9.カッコ悪さ。 1年目、12月後半
・2010年12月30日(木)
12月3日にした約束通り。
わたしと谷川さんは今年最後のラーメンを食べようと……
「で、あの後どうなったのよ?」
「どうなったの……って」
……「あの店」に来ていた。
白い息が出るほど寒い、年末の空気。
それを狭い店内に1つだけ置かれた古いガスストーブだけがせっせと暖めている。
「まさか……! あれだけしたのに何も進展がなかったの!?」
「しーっ、大声出さないでよ恥ずかしい!」
「いーじゃんこれくらい。今この店おやっさんしかいないし、常連は皆田舎に帰省してるからさ。それに大学も休みだから! まったく客が入らないってワケよ!」
「ああ、だから今日バイトじゃなかったんだ」
わたしは横目でチラリと店主を見た。
いつもどおりにおっかない感じで口を真一文字に結んでどんぶりを洗っている。メティスの声が頭の中で反響した。
――「はっはー、悪いわね谷川ちゃん、今は時永くんと一緒にいれるだけで幸せだからこの子ぉー」
……こら。
「っていうか谷川さん? わたしは時永くんに『恋愛感情』を持ってる、なんて、実はまだひとつも言ってないんだけど?」
「でも持ってるんでしょ?」
ケロッとした顔でいうこの人。
「まだ、なんていうから!」
――うん、断定しやがりましたよ、こいつ。
「……そりゃあ、その……谷川さんが言うから、ですねぇ」
「へえええい、ほらやっぱりー!」
谷川さんは椅子に深く座りなおし、言った。
「意識しちゃうじゃん!? だってクリスマスに2人きりよ?」
「はぁ」
「普通急接近でしょ。告白でしょ、イベント目白押しじゃんっ?」
「……いや」
わたしはゆっくりと、彼女を落ち着かせるように……手を、「マテ」の状態で前に押し出した。
「……それは、普通じゃないかもしれない」
「いーえ、それがフツウなんですぅぅ!!」
……うわあ……。
――「お、落ち着いて美郷、『こいつこんな腹立つ顔してたんだぁ』みたいな顔しないであげて? こんな陽キャに非リアの気持ちは分からないのよ……!」
そしてメティスさんはだよー。暗にわたしが「陰キャ」だと認識してるのをですねー?
今すぐやめてもらおうかー? んんー?
「……で、陽気な女子大生はおいといてですね」
「え、そんな話題してた?」
「そっちはどうだったの谷川さん。あの後輩の子」
「こーはい」
「……なんだっけ……そうそう、確か佐田くん?」
「あー、あれね。そのー……」
谷川さんは「あは」と笑った。
「冗談で引っ掛けただけ」
ですよね!!? やっぱそうでしたよね!!?
「……無論、向こうもそこはわかってるはずだから可哀想だなんて言わないよーに。まぁ、それでも必死に食いついてきたけど。『犬飼以上にヤバいんでオレ』ってマジな目で言いながら」
犬飼くんってあれだっけ、前髪のあの子だっけ。っていうか一体何がヤバいの? 恋愛遍歴のなさ?
