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『支配的客観者の、憂鬱思想について』㈥
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結局のところ、人間は、独創と判断の境を、行き来しているのだろう。往々にして、そういった類の、所謂不確定な流動性は、物事の所見で、理解出来るようになる。
そして、その独創と判断が、一致した時に、詩という現象が生まれることになる。詩は、物事を規定するのだから、憂鬱である。しかし、その一瞬は、確かに正確である。
支配的客観者の憂鬱は、言葉通り、快楽ではない。しかし、それは快楽に似た、人間が生き延びる為に生み出した、一種の魔法の様なものだ。それによって、恐らくは人類史が創造され規定されることだろう。