カナダの国会図書館
敬称としての「先生」は省略します。
カナダの国会図書館は議会と隣接し、主に国政に関わる研究に対して論文や情報の提供を行う重要な施設である。1876年に建設されたこの幸運な図書館は、1916年に議会のセンターブロックで起きた火事を免れている。中央には、イギリス自治領としてカナダ連邦が誕生した時の初代国王にして、イギリスハノーヴァー朝六代目女王ビクトリアの石像が配置される。尖塔で飾られた円錐形の外観は、10カナダドル紙幣の表にも描かれている、言わば国家のシンボルだ。
シャーマンたちの異界を通じて直接中に入る。アーチ型の屋根、広々とした空間、花や人の顔、神話の生物といった様々な装飾。生命力のある胸像。周りを囲む蔵書群に圧倒された。
「ついてきて」
対策室にスカウトした先生の一人、アンドレードに促されるまま、奥の階段で地下に赴く。「君のような前途ある高校生には細部まで詳しく案内してあげたいところなんだけど」と残念がりながら、早足で進んでいく。倉庫の細い道を進んで行った先で、彼は「ここだ」と言った。
「ただの壁にしか見えませんが」「魔力を」
日本で言う禊力のことだ。紫の波を放出する。
「そのままゴー」
ぶつかるんじゃないか、と訝しみつつも従う。すり抜けた。「おお」と思わず感動する。天井がない。上へ上へと無限に続く本棚には、シャーマニズムに関連する本が無数に収められている。
「魔法使いしか入れない場所だ。それも、ごく一部しか知らない」
アンドレードは笑う。
「君にはなるべく、安全な場所で指揮を取ってもらいたくて」
アンドレードとカシャップたちの計算により、温矢くれむが次に襲撃をかける地点が二つまで絞りこまれたのは、対策室発足当日の夜、二十三時(日本時間)だった。カナダのオタワかノルウェーのストックホルム。
「霊力ダイナミクスは、以前と比べて明らかな変化を来していました」
スクリーンにビフォーアフターが映される。アフターの方は計測が若干粗く、かつ人工的だ。短時間では丁寧な調査が出来なかったのと、理論モデルによる計量を補完として使っているからだろう。
そうであっても、明らかな違いが見て取れる。
「渦がすべて消えてますね。矢印すべてが北北東に向かっている」
「海上での計測はまだ出来ていませんが。モデルにより示唆される矢印を加えるとこうなります」
海岸離脱後もしばらく北北東に進んでいた霊力だったが、ノルウェー西部のフィヨルド海岸沖で、速度は小さく、方向も定まらなくなった。
「温矢くれむが、霊力のダイナミクスをこのまま北北東に進めたいと考えていると仮定して、どこに「白震」の刺激を与えればそれが実現出来るかを推測しました」
スケールが大きくなった。ヨーロッパ大陸と北アメリカ大陸が載っている地図に切り替わる。スウェーデン南部と北アメリカ東部が赤い丸で囲まれていた。
灰學がくれむと戦ったニューヨークも、赤丸の中にある。
質問した。
「イギリスから北北東に誘導したいとすると、スウェーデンは分かるのですが、なぜ北アメリカの東部が含まれているのですか? 離れ過ぎでは?」
「フィヨルド沖でダイナミズムが放散する根本的な原因が、北アメリカ東部での霊的エネルギーの動きにあるからです」
「なるほど。詳細はあとで聞かせてください」
「傾向から考えるに、温矢くれむの次なる行動として可能性が高いのは以下の三つです。再びニューヨークを襲う、カナダのオタワを襲う、スウェーデンのストックホルムを襲う」「ニューヨークはないです」
三年前までの彼女を知る者として見解を述べる。零仁も同調した。
「繰り返しは好まない性格でしたので」「あたしもそう思うぜ」
「オタワかストックホルムか、どちらの方が確率が高いか分かりますか?」
「直感に反して、より効果が高いのはオタワへの襲撃です。温矢くれむが完全なる合理性を持っているなら、オタワか、少なくとも北アメリカ東部のどこかを選ぶと思います。しかし、それが温矢くれむに分かるかどうか。ごく最近まで普通の日本人として暮らしていたのでしょう? 我々のように精緻なモデルを組めるわけではないはず。限定的な合理性しかないならば、ストックホルムを選ぶ可能性も十分ある」
「温矢くれむなら……906番なら。絶対オタワを選びます。『最優個体』として」
強く断言する。カシャップはやれやれと溜息を吐いた。一般に、科学に絶対はない。しかし僕の確信は、科学に依るものではないのだ。絶対的強者たる彼女には「絶対」が許される、そういう妄想の類である。
カシャップはパソコンを閉じた。
「室長に任せます。我々は知見を提供するだけ」
日付が変わった零時十分、アンドレードとともにオタワへ向かった。「祓い場」から「隠れ家」、「隠れ家」からカナディアンシャーマンの異界「籠り巣」を経由して、カナダの国会図書館に到着した。時差の影響で、着いたのは昨日の十六時半だった。
魔法使いしか入れない部屋で、アンドレードの説明を聞く。
「自衛隊の祓魔軍、イギリスの王国シャーマン軍はまだ着いてません。協力してくれるカナダ軍のシャーマン部隊についてのみ、すでに配置のための準備は整ってます」
「すぐに指示を出します。手筈通りにね」
「君はなるべくここにいて欲しい」「てっきり現場に放り込まれるものかと」
「ロッテンバーグさんはそう主張してましたね。『あれは強いから大丈夫だ』と。しかし、『覇人』みたいな知名度があるわけでもなし、ポッと出の十七歳を指揮官としてお披露目するのはちょっと」「なるほど」
「ああ、食料はあの引き出しの中に。水はあそこのキッチンで。自炊も可能ですよ。あと、万が一の事態に備えて、出るための方法を教えておきます」
アンドレードは無限の棚に近づき、一冊の本を引き抜いた。その本のあった区画が奥にずれ、道が現れる。暗闇を指差した。カナダ二代目大統領アレキサンダー・マッケンジーを象った像の辺りに出られるらしい。
最後にトランシーバーの使い方についてレクチャーされた。すぐに理解出来た。「うん、このくらいですかね」と言って、アンドレードはイギリス陸軍式の敬礼を行う。
「健闘を祈ります」「温矢くれむを止めます。必ず」
彼は満足そうに頷き、正規の出入り口から去っていった。
百話目。
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