――「……参考になるわ。メモ帳が2冊目に突入しそうよ美郷」
それは何の参考にですかメティスさん。
と、その時、店の扉が開き鈴がチリンチリンと音を立てた。
「……おお、イッちゃん何、学校帰り?」
谷川さんの言う通り、中を覗き込んできょろきょろし始めたのは、この間も見た気がするお孫さんだ。
「……うん」
その、少しほっとした顔はランドセルを持ってカウンター席に近づいてくる。
「何で来たの、自転車?」
「電車使ったらまずいもん」
「そっか、駅だと意外と人の目って多いもんね」
「おもてとめてきた」
「はあ」
店主のため息が聞こえた。
またか、という響きにわたしは聞く。
「よく来るんですか? お孫さん」
「最近はコソコソな。母屋の方にはばあちゃんがいるんだが……」
そう言いつつ冷たい水を出す店主に、少年が歯を出しながらいう。
「ジュースがいーい!」
「はいはい……ともかく、ばあちゃんにはあんまり懐いてないんだ。あれも口煩い性格だから、仕方ないといえば仕方ないが。イツキ曰く「母さんと同じだから嫌!」だと」
なるほど。そう思っていると谷川さんの横に給食袋がポンッと置かれた。
「なんか食べる?」
「チャーハン!」
「……勝手に食うと怒るぞまた」
「じゃあメンマ」
「メンマな」
……イツキくんっていったっけ。お母さんもちょっと厳しい人なわけだ。
――「この店主、随分孫には弱い性格みたいだからねえ」
メティスが頭の中でいう。
――「甘やかせてくれる人のそばの方が居心地はいいんでしょう」
……だろうね。だから仕事中だからダメって言っても上がりに来るんだ。それにきっと、自分が邪魔をしている自覚はないんだもん。
当人がいつも通りに振舞ってるだけでも、おじいちゃんからみたら視界をチラチラして、やたらと気になって仕方ないものなんだけどね。
「それにしても最近会ってなかったね、背ぇのびたー?」
「のびた、と、思う、たぶん……きっと……!」
こら、見栄を張るな。「物理的な背伸び」が見えてるぞ少年。
――「……あのさぁ、美郷」
ん? ――メティスの問いに頭の中で反応を返す。
いつものことながら、目の前にいない、この「女神さま」。それへの対応も、随分慣れてきちゃったものだ。おかげで頭の中でお返事用に「言葉」を作るときと、そうでないときのスイッチがここ数年、ぱっきりと分かれるようになっている。慣れって怖い。
――「私、つくづく思うのだけど、子供って苦手なのよ」
ほう。
――「どこまで言えば何が、どうできるかとか……大人以上に見てなきゃいけないじゃない」
……だね?
――「それこそ何か危険なものに手を出す前にお世話しなきゃいけないし、見ててハラハラするしどんくさいし。知り合いにいないとは言わないけど、少し触れた感じ、身近にいたらああだこうだと口うるさく言ってしまうタイプだと思うわ、私」
あ、わかる。メティスってそういう人なんだろうな。
昔のわたしに対しても確かそうだったし。
――「あのラーメン屋さん見てると……少し、羨ましい。ああはなれないというか。そりゃあ、見ていると少し困るんでしょうけど。懐かれすぎるのも。でも、ああいう人の方が『人間』の上に立つのは向いてるのよね」
意外。羨ましいとか思うことあるんだ?
――「気が急いちゃうのよ、きっと。別の生き物だって頭ではわかってるんだけど、『そこは違うでしょ』とか、『何でできないの』とか、余計なそれを口に出してしまう。……私、神様でしょ? 余計なことを言うと、それがルールになっちゃうから本当は自重したいのよ。だから大体部屋にこもってるし、人間と直接は関わらない」
……なるほど。
――「でも、神様だから正当化されるんだけど、後から考えてみたらもう少し違う対応できたなってこと、実は沢山あるの。無駄に口を出すよりも、叱るよりも。黙って見守ってるほうが巧く行ったりする」
うん。
――「そして『言われたからやる』っていうより、『自分でできた』……そういう経験の方が、記憶に残りやすいのよね。その子の中に着実に残っていく武器になる。難しいのよ、見守るだけがいいと分かっていながら、どうしてもそれができなかったりする」
……わたし、どっちかというと「怒らないタイプ」なんだけどさ、メティス。
そういう人って、必要だと思うよ?
