
「こういう事か……神様、幾らなんでも無茶苦茶過ぎるだろ」私は、神というものを何度も恨み更に恨んだ。
「お前は、やっぱ才能あるんだよ。入院中に書いたお前の物語作品が社内で好評なんだよ。十分、作家として食っていけそうだぞ。唯、言いにくいんだが、あれは出版案件として売ってくれないだろうか?」
「売る?どういう意味なんだ。それは……」「いわゆる影の存在。ゴーストライターって言ったら理解出来るか。うちで抱えている大御所作家達が長いスランプでね。出来れば名前替えでドラマ化したい作品が社の意向なんだよ。こうすれば、お前の名前で出すより全てに於いてお前さえ納得してくれたら良い方向になると思うが……」
「なるほどね。ぽっと出の新人よりネームバリューという事は分かる。それで俺は表に出なくて済むんだな。俺としても願ったりかもな。名前なんて出されたらノンフィクションに近い物語だから俺も困る………いいよ好きにして、肩書きなんて俺にはどうでもいいし、今は何より収入だから」
これが、私の物書きを始めるきっかけになった。こうしてもう三十年足らずの期間、何の文句も無くひたすら色々な物語を裏の存在として書き続けているのだった。
流石に長い事、色々な変化の多い時代の移り変わりの中で多くの人達を見てきた。それは、まるで、私は見えない力から与えられた時代の傍観者と言っても良かった。
私の若い時と比べ、今の熟成された社会を生きている若者は、はっきり言って可哀想である。「昔は良かった。それが今では……」バブルを経験した年代の多くの人達は、こう思っている事だろう。
色んなものが何もなかった時代から、今ではもう何もかもが満ち溢れて、デフレという競争社会になってしまっている。就職も株式の一部大企業でも、正社員なんか一山幾らの大量採用でも人手不足に喘ぎ、足らない分を田舎からの出稼ぎ期間従業員で人手不足を何とか補って、休日出勤や毎日残業なんてのが当時では当たり前の時代だったのに、現在を鑑みると、全くシステムが逆転してしまった。就職も、正社員になる為にまるで“椅子取りゲーム“で就きたい仕事の競争率は激しくなるばかりじゃないのか。就職活動に苦労する若者達を気の毒に思うばかりだ。思えば、女性達の多くは“家事手伝い“なんて結婚を前提とした肩書きが幅を利かせていたが、今ではそれがいつしか死語になって黒いリクルートスーツを着た生活の為に女学生達が数多くを占めているのが当たり前になるほど、社会は疲弊しているのも当たり前なんだろう。ゆめみたいに容姿端麗な女子が昼職と水商売の掛け持ちで頑張らなければいけない世の中を見過ごしてはいけないと私は思う。
「着きましたよ……」
暫くぼ~っと回想している間に、タクシーは家に着いていた。
やはり、寄る年波には敵わないのか若い時と比較して疲れ方が激しかったようだ。今迄、自分の体力を過信していた事を痛感させられた。
「じゃ、これで……」
私は、財布から一万円札を出した。此処でも私はいつも小さなギャンブルをしていた。
車が止まる寸前でタクシーのメーターが 上がるかどうかである。今日もやはり“カシャッ“とワンメーターが上がったのである。
「小さいな……運転のプロであるのだから客への小さなサービスとして、切りのいい数百円位の為にメーターを下ろすタイミング位は分かっている筈なのに……」気持ちよくそうしてくれたら釣り銭は全てドライバーに心づてとして渡しているのだが、今日も残念ながらしっかりと私は当然の権利で釣り銭を渋々全額受け取った。今日の釣り銭は半分近い四千八百二十円であった。
「領収書は要りますか?」
流石にそこまで面倒は要らないし、私は気分を害し財布は少し重くなったが「必要ありません!」と年配の運転手に扉を開けるのを黙って促した。
「最近は、景気が悪くてね……遠距離有り難う御座いました」
変わり者の私にとって、ちぐはぐな礼の挨拶より、ちょっとした気配りでドライバーの運というか思いやりで結果も大きく変わってしまうのである。
“細やかな運命“と云うものは常に誰しにも付きまとっているといういい例である。
