私は君を許さない
「違う」
「町代祝の育成には失敗した。だから次に行こう。そんな風に聞こえたよ」
「違う! そんなつもりじゃ」「何が違うの? いったい何が」
町代は吐き捨てる。髪を引き抜き、バラバラと撒き散らした。風で舞い上がる。
「私に次はないのにさ」「………………」
口を閉ざす。反論出来なかった。心の奥底に「リサちゃんこそは」と考えている自分がいるのを、僕は否定出来なかった。当瀬日文という男の在り方に、これほどまで嫌悪感を覚えたことは一度もない。
自分のつまらなさを実感し、身勝手さに失望し、呆れ果て、脱力する。
「私が見てたのは、結局、かっこいい当瀬くんの幻影だったってことかな」
「ごめん」「謝らなくてもいいよ。君の人生でしょ。ただ」
町代は、クラウチングスタートの構えを見せた。運動が苦手だった彼女に、僕が教えた技術。上達速度は早くなかった。せいぜい全国男子の平均レベル。
なのにこの一回は、姿勢も、タイミングも完璧だった。
「思い出だけは良いものにさせて」
亜音速で接近してくる。耳元で囁いてきた。ような気がした。
「失点を重ねる前に喰わせて」
文字通り、牙を剥く。精神的に打ちのめされ、体に力が入らない。十全な反応をするのは到底不可能だった。半歩引くので限界だ。正直、よく動けたなとすら思う。
右手二の腕が噛みちぎられた。
ごく一部。二十グラムも取られていない。が、激痛だった。マクラは気絶し、袖が血で染まる。鮮血が腕を伝って、指先からポタポタ落ちる。
町代は肉を咀嚼し、恍惚とした表情になった。「本物は美味しいな」と簡潔に食レポし、ぺっと服の切れ端を吐き出す。にこりと笑った。
「まだ足らない。もっと。もっと欲しいな当瀬くん」
共織矢回は言った。魂の融解で、理性が損なわれたりはしない。本性が曝け出されるだけである。
喰われた傷がジクジク痛い。でもそれ以上に、ひたすら悲しい。
尋ねかける。
「僕は……最初からずっと、お前を見誤っていたのか?」
「まさか。それは自分を卑下し過ぎだよ。卑屈になってるね。ハハ」
「でも僕は。お前のその本性を見抜けなかった!」
「本気で隠してたもん。えっちな本能と一緒に、本性はずっと隠してた。そして、本気で演じてた。家族を壊さないための気弱な自分を。珍しくもないよ」
僕の知らない常識だ。町城は、唇に付く血を舐めとる。
「本性。本能。本気。全部ひっくるめて本当の私だよ。だから当瀬くんが見てた私もまた、町代祝の本物だよ。今の私と同じく」「本物って」
頭が回らない。ぐちゃぐちゃと思考がまとまらない。
疑問を言葉にするのが精一杯だった。
「本物って……一つじゃないのかよ」「ん? ……ふっ」
必死で問うた。少しの間だけポカンとしたのち、町代は噴き出す。
「ふっ、ぷっ、くくく」
よほど面白かったらしい。無邪気に笑う。「あーははははははははははははははははははははははははははははははっ!」と笑い続ける。笑い過ぎて涙を流していた。我ながら、幼稚な質問をしてしまったと感じる。笑われても不思議じゃない。甘んじて受け入れるべき辱めだ。
初めて見る姿。お前、そんな風に笑えたのか。僕は、町代祝という少女をほとんど知らない。出会ってたった三ヶ月で、見誤るも何もなかったのだ。
「もういいだろ」
「そだね。ふふ。初めて当瀬くんが、自分の同級生に見えたよ。君でもそんな子供みたいな質問するんだ。君って、そんなに子供だったんだ。全然知らなかったなぁ」「当然だ。まだ十七歳だぜ。マクラと同じ。互いにな」
「そうだよ。そうなんだよ。そうなんだよね」