――「そう?」
ずっとメティスに頭の中で「お小言」を言われてきた。
そんなわたしが言うんだ、間違いない。
勿論お小言だけじゃなくて、色々な発見を共有してくれたわたしが言うんだ。
……だから、間違いない。
――わたし、メティスのおかげで一人ぼっちにならずにすんだんだから。
両親を亡くして転校を繰り返したときも、最初はうまく周囲に溶け込めなかった。
「ああもう、今の絶対話しかけるチャンスだったのにー!」とか。
「いつも最初に接するのは担任の先生なんだから、まず初めに会った先生とはできるだけ仲良くしときましょう!」とか。
……よく失敗して何度も怒られたけど、だからこそ親密にとまではいかなくても、大体誰とでも仲良く話せるような性格になった。
正直、うっとおしいと思うことは何度もある。
口煩いな、なんてよく思う。
でも、だからこそたまに、感謝もする。
……言われた側としては、すぐには絶対わからない。
でも、後から気づくよ。怒られてわかることって結構あるんだから。
「ねえ、メティス」
小声で呟く。そして心の中で返答の続きを言った。
――前に言ってたよね、幼馴染の神様の話。誰にも怒られなくなった神様の子。
あれはね、きっと何処かで誰かが怒るべきだったんだ。本人も止められなくなる前に、誰かが止めてあげるべきだったんだよ。
――「…………。」
それを、止められなかった経験があるから、メティスは人を上手に怒れるようになったんじゃないのかな?
――「……そうね」
それってきっと大事なことだよ。……わたし、メティスみたいに怒れない。
だから、怒ってほしい人、怒って正解な人は、わたしには救えないよ。メティスはそういう人をどうにかできるんだ。
甘やかすのも叱るのも、できる人がすればいいと思う。得意な人が、「必要なとき」にできれば……きっと、それでいいんだ。
――「……怒ってほしい人、か」
何か考え込んだメティスをよそに――わたしはなんとなく声をかける。
目の前でメンマをかじっている、店主のお孫さんに。
「……ねぇキミ、小学生でしょ。何年生?」
男の子はピースした。
「……2年生」
「2年生かー、その頃って学校じゃ何やってたっけ」
その若干ぶっきらぼうな言い方に気を遣ったのか、谷川さんも乗っかってくる。
「……かけ算とか」
「掛け算! そういや2年生だわあれ。やったやった、確か7の段で長らく詰まってたあたし」
「マジで!? ねえちゃんバカじゃん!?」
「バカで悪かったなあー!」
「いててて」
谷川さんが彼の側頭部をグリグリと押し込む。
「あたしだって苦手なことくらいあるんだからねー、繰り上げの計算とかいまだに暗算だと不安があるもーん」
「計算機を手放さねえのはそれが原因かい、お前……」
店主が若干呆れた目をした。あ、本当だ。
……よくみるとエプロンポケットから電卓が出てる。
「さりげなかったでしょおやっさん!? あたしにかかれば百均の電卓もお茶の子さいさいでファッションアイテムに早変わりなんだわ!」
「ええええ! 算数ほどらくなべんきょーないよ!」
「そう言ってるやつに限って中学でつまずくんだー、あたし知ってるー」
少年はジト目で呟いた。
「……しちいちが」
「しち」
谷川さんがすました表情で答える。
「しちに!」
「じゅうし」
「しちさん!」
「にじゅういち」
なんだよ、と少年は言う。
「……言えるじゃん」
「言えるようになったんだよ、頑張ってさ」
谷川さんがニコッと笑う。
「イッちゃんの周りにもいるっしょ、言えない子。多分それとおんなじ。あたし算数なんてだいっ嫌いだし、きっと九九聞くだけでじんましんが出るに違いないって思ってた」
「谷川さん、それさすがに言い過ぎ」
「出るって」
おどけて言う谷川さんに、わたしは息をつく。
「でーなーい。……あ、でもわたしも嫌いかな?」
「……お姉さんも?」
少し意外そうに目をぱちくりとさせた少年の問いにわたしは答える。
「うん、数字の類は全部嫌い。それこそ君ぐらいの頃からね」
――「自慢じゃないけど美郷の中学1年の時の数学の点数、私全部いえるわよ!!」
その情報はいらない!
……というか、何でそんないらないことに記憶力発揮するかなぁ!?
「えぇぇぇ、変なの……おかしいじゃん、お姉さんたち」
少年の言葉に店主がびくぅっと肩を震わせた。
メティスが言う。
――「あの、美郷、今気づいた」
何?
