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Chapter-10

 朱鷺光の作業部屋。


 メンテナンスデッキにオムリンが寝かされている。

 傍らの折りたたみ椅子に、メンテナンスハッチの一部を開けて外部からの電源ケーブルを伸ばしたシータが、やはり動けない状態で座っていた。


「うわっ馬鹿野郎! 完全に摩滅してんじゃねーか! これでよく圧力かかってたな……」


 オムリンの冷却系を修繕していた弘介が、第2冷却ポンプを分解し、そのベアリングやインペラーを確認して、思わずと言ったように、毒つくような声を上げた。


「制御基板の応答だけに頼るのは危険だな……ちゃんと目視で点検しねーと」


 朱鷺光は、オムリンのメンテナンスハッチの中をドライバーの先端で触れて回りながら、ため息交じりにそう言った。


「普段なら自己診断だけでもいいんだろうけどな、こういう時に手抜きはしないほうがいいって教訓だな」


 弘介もため息まじりに言った。手に持っていたポンプの部品は『廃棄処分』と書かれた箱に放り込む。

 無地のボール箱の封を開封し、クッション材と一緒にビニール袋に包まれた新しいポンプを取り出す。


「そんでー? あいつ(DR29号)、近いうちにも現れるような感じだったけど、姉さんすぐに直るの?」


 椅子に腰掛けた状態のシータが、問いかける。


「何言ってんだよ」


 弘介が、呆れたような口調でそう言った。


「修理しなきゃいけない箇所だけで言ったら、オムリンよりお前さんの方がよっぽど重症なんだからな」


 弘介がそう言いつつ、PowerMacintosh7100/80AVをマウスで操作する。

 Mac OS 8.6の上に展開していたオムリンの診断結果が何箇所かの赤い表示があったのに対し、上に出現したシータの診断結果は無数の赤い警告表示が踊り、ピーっと警告のビープ音が鳴った。


「そりゃ緊急出力なんか使ったらこうなるわな……」


 朱鷺光も、オムリンの点検をしながら、一旦PowerMacのディスプレイに視線を向けて、溜息をつくようにそう言った。


「シロも無茶したんだろ? 後で念の為にチェックはするからな」


 朱鷺光が言う。

 イプシロンは、オムリンの左脚を開き、歯科医が使うそれのような、特注品の小型高圧洗浄機で、内部にこびりついた潤滑油の汚れを落としていた。


「了解です」


 イプシロンは、一旦手を休めるようにして朱鷺光の方を向き、そう言った。


「にしても、シロ、丁度いいところにいたよな。おかげで助かったことは助かったけど」


 弘介がそう言った。


「いえ、それがですね、ここにどうやって入り込んだのか、それを考えていたんですけど、コム兄さんが、会社のサーバーを経由すれば比較的簡単に入れるんじゃないかと言ったものですから」

「会社を経由したからって簡単に入れるようにはしてないんだがな」


 朱鷺光は、視線を上げ、ドライバーを持っていた手を口元に当てて、そう言った。


CTC(列車集中制御)系や駅端末は当然として、Webサービスも電子決済なんかは安全性求められるし、ここと同じでコミュニケーションサーバ突破したからって背後のメインフレーム弄れるようにはしてないぜ?」

