夜のバイト
「祓い屋って人間ですよね。どうやってあなたたちみたいな存在に対抗してるんですか?」
理由不明のバイオハザードが起きて壊滅状態に陥った養護施設から、理から外れた物の怪たちにより助け出されて少し経った頃。
目前、なぜかチビギツネの姿を取っている古の大妖怪。彼から「『妖怪による人間の常識講座』が始まって五日となるが、何か尋ねたいことはあるかな?」と言われ、流れに乗じて投げかけた質問が、それだった。
大妖怪ギツネが、渋い顔をする。
「本講座の趣旨である、人間の常識からは外れた質問じゃないか。祓い屋なんてあいつら、普通の人間社会からすれば、完膚なきまでに外法集団だよ?」
「妖怪によって人間の常識が講座されるよりも外法ですか?」
「それを言われちゃ弱いね」
後ろ足で、頭をボリボリと掻く。ノミでもいるのだろうか。少しだけ逡巡したのち、彼は答えた。
「妖怪なら全員妖力を使える。魂に備わる按転の法理で以って、自らの陰の気を練り上げ、現実世界に昇華させるんだ。見てなさい」
大妖怪ギツネの頭上に、不可視の何かが集まった。
刹那、それに美しい緑の炎が灯る。
「これが妖力。妖怪の持つ不思議な異能の源だ」「なるほど」
「で、実は人間にも、似たようなことが出来る奴らが稀にいてね。椽転の法理というので、陰の気とは真逆の陽の気を練り上げて、禊力なんてものを発動させるんだ。作った禊力を基に色々な術を構成し、妖怪の異能に抗う」
「すごいですね。憧れます」
「まあすごい力なんだけどさ。適性がないと出来ないし、血筋も大事だから、君は諦めて、社会で生きるための常識を学んだ方が……」
「こうですか?」
「そうそう、そういう紫色のね……ってええええええっ!? 出来てる!?」
僕の掌で、紫の波が渦巻く。大妖怪ギツネが燃やす、緑の炎のエネルギーとは逆のものを体から探し出し、使ってみたらこうなった。
興奮する大妖怪ギツネ。
「出力はまだ弱いが、もうコントロールも出来てるじゃないか! 君は天才だ!」
褒め称えられるのに悪い気はしない。が、恐らくこれを無意識のうちに運用していたのだろう、真の天才たる少女の姿を思い浮かべ、笑いながら謙遜する。
「多分、906番の方が上手く出来ますよ」
◇◇◇
「――というわけで力を得た僕は、帽子の付喪神を倒せた」
締め括る。短い回想終了。修行編は割愛する。ちょうど夕食が出来上がる。「へー」と、ちゃぶ台の前に座るマクラが、感心したように頷いた。
僕とマクラを繋ぐ糸は、ある程度融通が利く。キッチンとちゃぶ台を往復するのに、一々隣にいてもらう必要はない。
彼女の前に、ハンバーグとサラダ、味噌汁にご飯を置く。さっきキャットフードを提案したのだが、全力で拒否された。
「日文、妖怪に育てられたのか」
「高校に入る前、一年半ぐらいな。それまでは養護施設育ちだ」
物心ついた時からずっとあそこにいた。預けられた理由、両親の顔など、まったく思い出せない。一年半だけ妖怪に常識を刷り込まれたところで、真に社会に溶け込むことは不可能だ。だからこそ、僕は真島柿厨荏に多大な期待を抱いていた。
二又に分かれるマクラの尻尾が、グニャグニャと激しい。食事が待ちきれないようだった。僕の分も手早く持ってきて、「いただきます」と食べ始める。
「そういやマクラ、記憶が読めるんじゃないのか」
「直近のしか無理だぞ。しかもすごいぼんやりだ。日文の子供時代とか、全然見えない」
僕は高校生。まだ十分子供時代だ。酒は飲めない、選挙権はない、バイトはしてるが正規の仕事はしていない。生活は、連絡のつかない大妖怪ギツネが、毎月律儀に振り込んでくれる資金に大きく依存している。
学費はすでに支払ってくれている。各種税金も向こう持ち。そして、家賃や光熱費など込みで月額十万振り込まれる。地方の安アパートに住んでいることを考えると、貰い過ぎなくらいだ。プラスして、バイト代が四万くらい。残った金は返せないから、貯金は十分にある。
真島柿もいなくなってしまった。猫又一匹ぐらいなら、余裕で賄えるだろう。
早々にハンバーグを平らげてしまったマクラにふりかけを渡しつつ、「お前は妖力をどれくらい使えるんだ?」と尋ねる。彼女はしゅんと項垂れた。
「里じゃほぼビリだったんだぞ……」
「妖気、つまり陰の気が少ない? 練り上げが上手くいかない? それとも、作った妖力のコントロールが出来ないのか?」
「どうやって練り上げてるのか、よくわかんない」
「魂の知覚が下手なんだな」「うん」
そのままじゃ役に立たない陰の気を、異能の燃料たる緑の炎に変えるには、妖怪の魂に刻まれる「按転の法理」を用いる。妖怪は、魂の形を理解すれば、それがどういうものなのか、どこにあるのか、自ずと感じるのだそうだ。
己の魂の知覚は、妖怪にとって基礎中の基礎だったはずだ。出来ないのは、社会で生きる人間が一桁の足し算に不自由なのと同じ。これは練習させた方がいいか。
サッと夕食を終えて、食器を流しに持っていく。マクラもすでに食べ終わっていた。洗浄は手伝ってくれるらしい。後片付けを終えた時、時刻はまだ六時台の前半だった。
「夜はどうするんだ? もう寝るのか?」
言いながら、マクラは地震対策用ヘルメットをゴロゴロさせる。遊ぶペットの猫そのものだ。綺麗好きの僕としては、睡眠前の風呂を示唆して欲しかった。こいつも普通の猫と同じく、水が苦手だったりするのか。
コートを着込み、手袋をした。ストーブも消す。
「外に出るのか?」「バイトに行くんだ」
マクラを体内に取り込む。冷たい雨を避けるため、傘を差した。
最寄りの駅に行って、電車に揺られて二十五分、さらに五分歩いて、バイト先の食堂に着く。大妖怪ギツネの紹介先の、さらにその紹介先から、「親のいない高校生を、黙って雇ってくれる場所」として教えられたものを受けた。
一週間に三回、十九時から仕込みを三時間。「十八未満は二十二時以降働けない」という決まりは、一応守られている。
いつも通りの仕事をして、真夜中に解放された。気温は低い。雨もまだ降っている。
「あまりにも寒いな」『あまりにも寒いぞ』
芯から凍えそうだ。身を縮め、小股で駅に向かう。発車標を眺め、二十分も待たなければならない事実に落胆しながら、ICカードで改札を通った時だった。
彼我の境界を越えた悪寒が、背筋に走った。