私は車を見送る間に、頭の中は空虚しかなかった。
「最後にケチがついたな……」
普通なら当たり前なのだろうが、私から見たら人というものがよく分からないから、何処かで人に見えない何かを心なしか求めているのである。これを繰り返していると本当に人と云う存在が何を意味するのか分からなくなってくる。
しかし、これも経験を重ねてくると大体の確率で“予感“というものを感じられる様になった。そして、むしろそれは、“予知“と進化そのものかもしれなかった。
この時勢である。小さな打算ばかりの世の中なのはよく分かるが、余りにもそれが多すぎる社会に私は流され、人に救いを求めているのかもしれない。
「此処はアスファルトが濡れているな………こっちは雨が降っていたのか…」
私は、地面を眺め独り言を呟いた。
「変わった新しい事が近いうちに何か起こりそうだな。胸騒ぎがする…………どうやらなかなか、私に穏やかな隠居生活はさせてくれないようだな。まあいいか。これが私の運命なら全て受け止めてやるさ」
私は、近いうちに何か得体が知れない確率の高い予知を感じた。
「とりあえず明日、いやもう今日か…天気だけは、必ず良くなる。せめて、今日も何かが起きようとも“明日天気になあれ“だ」
不思議な事に生きている限りの出来事は、誰もがよく使う“偶然“だの“奇跡的“とか言う事態は、全てが”必然”なのだから………
“プルプルプルプル“…………
予定の起床前にスマホの着信音がなっている。
「やっぱり、何か来たか……で、一体誰だ?」
私は、枕元のスマホを手にして画面を見た。
“佐野康弘“と画面には出ていた。
音信不通が三年位はある知り合いの一人だった。
「これか………偶然ではない“必然“の相手は」
私は、久し振りの相手からの着信に何処か不安を感じながら画面を押した。
「久し振りじゃないか!どうした?」
「本当にお久しぶりです。兄さんはお元気でしたか?」
「俺は、元気だよ。だが、体力はだいぶ落ちたかな。“康“お前はどうだ。何かあったのか?………」
「電話では詳しく話しづらいので、是非兄さんの都合のいい日に会えませんか?」
スマホの向こうから心もとないが、懐かしい声が確かに聞こえた。
「今日でもいいぞ。問題は早いうちに済ませたいからな。場所はどこだ。“吉原“も久し振りだから、俺がそっちに行けばいいかな」
「兄さんは、変わってませんね。そうして気遣って貰えれば助かります」
「いや、別に時間があるだけさ。せめて蕎麦位はご馳走しろよ。じゃあ、後でな」
私は、時間を決めずに寝起きのスマホを切り“ふう“っと溜め息を吐いた。
「まさか、吉原とは……面白いものだ。最近の吉原もどうなってるか?見るのもいいかもな。但し、あまりいい話じゃなさそうだが……………これも運命かも知れん」
吉原……………現在の地図には検索しても出て来ない交通機関が不便な“村“だが、去れども言わずと知れた日本一の遊郭街である。
「さてと!出掛けるか……」私は、身支度を整え丘の上の家を出て少し高い坂をゆっくり歩き、取り敢えず駅へと足を運んだ。
途中、銀行に寄り昨日使った分の金を下ろし財布に詰めた。
銀行を出ると、まるで“待ってました“とばかりに一台の個人タクシーが、“これに乗れ“とばかりに止まっていた。丁度、客を下ろした後なのか、運転手は記録を付けていた。
“トントン“ 私は、これも縁と受け取り、電車で向かうのを止めタクシーのドアを軽く叩いた。
直ぐに気付いたのか、ドアが開くと私はそのまま乗り込んだ。
「吉原まで、お願いできますか?」
私は、また遊び心で俗名を告げた。
「浅草の吉原ですか?」「はい、流石に分かりますか?」「吉原なんて暫く走ってないですけど場所は知ってますよ」「それじゃお願いします」「分かりました。いやあ、今日は憑いてます。さっきは銀座から此処まで来たんですよ。それで今度は吉原なんてありがたい限りです!」「これも縁ですよ」「お遊びですか?」「遊びなら良いんですけどね……」「吉原も最近は、客が居ないらしいですよ。不景気なのか?時代の流れなんですかね。バブルの時は、ひっきりなしだったんですけど、あの頃がどこか懐かしいですね…」自分より、十は年上であろう運転手も田中と同じ思いの様だった。