――「このラーメン店主、怖い人だとばっかり思ってたんだけど」
うん。
――「この人……ただのビビリだわ」
……知ってた。
――「知ってたの!?」
察しはつくよ。
……この人、たぶん「ビビリだから逆に声がおっきくなる」タイプの人だ。
おおらかで大胆に見えて、意外と空気読んじゃうような。そういう人。
「おかしいって何が?」
とりあえず少年に聞き返す。
店主のおっちゃんがビビったのは、きっと今の彼の発言だ。
「お前今、うちの常連さんに随分失礼なこと言ったの気づいてる?」みたいな……勿論、そこまでまだ頭が回る様子もないこの子が気づくわけもないんだけど。
「だってワガママじゃん。大人ってワガママ言っちゃいけないとかふつーにいうじゃん」
「ん?」
「嫌なことがある」
ぽつりと呟く少年。
「苦手なことがある」
「……あー」
……ごめん、なんとなくこの段階で「何が言いたいか」わかった。
「……それはワガママだからダメだって、全部できるようになれっていうよ」
「おおー」
わざとらしく反応して見せる。……なるほど。わたしは思った。
――無理難題だ!
「それは、お母さんが言うのかな?」
「ばあちゃんも」
「……そっか」
わたしは言った。
「……それ、大人になっても、きっと無理だね?」
子供目線だとそうなる。でも実際には……できれば、「いろいろできるようになって欲しい」から、大人はそういうんだろう。期待の表れだ。
「……もしかして、大人には嫌なものがまったくないと思ってる?」
「そーいうのが大人だろ?」
……お母さんなりの、そしておばあちゃんなりの願望の発露。
だからこの子は勘違いした。
「言われた通り、全部できるようにならなければいけない」のだと。
……「おバカさんだ」。
そう笑えるのは、他人だからに違いない。
「……そっか」
でもだから、この子は自己肯定感が弱いわけだ。――自分の代わりに、「自分を肯定してくれる」おじいちゃんのところに逃げ込むわけだ。
だってこの子にとって、自分という子供は、「言われた通りに全部できるようにならない子」。
わたしはつとめて明るく言う。
「……たぶん、キミの見てる大人はね、『嫌なもの』があっても言わないだけだよ」
……幼い頃のことをふと思い出した。
この子と似たようなことを言われて、でも、やっぱり難しかった。
「全部頑張ったら、褒めてくれる」。
そう思って、飽きっぽいわたしが珍しくムキになって努力したんだったか。
それでもやっぱり、全教科で満点なんて取れなかった。
――……ごめんね美郷、言い方が悪かったよ。
苦笑いした、その低音を思い出した。
わたしは、その男の子に言う。
「……苦手なことがあっても、きっと、隠せるだけだよ」
満点が取れなくて大泣きしていた記憶の途中。
悔し涙でびっしょびしょ。そんな手を握られて……肩を抱きしめられながら聞き取る、低音の微かなそれ。
――……そういえばぼくも算数は苦手だったな、ええっとね。
今となっては顔もおぼろげな、「その人」の言葉。
だんだん時が経つにつれて忘れていく、その囁き方。
この子の――イツキくんの言葉を聞かなきゃ、思い出さなかった呟き。
――ぼくはね、何も『できてほしい』から褒めるんじゃないんだ。
全部、できなきゃいけないわけじゃない。
――『好きなことがたくさん』になってくれたらいいんだ。
本当に必要なのは、その先なんだ。
――君ができることが増えると、好きなことも増えるだろ? ぼくは、君に……『好きなこと』が増えてほしいんだ!
