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7.真実の断片


 ……8時ごろ、門が開く音がした。

 帰ってきた……! そう思って、落ち着きない動きで私は自室から出る。

 急いで階段を駆け下り玄関に向かえば、ちょうど父が入ってきたところだった。


「……お帰りなさいませ」


 少し震えた馬越さんの声がする。

 いつも思うが、まるで恐れているような声だ。

 私には普通に接してくれるのに、なぜそんなに父に対しては異常に怯えるのか……まぁ、わかる気もするけど。


「お帰りなさい、お父さん」

「ただいま、ミコト。ちゃんと待っていて偉いぞ」


 正直耳を疑った。

 ……なんだか父に褒められたような気がする。滅多にないことだ。


「夕食は食べさせたのか?」

「は、はい」

「じゃあ、そのまま行くか……ミコト、ついてきなさい」


 私は頷いて、言われた通り後ろについていこうとした……と。

 その時、袖が少し引っ張られて。


「気をつけて」


 ……すれ違いざま、馬越さんの呟きが聞こえた。私は驚いて振り返ろうとしたけれど……すんでのところでそうしなかった。

 そんなことはしない方がいい。そう思えたから。



   *   *   *   *



 ……ついた先は父の書斎だった。子どもの頃に忍び込んで以来の場所だ。

 ここは確かたまに壁をひっかくような、叩きまわるような「音」がするのだ。

 もしかしてネズミでもいるのだろうかとワクワクした思い出があるけれど、結局そのネズミ本体には遭遇したことはない。


 少し首をかしげてしまいながら思う。ここでいったい何の話をするのだろう?


「ミコト」

「! ……はい」


 椅子はあったけど、座らないまま私は答えた。


「僕が、学校で説話の授業を担当していることは知っているね」

「もちろん……」


 だって、私もお父さんの授業は受けてるし……という言葉を私はやっとのことで飲み込む。

 私は積極的に発言するわけではない。この人が覚えているかどうかは、微妙だ。

 だって自分の興味のあるもの以外はまったく目に入らない人だから。


 ……それに「説話」の授業内容は個人的に大好きだが、それを教える父に対しては今まで、なんというか……何の感情もわかなかった。


 資料集を見るのはそういう方面に詳しいイツキとよく話しているおかげで大好きだったし、プリントで出される問題は正直クイズ感覚で解いている。

 「先生」の話は聞いていたけれど、話している当人の方には意識は向かずにずっとそっちの方にしか頭が回っていない。

 だが私の返事など対して問題ではないらしい父は、次の瞬間には不意に表情を崩していた。――柔らかい、リラックスした顔。

 そして珍しく砕けた様子でぽつりと呟く。


 ……まるで独白するように。


「僕はね。……昔から、ファンタジーに出てくるような神話や伝説の世界が大好きだった」


 父の言葉に私は頷いた。それはわかる。

 あの様々な物語に魅了された経験は私にもあるから。


「たとえば、ギリシャ神話のゼウスなどの主神。それから主に小鬼の姿で描かれるゴブリン。……僕はありとあらゆる神話や昔話、そしておとぎ話の登場人物を愛し、その世界観を愛した。だってそれらは人の汚い面も描いてはいるけれど、現実よりはよっぽど美しく見えるじゃないか! ……だからずっとソレを見てきた自分にとって、この世界はつまらないものでしかなかった。……本の中の世界が、子供のころからずっと自分自身の全てだった」


「………。」


 “似ている”……。

 私は初めてそう思った。


 この家にある、とてもたくさんの本。……専門的な見解や解説のついた大人向けの本から、子供向けの純粋に楽しむための絵本まで幅広くある。


 父の言うように、その中で1人で黙々と本を読んで育った私にも「この世の中はなんてつまらない世界なんだろう」と思ったときが確かにあった。

 私は思う……環境のせいもあるかもしれない。だけど、父と私はやはり親子なのだと。


「そして僕はつまらない世の中を、傍観者としてただひたすらに見たり渡ったりするうちに……ふと思うようになったんだ。“本の中みたいな、こんな世界が本当にあればいいのに”ってね」


 【本の中のワクワクドキドキするような世界が本当にあれば良い】……

 そう、それは本にのめりこんだ者たちが誰しも思う願い。

 父は続けた。


「そう思ううちに僕は、とある本を手に入れた」


 ……とある本?


「『究極の人の苦しませ方』という本だ。中には色々と現実的ではない事ばかりが書いてあったよ。人と人を合体させるとか、聞いたこともない毒草の作り方とかとても現実には起こりようもない作用のある意味不明な薬の作り方とかね」

「………。」


 その言葉に思わず、私は現実に戻らざるを得なかった。

 ……遠い目をしてしまう。

 それ、絶対胡散臭いオカルト本だ。

 こっくりさんのやり方とか悪魔召喚の仕方とか書いてある本と大差ない。

 そんなものに引っかかった時期がこの堅物の父にもあったのか……


「信用していない顔だな……まぁ無理もない、当時の()もそんなに信用していなかった」


 信用していな“かった”……?