「これが、今の吉原なのか?……………思った通り酷いもんだな。恐らく、いい話じゃなさそうだな」田中は、何気にタクシーから今にも時代に遅れた、くたびれ崩れそうな太陽に照らされた建物群を眺め呆気に取られた。
「運転手さん此処でいいです。釣りは昼飯でも食べて下さい」田中は、五千円札を財布から出しタクシーを止めた。
「どうも有り難う御座います。それでは、お気を付けて……」
田中は、目的地より手前で降り暫く歩こうと思った。
何より過去の記憶と比較をしてみようと考えたからであった。
三年前は、人通りも車の通りも今に比べましだった気はするがする。それと気になるのが、確かに営業していた店がポツリポツリとシャッターが閉じている。そこで一抹の不安を感じた。康の店ももしかしたら“閉店“したのではないかと思ったのである。電話をしようか?田中はスマホを取り出した。否、店に行けば全てが分かる……田中は、唾を飲んだ。
途中で、開いている店の客引きからも呼び込まれるが、聞いている暇はなく今はそれどころではなかった。
「着いた……」
看板のネオンは、何とか点いている。
「兄さん!着いたら駅まで迎えに行きましたのに、わざわざ脚を向かわせすみません。とにかくどうぞ店の中へ………」
佐野康弘、自らが表に出て客を引いていた。
「兄さんは、元気そうで何よりです」「お前は、大分、痩せてやつれたんじゃないか?……」
田中は、佐野の顔色を見て率直に言った。
「やつれもしますよ……」「コーヒーをお願いします」店の待合室に通される前にフロントに座って居るスタッフに佐野が注文した。
「変わらずだな……この店は。で!どうしたんだ?客として済むなら、それはそれで構わんが……」
「言いにくい事ですが、実は店子が今月でこの店を撤退するんですよ……で!廃業するかどうか今後を悩んでいるんです」
佐野は、深刻な問題をいきなり田中にぶつけてきた。
「廃業?!何で?お前が店を継げば済むことじゃないのか?」
「それが、時代の流れか客足も遠退くし、もうこの建物自体がヤバいんです。白蟻に食い荒らされ、配管も錆や詰まりで水漏れさたりして客に迷惑を掛けているんですよ。この床も悲鳴を上げ“ギシギシ“鳴ってますし、リフォームするなら直すより建て替えしたほうがもう良いレベルだそうです……」
「なら建て替えれば良いじゃないの。親御さんも、それを望んでんじゃないのか?それとも、まだ仲違いしてんのか?」
「……………建て替えは、“特殊浴場法“で無理なんですよ。客も遂に店で“茶を引く“有り様でマネージャーも最近、売上を持って逃げちゃって、いよいよ僕が運営している次第です……」
「親御さんや銀行は、どうなんだ?」
「もう、半分以上諦めてますよ。親の歳が歳だし銀行も厳しいんですよね」
「店子も見限っている訳か………で、俺にどうして欲しいと?……」
「分かっています。でも、兄さんに相談したかったんです。このまま廃業するのも何か寂しいかなって……」
佐野は、殆んど諦めて掛けているようだった。
「ホステスは、どうなっているんだ?店が茶を引くなんて可哀想に……稼げないとこに多く居ても仕方無いか……悪循環だな。だが、これはチャンスでもあるんじゃないか?」
田中は、出されたコーヒーを啜りながら煙草に火を着けた。
「えっ!チャンスですか?」
「そう、チャンスだ。お前は、この遊郭の村で産まれ育った。しかし、お前は後を継がずこの村を離れ、全く別の事業をしくじって此処に舞い戻ってきたわけだ。これが運命というものなんだ。それとお前は、まだ親への不義理を償っているんだろ。かれこれ十年位、親御さんに結構な金額を毎月支払い続けている訳だ。そろそろ、家族の信用も得ている筈だろう。世間は、大分変わっている。この村だけ時代に取り残されていると俺は思う。中には、もう先取りした店は上手く立ち回っているんじゃないのか?この店も、別の意味で、まだやり直せるんじゃないかと思うが…」