好きなことが増えてほしい。
色々な選択肢を知ってほしい。生き方を、選んでほしい。
だから人は、先達として『言葉』を紡ぐ。――はるか後方を歩いている、かつての自分とよく似た誰かに。
「……そーだとしてもなんで言わないんだよ、嫌なことがあるなら言えばいいじゃん!」
少年の声にふっと我に返った。
「言わなきゃ分かんないのに! 何でオレにばっか押し付けるの?」
叫ぶような声。
……うん。わたしもそう思う。ド正論だ。
自分ばっかり「言いたいこと」を押し付けている。
「全部頑張るんだ」と。「嫌いなものなんて大人はないんだ。苦手なものなんてどこにもなくて、大人はすべて克服してきたんだ」。「いい人間というのはそうあるべきで、そういうものなのだ。完璧にならなければならない」と。
我慢しなければいけない。
できなきゃいけない。そうでなければいけない。
道を外れたらワガママで、悪い子だ。
そう言い聞かせて、うまくコントロールしようとしている。
実際には皆苦手なものはあるし、うまくできないものもある。都合よく格好つけているのは大人のほうで、目を背けているのは大人のほうだ。
「――大人ってきっとさぁ」
わたしは苦笑しながら言ってみる。
「誰もかれもが面倒臭いものなんだよね。建前ってもんがあるから。……特にキミみたいな子供がいるお父さんお母さんは、余計にそうかもしれない」
さて、どういえば納得してくれるかな?
なんだかあの頃のわたしを相手してるみたいな気分になって……ああ、そっか。
「ほら、よくいる大人ってさ?」
今更、思う。
「子供に『嫌いなもの』を片っ端から克服させようとするじゃない?」
「……うん、まぁ」
「いっぱい色々なことを押し付けてくるでしょ。でも、それで――それが好きになるとも限らないのはわかる?」
きっと、あの人も……こんな、感じだったのかな。
「何回挑戦したって、当然、好きになれないものもたくさんあるって」
「……うん」
返答にかかる時間が遅くなる。
……理解できかねるのか、それとも何かを考えながら答えているのかはわからない。テキトーにしか聞いていない。そんなこともあるかもしれない。ただ、それならそれで別に問題はない。
わたしは続ける。
「たとえば、イツキくん。何か嫌いな食べ物ある?」
「……いっぱいある」
「ん、そっか」
……ぼくも算数は苦手だったな、か。
「……わたしもね、君くらいの頃、嫌いな食べ物いっぱいあったよ」
彼のきょとんとした目がこちらを向く。
「何が嫌いだったの?」
「うーん……」
イツキくんの言葉に、わたしは答える。
「……ナスとか」
「……ナス?」
「どういえばいいかな、鼻に抜ける香りあるじゃない? それとあの弾力性って言うか、噛んだときの感触っていうの。でも何年か経ったら、不思議と少しずつ食べられるようになったんだよね」
むしろ今では好物だ。
マーボーナスも揚げびたしも、おいしくいただける。
「でも……他にもその頃同じくらい嫌いだったものがね、もう1つあったんだ」
――レバー食べないの?
――いい。
――本当に? ……パパ、もらっちゃうぜ?
……幾度も重ねたやり取りだったのを、今更思い出す。
どこでの話だったか忘れたけれど、行きつけのレストランだった気がする……。
ほとんど覚えていないそれを。――手元から苦手な食べ物が持ち去られる一瞬だけ、色鮮やかに思い出す。
「それがレバー。もうかれこれ15年はずーっと嫌い」
……これだけは、今でも無理だ。
イツキくんは少し目を丸くした。
「あぁっ、それオレも!」
「変な匂いしない? 臭みって言うか」
「するする!」
先ほどとは食いつき具合が違う。わたしは谷川さんに向けてピースサインを出した。
そう、「仲良くなったよ!」のサインである。
呆れたようなメティスの声がした。
――「いや、あの……よーやるわ……」
だって中学高校時代、どれだけ親戚の家まわったと思ってるの?
