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『支配的客観者の、憂鬱思想について』㈠
『支配的客観者の、憂鬱思想について』
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何が支配的で、何が客観者なのかわからないが、とにかく毎日は憂鬱だ。それは霧の日に見る不可思議な風景と同一的である。しかしまた、ここに何かがあるのは明白なのである。
一概には言えないが、人間の動作とは、無意識と意識に分かれよう。それらが、毎日の行動を規定していることは、独断と偏見でだが、断定できる気がする。
客観者は、人の動作を見る側であって、その視覚は意識的だ。すると、見られるものは主観者だから、必然的に無意識を見られることになる。