「このオンボロでやり直せますか?……」
「頭が固く囚われ過ぎているんじゃないのか?この店は、“ソープランド“だと言うことに……」
「兄さん。頭良いから僕には全く分かりません?………」
「此処を、ソープランドから別物にすればいいだろ。例えば、この吉原には“ファッションヘルス“や“ピンクサロン“なんて風俗は一件もない筈だ。だからこそだ。警察や保健所への対応も楽になるし、水の使用量も大幅に減るから維持費の負担も楽になる。建家だって思い切り改装すればいいんじゃないか」
田中は、頭に浮かんだ思いついた事をゆっくりと話した。
「“ファッションヘルス“ですか?!………でも、それで客は来ますかね?……」
「相変わらずの世間知らずだな。全てはホステス次第で客なら幾らだって来るさ。ネックの家賃だって身内がやるんだから幾らでも融通が利くだろ。“特殊浴場“じゃなくなるから法律で税金だって遥かに安くなるんだ。とにかく、一番最初にやる事が大事だ。家族と話し合い銀行に営業の変更を申し出て検討してみな」
田中は、煙草を大きく吸い込み思い切り煙を吐き出した。
「それと、愛妻家のお前は自己破産しているから、まだ立場上で離婚しても関係は続いている奥さんに肩書きで新しく社長にでもなって貰えば、全てが上手く行くだろう」
「有り難うございます。なるほど“ファッションヘルス“か………兄さんに相談して本当に良かった。しかし、よく色々覚えてますし機転が利きますね。助かりますよ。兄さんには、感謝しきれません。急な連絡で悲しい知らせしか、する事が出来ないと思ってましたから……」
人懐っこい佐野に笑顔が戻り田中も提案した事で少しは、安堵した。
「軌道に乗るまで暫くは掛かると思うが、出来るだけ周りの店には刺激を与えない事だな。まあ、やるべき事は沢山あるから全ては前を向きなさい。今日は、折角久し振りに吉原に出て来た……ホステスは今日は何人出勤しているんだ?」
田中が、不意に佐野に尋ねた。
「この時勢なんで、たったの二人しか居ません。情けない事に、これじゃ店を開けてても指名も無いし、ふらっと入る一見の客は見込めません。確かに客の眼も肥えていますからね。もう日常茶飯事です……そうだ!兄さんが言った通り今から蕎麦でも食べに行きましょうよ」
「そうだな…少し小腹が空いた!久し振りに旨い蕎麦を御馳走しろよ」
田中が深い笑みを浮かべ腰を浮かせた。
「一寸、出掛けるから後は任せた」
佐野は、閑古鳥の鳴く店の主任にそう言い二人は店を後にした。
「上手く行かなくても、嫁さんとやっと一緒に暮らせるかも知れないなんて諦めばかり先走って思いもしませんでしたよ……」
佐野は、蕎麦屋で席を陣取るなり頭を下げた。
「俺も伊達に歳は取ってないさ。世の中は大きく変わるなかで唯、この吉原いう村だけはどんどん忘れ去られ、ゴーストタウンになっているのは確かだ。久し振りに俺が見た限りではな……」
「確かに時代遅れですよね………廃業した店も土地をどう使っていいか分からず、廃墟のままか更地にしてせめて税金対策の為に“コイン駐車場“にしてますからね。でも、兄さんは見ない間も見た目変わってませんよね。最後にあってから三年位になりますけど、この間も色々と忙しかったんですか?」
「還暦が近いというのに、お陰さんで仕事は遠慮無く来るからな。もう隠居させてくれてもよさそうだけど、なかなかなぁ……なぁ康、俺は何事も全てが“必然“だと思うんだよ。偶然などありゃしない。人生なんてなるようにしかならないさ。電話を掛けてきた康の苦境も虫の知らせみたいな勘が働いてな“縁“というのは面白いよ。三年の空白が、只の客として呼ばれたんじゃないと思ったから俺は此処に足を運んだ。お前の人柄を知っているから優先しただけだ。お前は十分に人道的に罪を償ってるからこそさ。神様は頑張るものに無視はしない……新しい事が出来るチャンスがお前にも来ただけさ」
「こういう事に直ぐ対応出来る兄さんは天才ですよ………だから、もしかしたら?と敷居の高い兄さんに電話してみたんです。兄さんの気配りと勘の凄さには誰も敵いません……僕も路頭に迷うところでした」
