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踏み外した恋

 それから、週一のペースで都兎ととと会った。

 金曜の食事のあと、当たり前のように連絡先を交換し、お互いの勤務形態や時間を教えあった。

 都兎はまだ実家暮らしで、独り暮らしが羨ましいと言っていた。

 都兎はいつ会っても可愛らしく身形を整え、化粧をし、左手の薬指に指輪をしていた。


「婚約指輪なの」


 と、ある日都兎は言った。あまりに私が見過ぎていたからだと、都兎は続けた。

 その時の衝撃を、私以外の一体誰が分かるだろうか。否、分かるはずもない。

 小さいけどダイヤモンドよとか、結構高いんだからとか、優しいひとでねとか。聞きたくもない話がどんどん溢れてきた。でもいつか聞かされるだろうとも分かっていた。それでも会っているのだから、自分から針山に投身自殺しているようなものだ。

 それでも私は、就職してからより一層硬くなった表情筋を頼りに、どうにか平気な口調で躱し続けた。


「惚気は結構」

「惚気なんかじゃないよぉ」


 都兎は、またくしゃりと頬を染めて笑った。


 幸せだけれど、身を二つに裂かれそうなほど辛い時間でもあった。

 都兎と別れる度に、何で会っているんだろう、と自分に呆れた。

 彼女は既に誰かのものなのに。

 私のものになる未来は決してないのに。

 しては、いけないのに。


 ちゃんと分かっている。分かっているからこそ、ずっと彼女のことを見ていても、関わろうなんてしなかった。

 人伝に聞いた進路で同じ大学を選んで、バイトを始めたと聞けばこっそり見に行って。もうそれだけでも頭がおかしいって、分かってる。やってることはストーカーだって、ちゃんと自覚してる。

 七年も前に振られた、しかも同性の彼女のことをいつまでも引きずってるなんて、気持ち悪いを通り越して異常だって、全部分かってる。

 分かってるけど、止められない。なんでこんなに好きなのか、自分でも分からないくらい好きで、……好きで、どうしようもない。

 もうこれだけ時間が経てば、それが恋とも呼べない別の何かなんだろうということも、分かっているくせに、思いきれない。

 だって、都兎が変わらずに笑ってくれるから。


「髪伸ばしたんだね。同じくらいだ」


 そう。長さも、髪を切るタイミングさえ同じにしたの。


「あれ、璃桜りおって左も使えたっけ? 相変わらず器用だよねぇ。でも、一緒で嬉しい」


 そう。鏡を見ながら歯を磨く度に、都兎を思い出すのが辛くて、変えたの。


「スマホの機種一緒だ。ぐーぜん! 見せて?」


 そう。最新だからって答えたのは、勿論嘘。知ってて同じ機種にしたの。


「璃桜変わってないなぁ。何だか私まで若返った気分」


 そう。全然変わってない。……変われないの。

 あの日、顔も忘れた養護教諭の男に都兎を奪われてから、ずっと。


 偽物の笑顔で差し障りのない回答ばかりをしながら、心の中で気味の悪い反駁はんばくを繰り返す。都兎の何でもない言葉や仕草にいちいち一喜一憂しては、そんな自分を滅多刺しにする。会えば会うほど苦しくて、吐き気がして、たった独りの家に帰っては泣き崩れた。こんな異常者と、いつまで一緒にいなければならないのかと絶望した。

 そしてそんな頭のいかれた異常者が、脳内で時折囁くのだ。

 奪ってしまえばいい、と。

 私も一度は奪われた。だから一度なら奪い返す権利があるだろう、と。彼女を手に入れれば、この無意味で果てのない苦悶も終わるはずだ、と。


「……バッカじゃないの」


 心の底の底から毒づく。そうしなければ、簡単に危険な一歩を踏み外してしまいそうだった。

 否、もうとっくに、踏み外しているのかもしれない。

 毎日、毎日、自分を嫌いになった。




 けれど、最悪はまだ残されていた。

 いつものように都兎からの可愛らしいメッセージで会いに行った週末。オーガニック野菜を売りにしたお店の個室でランチを注文したあと、都兎が思わせぶりな顔で切り出した。


「実はね……」

「なに?」


 また彼氏の話だろうか、とげんなりした心中を隠して問い返す。


「妊娠したの!」

「――――」


 爆弾を、落とされた。

 数秒、身動きが出来なかった。思考が完全に停止して、都兎のきらきらと希望に満ちた瞳だけを見ていた。都兎が何か言って欲しそうに見返してくるから、それでやっと、何か言わなければ、と思った。

 妊娠。婚約者との。

 それはつまり、彼女の順風満帆の輝かしい未来が、確定したも同意で。


「…………お、めでとう」


 絞り出した祝福は、呪いかと思うほど耳障りで歪だった。けれど都兎はそれすら気付かないほど上機嫌なのか、はち切れんばかりの瑞々しい声で「ありがとう!」と喜んだ。


「ずーーーっと欲しかったんだよね、子供!」

「…………そう」


 両手を合わせて破顔する都兎に、蚊の鳴くような小さな相槌を返す。それが、今の私の精一杯だった。

 きっと、赤子を抱く都兎は、聖母子画のように美しいだろう。慈悲の微笑を浮かべ、世界一幸福な顔で赤子に頬擦りするだろう。そこに余人の付け入る隙は無く、世界は完璧で、邪な私の目は潰れてしまうかもしれない。

 それほどに、私は諦めが悪い。

 都兎の願いが子供だと知った今でさえ、そこに自分がいる姿を想像してしまうのだから。

 でも、それは私との子供じゃない。女同士では子供は作れない。

 子供でも知ってる、厳然たる事実と無垢な望みが、私を完膚なきまでに打ちのめす。

 結局、都兎が私から離れていくのは、最初から決まっていたことだったのだ。あの養護教諭が現れるまでもなく。

 都兎は、あまりにも女の子らしくて、あまりにも残酷だった。


「まだ妊娠二か月なんだけどね」


 二か月前なら、私たちが再会する一月くらい前だ。


「安定期までは……あと三、四か月くらい?」


 スマホをテーブルの上に置いて、プレママ向けのネット記事を見せてくれる。


「彼には全然話してないんだけどね」


 ぽんぽん、とまだ少しも出ていないお腹に手を当てて、彼女は言う。


「ね、璃桜はどっちがいい? 男の子? 女の子?」


 満面の笑みで、都兎が幸せの象徴のような問いを私に向ける。

 悪魔に見えた。

 その日以来、私は都兎と会うのを止めた。



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