当然既に実子がいる家も何個かあったし、年下の扱いには結構慣れてんのよ。
「まぁ、こんな風にさ、誰にだって嫌いなものはあるし、なおそうとしたらなおせるものもあるけど、どうしたってなおせないものもあったりするのはわかるよね? ……大人になったってきっとレバーは嫌いだもんわたし」
……食べてもらう人がもういないから、口に入れるだけだもん。
「……そうなんだよ。むしろそうじゃなきゃおかしいよね、子供がそのまま大人になるんだから」
――わたしは言い聞かせるように言う。
「君、大人は何も思ってないと思ってた?」
「うん」
「大人だって、割と子供と同じこと思ったりするのは、わかった?」
「うん」
「子供と大人は別物じゃないよ」
わたしは彼の肩をそっと叩く。ポンポンと――親が、そうやってわたしを安心させていたように。
「大人は時々、自分が子供だった頃を忘れてしまうことがあるけれど――まあ結局、どっかで覚えてるから。だからばつが悪くて噓をつくんだ!」
「……」
「人と人も同じ。よーくみてればわかるし、お話をゆっくり聞いてればいつかわかるよ」
イツキくんはだまって頷いた。
「……君が押し付けられて嫌なこと、いーっぱいあるみたいに、きっと大人もいっぱいあるんだよ。わたし、来年ようやく大人1年生だから知らないけど」
「成人」にはまだ、ちょっとだけ早いわたしだったけれど……それでも今から頑張ってレバーが好きになれるわけじゃないのは、もう充分知っている。
「でもさ、『泣いて何かを嫌がってる』大人ってあまり見たことないでしょ? ――あれって結局、自分よりちっちゃい子がいると、その子に「カッコ悪い」って笑われちゃうのが嫌だからなんだよね。だからだんだん言えなくなってくるんだ、分かりづらくなってくるんだよ」
「……うん」
何かに気がついたように目の色が変わるのがわかった。
もうわかる。その子は、「何か」を必死で考えている。
「……だからね、大人と戦う時は、わからなかったら聞こう、納得できなかったら言い返そう。怒られても、遮られても、その人のことをちゃんと聞かなきゃ、その人が一体何を考えて、君に何を求めているのかわからない」
……目をあげたその子と、思いっきり目があった。
「本当に『なんでもできる大人』になりたいなら、それに憧れているのなら……それを、いつか聞ける人になろう。……だから、まず君が聞き上手になればいいんじゃないかな?」
ふと思った。この少年は今、何を考えているのだろうか。
さっきから説教のようにしている長話……まあ結局、これはわたしの持論でしかないけれど。
それでも、と思った。……少しだけでも良い。そんな考え方があることを、心に留めておいてくれるなら、ちょっとだけ嬉しい。
……だって人生なんて所詮、自己満足なのだ。
ちょっとくらい、身になる何かがあってもいいじゃない。
パパの真似っ子くらい――たまにはさせてよ。
「どんなに『あー、この人うるさいなー』と思っても……もし大人が自分たちの話を聞いてないように感じるなら、自分も聞かない! って怒るんじゃなくて、自分がそうならなければいいよ」
「……うん」
「押し付けられたら押し付け返すんじゃなくて、相手のことをよく見ること、知ること。そう、例えて言うなら」
……お店にまで逃げてくるくらいだ。
この子にとっての『その人』は、きっと。
「君のおじいちゃんみたいに君が話をちゃんと聞けば、大人だってちゃんと話を聞いてくれるよ?」
――わたしにとっての「パパ」と同じだ。
「わかった?」
「……うん」
――彼は頷いた。
「よし、偉い」
「豊田さん、子供相手に真剣に語るねぇ……」
谷川さんが呆れたように笑うのをみてわたしは言った。
「何いってるの。言ったでしょ、子供も大人も似たようなもんだって。子供相手とか関係なく、わたしはわたしの考えを言ったまで!」
そう胸を張って言ったその時。……いきなりその空気をぶち破るかのように、どことなく音質の悪い特撮の曲がかかった。
慌ててポケットから携帯を取り出し通話ボタンを押す少年。
「はい、もしも……ひっ」
『イツキ、今どこ?! 何時だと思ってんの!』
お母さんのようだ。