目の前の蕎麦を見詰めながら佐野が言った。
「相変わらず旨いな。吉原の食べ物は!唯、此処まで飯を食べに来る客や出前も減ったんだろうな。蕎麦だけ食べに来る客は先ず居ないだろうし…」
「此処の蕎麦屋も引き際を、そろそろ考えているみたいです。もう、沢山あった弁当屋とかも次から次へと廃業していますよ」
「まあ、時代の流れには付いていけないのだろうな。此処だけ置いてけぼり食っているだけだ。今の東京中の進化は凄まじいものがある。コンクリートだらけの競争に付いていけないものは、即!敗北を強いられるからな。その意味で言うならば伝統で守られているこの吉原は恵まれている。今日、話した事は絵空事ではない。今はお前に確実に追い風が吹いている。後は、重ねて言うがお前次第だ。改修は、俺が通っていた時からもう感じていたよ。『この建物大丈夫か?』ってな。その風情も俺は好きだったけどな……しかし、いつしか此処に足が向かなくなったんだよ。今日まで縁が無かったんだな面白いね。もう三年も経つのか……」
「兄さんは、変わってましたからね。吉原まで来て、泡嬢達の身体には一切触らずビールばかり飲んでたらしいじゃないですか!それでも高い金を払って笑って帰るなんて居ませんよ。そんな客は兄さん位です!」「俺は身体を買いに来てんじゃないんだよ。時間を買ってたんだ。仕事柄、女に乗るより色んな話をしていたかった。たまには湯船にも浸からせながら、髪の毛を洗って貰ったかな」
「“不思議な人“って皆言ってましたよ、なんか懐かしいですね。だから兄さんにはなかなか、営業電話が出来なかったんですよ。それで、暫く音信が途絶えた訳です」
「不思議な人……か!まあ、そうだな。昔は、下手な繁華街で遊ぶより此処まで来る方が楽しかっただけだったが、それが今ではあちこちの繁華街の方が面白くなってきているのかな。どこも営業努力しているんだよ。俺は勘と言うレーダーを見ながら行動しているみたいなものさ。楽しそうなところに足を向ける。そういう“運と縁“に踊らされてるだけだ……そして今がある。でもなあ……最近、俺もめっきり身体が弱ってきてな。困ったものだ……もう若くないって実感するよ。お前も失脚するまでは、一石の主だったんだから新しい事にも対応出来るはずだ。確かモデルのイベント派遣会社だったろ。それなりに女の扱いは、分かってる筈だ。しかし、歯車が狂い痛い目にあった…それを糧にホステスを新規に募集することだな。とにかく良い女を何処よりも、より多く採用する。“容姿端麗、性格、仕草“この中の一つでも欠ける女はオープンからは使えない!“本番“が無くなる訳だから、今までと違い募集を掛ければ面接に来る女は多いだろう。その見極めが全てと言っていい…」
田中は、頭に浮かんだ事を全て言葉にした。
「それを全部僕ににやれと言うんですか?今まで、そんな事やった事無いです……」
「だから、俺が手伝うよ。こんな話をした以上、俺が責任とるしかないだろう。俺だって初めての事だ。だが、これにも運命を感じるんだ。だから呼ばれた気がする。
後は、お前の覚悟にかかっている。それだけの苦労は十分にしただろう。俺だって、伊達に“女遊び“をしてた訳じゃない。この為に色々と経験させられたのかも知れないからな」
田中は、蕎麦を啜りながら微笑んだ。
「分かりました。僕も家族と腹を割って相談する時が来たのかも知れませんね。今まで近くに居ても勘当されてるも同然でしたから…………」
佐野も何かの呪縛から解き放たれるのを感じた様に人懐っこい笑顔を浮かべた。
「兄さんが言うと、何か上手く行きそうですね」
「その為の俺だ。任せろ!失敗はしない。今の時勢、自分の貞操より何より"金"って女は沢山居るからな。それと。もう美貌だけの持主では稼げない、中身と言うか性格で大きく左右されるからな………見てくれだけで売れる時代じゃないんだよ………さっきも話をしたろう。性格と仕草も良くなければ、飯も食えない時代になっているんだ。男もしっかり目利きしているからな、そう甘くないんだよ。ヘルスと云うのは何と言っても"本番"がないから値段もリーズナブルになる。狙うのは、あくまで薄利多売だからね。理想的なホステスなら、オープンラストで働けば一日で十万円以上は確実に稼げるだろう。店もしっかりとそれに合わせた接客マナーをさせないとな」