句読点ごとに、町代の表情が引き締まっていく。
「倒せそうな気がしてきた」「和解の道はないのか?」
「絞首台にしか繋がってないじゃない。そんな道は願い下げだよ」
「未成年だ。死刑にはさせない。しかし何度も言うが、お前は許されないことをした」「さっきからそればかり。私は君を許さない」
両目に二本の指が迫る。目潰し。首を逸らしつつ手首を掴もうとした。町代は右手を引っ込め、代わりに左手を繰り出してくる。力の流れを崩してやろうと内側に弾いた。おかしな姿勢のまま体幹を崩さず、至近距離で【粒】を数発打ってくる。
シールドを張った。もはや禊力椽転は呼吸と変わらぬコストで行えるが、逆に言えば、呼吸と同じ程度の隙は生まれる。
背後に回られた。防御姿勢で振り返る。
「なっ」
人のいなくなった道を、猛ダッシュで駆け抜けていた。町代は「まだ白々燐や当瀬くんと戦える域には達してない」と言っていた。あれが本心だったのだ。「倒せそうな気がしてきた」はフェイク。翻弄されてばかりだ。
速い。防御姿勢からでは追いつけない。マクラが気絶していなければ話は別だったが、もしもを考えても仕方がなかった。
無駄足と分かっていても走る。町代の背中に言った。
「僕だって、本気でお前に教えてた」
だから、「かっこいい当瀬くんの幻影」もまた、本当の僕だ。
「そっか」
彼女の気配が消える。開いたばかりのゲートを潜ったらしい。どこに飛ばされたかは不明。
唇を噛む。悔しさと、あと無力感に苛まれた。
◇◇◇
散りかけの桜が、緩やかな坂道に並ぶ。満開の時期には、レジャーシートと人でいっぱいになりそうな場所だと感じた。今は疎らにしかいない。老人か親子連れかのどちらかだ。
ゲートで物陰に転移してきた町代は、適当なベンチを見繕って腰掛ける。スマートフォンを手に取った。電源が入らない。壊れている。右手に寄生する雑魚の狛犬に、「カムイ」と名前で呼びかけた。
『……なんだい?』「ここどこ?」
『東京都文京区の播磨坂。父上と来たことがある』「へー」
興味なさげに返事をした。昼の空を見上げる。青い。
「パパァ。あの人。髪がピンク」「桜の妖精さんかなぁ」
五歳くらいの幼女に指を差され、彼女の父親にキュートな例えをされる。
そんなロマンチックな存在じゃない。町代は鼻を鳴らす。
投稿サイト用ではない、自分が密かに書き溜めていたサスペンス小説には、主人公の女子高生が好きになった男子を次々と殺し、桜の木の根元に埋めていくというものがある。卒業式の三日後、美しく咲く桜の下で主人公が微睡んでいると、過ぎた掘削による地盤の緩みで木が倒れ、潰されて死ぬ。最後に、殺された少年たちの親や兄弟姉妹が集まって、桜と主人公の死体を燃やし尽くす。
「暗鬱としたストーリーねー」
ベンチの隣から、誰かが話しかけてきた。町代は視線をやる。
艶やかな黒髪の少女が、いつの間にかそこにいた。
「大丈夫なの? 魂がメルトダウンしてるけど」「医者にも言われたね」
「そのせいか、プロテクトが弱まってる。思考が覗けるほどに。町代祝さん」
「プライバシーの侵害だよ」「損害賠償請求したい?」「まさか」
軽く両手を挙げる町代。降参のポーズだ。
「裁判所に行ったら、そのまま刑事告訴されそうな身の上でして」
「なら良いよね」「良くないよ」
「あなたの脳裏に張り付いている、大好きで大好きで仕方ないらしい少年について、ちょっとお話したいんだけど」
町代は驚き、立ち上がる。隣の少女は不敵に名乗った。
「私は温矢くれむ。とってもかわいい名前でしょ?」