 過去形の父に私は違和感を覚えた。


「でも実際そのとおりに使()()()()()ら、本当にそんな事が起きたんだから不思議だ。だから思ったんだ……」


 父は歪んだ笑みを『もっともっと歪めて』言った。


「……あらゆる本の世界は実現できるんだって。そう、確信した」



 私は思考を停止させながら言った。



「……お父さん」

「なんだ?」

「使ったって……誰に?」

「さぁ、誰にだと思う?」


 ……父は笑ったまま答えない。

 しかし、その笑みから……その父の話は本当のものなのではないかという気持ちが、突如沸いた。

 そう思わせる何かがそこにあった気がしたのだ。


「本当に()はそう思ったんだよ……出来ないことはないってね。本に書いてあった事象は、そのときに限り本当に目の前で起こった。ああ……自分の手にかかれば、世界は確かに本のとおりに動かす事が可能なんだ、と」


 ……どこか、目の前の父親の姿が狂って見え始めた。

 嫌な予感がする。とてつもなく……嫌な予感が。


「現に、世界には私の思い描いたものが現実化していった……時間こそかかるが、自分の思い描いた『夢』が現実のものとなることに、ここまでくると例外はないだろうね」


 もしかしてそれって……あのイツキとイヌカイの2人が関係してるのだろうか?

 父は疑問だらけの私の顔を見て、不服そうに言った。


「へえ、まだ信用していないのか、随分疑り深く育ったもんだな。馬越の仕業かもしれないが。では例を出そう……それは、12年くらい前のことだったかな」


 やっぱり12年前……私はそこまで思って気付いた。「12年前」、私の年齢は3つ。……ちょうど、あの、「魔物」の忠告を受けたのと同じくらい?


「僕はいつもどおり、『究極の人の苦しませ方』を読んでいた。昔から繰り返し繰り返しぱらぱらと読んでいたはずなのに、不思議なことに読み覚えのないページが出てきたんだ。……そこには、常識的に見るなら信じ難い花の生態が記されていた」


 信じ難い花の生態……「花」?

 ふと思い出すのはイツキと出会った時の記憶だ。少しかすみがかった記憶……今でも覚えているのはあの異様な美しさぐらいか。


「その花にはある特性があって、年に1度数日間だけ咲き……その間近づいてきた動物などを誘惑する、そして自分の蜜や果実を摂取させるんだ。摂取した動物はどうなるか? 動物としての意識を残したまま、木となってしまう……そう書かれていた」


 やっぱり……! 私はそこでハッキリ思い出した。

 もうずっと近づいていないと言うのに、色も形も、ハッキリ思い出せる。


 ――あまくていい匂いの、美しすぎる大きな花。あの時イツキが止めてくれなかったらどうなっていたことだろう。


「なるほど。なら私の世界にはお似合いのギミックだと思ったね。人間は汚いし、低俗だ。だがいくら低俗だからといっても私一人で夢の世界を統べることなんて不可能じゃないか?」


 ふざけたように宙でくるりと指を回す、父。


「最悪庭師ぐらいは必要だろう。別の生き物が喋っていると思ったら僅かには許せる。むしろ雰囲気づくりには一役かってくれるだろう? だから人を雇って、その本に書いてある分布図を元に、あちこちを探させた。そしてようやく見つかったんだ」


 父は笑う、ぐにゃりと……どこか違う世界を見つめるように。


「見つけた当初は、私はその花だけで満足していた。蜜を吸った動物や虫なんかが引っかかっていくのを見るのが面白かったからな。でも本に載っていたということは『人を苦しませる』ための植物であったはずだとすぐに思い出したし、最初の想定もそうだったと思いなおしたんだ。そう、小動物やら虫けらじゃ『花』は満足しないし、こちらもきっと満足してはならない。物足りないんだ。だから……もう1人、世界の住人を作ろうとした」


 まさか……それって。


「どうせ使うなら、意識は残るんだから頭が良いとわかっている人間がよかった。その方がファンタジーの住人には丁度いいだろう? だから、僕をいつも慕ってくれていた、とても成績の良い男子生徒を使ったんだ」


 私の脳裏に、あの話が浮かんだ。



  ――「確か12年前くらいかな? この学校の高等部の生徒で、説話の時永先生とすっごく仲のいい生徒がいたんだって」


  ――「その子、時永先生も物凄く可愛がってたらしくって、ある日学校帰りに呼んでお家に招待したんだって」


  ――「もう外は真っ暗になってたから心配した時永先生がA君を駅まで送って行ってあげたのはいいんだけど……A君、その後家に帰ってこなかったんだって」



「確か、うえなえ……そう、『植苗イツキ』と言ったかな」


 繋がった……やっぱり……その子の名前は。


「『イツキ』……」


 ……ただの木では、絶対にないとわかってはいた。

 だけどまさか。イツキが――あの学校の生徒だったなんて。


「それから、私は更に普通の人間を本物の狼男にしてしまう薬というものを手に入れた。あぁ……もちろん、これも頭の良い人間に使ったよ。私と同じ教職員に」



  ――「ほら、バスケ部の部室の前にさ、都大会でうちの学校が優勝した写真が飾ってあるでしょ? その写真に写ってる当時の顧問の先生。……えっと、名前は……なんだったかな……あ、そうそう、犬飼先生だ」