――「うっひゃーあ……」
さすがのメティスもちょっと引き気味。
――「なんというか……凄い声量。祖父同様におっかないわね」
「……今、ちょっとじいちゃんの店に……」
『またなの!』
「っぎゅ」
『何べんも言わせないで、遊びに行っちゃ駄目だっていってるでしょ!』
……マシンガンのように響き渡るそれ。
こ、これは……。
――「……いくらその子が納得してても、美郷の言う通りにはできないわね」
メティスの苦笑いした口調。……『話を聞く』。『納得できなきゃ言い返す』。
……確かに、これは……無理そうだ。聞くまでで終わっちゃう。
――『だいたいイツキは何度言っても何べん行っても何十回言っても自分のことしか考えないんだから――』
「……っ」
……ガタリと厨房の扉があいた。
やっぱりこの子のお母さん……「怒るのが得意な人」だ。
普段この子が言うことを聞かない分、余計にだろう。反論させまいとしてくる。
「……イツキ、ちょっと電話貸せ」
「あっ」
とられるイツキくんのガラケー。
すう、と店主さんの息が吸われた。……1秒、2秒、3秒。
『ちょっとイツキ、話聞いてる!?』
「……イッちゃん」
「え?」
名前を呼ばれたイツキくんが、びくっとして振り返る。
そのまま、谷川さんはニヤッと笑って――呟いた。
「――見ててみ」
「――――馬ッッ鹿野郎!!」
「っ」
ぐわん、とお店が揺れた気がした。
「子供の耳元でギャーギャー騒ぐな! やっかましい!」
「!!」
イツキくんが驚いたように店主を見る。
――うん、もしかしたら、だけど。
「……この際だ、よく聞け」
――しぃ、とおどけた様子でイツキくんに合図している。
そんな谷川さんの反応からするに……店主さん、この子の前で怒ったの、初めてだよね?
「……オレはまずこの店を仕事とは一切思っていない。つまり利益とかもう半ばどうでも良いんだよ、やりたくてやってんだ。――そりゃ、金を貰っている身分ではあるしプロ意識というものもある。手抜きも一切していない」
そう。たぶんわたし、『そういうところ』だからおいしくラーメンを食べられてるんだよね。普段、ぜんぜん意識しないけど。
ラーメンの味は勿論おいしい。種類もバラエティに富んでいる。ただ……
「なー」
「おっちゃーん、電源コードあるー?」
「コードはない。ただ携帯の充電なら適当にしろ、カウンターの下にある」
「あざーっす」
「……厨房近いからな、油が跳ねても知らねえぞ」
――長居する男子学生たちに怒ることもなく、目だけでコンセントの場所を指し示したり。
「おじさん聞いてよ、この子誕生日なんだよね」
「はー、そう。モヤシ増やしとくか?」
「あ、モヤシはちょっと。たまごがいいな」
「たまごは単価が……まあいいか、いいや。おめでとう」
――そっけないふりしつつ、結局女の子たちに甘かったり。
そういう「細かいやり取り」がよく発生するから。それを時々チラ見して発見するのがわたしは好きだし、その和やかな空気の一員になりたいと思うんだよね。
「だが恐らく」
店主はしかめっ面のまんま呟いた。
「……『これで生きていく気があるか』と聞かれたら、オレは『無い』と答えると思う。ああ、即答だ」
ふと思い出した。
「『好きなことがたくさん』になってくれたらいいんだ」……。
「――オレは、好きだからやってるだけなんだよ」
……だろうね。
わたしは谷川さんの横でじっと店主を見ている彼を見た。
イツキくんのお母さんにせよ、おじいちゃんにせよ――わたしのときと同じだと思う。
この子が願われているもの。期待されているもの……。
「客も年々減っているし、値下げもこれ以上は限界、利益どころか毎日が赤字。それを年金の一部で埋め合わせているような状態で即座に『はい』といえる人間なぞ、この世には居やせんだろうが。半ば趣味で続けているようなものだ」
谷川さんがおろろっと嘘泣きしながら床にわざとらしく崩れ落ちる。
「そんな……じゃあ、バイトのあたしとは遊びだったの……?」
「色々と語弊のある言い方すんな」
思わず真顔で突っ込んでしまった。
……というか、どっちかと言えばあんただろ! 後輩振り回してる遊び人は!