田中は、蕎麦を平らげながらいつに無く真面目な表情で佐野に話した。
「兄さんの言葉は説得力ありますね。僕もしっかりしないとと覚悟が出来ます、女房からも仕事振りを実際に見られる訳ですからね。頑張りますよ!」
「そうだな。死にものぐるいでやる覚悟が大切だ。まあ、やってみよう。そうすれば結果は必ず出るのは間違い無しさ。さあてと、今からは店に戻ろう。これからは久しぶりに客になるかな。店に居る女の子に“お茶“を引かせるのは可哀想だからな。安い買い物じゃないが、財布には十万円位入っているから何とか遊ばせてくれや。この古い建物で入り納めだからな………」
「相変わらず、今の店の事も考えてくれるなんて本当に優しいと言うか、気配りにも頭が下がるばかりです。兄さんを楽しませてくれるかどうかは僕には分かりませんが、気が済むまで思い切り楽しんでくださいよ。ビールだけは切らせませんから本当に有り難うございます」
「俺は、変わっているからな。自分でも不思議だよ。それじゃ行こうか!」
田中は、無邪気に言い蕎麦屋を後にした。
「親とは、大きな借金で不義理をしてしまい十年近く敷居を跨ぐ事が出来ずにいたのに、これからの事を話したい………と切り出したら話を聞いてくれました」
「何と言っても血が繋がった親子だからな。結局は上手く行くと思っていたさ。親御さんも喜び嬉しかったんじゃないのか」
「十年近く経っても僕も親の居る有り難さを充分に感じました。今迄払い続けて来たお金も手を着けずに黙って貯金してくれていたんです。
これで、改装の問題は片付きましたし女房に相談したら二つ返事で実家の田舎から上京してくれます。全ては、兄さんのお陰ですよ!本当に感謝しています」
電話越しに佐野から連絡が田中に掛かって来た。
「俺は、まだ何もしていないよ。これから新しく始まるんだ。内装は、今迄の6の個室から10の個室で設計施工してくれ。期間は一ヶ月位有れば良いだろう………後は、その間にホステスを集める。ここからがいよいよ俺の仕事かな」
「兄さんへの御礼は、幾ら位渡せばいいでしょう?……………」
「俺に礼なんて要らないさ。全ては上手く軌道に乗りさえすればで構わない。その分は奥さんへの手当や従業員を多く雇って欲しい。求人も早く始めてくれ。ホステスの面接は、言った通り俺が請け負う。黒服は康、お前に任せるよ。俺は、この為に遊んで来たのかもしれないなあ」
これから始まる事も田中の運命と言うか、必然的なものなのかも知れなかった。本当に”運と縁”は摩訶不思議というものだった。
「吉原での変わった形で求人募集したら、こんなに電話が鳴るんですね。兄さん大丈夫ですか?十人以上は毎日面接するなんて疲れないですか?」
「何処に良い女が居るか分からないじゃないか?俺は、"運と縁"を大切にしたいから別に疲れはしないさ。俺よりも康が最初に電話で縁を決めてくれるから面接で断るのはなかなか難しいよ。流石に元イベント会社の代表をしていただけはあるな。女を見るセンスは良いと思うよ。容姿端麗である事と電話でのやり取りで行儀の悪い女は端から断われと言った通りに行動してくれるからな」「確かに結構、悩むんですよ。電話での応対は、ソープと違って常識ある女性が多いんです。センスが良いと言ってくれて嬉しいですよ。兄さんが言ったボディサイズは”ウエスト”が60迄と言った通りにしてるだけですよ」「これからは、"デカいオッパイ"よりも"スリムタイプ"が主流になるからね、胸がでかくても腹も出てるじゃ話にならないんだよ」「採用率は意外に低いんですね、面接で3人に1人位しか採用とか兄さんは厳しいですね」「身なり…だけで何もしない様なお姉ちゃんは得てして要らないさ。それと入れ墨やピアスを端からひけらかすような娘は容姿端麗でも、もう交通費だけで帰って貰ってるしね」「多いですか?