  ――「あの先生も、A君がいなくなった3ヵ月後に忽然と姿を消してるのよ。気にならない?」



 ……あぁ、やっぱりそうだったのか。

 強面な顔とは裏腹に、面倒見の良い性格で優しい面もあるイヌカイさんの顔が頭に浮かぶ。

 名前も同じだ、間違いない。

 あの『イヌカイさん』も、やっぱり元は普通の人間。


 私は知らず知らず、拳を握り締めていた。


 彼は人の人生で「遊んでいる」。

 人を見下し、人で遊ぶようなその感覚。その行為。それを父はどういうものだと理解しているのか。

 ……いや、理解していないのかもしれない。理解する前に、何かが壊れてしまったのかもしれない。


「……ごく普通の人間を……そんなふざけた、ただの妄想の再現のためにあんな風に変えたっていうの……?」

「ただの妄想?」


 ピクリと父が動いた。


「その言い方はなんだ、ミコト。これから一緒につくっていく世界だぞ。そんな『ただのゴミ』みたいな言い方はやめてくれないか」


 みたいな、じゃない。

 私は思った。

 ……本当に()()()()()だ。そんなもの。


 この人は自分のしたことをわかった上で、そんなことを言っているのか?

 私は自らの疑問に即座に答えを出す。

 いや、そんなわけはない……知らないから、言える。わからないから言える。


「自分以外の人間を……馬鹿にしすぎだよ? ……人間は玩具じゃないんだよ?」


  ――「俺だって好きでこんなおっかない顔してるわけじゃないんだぜ?」


 思えば今朝のあの言葉はどういう気持ちで言っていたのか。怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。


 ……正直言おう。人を見下していると、常々思っていた。

 ……自分しか生きていない気持ちでいるんだと、常々思っていた。


 ああ。思えば、ではあったけれど。

 もしかして。

 ううん、もしかしなくても。


 自分にとって……「父親」と言うものは冷たいものだったのかもしれない。

 気がつけば当たり前のように尊敬の念もなく、絆と言うものも存在せず。

 ただただ、気がつけばそこにいただけの……どこか怖く、どこか嫌な感じのする人間らしからぬ人。


 だけど……どこかで期待する自分もいた。

 本当は優しい人なんじゃないか、とか。

 本当は私のことを大切に思ってくれているんじゃないか……とか。



「……ああ!」 



 「理想」だったんだ。

 私もそうなんだ。本の中の世界観が好きだった。本の中の平和な家庭が。テレビの中の和気藹々としたお茶の間像が。


 ああ……そんなことばかり考えて。

 この人みたいに、現実に気付かないでいたんだ。


「………!」


 ……想像していたんだ。

 捨てきれない理想の父親像がいたんだ。

 今日……この話を聞くまでは、そこまでどうしようもない人だとは思っていなかったんだ。

 いや、きっと……


 思いたく、なかったんだ……!


「バカだ……」


 その言葉は自分に向けたもので。

 ……そして、同時に目の前の『イキモノ』に向けた台詞でもあった。


「信じらんないよ」

「何が」

「そんなことしたなんて……いくらなんでも……!」

「ミコト……父親に向かってなんだその言い方は」


 ――冷たい、表情。

 どこか遠くを見つめているのか、その目は自分を真っ直ぐ見つめることはない。


 ……もはや、信じることはできなかった。

 ああ、この人は「理想」じゃない。


「父親?」


 苛立ちの見え隠れする彼に、私は言った。

 心はもう、静まり返ってる。……ああ。


 ……私、怒ってる。


「そもそも、私とろくに話したことなんてこれが初めてじゃない。そんな人が父親?」


 ……思えばずっと、かまってもらいたいと思っていた。



  ――「おとうさん、おとうさんあのね! 明日ね、学校の運動会が……」

  ――「……馬越、ミコトを外へ連れ出してくれないか」

  ――「……かしこまりました」



 私は寂しかった。普通の子供みたいに親に甘えたかった。

 相手にしてもらえない事が悲しかった。

 だから、1人で遊ぶしかなかった。


 ……あの2人に会うまでは、いつも1人でいるしかなかった。


「――父親を名乗るなら、もう少し私のことも見てよ!」


 いつの間にか激情のままに言葉を「叩き付けて」いた。ずっと思っていた胸のうちを吐き出していた。


「今更父親面なんてしたってもうわからないよ! 私のことも解ろうとしなかったくせに、解り合おうとしたって拒み続けたくせに、今更わかって欲しいなんて虫が良すぎるよ!」


 興奮しすぎたみたいだ。目から涙が流れてくる。

 でも、きっとこの人には、私の涙の意味もわからない。

 そう思っても、私は言葉を浴びせた。何度も、何度も叩きつけた。


「だって私は……!」




……その時彼は多分。きっと、ぎょっとした。

だって聞こえた気がしたのだ。


  ――『どうせ僕のこと、人形としか思ってないんでしょ?』


それは少年時代の、“時永 誠”の声だった。

両親に向かって、「自分」の吐いた台詞――

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