店主は谷川さんを呆れた目で見つめながら咳払いをする。
「……誰かが来て、物を食べて、ほっとする。時々憩いの場になって、誰かの切羽詰った気持ちをやわらげる場所になる。今のオレが目指しているのは、そこだ」
イツキくんの頭にガシッと手が置かれた。
「だから坊主1人がチャカしに来たところで……少し邪魔には感じることもあるが、そこまで嫌じゃあないさ。むしろ、『またお前に怒られるのか』、と心配になるくらいだ。オレはどうとも思わんよ。……こんな小さなガキですらここを居心地いい場所と思っていてくれてるんだ。誇りに思う」
「…………。」
……イツキくんは黙って頭に置かれた手を触った。
「まぁ、言いたかったのはそれだけだ。迷惑にならないとは言わないが、それほど邪険にする理由もない。イツキも反省してるだろう。今回はあまり怒らないでやってくれ」
――「なんか……異様にカッコいいわね今日の店主。相変わらず孫には甘いけど」
あの、メティスさま?
さすがにそこを突っ込んだら身も蓋もないんじゃない?
とりあえずカッコよさだけに目を向けて、後は無視したほうが綺麗に収まる気がするわけで。
「ん。……ん。……イツキには代わらなくていいんだな? ……ん、言っておこう」
店主は電話を切るとイツキに携帯を放った。
「……言い過ぎた。とにかく早く帰ってこい、だと」
「うん、ありがと。じいちゃん」
多くは語らずに、店主は奥へと引っ込んだ。
「おおー、シブーい。背中で語るとは……」
「んで、谷川さんとしてはああいう人が良いわけ?」
「あたしのストライクゾーンは広いよ?」
――「……の割には、友達どまりで良い子が多いんでしょう?」
メティスのツッコミに苦笑していると、少年が言った。
「あのさ、お姉さん」
「ん?」
「オレ、お姉さんに言われたこと、ちょっとわかった気がする」
――「おっ?」
小さい声ではあったが、少年は確かにそうはっきりと言っていた。
わたしは何でもないようにすまして言葉を返す。
「うん、いいんじゃない? ――これから頑張りたまえよ、少年」
チリン。……扉の鈴がなる。
さっさとランドセルを背負った窓の向こうの少年は、自転車に乗って静かに去っていった。
「……谷川」
「何? おやっさん」
「メンマの皿、戻しといてくれ」
「はーい……」
今日はバイトできたんじゃないのにな、なんて笑いながら、谷川さんはお皿を下げ始めた。
「……いやー、でもちょっと進歩かなぁ」
「進歩?」
手慣れたように小皿を洗いつつ、流しの方で谷川さんが呟くのが聞こえて……わたしは聞き返す。
「イッちゃんさぁ、暫く荒れっぱなしだったんだよね。――あ、はい、おやっさんお皿」
「ん」
「そうなの?」
「妹ちゃんが生まれたばっかでさー」
……ハッとした。
そうか……わたしが言ったあれって……
――『泣いて何かを嫌がってる』大人ってあまり見たことないでしょ? あれって結局、自分よりちっちゃい子がいると、その子に「カッコ悪い」って笑われちゃうのが嫌だからなんだよね。
「……お母さんもぜんっぜん余裕ないんだろうねー。ここ暫く、イッちゃん相手にすぐ怒るようになっちゃったみたいで」
「うん」
「でも今までひとりっ子だったイッちゃんはわかんないよね。いつも通りにやってるはずなのにすぐ怒られて、ひとり立ちさせられる。上の子ってそういうもんみたいで」
……なるほど。
「何か聞いてもしっかりしろ、自分でやれ。……その受け皿になってたのがこのお店だったんだなぁって、今、ふと思ったよ」
無事に客席に戻ってくる谷川さんに、少し笑いながらわたしは返す。
「……谷川さん、イツキくんって、体裁とか気にする方だよね」
「じゃないと背丈とか、あそこまで過剰に気にしないじゃん?」
「だよね」
なるほど。
なら、あれほど分かりやすい例え話はなかったんだ。
わたしは少し不思議な気持ちになったあと、ちょっとだけ笑った。
……イツキくんにとっての「自分よりちっちゃい子」。
――妹ちゃん。
想像する。お母さんのそれを、自分の立場に照らし合わせたんだな。
そりゃあ、『赤ちゃん』に笑われちゃったら。
「……死ぬほどかっこ悪いかぁ」