タトゥーや耳以外のピアス……」「意外と多いな」「高給ソープでは入れ墨は殆ど受け付けないですからね。そんな娘がヘルスだからと募集に乗ってくるのでしょうか?」「今じゃ、ホスト狂や美容整形に嵌り大金を掛けたがるんだろうな……”稼ぐ”と言う事の意味を全く理解していないというかだな。本当に稼げるホステスは以外と少ないんだよ」「兄さん何人位、採用予定何ですか?」「早番、遅番合わせて三十人以上は確保したい……恐らく、最初から甘く見てつまずくホステスも多からず居るからな。まあ、これも仕方無いと言える。まあ、営業始めてからも面接はやるから心配しなくていいよ。そうだ!黒服の方はどうだ?」「ボーイもひっきりなしに電話掛かってきますよ。”今日から住み込み"でだとかいい加減な奴が多いんですよ。なかなか、通いで働けるボーイは全く無くて頭を抱えたいですよ。女の子の寮とかも多く用意した方が良いのかも知れませんね」「そうだな、他県の田舎から来るホステスも多いからね。その辺は康、お前に任せるよ」「兄さんの言うとおり、ソープよりも初期投資が掛かりませんから用意出来ます」「後、奥さんとお前の住む場所は決まったのか?奥さんも康も早く一緒に居たいだろうから、それを一番に決めるんだぞ」「有難うございます。確かに早く見つけます。でも、楽しいんですよ。兄さんと仕事が出来ている時間が………出来れば、ずっと経営に携わって欲しいですけど………」「俺は、経営とかに興味はないよ。単なる作家で十分さ。これも、俺のネタにして小説を書かせて貰うさ」
「流石に幾つになっても"遊び人"ですか?でも似合ってるんですよね。兄さんは」
「俺は、係わる全ての人の笑顔が見たいだけさ。それでいい」
「本当に不思議な人です…………兄さんは」
吉原からまた、一つのソープランドの灯が消えたと思ったら、今度は吉原初のファッションヘルスが遂にそこに出来た。
周りから見たら、外観は昔とは大きな変化は無いのに内装は大きな変貌をしていた。内装には、大きな金額を掛けられたのも、大家が佐野の実家であり家賃も取り敢えずは払わなくて済むからだった。今迄あった各部屋から浴槽は消えた分、狭くなった部屋の数は予定通り4部屋増え10部屋になり、ホステスの待機部屋も広くなった。これには、佐野では無く田中の意向が大きく働いていた。工事と同時にホステス募集を掛け、何の問題も無くソープランドで営業を認可している保健所から、今度は警察の許可を受ける風俗営業のファッションヘルスとして完成した。後は、オープンを待つだけとなり周りのソープランドはその動向に凝視と注目を浴びていた。
そこには、オープンするキャバクラやホストクラブみたいな花輪等の飾りは全く無く地味なリニューアルされた一軒のファッションヘルスだった。
但し、オープンから早番の8時からラストの23時迄予約で埋め尽くされる華々しいスタートが開かれるとは、仕掛け人の田中も驚きを隠せなかった。接客時間は、30分コース、60分、90コースの選択制で各、1万円、2万円、3万円の料金プランだが、殆どの客は一時間のコースで埋められていた。但し、同業のホステス等は客を持っているのか、そのプランを大きく超え3時間や5時間の指名制の客もいた。とにかく此処は、"本番"厳禁であり、それを破ったら即営業停止となる為、店はとにかくそれだけは御法度だった。
やはり田中が読んでいた通り、吉原のネームバリューは大きく、それと料金も各駅前にある様なファッションヘルスと比べると値は張るが、吉原のソープと比べたら格段に破格の安さであった。
「こんなに予約が入るなんて思いもしませんでした!流石!兄さん凄いですよ」佐野が驚き興奮気味していた。