「だいたい会社のサーバーからだって、俺や朱鷺光が知らないアクセスはコムスターがふるい分けてくれるだろ?」


 朱鷺光に続いて、弘介もそう言う。


「だが、攻撃者(クラッカー)はそのように考えるかもしれん」


 コムスターの声がそう言った。


「あ、まぁ確かにそれはそうだな」


 言われて気がついたというように、朱鷺光が声を出す。


「それで、会社のコミュニケーションサーバに不審なアクセスがないか、調べていたんです」

「なるほどね。でも、もとよりWebサービスを展開しているサーバーだし、それこそ悪意あるアクセス(クラッキング)なんて、絞りきれないんじゃないの?」


 イプシロンの言葉に、朱鷺光は、納得の言葉を出しつつも、呆れたように苦笑しながら、そう言った。


「私やコム兄さんも、そう思っていたんですが」

「!」


 イプシロンが険しい表情になったため、朱鷺光と弘介も真顔になった。


「ウィクター・ドーンドリア大学」


「あそこからのアクセスが有ったのか!」


 イプシロンがその名前を告げると、朱鷺光が驚愕の声を上げた。


「はい。ファイアウォールを突破しようとした形跡がありました」


 イプシロンが答える。


「何その、ウィクターなんとか大学って」

「お前知らないのかよ」


 シータが、キョトンとした様子で訊ねると、弘介が呆れたように言う。


「ハードウェア・ニューラルネットワーク、あるいはポスト・ノイマンスタイルコンピューターによる人工知能開発の派閥の頂点、とされている大学だよ」

「それって、朱鷺光と仲が悪い連中じゃない!」


 弘介に説明されて、ようやくシータも驚いた声を出した。


「そう、所謂MAaM派閥だ。朱鷺光の疑似ニューラルネットワーク派とは、対立関係にある」


 コムスターが説明する。


「で、連中は会社のサーバーになにか悪さしたのか?」

「いえ、結局ファイアウォールは突破できず、逆に形跡消せないままに逃げ出したみたいですけどね」


 問い返すように朱鷺光が言うと、イプシロンがそう答える。


「そら、連中は専門が脳科学だからな。脳を再現するための半導体技術の研究は行ってるが、現状のコンピューターに関しちゃー俺っちの方が一枚も二枚も上手よ」


 朱鷺光は、腕組みをして得意そうにそう言った。


「しかし解せんな」


 弘介が、俯くようにしながらそう言った。


「もしそれが、なんか関連性があったとして、なんでそこへ波田町のオッサンが絡んでくるんだ?」

「まぁ、それも言われてみりゃそうなんだよな」


 朱鷺光も、うーん、と唸ってしまうように、言う。


「波田町のオッサンは朱鷺光とは個人的に対立してるが、技術面では疑似ニューラルネットワーク派閥のはずだぜ? ウィクター・ドーンドリア大学の連中とつるむとは思えん」


 弘介が、どこか呆れたような表情で、そう言った。


「あのオッサンのことだから、個人的に朱鷺光に喧嘩売れるから誘いに乗ったんじゃないの?」

「まぁ、有り得そうなのがなんとも面倒くさいところだな」


 シータが思いつくままの様子で言うと、弘介が顔を手で覆うようにしながら呆れたようにそれに同意するような言葉を発した。


「どうかな……いくら波田町教授でも、という気もするし。それに、ここの……脳科学研究室のトップとは一度会ったこともあるんだ」

「朱鷺光さんがですか? アームストロング・アデウス博士に!?」


 イプシロンが、驚いたような声を出す。


 朱鷺光は、イプシロンに視線を向けて、こくり、と頷いた。


「現在の人工知能開発派閥の2分化をまとめて、進化の速度を上げるべきだ、そのためには、自分と、この俺とが共同の研究をまとめ上げて宣言すればいいってな」

「で、朱鷺光はその誘いに……乗らなかったわけだよな?」


 弘介が訊ねる。


「ああ、俺が言うのもなんだが、どうにも胡散臭いところがあってね。それに、悪い噂があるのも知ってたし。ただ、初対面の人間を引きつける妙な魅力があったのも確かだ」


 朱鷺光が、深刻そうな表情で言った。


「ちょっと待て!」


 それを聞いたコムスターが、驚いたような声を上げる。


「点と線がつながるではないか! アデウス博士は人工知能研究の一本化を目指している、そのために朱鷺光に声をかけた、だが朱鷺光がアデウス博士の誘いを断った」

「それなら、波田町教授をけしかけて、疑似ニューラルネットワーク派閥から朱鷺光を排除しちまえばいい、そういうことか!」


 弘介も、あっと息を呑むような表情に鳴って、コムスターの言葉に続いた。


「そうだ。現実に朱鷺光の影響力がなくなったところで、波田町教授が成り代われるとは思えないが、そそのかすにはいい口実だろう」


 コムスターが言う。


「なんか……話が壮大になってきたな……」


 弘介が、険しい表情で言う。


「だが、もし影でそんな動きがあるんだとしたら、今は急いでオムリンを修理した方がいいんじゃないか?」

「そうだな……何があってもいいようにだけは、しておくべきだな」


 朱鷺光がそう言うと、少しだけ間を置いて、各々が、自分が担当していた作業を再開した。


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