「吉原マニアってのも結構居るんだよ。こんな俗称で呼ばれる位、へんぴな場所だからね。薄利多売だから客の送迎サービスもしなくても客はタクシーや自家用車でも来ると思ったが当たりだったね。最近はSNSが主流だから特に良かった………後は、ホステス次第だからね。黒服達には、女の子のプライバシーを守って貰う事を徹底的にしてもらう。本番が無いから客は妄想に走りストーカー行為も働くからね。気を付けないと、それとアンケートの方も客から入手しないとホステスも手を抜いたりするから気を緩めたら駄目だよ、とにかく、女の子も必死で競争にならないと稼げないようにしないといけない。素人のホステスに接客の講習は、しっかりとやって貰っているから後は、やる気と努力だよ。これからは夫婦で頑張れば収入も安定する筈。以上………」
オープン当日
「田中さん本当に有難うございました。此処まで手を差し伸べてくれるなんて思いませんでした。私達は、もう一緒には暮らせないと思っていましたから感謝で言葉がありません。ねぇ貴方」「本当に兄さんと縁が有って良かったです」
佐野夫婦が揃って頭を下げた。
「奥さんも、これからは女の子のシフト調整で忙しいだろうけど、悩みのあるホステスには話を聴いてあげて下さい。女同士じゃないと解らない悩みが出てくるでしょうし、私で良ければいつでも色々な相談受けますよ。そろそろ予約客が来る頃です。そろそろ黒服に客の整理をさせましょう。出来るだけ客とホステスは接点を無いようにしないと……康、お前が一番慣れてるんだから先ずは、お前が動きなさい!」「分かりました兄さん。じゃ出て来ます。」「後、最後にあった!中には、予約もしていない全くのフリー客が居るかもしれない。そういう客には良ければ待合室で
キャンセル待ちを勧めなさい。もし、キャンセルが出なかったら次回、予約で50%オフのクーポン券を渡しなさい。少しでも個室の稼働に繋げられる様にね」
「本当に抜かり無いですね。兄さん、本当にウチで代表やってもらえませんか?」「甘えるな!俺は物語を書くのが好きなんだ。まあ、たまにフラッと来るかも知れんからその時はキャンセル待ちで遊ばせてもらうさ、ほら早く玄関に行って来い!」「ハイ!」「しっかりと頑張ってな。俺は死ぬ迄、遊び人さ…………それが俺の運命なんだろうな」
「本当に田中さんは不思議な方なんですね。モテるのも良く分かりますよ。ウチの旦那に思いっ切り田中さんの爪の垢を飲ませたいです!」
「翔子さん、このコンクリートで溢れる東京は、色々と次から次と問題がでて来ます。負けない様に夫婦仲良く暮らして下さい。私には、あなた方が羨ましい………神様は、どうしても今の東京を私に観察させたいらしいですから……本当にお幸せに」
田中は、微笑み佐野翔子に右手を出した。
「田中さん。私も早く貴男と出逢いたかったです。そうしたら私が貴男を幸せにしてあげられたかも♪」
「聴かなかった事にします。そうしないときっと私が貴女を口説いていたでしょうから(笑)」
「本当に御上手です事………♪」翔子も温かい手で右手を出したが、その手が田中の背中に回り優しいハグになったが田中はそれを受け入れた。
「何か、雲の上に乗ってるような感覚というか?とてもふわふわして心地良いですね。こんなの初めて。それに温かい………」
田中に触れ、翔子の心は大きく揺らぎ、ずっとこのままでいたいと思いながらも、田中は柔らかくハグを外すと翔子は、我に戻りハッとなった。
「失礼しました。でも。まるで神様に包まれた感じで暫く触れ合っていたかったです、こんな事ってあるんですね………」
「きっと、年の功じゃないですか……唯、自分で言うのも変かも知れませんが私には確かに風が吹くんですよ。今回も何かの"見えない力"が私を動かした、おそらくこれからも何かの問題が私には待っているのでしょう、それを私は受け止めなければいけないのかも知れない。これもきっと宿命ですよ」
「きっと、現代の神様なのかも知れませんね。田中さんは………ハグした時、とても心地よかったですし」
「そんな大層なものじゃないですよ………」煙草に火を着け田中は天を仰いだ。
だが、翔子が話した事は田中の腑に落ちていた。
「次はどんな面倒が待ち受けている事やら………」
田中には、又、次があると薄々感じていた。しかし、どういった形や内容でも対応しようと煙草を吹かしながら思っていた。
東京コンクリート第一章 完